25ans 連載「ロイヤルの肖像」、12月号のトリとしてどなたを描くか、さんざん迷ったのですが……。結論として、候補のお一人として挙げていたソニア王妃は誌面では今回、扱われないことになりました。とはいえ、とても強い芯を感じる王妃です。なので、私的な番外編として、こちらに掲載させていただくことをご寛恕いただければ幸いです。
(連載「ロイヤルの肖像」は9月末発売の11月号、10月末発売の12月号のあと2回。魅力とパワーあふれる方々のポートレートを、どうぞお楽しみに)
Top Photo: .M. Queen Sonja at the opening concert of the 2017 Oslo Jazzfestival (CC SA 4.0)
ノルウェー ソニア王妃 1937〜
58年の愛を胸に、
国の記憶を未来へつなぐ
2026年8月28日、ノルウェー国王ハーラル5世が89歳で崩御しました。58回目の結婚記念日の前日でした。王位は長男ハーコン8世に移り、その妻メッテ=マリットが新たな王妃となりました。ソニアも王妃の称号を保ち、新しい王室を支える立場となります。
9月9日の国葬はオスロ大聖堂で行われました。1968年、平民出身のソニア・ハラルドセンが、9年の交際を実らせて皇太子と結婚した同じ場所です。王妃は棺に一輪のバラを置きました。国葬後、王宮のバルコニーに新国王一家が姿を見せ、ソニア王妃が加わると、広場の歓声はひときわ大きくなりました。58年近く王室を支えた王妃への、国民の感謝が聞こえるような光景でした。
平民から王妃へ
服を知る人の選択
1937年、オスロ生まれ。父は衣料品店を営む商人でした。ソニアはオスロの職業学校で仕立てのディプロマを取り、スイスのローザンヌで会計、服飾デザイン、社会科学を学びます。帰国後はオスロ大学でフランス語、英語、美術史を修めました。王妃となる前から、服が生地と構造と手仕事によって成り立つことを知っていた人です。
ハーラル皇太子との交際は9年に及びました。当時、平民との結婚は王室にふさわしくないと考えられ、二人は長く関係を公にできませんでした。皇太子は、彼女と結婚できなければ生涯独身を通すと父オーラヴ5世に伝えます。当時、王位を継げる唯一の男子だったハーラルが独身を貫けば、直系の王統が途絶えかねません。国王は政府と協議した末、1968年に結婚を認めました。
8月29日の婚礼でソニアが纏ったのは、ノルウェーの老舗モルスタが仕立てたクリーム色の絹のドレスでした。すっきりとした輪郭に、袖口と襟の真珠とクリスタルが光るデザイン。華美な装飾で威厳を演出せず、端正な線と細やかな手仕事で新しい立場へ踏み出す意志を示した一着でした。
The wedding of Norway’s crown prince Harald V and Sonja Haraldsen in 1968 (CC SA 4.0)
ブーナッドと版画で
国の記憶を手渡す
ソニア王妃の装いの核にあるのが、ノルウェーの民族衣装ブーナッドです。地方ごとに刺繍、織り、銀細工が異なり、出身地や家族のつながりを伝えます。王妃は婚礼の際に母から贈られた東テレマルク地方のブーナッドを、半世紀以上着続けてきました。流行のための服ではなく、土地の記憶を身につける服なのです。
国際舞台では、ディオールで腕を磨き、のちにパリでメゾンを開いたノルウェー人クチュリエ、ペール・スポークをはじめ、自国の才能を選んできました。王室の衣装を国立美術館や、王宮の旧厩舎を改装したソニア王妃アートスタブルの展覧会に貸し出し、私的なワードローブを国民が共有できる文化資料へと開いてきたことにも、同じ考えが表れています。
支援するだけでなく、王妃自身も手を動かします。2006年、スヴァールバル諸島の氷河洞窟で得た感覚を作品にするため、60代後半から本格的に版画を学びました。2011年に創設したクイーン・ソニア・プリント・アワードは国際的な賞へ育ち、2026年は英国のタシタ・ディーンが受賞。1988年に始めたクイーン・ソニア声楽コンクールも、若い歌手を世界へ送り出しています。
山歩きも生涯の習慣です。2005年には王妃として初めて南極大陸に立ち、国内各地の山道にはその名が残ります。高齢になっても歩き、版画を摺る姿からは、文化を過去にしまい込まず、次の表現へ動かす意志が伝わります。
国葬の日、棺に置いた一輪のバラと、式後に立ったバルコニー。その二つの所作の間に、妻としての悲しみと、王妃として国を支える責任がありました。長い人生にも王室にも、喪失や混乱は訪れます。そのただなかで守るべきものを見定め、役目を果たす。悲しみを抱えたまま公の責任を引き受ける姿に、89歳のソニア王妃が体現するエレガンスがあります。

































