桐光学園の特別講座14回分の内容を書籍化した本の、4冊目。分野不問で最前線で活躍なさっている先生方14人の、中・高生向けレクチャー。とても贅沢な教育だなあと感心する。

[E:clover]とりわけ印象に残ったのが、森達也さんが2010年6月におこなったレクチャーの記録。「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」。

ノルウェーでの受刑者の様子。オスロ刑務所では、受刑者の生活に不自由ないどころか、自由まである。部屋にはテレビもゲームもあるし、冷蔵庫には旬の野菜やデザートまで。所長の話。「こうした環境にしているのは、最終的には彼らにきちんと社会に戻ってほしいから。受刑者が厳しい環境で過ごし、ひどい扱いを受ければ、更生しないまま社会に出て、適応できなくなる」

こうして受刑者は新しい人間的な環境で社交性を身につけ、ルールを守ることを覚えていくのだとか。

ノルウェー法務省の役人のことばも印象的だった。「なぜ罪を犯すのか。一つは、幼いときの愛情の不足。二つ目は、青少年のときの教育の不足。三つ目が、現在の貧困。であれば、この三つを社会がカバーしてあげればいい。苦しみを与える必要はない」。

このような寛容な措置が可能になるのは、豊富な財源があるから、といってしまえばそれまでなのだけれど。「罪と罰」に対する根本的な考え方の違いも感じる。

「善意が人を暴走させる」という森氏の意見も、深く心にとどめておく価値あり。

「『正義のため』『大義のため』『善意のため』、さらには『愛するものを守るため』という理由があったとき、人は何万人でも殺すことができる。悪意には摩擦が働き、後ろめたさを残す。でも善意には摩擦が働かず、後ろめたさがないから、人を暴走させるのです」

「さらには『危機意識』。オウム以降、僕たちがメディアによってそれを植えつけられたように、危機意識があると人は攻撃的になる。20世紀以降の戦争や虐殺のすべてはこれらが原因です。そこに領土的野心はほとんどありません。『このままだと民族が絶えてしまう。守らなければ』。そんな善意と危機意識が働き、人は際限なく人を殺し続けることができたのです」

[E:clover]もう一人、奥泉光さんの「文学力をきたえる」。

「表現とは、極端にいえば、再現すること」。過去に面白いと思った経験を、もう一度つくりだすことである、と。

「人間の文化とは、おもしろいものに触れた次の世代が、そのおもしろさを再現しようと試みる、その連続」

「文学に関わる者は、感動の質を見極めなくてはいけません」

「つくり手に求められるのは、パターンから離れた感動をどれだけつくり出すことができるか、ということ。理想は、今まで誰も知らなかった感動です。それをもし発見できれば、作家冥利に尽きるでしょう」

過去に面白いと思った経験を再現することと、誰も知らなかった感動を作り出すことの間には、いくばくかの距離があるのでは?と奥泉先生に質問してみたいのだが。 問いと矛盾が果てしなく終わらないからこそ、文学か。

☆今日は、いつもそばにいてくれる(笑)キティ・ホワイト(ロンドン生まれ)の誕生日。おめでとう!

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