立川談慶著『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)。

面白くて引き込まれました。二度読み。以下、自分のための備忘録メモですが、この本の面白さは、落語と同様、内容(情報)そのものよりもむしろ、語り方にあるので、落語を聴きに行くように本を読んでいただいたほうが味わいがいがあります。笑って感心して共感して最後はほろりと泣ける。話し方を学ぶということは、人の心の動きの仕組みを学ぶということ、ひいては修業の姿勢を学ぶということ。

以下、とくに意識的に心がけたいと思ったこと(の一部)。

・「独演会名人は花見酒経済をもたらす」。身内だけで盛り上がり満足しているようでは先細りするだけ。自分の客、とはいえないアウェイな場所で地獄を満喫することが大きな成長につながる。「どんな場所でも落語をやれ。ここではできませんと言った時点で負けだ」(談志師匠)

・「修業とは、不合理・矛盾に耐えること」(談志師匠)

・「負荷と節制を精神に与える無茶ぶり、つまり『人工的前座修行期間』の余禄として『筋肥大』ならぬ『精神肥大』につながります。その結果、心が大きくなり、必ず『受けとめ力』がアップするのです。(中略)ざっとあげると、『聞く力』『読解力』『包容力』『連想力』『妄想力』『忍耐力』『構成力』『守備力』などです。面白い喋り手=発信者になるための土台作りともいうべき『受け止め力』アップを目指しましょう」

・「師匠にとっての聞く行為とは、凡人のようにただ漫然と聞き流すという消極的な姿勢ではなく、『そこから発信者の本質や裏側の闇、劣っている部分などプラスマイナス一切合切すべてを吸収してやる』という、気魄に満ちた積極的な姿勢でした。発信のみではなく、受信でも攻めの姿勢だったのです」

・(自慢話が嫌われる理由)「相手側が介在する『スキ』がないのです。この『スキ』がないからこそ、息苦しさも感じてしまうのです」

・「『ひたむきさがテクニックを凌駕している』という現象が、聞いている人間を惹きつける」

・「自慢話・愚痴・悪口をそのまま排出する前に、『これ、面白い見方はできないかなあ』と一旦、受け止めて考えてみる」

・(自慢話・愚痴・悪口=精神的老廃物)「口説きたい相手に迫って、必死にアプローチするのではなく、向こうから自慢話・愚痴・悪口をこちらに言わせるように仕向ける」

・「戦いは五分の勝ちをもって上となし、七分を中とし、十を下とす」(武田信玄)。「人間関係的にも、環境的にも、一人勝ちの末路は悲惨。一人勝ちした結果、残された遺恨は、人間関係においても、環境においても大きなロス」

・「読解力や想像力をフルに働かせているのは、演じる落語家よりも、むしろお客さんであるという、お金を払う側により頭脳労働をさせている奇妙な現象こそが、落語の魅力」

・「自信は、まず心がけなのです。『私という自信にあふれた素晴らしい人間は、二度と戻らないあなたの大事な時間を割いてまで過ごす、値打ちのある人間だ』そんな思い上がりにも似た気構えがあれば、自然それは目にも表れます。これは傲慢ではありません。むしろ相手への思いやりなのです」

・「カットアウトのようなオチと共にクライマックス。上手い落語家は、床上手よろしくぬかりなく、決して相手を置き去りにしません。平然とオチを語り、観客の余韻を、さも当然のことをしたまでだという落ち着き払った笑顔でお辞儀し、立ち上がり去ってゆきます」

・「個性は結果論」「芸という言葉は『草かんむり』だと気づきました。芸は植物と同じように、手間暇かけて慈しみながら育てなければいけないものなのです」

・「『キャラ』というのは、発信者側と受信者側とのあいだで、相互通話的に認知し合うことで成立する『約束事』」

・「一世一代の江戸の風を、一瞬でも吹かせてみろ」(談志師匠)

江戸の風がなんであるかは、本文のなかに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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