原研哉『日本のデザイン』(岩波新書)。久々に、ゆっくりと文章そのものを「味わう」という喜びを堪能した本。日本の歴史や現在のなかに潜在する可能性を見出し、具体的な未来のビジョンを明快に描きだす(=デザインする)、という趣旨の本なのだが、ウェブにあふれる「日本の未来をこうすべき」というハウツーものとはまったく別格のレベル。ハウツー表記は字面をたどっていくにつれてなにか焦燥感や虚無感が増していくのだが、この本は読んでいくに従って心が落ち着いて潤っていく気がする。

要点の総括とか、概略の紹介、というのは、このようなタイプの本にかぎり、あまり意味をなさないような気もするので(そういうことを知りたい人は通販系ウェブサイトのレビューでもチェックしていただければ)、文筆業者として、「美しい文章だなあ…」と感じ入った箇所の中からいくつかを、ランダムに紹介。「何が書かれているか」ということよりもむしろ、「どのように書かれているのか」という表現において魅了された文章ばかりである。いかなる文脈において登場するのかは、各自購入して確認されたい。

「人為の痕跡もないような極まった自然の中に先端テクノロジーを駆使してぽつりと存在したいという衝動は、理性に自負を持つ人間の根源的な欲望のひとつである。植民地文化の華やかなりし時、西洋人がことさら極まった野性的環境の中で、白いテーブルクロスと、白服の給仕係をともなって、フルコースの食事をしたがった心性も同じ動機に起因するものだ」

「およそ人間が集まって集団をなす場合、それが村であれ国であれ、集団の結束を維持するには強い求心力が必要になる。中枢に君臨する覇者には強い統率力がなくてはならず、この力が弱いと、より強い力を持つものに取って代わられたり、他のより強力な集団に吸収されてしまったりする。村も国も、回転する独楽のような存在である。回転速度や求心力がないと倒れてしまう。複雑な青銅器は、その求心力が、目に訴える形象として顕現したものと想像される。普通の人々が目の当たりにすると、思わず『ひょええ』と畏れをなすオーラを発する複雑・絢爛なオブジェクトは、そのような暗黙の役割を担ってきた」

「中国は龍を、イスラムは幾何学的パターンをびっしりと身にまとい、互いに『僕を攻めるとちょっと怖い目に遭いますよ』と、威嚇し合っていたにちがいない。現代でいうところの抑止力。核兵器で脅し合うのではなく、緻密な文様の威力で互いの侵略を抑止していたのだ」

ファッションに関する記述が、とりわけ一文一文、正確で、本当は全文丸暗記したいくらいの勢いなのだが。なかでも、この表現はさすが!と拍手したのがこちら。

「(VOGUEの編集には筋の通った原則がある、という話にふれて)ファッションとは、衣服や装身具のことではなく、人間の存在感の競いであり交感であるという暗黙の前提のようなものだ」

ファッションとは、人間の存在感の競い。そして交感。こうした視点をもってファッションシーンで繰り広げられる情景を眺めてみると、昨日とは違う風景としてその中の人間が見えてこないか。

「人間は偏りをもって生まれ、歪みも癖も持ち合わせて生きているが、そういうものを全部のみこんで、どっかりと開き直って生きている人々には、時代を経た大木のような迫力が備わってくる。シミを取ったり、まぶたを二重にしたり、アゴの線を整えたりするのではとうてい太刀打ちできない、人間としての強烈なオーラを放っている。そして、そういう人は、才能ある服飾デザイナーが全身全霊を投じて創作したオートクチュールのパワーを見事に一身に引き受けて服を着こなしている。着られるものなら着てみろと言わんばかりの、斬新で独創的な服飾デザイナーの挑戦を、真正面から受け止め、自身の身体と人的オーラでそれを増幅し、あたりに発散している」

私が「ダンディズム」で取り上げた男たちの態度を通して言いたかったかったこととも、まさに通じている気がして、深く納得。偏り、欠点、歪み。コンプレックス。「かっこいい」男たちは、みなこうしたマイナスを受け入れて、それを長所に転じてしまった。そのロマンティックなパワー、ラブ&ヘイトを同量たっぷりと受けとめる懐の深さこそが、人を魅了するエネルギー源になっているんだよね。そのあたりのもやもやを、「人間の存在感の競い」とずばり的確に表現してくれた原さんに感謝。

「個々の人々の自由が保証され、誰もが欲しいだけ情報を入手することのできる社会においては、人々は平衡や均衡に対する感度が鋭敏になる。したがって『夜なべをして手袋を編む』ような、アンバランスな献身性を発揮して子育てや家事にいそしむ母のイメージは支持を得られない。女性は社会の中に相応のポジションを得て、賢く損のない人生を生きようとする。少子化の根は、育児にお金がかかるからという単純な理由にあるのではない。全ての人々が自由を享受する社会の趨勢に根をおろした現象なのである」

「ミック・ジャガーは68歳。年齢的には立派な老人だが、そういう認識ではとらえにくい。若さはすでにないが、多くの時間をロック・スターとして生き抜いてきたことで強烈な存在感が醸成されている。老齢化社会を考える時、いつも僕はこの人物を思い出し、ひとつの態度に回帰する。そこに平衡や均衡への配慮はない。あるのは超然とした大人のプリンシプルである」

平衡や均衡へ配慮なんかしないこと。今風に言えば「空気を読む」ことへの配慮なんかしないこと。難しいからこそ憧れる…。でもぼんやりと憧れごっこしてるヒマはあんまりないのだ。昨日、旅立っていったホイットニー・ヒューストンは、私よりも年下だった。誰にも永遠に時間が与えられているわけではないのですね。

ほかにも、思考を刺激してくれる美文多々あるのだけれど、今日はこのくらいに。折に触れて読み直したい本。

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