あっという間に読み終えられる分量ですが、まさに今世界中の人が経験している状況と心情を、美しく力強い言葉で書き留めています。パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』。

思えば森林火災は人類に対する地球からの最後の警告だったのですね。どんなに警告されても環境破壊をやめない、利益追求のためならどこどこまでも搾取を続ける人類への。行き場をなくしたウィルスが、人類を襲ってきた。

コロナ禍がおさまっても、「もとの世界」に戻してはいけないものがたくさんあります。パオロ・ジョルダーノに倣って、「戻したくないもの」を書き留めておきたくなりました。今、現在感じている、まったくの個人的見解です。

<ラグジュアリーファッション、モードに関して>

・すでにサンローランがコレクションを脱会すると発表しましたが、年4回もファッションショーをするというのはやりすぎ。膨張しすぎ。ただ、ライブでショーを見る喜びや感激というのは確かにあるので、年1~2回でいい。

・6月にすでに夏物セールというのは異常。8月にはすでに夏物がなく、秋冬のコートが並んでいるという事態は業界の都合でしかない。それで「服が売れない」とか、あたりまえだ。実需要があるときにきちんと季節に応じた商品を販売するというまともなシステムを作るべき。

・同じようなものをそもそも作り過ぎていた。結局、予想通り売れ残って大量廃棄。こういうやり方も戻さなくていい。ついでに「トレンド予測」は意味不明。たんに「たくさん市場に出ていて、供給側が売りたいもの」が紹介されていた。

・新商品お披露目会に本業不明なインスタグラマーを多数招き、彼ら・彼女らにきれいな写真を撮ってもらってアップし、宣伝してもらうという空疎なシステムも戻らなくていい。いっせいに同じパーティー風景、同じ商品がずらずらと並ぶ気持ち悪さったらなかった。PRとしては、逆効果でしかなかったと思う。戻さなくていい。

・各メディアの編集長を、遠いところまで旅行させ、さんざん接待して記事を書いてもらうというPRのやり方は、もう舞台裏が透けて見えるので、戻さなくていい。

・ラグジュアリーブランディングとは、どれだけ派手に資本を投下してPRをするか、という問題になっていた。これは戻さなくていい。

 

とはいえ、なんだかんだといって終息後2年ほどすれば、さらに巨大化した(中小が絶滅して巨大資本に守られるブランドのみがいっそう巨大化して生き残るのは目に見えている)ラグジュアリーブランドが、コロナ前と同じようなことをやっていく未来も可能性としてうっすら想像できてしまうのが空恐ろしいです。

 

緊急事態が5月末まで延びることになり、がっくり落胆どころか、ぷつんと気持ちが切れてしまった方も少なくないと思われます。NYのクオモ知事のように、毎日、明確な数値を出し、自分たちがいまどの段階にいて、どこを目指しているのか、そのグランドデザインのようなものを明瞭なファクトベースで示せないものなのか。これ以上、どの地点を目指してどう頑張れというのか。ニュージーランドのアーダーン首相、ドイツのメルケル首相、台湾の蔡英文首相など、思いやりと際立った決断力を両立させるリーダーの手腕が伝わってくるからこそいっそう、日本の行政の冷酷な無責任ぶりと意味不明な迷走ぶりにやるせなくなる。

何も貢献できない自分の立場ももどかしいですが、せめてこの時期にあぶり出された諸々を「忘れない」ために書き留めておくことは、文筆に携わる仕事をする人間に課せられた義務のようにも思えてきます。

 

 

 

 

 

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