翌日、神戸まで足をのばしてファッション美術館、待望の「日本の男服」展。

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学芸員の百々(もも)徹さん渾身の企画が実現した展示で、官服として洋服が取り入れられた1870年代あたりの服から、三島由紀夫の「楯の会」の制服、VAN、Edwardsを経て現代にいたるまでの日本の男服の変遷。

ギャラリートークをあとに控えていたにもかかわらず、百々さんが一点一点、丁寧に解説してくださって、わかりやすさ倍増でした。くろすとしゆきさん寄贈のコレクションの前で記念写真。

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初期の大礼服の壮麗さと迫力。いまではここまで手間暇かけたものは作れないのではないか。

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明治初期のフロックコートにはウエスト切り替えがあり、ラウンジスーツにはない。ラウンジスーツのパターンもいくつかあったが、かなり自由にバリエーションを遊んでいた印象。ラウンジスーツは作り手にとっても、手間が少ないスーツでもあったわけですね。ゆえに大量生産にも向いていた。

第二次世界大戦中の「国民服」甲・乙も。甲(右)についてる縦ポケットは、仕立て技術の観点からみるとかなり手間がかかるものなのだそうです。束帯かなにかの代わりの装飾的機能を果たし、天皇陛下に拝謁するときにも恥ずかしくない服、として着られたのではないかとのことでした。これにベルトがつくのが正式。

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60年代がやはり男服の分岐点で、60年代以降、イメージとしての消費が始まる(=ファッションのはじまり)。決められ、着せられた服から、着たい服へ。その分岐点にあったのが「楯の会」の制服、という百々さんの解釈に、なるほど、と。

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写真ではたびたび目にしていたけれど、はじめて目の当たりにする現物。どこかSFチックな印象を受けました。この服は、公的には「五十嵐九十九さんデザイン」ということにはされているのですが、実際は…という裏話。実際は、九十九さんの先生でもあったポール・ボークレーさんのデザインだったのだそうです。しかも、裏に「西武百貨店」のロゴがついているけれど、これは100人分の制服を、西武の堤さんが提供したためにこうなってるのだとか。

また、50年代の保守派のスーツ、それに対するアンチテーゼとしての黒人ジャズマンのスーツを並べながらの解説も面白かった。太いラペルに対して、極細を作ってみる。ゆったり一つボタンに対して、タイトな三つボタンを作ってみる。パッチポケットに対して、フラップをつけてみる。などなど、男服の「抵抗」はあくまでスーツのシステムの中でおこなわれていた、と。11220137

システムとしては変わらず、融通自在に変わり続けていけるという、「制約のなかでのフレキシビリティー」こそがスーツ長寿の秘訣というわけですけれど。

圧巻が、石田洋服店の石田原さんが作成した、アナトミー・オブ・ザ・スーツ。スリーピーススーツを解剖すると、202点の「断片」から成る。これが立体になって服になるというのはやはり驚き。

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神戸マイスターのひとりでもある、テーラーの佐伯博史さんの仕事ぶりがわかる10分間の映像もいい。肩の部分の曲線をどのようにスムーズに仕立てあげて(いせこんで)いくのかがよくわかる。

ほかにもたくさんの語りどころがあったのですが、またどこかの機会で。

ご近所の石田洋服店にも立ち寄りました。石田原さんとも久々に再会。

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キヴィアック、アイベックス、ベビーキャッシュなどのレア素材にも触れさせていただきました。こういう素材でコートをつくると、生地代+お仕立て代で60万超えに。でも素材を確保するための困難やエシカルな気配りの背景を聞くと、その価格にも納得。地球の文化を着る、みたいな。

CNNが選ぶ「世界10大ファッション美術館」の一つにも選ばれた神戸ファッション美術館ですが、維持していくのも決して簡単ではないと聞く。アメリカのファッション美術館のように、「100年後の子孫のために今買い付けておく」という思い切った投資がしにくいようです。ファッション文化に対する考え方のトータルな底上げも必要なんですね。

景気が厳しいときにはまっさきに予算を切られがちな分野ですが、このフィールドにおいて図らずも仕事を与えられ続けているのもなにかのご縁なのかもしれません。気負わず奢らず、必要とされればできる範囲でお役に立っていこうと思い直した日。

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