やっぱり三池崇史。どういう人に共感を抱くのか、列挙してみると、自分がどういう志向というか憧れをもつ人間かがぼんやりうっすらとわかってくる気がすることもありますね。

「ダンディズム」関連の本や記事などで引き合いに出している男たちの例がわかりやすいですね(^_^;)。

三池崇史監督もキネ旬連載時には何度も褒めまくっていた一人(「牛頭」ビフォア・アフターで映画観が変わった(~_~;))。やっぱりこの人の言葉とか作品とかたたずまいとか世間に対する態度とか、好きだなあ。朝日新聞21日付、オピニオン欄、「邦画の強さは本物か」でもやはり三池節全開で、嬉しくなったのであった。

「お金を出す側からは色々と注文があります。『時流に合わせて受けたい』という気持ちはわかりますが、実際に撮っているとおもしろくて夢中になって、つい我を忘れちゃう。スポンサーとの約束を守るよりも、『今、乗っているこの役者を、もっともっと走らせて撮るぞ!』ということになる。その結果できあがったものが、最初の約束と違ってもそれは仕方がない」

「企画はきっかけや方便に過ぎず、過程こそ映画ですから。テレビ局のプロデューサーがつくるような『企画から完成まで、客を入れるための徹底的なリサーチに基づいてつくった映画』との違いは大きいでしょうね」

映画界の窮状を嘆かず、どうこうしようという義務も責任も感じず、ひたすら現場で一番楽しいことを追求していった過程の結果こそ三池印の映画。だから筋が多少とおってなくても、ところどころ破綻していても、無茶が滑っていても、それもありだなあと笑顔で観られるのよね。

新作「愛と誠」の試写状もいただいているが、仕事びっしりで、行く時間がとれるかどうか。「愛と誠」は中学生時代に一番熱狂していた愛読書だった。それを三池監督が撮るとなれば、観るまで死ねないくらいなもの。時間ない、を言い訳にしちゃいかんな。

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