◇本はいったん世に出たら「読者のもの」である。どこでだれがどのように読むのか、作者はコントロールすることなどできない。ときどき、思わぬところで意外な読み方をされていることを知り、驚くこともある。

たとえば昨日、中学校の同級生がひさびさにメールをくれたと思ったら『モードとエロスと資本』が20日付の某政党機関紙「赤旗」で引用されている、と(←GOKIちゃん、教えてくれてありがとう!)。一面のコラム「潮流」という欄で、引用というより、コラムの大半が本の紹介にあてられていた。私の生活圏にもっとも「ない」ものといえば政治色で、まさか政党の機関紙にとりあげられるなど夢にも思わなかっただけに、ちょっとびっくり(とはいえ、ご紹介いただき、感謝します)。

◇「ニューヨーク・タイムズ」の「Tマガジン」19日付で、「タイツをはいた男」の歴史。ラッセル・クロウの新作「ロビンフッド」にからめての記事だが、どうやら、ラッセルは観客の熱い期待にこたえず、タイツをはかなかったらしい(映画は未見なので、いったい何を着てロビンフッドを演じたのかは今のところ不明)。

で、備忘録までに、タイツ男の歴史。こんな男たちが紹介されていました。

・1537年 ハンス・ホルバインが描いた「ヘンリー8世」。

  この絵は私も大好きで、何度も引用! スカートとコッドピース、シルクストッキングでの脚線美、詰め物たっぷりの胴体は、チューダー・マッチョの極み。

・1922年 ダグラス・フェアバンクス主演の「ロビンフッド」。

 タイツとキュートなベストに帽子。

・1938年 エロール・フリン主演の「ロビンフッドの冒険」。

 グリーンのタイツとベルベットのケープ。現在のロビンフッドのイメージは、たぶん、このエロール・フリン版の緑のタイツで決まったのでは?

・1959年 「お熱いのがお好き」のジャック・レモンとトニー・カーチス

 女装だからな・・・。男らしさとしてのタイツ、という観点ではちょっとはずれる気も。

・1966年 「白鳥の湖」のルドルフ・ヌレエフ

 未見。一度見てみたいと思い続けている、男版の白鳥の湖。

・1978年 「スーパーマン」のクリストファー・リーヴ

・1993年 ケアリー・エルウィスの「ロビンフッド:タイツをはいた男」

 タイツ男に対し、ややからかいの調子も入る。

以上。それにしても、ラッセルのタイツ姿、観たかった~!

◇英「テレグラフ」19日付で、ここ50年間での「アイコン的」なドレス、ベスト10の発表。

1.スパイス・ガールズのひとり、ジンジャー・スパイス(Geri Halliwell)が着た、ユニオンジャックのミニドレス(これはデザイナーものではなく、ミニドレスにティータオルを縫いつけただけのものだった)。

2.エリザベス・ハーレーが「フォー・ウェディング」のプレミア(1994年)で着た、ヴェルサーチェの安全ピンドレス(これで一躍ハーレーは時の人に)。

3.マリリン・モンローが「七年目の浮気」で着た、白いドレス(地下鉄の通風孔の上でふわっ)。

4.オードリー・ヘプバーンが「ティファニーで朝食を」で着た、ブラックドレス(何度もコスプレの対象に)。

5.レディ・ガガが「ブリットアワード」で着た、白い衣装。

6.ダイアナ妃のウェディングドレス。デザイナーはエマニュエル夫妻。

7.カイリー・ミノーグが2000年の「スピニング・アラウンド」のビデオで着た、ゴールドのホットパンツ。

8.ジェニファー・ロペスがグラミー賞授賞式で着た、グリーンのヴェルサーチェのドレス。

9.ビヨークが2001年のアカデミー賞授賞式で着た、白鳥ドレス。デザイナーは、Marjan Pejoski(ビヨークが「卵」を産んでました)。

10.シンディ・クロフォードがアカデミー賞授賞式で着た、赤いヴェルサーチェのドレス。

着る人のキャラクターとばっちり合って、人とドレスが互いに引き立て合っているようなとき、歴史に残るドレスが生まれ、それを着る人も、後世まで語り継がれるアイコンとなってきたことが、よくわかる。

◇英「インデペンデント」19日付、シセイドウが「ディジタル・コスメティック・ミラー」という、ヴァーチャルに製品を試すことができるものを世に出したという話を知る。

記事は、シセイドウに続き、ティソー(時計ブランド)がセルフリッジズと組んで、ヴァーチャルに製品を試すことができるシステムを導入、という話がメインなのだが。

英シセイドウの試みは、日本ではおこなわれているのだろうか? 

視察を終えたあと、代表取締役グループ代表、南部靖之さんのご講演。

表向きのテーマは「これからの働き方はどうなるのか」ということであったのだが、話題はじつに多岐にわたった。アーバンファームをつくるまでにいたった具体的な経緯、ご自身が受けた教育の話やご両親のこと、アメリカの教育観との比較に基づいた今後の教育の話、現在の日本の労働問題やそれを解決するために実行していること、仕事を続ける上での哲学、などなどが、お笑いをまじえ(関西の方であるなあ)、大きな身ぶり手ぶりで、パワーポイントなんぞ一切なしの話術だけで、ドラマティックに楽しげに語られる。笑えるばかりでなく、内容もぎっしり充実している。何をどこから書いていいのかわからないくらいの圧倒的な情報量だったのだが、とりわけ印象的だったことがらを、以下、ランダムにメモ。

★座右の銘は、「迷ったら、やる」。ビル内で稲作をするというプロジェクトも、最初はだれもが「できっこない」と反対した。でも、やろうと思って、「なぜ、できないのか?」を調査した。その分野のエラい先生が、1000ページにわたり、「できない理由」をぎっしり書いた論文を書いてくれた。ところが、あるとき、「農業従事者」の方に「これだけ資金を投資して環境を整えても、ビル内で米が実らないのはなんでかね?」と立ち話で聞いてみたら、3つ、理由を教えてくれた。

  1.雨が降らん (水分の問題じゃない。雨があたった瞬間、空気が稲に入ることが大事なのだ。だから、空気を送り込め)

  2.風が吹かん (嵐や台風も必要だ。一方からじゃなく、あっちからもこっちからも。強風を双方向から交互に毎日、一週間送りこめ)

  3.あんた、関西人で、ケチやろ (ぎっしり苗を埋め込むな。30センチ間隔をとるべきところ、あと15センチほど広げ、せめて40センチほどに、間隔を広げたらいい)

この3つの助言が、突破口になって、実現したという。立派な学者先生の1000ページの論文より、実際の農業従事者の3つの助言。

★丸の内と大手町には、ベランダのあるビルはない。窓も開けられない。でも、ベランダがほしかったし、窓も開けたかった。だから、地道に、ひとつひとつ、交渉を重ねていった。

ベランダに関しては、「ベランダと思わずに、でこぼこの壁やと思うてくれ」ということで、表向きは「でこぼこの壁」ということになっているベランダをつくることに成功。窓に関しても、交渉を重ねに重ね、結果、窓も開いてベランダもある、という思い通りの環境を実現。

当初ムリだと言われた理想が実現したばかりか、ビルを視察した大臣が「補助金を出そう」とまで言ってくれ、東京都からも補助金が出ることになった。

★子供のころ、大きなお花畑の中に入りたい、という夢があった。その夢を実現すべく、現在、ポピーの花畑をつくってその上にガラスを張り、そのガラスの上で音楽会を開くというプロジェクトを計画中。お花畑の中の音楽会、というわけである。多くの人の「子供のころの夢」だからこそ、実現したら多大なPR効果も発揮する。

★ご両親は、南部さんに、価値の多様性を教え込んだ。算数が100点、ピアノがうまい、絵が上手、これらはすべて同じ価値がある、と。南部さんは絵を描くのが好きだった。お母さまは、南部さんの絵を、10円で買ってくれた。算数で100点をとるお兄様の絵は買わないのに。「勉強で負けても、絵で勝つことができるんや」。この経験が、大きくなって、勇気に変わった。

★高校時代、数学の点数があまりにもヒドイので恥ずかしがっていたら、お父様が一喝。「試験の点数が悪いのは、恥ではない。人に迷惑をかけたときが、恥なんや」

★経営者とは、お金を儲ける人。創業者とは、お金を使う人。(経営者は多いが、創業者は、少ない。)

こうしたい、こうすべき、と思ったら、他人を批判したりせずにまずは自分で実行する。そんな姿勢が南部さんの道を切り開いてきたということがわかるエピソードは、ほかにもたくさん紹介されたのだが、なかでも印象的だったのが、若い人たちの雇用問題に関し、鳩山首相に手紙(というか大時代的な筆字の巻き物!)を書き送ったというお話。

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「人は国家なり」とか「大志鳳翔」ということばが太字になっている。鳩山さんがすぐに会ってくれたというオチにも感動する。ほかにも経済界の重鎮50人ほどにこのような手紙を送ったという。「もらった方は、果たし状かと思ってどきっとする」って、そりゃあこの迫力にはびっくりする(笑)。

実際、パソナは、就職できなかった大学生2200人ほどを一時雇用した。研修をおこない、他社への就職を支援する。背景には、若者の履歴書に空白を作らせない、という南部さんの熱い思いがある。うち、400人ぐらい就職先が決まったそうである。

メンバーから、質問が出る。「『迷ったら、やる』といっても、誰もやらないようなことをやろうとするとき、失敗がコワいということはないですか?」、と。それに対し、「答えはこの本の中にある!」とおみやげに本をもらったので(笑)、帰途、読んでみた(竹中平蔵・南部靖之・共編『これから「働き方」はどうなるのか』PHP)。以下、要約して抜粋。

・まずは思い込み。自分はできる、必ず成功すると信じ続ける。それが決意に、夢に、志に、変わる。

・そして、心構え。自分の夢や志を周囲に表明する。すると必要な情報が入ってくるようになる。

・最後に、出会い。縁を大切にすることで、道が開け、夢が現実のものとなっていく。

自ら発信⇒周囲に人や情報が集まる⇒縁が運に変わる⇒夢が実現。

強く思い込み、発信し続け、縁を大切にし、運をつかむ。心の底から信じていれば、コワくない、と。その過程には並みならぬ粘り強さや常識破りの楽観も必要、という生きた模範例を見せていただき、エネルギーと情熱のおすそ分けをいただいた。感謝!

第118回次世代産業ナビゲーターズフォーラムに参加@大手町パソナグループ本部。

パソナ本社の「アーバンファーム」を視察したのち、ファームの採れたて野菜を使ったサラダをいただき、社長の南部靖之氏の講演(「これから働き方はどうなるのか」)を聴くというプログラム。

パソナ本社に一歩足を踏み入れただけで、そこは別世界。一面の稲が迎えてくれる。

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室温は28度に保たれ、5万ルクスの光が照射され、そよ風も吹いて、水も循環している。ビルの中に三期作(!)ができる環境が整えられているのだ。側面には背の高いロシアひまわり。

「お稲様」を育てる装置にひととおり驚いた後、なんのために都心のビル内で稲作??という疑問が当然わきおこるのだが、話を伺ううちに、「働く人の健康」「第四次産業としての農業」「自然との共存」をテーマにする会社の、象徴のような存在でもあると感じる。

1階から8階までのフロアのいたるところに、植物が育てられている。フロア一面のマーガレットもあれば、

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廊下にはパプリカ、天井にはゴーヤ、引き出しの中にまでスプラウト。ディズニーランドの「隠れミッキー」のように、「こんなところにまで!」と驚くような場所に植物がある。

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社員の一人一人が交替で水遣りをするそうだ。仕事とは関係のない作業をみんなでやることで、コミュニケーションも活発化する。

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オフィスの片隅にトマトがなっている。トマトの成長を日々、眺めていると、「自分もがんばろう」という気になれるそうである。

自然との共生、ということばから連想しがちだったのは、大きな自然が最初にあって、そこに人間が入り込んで自然のシステムを壊すことなく生活していく・・・・・というようなイメージであったのだが、ここではそれがまったく逆になっていることがわかる。人間が仕事をする場所に、自然をもちこむ。人間が仕事をしながら、快適さを失わずにトマトや稲や花を育てていく、という姿勢が追求されている。

そのためには最先端のIT技術も駆使されねばならない。農業が「第四次産業」と位置付けられている理由にも納得。

「アーバンファーム」で育てられた野菜は、社内のカフェテリアなどでも提供される。とれたての野菜をいただいたが、やさしい歯触り。

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「地産地消」ならぬ、「自産自消」。移動途中での野菜のビタミンの損失も最小限に抑えられる。

「アーバンファーム」の壮観をひとめみようと、各国から毎日のように視察団がお見えになるそうである。こちらから出向かなくても、人がどんどんやってくる。営業マンを一万人雇うほどの価値がある、とは南部社長のことば。プロジェクトにかかる費用が「戦略費用」に分類される、という広報担当者の説明を聞いて、なるほど、と。

最初はだれもが「ムリだ。」と言ったというこのプロジェクトを実現させてしまった南部氏は、やはりとてつもないエネルギーと情熱の持ち主であった。その講演の概要は明日のブログで。

こどもの日ということで、次男のリクエストにこたえ、横浜・桜木町。Photo_2

新しい施設もオープンしていて、かなり混雑している。遊園地のお決まりコースをひととおりまわった後、横浜みなと博物館と帆船日本丸の探訪。いつも外から見るだけだったが、中まで入るのは初めてのことであった。

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思わぬ収穫も多かった。「ポンコツ」の語源がpunishment、「チャブ台」のそれがchop house、「ウワヤ」はwarehouseで、「ペケ」がpig。そんなこと夢にも思っていなかっただけにびっくり。博物館っていうのは、なにかしら、得るところがあるものだ。

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観覧車と日本丸とパンパシフィックに加えて鯉のぼり。なんだか「てんこもり」感を覚える。

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