人を褒める効用についての、澤円さんの記事

私も人を褒めまくるタイプです(ブログをご覧になっている読者の方にはとうにおわかりかと思いますが。笑)。自分の状況が苦しいときほど、意識的に人や作品のいいところを発見しようと努めて、褒めます。媚びるのとは違います。褒めどころを探して、褒めどころを作って、できれば、人前で褒める。

その人のためを思って、ということも当然ありますが、人を褒めるのは自分のためでもあるような気がしています。誰かの長所を肯定することによって、褒める言葉を探し続けることによって、関心の方向が自分から離れて、ラクになっていくんですよね。

また、ほめられた人も、たとえ少しの時間であろうと幸せな気持ちになって、さらに成長したり飛躍して大きくなったりして、結果として、こちらが思わぬときに助けてくれたりするという好循環が起きるんですよね。忘れたころに自分に返ってくるのです。(返ってこないことも、もちろんありますが、返ってくることのほうが文字通り「有り難き」ごほうびなので、ひときわ嬉しくなる。笑)

それを狙っているわけでは決してありませんが、やたら人を批判して敵を作るより、よほど世界が明るい光に満たされる気がしますし、幸運を招くことにもつながります。

嫉妬によるものなのか、人を引きずりおろそうとして、匿名でディスりまくっている方もいらっしゃいますが、そんなことをしても、いっときはせいせいするかもしれませんが、結果としてそれがなにかよい効果をもたらしたことはありますでしょうか? ディスった相手はますます人気を高めていたりしませんか? まともな感覚の持ち主であれば、不当にディスっているほうの品性や器の小ささを哀れに思い、ディスられた方にかえって同情して味方したくなるものです。

正当な批判があれば実名で指摘すべき。それでも、言い方には相当の工夫が必要です。

人前で、目の前で、とげのある言葉で批判されたことは、私にも何度かあって、たとえそれが「事実の指摘」であっても、その苦いショックから立ち直るにはずいぶんと時間がかかり、またその人と一緒に仕事をする気にはなかなかなれなかった。批判された時の沈んだ重たい感情がよみがえってきて、萎縮してしまうんですよね。結果として、自由に能力が発揮できなくなる。どんなに指摘が正当なもので、こちらが「改善」を心がけたとしても、仕事はうまくいかなくなるのです。

そういう経験があるからこそ、どうしてもなにか注意すべきことがあれば、人前ではなく、その人だけに、できるだけ柔らかな表現で伝えるようにしています。

 

人間なので誰でもイライラや不快が募ることはあると思うのですが、そのような時こそ、実は「他人褒め」が好循環への切り替えスイッチになってくれることがあります。周囲に褒める人がいなければ、映画でも本でもレストランでもなんでも。褒め言葉のパワー、侮りがたし、です。

結論: 幸運を招きたければ、褒めなさい。

 

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