フィギュアスケートの羽生結弦さんが300点越えした理由について、dmenu映画というサイトでの分析が面白かった。

野村萬斎から受けた助言というのが、他の仕事にもすべて通用する内容。たとえば私の仕事にとっても、たいへん有益なアドバイスである。以下、分析の引用です。

~~~~~~~~
①誤作動しないくらい徹底的に型を身体に覚え込ませること
②同じ演目でもやるたびに新しい驚きを観客に与えるよう演じること
③型を効果的に見せるためには押すだけでなく引く演技も必要であること
④型にはすべて意味があり、その意味は自分で解釈するもの
⑤記憶に残るような演技をすれば結果はついてくる
⑥精神性が重要。場を支配するためには場を味方につける

~~~~~~~~~
とりわけ6番。場を味方につけるため、場の「気」を集めるという発想が、論理的でないようで、実は経験上、きわめて腑に落ちる話なのである。

場の「気」を支配する。これが300点越えの演技をもたらした点について、このライターさんは、次のように表現する。

「天を仰ぎ、地に言い聞かせ、指先に意識を集中させた。「GPシリーズNHK杯」を滑り出した羽生は、すぐに集めた“気”をいったん胸の前で珠にし、すぐに会場の両サイドに放出した。コンビネーションスピンのあと、能でいう“開き”のポーズを取り、再度“気”を引き寄せる。トリプルアクセルに続くダブルトゥーループでは両手を上にあげ、天に持ち上げた“気”を着地と同時に放出。続いて緩やかに右回転し、会場の空気を身にまとったかと思うと、トリプルアクセル、シングルループ、トリプルサルコーと真逆に連続で飛び、身に引き寄せた空気を一気に会場の隅まで放った。すべてのジャンプを決め、コレオグラフィックシークエンスに入る際には、鈴の音とともに両腕を左右に大きく広げ、前の空間にアピール。ラストの足換えコンビネーションスピンで上へと昇りつめ、太鼓の音とともに地上に君臨した」

さらに、ややスピリチュアルが入っていそうなこの「気」を集めるということに対し、中井貴一のことばで集約。「演技とは、一身に集めた様々な気を発散すること。それは、すべての芝居ができたうえで、一度そぎ落としたときに成立する」と。

たとえば成功した講演やトークショーと、その感覚に至らなかった講演の決定的な違いはここなのですね。ある人はそれを「聴衆とのコミュニケーション」と呼び、ある人は「場の空気を読む」と呼びますが、たぶん、内実は同じこと。見えないけれども実は確実に存在する場の空気。これを操ることが最終的な「成功」のカギだ。でなければ、「動画」や「録画」を画面で見ているだけでもいいはずだ。そうではなく、内容がわかっていてもライブをわざわざ体験しにいくのは、場の気を操り、操られるその場限りの感覚を共有するため。

0 返信

返信を残す

Want to join the discussion?
Feel free to contribute!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です