こちらも、ラグジュアリー研究会で渡邊康太郎さんが引用した本。菅付雅信の「中身化する社会」。すでに2013年で菅付さんはこれだけの整理をしていたのだ。ほんと、読んでなかったことがハズカシイ。今さらですが、新しいラグジュアリーを考えるためにも、なぜこんなにファッション企業が縮小していくのかを考えるためにも、読んでおくべき本でした。

インターネットがこれだけ浸透してしまった社会では、すべてが可視化される。もう見栄もウソも通用しない。第一印象はファッションが生むものではない。すでに第一印象を創る情報がネットのなかにある。これまでは見せかけのラグジュアリーでイメージを保っていくことができていたかもしれないが、虚栄や見栄はもはや意味をなさない。自らも仕事も、自分も、短絡的に捨てられることを覚悟せよ。これからは意味のある商品、本質のあるもの、価値ある仕事が人生を満たしていくだろう、というのが骨子といえば骨子。

心にとめておきたいキーワードも満載。詳しい意味を知りたい人は、本書をどうぞ。

・評判が自分に先行する

・ファッション以上に速い言語を人は持ち始めている

・メイカー・ムーブメント:作り手になる

・広告ではなくコミュニケーション。ソーシャルメディアでは企業も人格になる。

・人間が人間であるためには、与えられた環境を否定すること

・富の再配分ではなく、尊厳の再配分

・計画的陳腐化

・reputation capital (評判という資本)

・social capital (人間関係資本):自分自身も他人の資本である

・やりたいことを無視して、自分がやらないと誰がやる、ということをやらないといけない

・自己実現ではなく、社会実現に向かう

・人生の作品化、シグネチャー化:生き方を作品化しないと人は評価してくれない。一方、「見えること=本質の把握」でもない

・信用が重要になり、人間関係が資本となる

・中身化に臨む覚悟

 

すでに8年前に書かれていたことが今くっきりと目の間にある。ここに書かれていないけれど起きているまざまな現実は、8年後の予兆。

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