パブリックスペースにいらっしゃる方々もゆかたという環境なので、カジュアル着物で歩いていてもまったく違和感のない絶好のロケ地でした。
ダースベイダー×アカレンジャーをイメージしたコスプレか?と笑われる前提で…。
日本のクリエイターの応援活動でございます。
赤い備後木綿のカジュアル着物は、大阪で「音遊」を立ち上げた宮田真由美さんプロデュース。
帯は宮田さんの夫君、宮田雅之さんが展開する和男師のもの。姫路レザーをエナメル仕上げしてあります。バックルは漆塗りで螺鈿の装飾でしあげてあります。
赤い着物はノブさんこと関西学院大学教授の井垣伸子さんが着ているのを見てクリエイターにコンタクトをとり、日経で記事化、自分でも買ってしまいました。ゆかたのように簡単に着ることができます。(着付けが下手なのは見逃してくださいませ)
羽織っているコートはH&Sons 廣川輝雄さんの傑作。表は総カシミア、裏地は赤薔薇柄です。
熟練テーラーが自由な創造力を発揮するととんでもないラグジュアリーが生まれるという、ブルネロクチネリ的な例でもあります。
日本の職人さんは生真面目で決められた枠内のことを誠実に丁寧にこなしていいものを作る、というステレオタイプのイメージがあるようですが、いやいや。そういう仕事ももちろん大切なのですが、秘めたクリエイティブ・ポテンシャルも相当高いのです。職人の枠を超えて、クリエーター、デザイナー、アーチストとして世界に羽ばたいてほしいと思う方が大勢いらっしゃいます。(くどいけど、職人は職人として貴重な仕事をなさっているのですので尊敬しているのです。ただ、報酬や評価の問題になった時に、職人とデザイナーではけた違いになることがある。それ、悔しくないですか?)
職人、デザイナー、アーチストの違いについては、安西さんのこちらの論考が参考になります。
「職人とデザイナーの違いは何か?と聞かれたあるデザインの巨匠は、『椅子とは四本の脚があり座面があるものと考え作るのが職人。デザイナーは階段の一つに座布団をおいたのも椅子と考える』と答えた例があります。(中略) 職人とアーティストの違いに関しては『職人は扱う材料と技術の枠組みでの伝承をメインにおき、アーティストはアート史のなかでの評価に注意を傾ける』」
産地、作る人、売る人、着る人、関わる人全てが自由な想像力を発揮しながら有機的につながり、未来への持続可能性の広がりをみせるのが、新しいラグジュアリーのあり方です。人間はシステムの歯車ではないし、ブランドの権威をありがたがる植民地の民でもない。
海外のお墨付きや権威をありがたがる「植民地の民」メンタルから、いいかげん、脱出しましょう。
Be Independent. Be Confident. Be Imaginative. (で、ここで英語かい。笑)
くどい写真が続いてげんなりしていらっしゃるかもしれないので、癒しの雪だるまを。リッツカールトン日光のスタッフが作っていらしたようです。お子様たちをも楽しませようとするホスピタリティ、ほんとうにすばらしかった。
『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』クロスメディア・パブリッシングより3月28日発売です。アマゾンでの予約受付が始まっています。
品行方正で倫理的な王室メンバーばかりではない。むしろ人間くさくどうしようもなく愚かなところを見せてくれるからこそ、注目を浴び続け、愛されてきたような一面が英国王室にはあります。かつては英語を話せない国王もいたし、ハニートラップとしか思えない状況で国王をやめてしまった王もいた。この程度のスキャンダルは、むしろ「圏内」のように見えます。生涯を国家に捧げると誓ったとてつもなく安定した気質のエリザベス2世の威光と、問題児アンドリュー王子や反乱児ハリー王子夫妻の影。この対極あってこそ歴史家やジャーナリストは筆をふるい、人々の関心をひきつけ、「家族とはなにか」「王室の存在意義は」という議論が盛り上がったりする(関心のない人はとことん無関心だし)。英王室は多民族からなる複合国家の象徴でもあり、複雑化・多様化する社会や家族像の反映にもなってきました。ファミリーの反逆児はどの家庭も抱える問題。それに対して家長がどのように対応するのか、反逆児はその後どうなっていくのか、すべてがリアルな人間的関心の的です。だからこそ、英王室は各時代のクリスマスツリーのてっぺんの飾りのような存在であり続けることができるのです。あとからふりかえって、このファミリーの問題をきっかけに時代を語ることができる。そんな存在、貴重です。
次の国王となる予定のチャールズ皇太子は、故ダイアナ妃をめぐるスキャンダルでいろいろ非難も浴びましたが、いまは地球環境問題において世界でリーダーシップをとる存在です。当初、悪女呼ばわりされたカミラ夫人も、誠実に公務をこなして今では好感度も高く、女王までもが「未来にはカミラにクイーン・コンソート」の称号をと言っている。ひとりひとりの人間の成長はこうやってもたらされ、人の評価というのはこのように変わるのか……ということを考える人類共通のネタ(失礼)をも提供してくれています。