9月30日(土)に開催されるMen’s EX × The Tokyo Station Hotel × Isetan Men’s × Grand Seiko 「東京クラシック」ナイトへのたくさんのご応募をありがとうございます。

なんと定員の2・5倍以上のお申込みがあったそうです。今回、抽選にもれてしまわれた方、ほんとうに申し訳ありません。運よく当選されたみなさま、当日、お会いできますことを楽しみにしています。

Men’s EX 編集長の大野陽さんと、副編集長の平澤香苗さん、グランドセイコーご担当者さんと打ち合わせ、東京ステーションホテルにて。

左が大野編集長、右が平澤さんです。

「復原」(一部残されていた建物を保存しながらよみがえらせること。「復元」ではなく)されたホテルは、いたるところに100年前の遺産が活かされた、Living Heritageです。レンガは、当時の職人が手で積み上げたものだそうです。写真は、インペリアルスイートの一室の一角。

そのまま、伊勢丹メンズ館14周年パーティーに向かい、ISETAN MEN’Sにも取材。


メンズ館5階のオーダーサロンでは、日本人テーラーをフィーチャーしています。世界各国で修業し、そのすばらしさを日本的解釈でとりこみながらもオリジナルのスタイルを確立、世界へと発信する日本人テーラーたちの、うっとりするほど美しいスーツ。

当選されたみなさま、東京クラシックを体感できる「アトリウム」でお会いしましょう!

 

秋の恒例、日本橋三越英国展。今年はパート1とパート2で入れ替えがあり、パート2のほうに行ってみましたが、大混雑。とりわけフードのセクションは移動すら困難。人込みがとにかく苦手なので、パブでハーフパイントだけビールをいただいて帰ってきました。イギリスはすっかり「おいしい」ものの宝庫として人が殺到する国になっているのですね。

鎌倉アンティークスさんも出展。小さいブースながら、オーナーの土橋正臣さん独特のアンティークの世界観で埋め尽くされていて、壮観。

         (Photo shared from the Facebook page of Kamakura Antiques)

今回はヴィクトリアンを中心にそろえられています。前方でフィーチャーされているのは、クレステッド・チャイナ(Crested china)、すなわち 紋章付きの陶器です。

土橋さんの解説によれば、クレステッド・チャイナとは各地の紋章が入った小さな陶器で、ヴィクトリアンの後期から1930年頃までにたくさんの数が作られたとのこと。ヴィクトリア時代に、鉄道網が発達して一般の人々も休日に旅行を楽しむことができるようになり、ご当地のお土産としてクレステッドチャイナが大流行したそうです。??

そのほかにも絵画はもちろん、暖炉やカップボード、凝り過ぎだろう!というほど装飾されたカトラリー、ティーポットなどのシルバーウエア、燭台、アクセサリーにいたるまで、ヴィクトリア時代の家具や小物がぎっしりで、歴史好きにはたまらない小宇宙でした。

それにしても、暖炉はじめ、カップボードなどの大物が続々と「売約済み」に……。こんな素敵なアンティークで飾られるインテリアで暮らせる方は、幸せですね。

左が鎌倉アンティークスの土橋さん。イギリスのアンティークのみならず、年中行事、建築、インテリア、絵画、楽器などに関しても、プロフェッショナルで豊富な知識をお持ちです。手前に並ぶのがクレステッド・チャイナ。イギリスを象徴する、わかりやすいものから売れていくそうです。

 イギリスついでに、妄想旅行のためのおすすめ雑誌、2誌。

 美しい写真、はじめて聞く固有名詞や最新情報が満載。うっとりものの保存版。新しいホテル情報も網羅されています。

 

こちらも本気の取材で作られています。行ってみたい穴場スポットにわくわくします。

フォーブズジャパン副編集長兼ウェブ版編集長の谷本有香さんによる『何もしなくても人がついてくるリーダーの習慣』(SB  Creative)。

シャフハウゼン行きにお誘いくださったのはほかならぬ谷本さんです。今さらながらこの本を購入し、読み始めたら、3000人のトップリーダーにインタビューしたという経験に裏付けられたエピソード満載で、なるほどなるほどといちいち付箋をはりながら読み進めたのですが……

……いきなり私の名前が。

しかも太文字で出てきて、思わずコーヒーを吹きそうになったではないですか。

いやなにもこんなところで言及せんでも。しかも、谷本さんは本の中に私のことが書いてあるなんて一言もおっしゃらないのですよ。笑

あーびっくりした。

さて。自分のことはさておき。

リーダーになろうという人だけでなく、コミュニケーションに悩む人すべてに応用できる考え方の数々は、自分の経験を振り返っても腑に落ちました。

・出資するかどうか、最終的な判断材料は、「その人の言葉が真実かどうか」。

・目の前の人をみんなファンにさせてしまうような、ナチュラルな「その人らしい」魅力こそが、人がついてくる最大の秘訣。

・自分の力を発揮することよりもむしろ、周囲の人の力を発揮させる、周囲の人の話を聞くことが、味方を増やす秘訣。

・最終的に選ばれるのは、地味だけれどピュアで、「不正をしなさそうな、いい子」。

・おべっかは嘘と同じ罪悪

・会社も景気も人の感情でできている

それぞれについて語られるエピソードがまたいい。その後、リーダーのあり方を自分の仕事にも応用するための考え方も開陳されますが、ファッションの観点からの指摘がなかなか興味深い。「チーフをしている人はほとんど見たことがありませんし、カフスも、いかにもなブランドバッグも見かけません。それどころか、エコバッグをひょいと持っていたりします」。たしかにそうですね。チーフやカフリンクスやブランドものでキメキメなのは、中小企業の社長さんか、ファッション業界関係者が多い。(*「カフス」は原文のままの引用です。日本ではカフスといえばカフリンクスのこと、というように使われている場合が多いようです)

女性の場合でも、完璧な見た目だと、相手は気後れするのか、バリアを感じるのか、心を開いてくれないんですよね。和田裕美さんのことば、「変な丈のスカートで行け」「野暮ったい髪形で行け」には爆笑。そのほうが成約率は高くなる、と。言われてみれば、モノにもよりますが、私もあんまり完璧な見た目の人からは買いたくないところがあるなあ。それが板についていればいいんだけど、どこか虚栄のにおいや、無理が感じられたりすると、信用できなくなるんですよね。

 

そういえば、「自然体」がいちばんの武器、という話から連想したことがあります。谷本さんは、「相手が学生であろうと偉い人であろうと、接し方は基本的に変わらない」という私の態度を良いように書いてくださっていますが、実は、相手の態度によっては、ときどき、キレそうになることがあります。それは、

裏声でのマニュアル口調全開のセールストーク

をやられたときです。電話をとってこれを聞いたらほとんどすぐ切ります。マニュアル口調ほど嘘くさく、失礼なトークはないと感じるのです。仕事なので心にもないことを仕方なく言ってます、ということを裏声のマニュアル口調は告げています。本気で売りたいと思うなら、自然な声、自然な語り口が最高の武器になるのではと思いますが。

 

などなどの日頃の周囲の情景にも連想が及ぶ、素敵な本でした。有香さんありがとう!

*有香さんに最初にインタビューしていただいたときの記事はこちらです。もう、5,6年も前になるでしょうか…。当時から基本的な考え方はさほど変わっていませんが、変わったこともある。成功と思っていたことがそれが原因となって苦い失敗をもたらしたこともあるし、失敗だと落ち込んでいたことが実は重要な学びと新しい機会をもたらしてくれたこともある。なにが「正解」になるのか、その瞬間だけの結果で人生が終わるわけではないので、ほんとうにわかりません。あまり結果を白黒で受けとめず、喜び過ぎず悲しみ過ぎず、とにかく全力を尽くすだけ尽くして、次に向かう。こうするしかないですね(←と自分に言い聞かせる)。

日本経済新聞日曜版 The Style 。本日は、ロンドンコレクションメンズの総括記事を書いております。「ロンドンからの挑発」。

ぜひ、ご覧くださいませ。


Michiko Londonのテーマは、日本の野球少年。


Vivienne Westwood は、現代社会を挑発。


Hacket Londonは船上パーティー形式で新作を発表。

ミハラヤスヒロはオクスフォードストリートの地下駐車場で「ブランク・ミラー」をテーマにショウをおこないました。

そしてEdward Crutchleyは一点ものの生地で軽やかにボーダー越え。


ほかにも多くのブランドのショウやインスタレーションを見ましたが、紙幅がかぎられているため、写真も本文もすべてを網羅することができなかったのが心残りです。しかし、現地の熱気のなかに身を投じて取材してみたことだから見えてきたことがありました。機会を与えてくださったみなさま、ご協力いただいたみなさまにあらためて感謝しております。

「家庭画報」10月号発売です。

パリ&ミラノ ファッション特集の巻頭にエッセイを寄稿しました。

美容院や歯医者さん(←かなりの高確率で家庭画報がおいてある)などでお手にとられることがありましたら、ご笑覧くださいませ。

 

 

私自身のリアリティはといえば、人に誇れるスタイルだのエレガンスだのはかけらも持ち合わせておらず、エラソーなことを言えた立場でもないのですが、掲載する文章の舞台が「家庭画報」ですので、場の空気に合った「演技」で書いております。媒体・内容に応じて文章のトーンや話法は書き分けています。お断りするまでもないのですが、時々、文章のテーマやトーンと舞台裏をいっしょくたにされて当惑することもあるので……。

もっとも困惑するのは、ダンディズムの歴史を解説しているだけのに、なにか私自身まで葉巻を手に持って(←このイメージじたい、歴史の途中で派生した誤解から生まれているというのに)「ダンディズム」を体現しているような人であるはず(なければならない)と見られたりすることでしょうか。体現している人はそもそも自分のことを語りません。ましてや「ダンディズムとは」などとは恥ずかしすぎて言わないでしょう。だから私が動物園のガイドのように解説しているのです。