「まづ誠に三年、食を慎み見るべし」 / 江戸の小食開運法

2019年5月22日

空腹時のほうがよいパフォーマンスができるという話をしたついでに。

やや論点はずれるのですが、小食によって運を開くという処世術があります。

江戸時代に「修身録」を書いた水野南北という人の主張を現代語でわかりやすく解説した『江戸時代の小食主義』という本があります。

南北は、「相者」(人の相を見る人、観相学者)ですが、放蕩、放浪(牢獄の中にいたこともある)、寺での修行、荒業、試行錯誤のはてに、このような食による「人の見方」を極めるにいたった人です。

南北は開運の基本を、徹底的な小食主義に定めます。食を慎むことで富と長寿、健康がもたらされ、運が開けていく。肉体的な見地、精神的な見地、社会的な見地、宗教的な見地、あらゆる角度から小食の美徳を説きまくります。

人を見るにも、「人相ではなく、その者の食を問え」。つまり容貌よりもむしろ内側の徳のあらわれとして食とどのようにつきあっているのかを見ろ、と。慎みある食を守り抜いている人は必ず開運すると。

言われなくても私は昔から小食です。健康や開運のためではなく、パフォーマンスを最大限に上げるという目的のために生きていると、自然と「腹八分」ならぬ「腹六分」をキープすることになります。時折、贅沢なレストランにも招かれますし、そういう場を楽しむことは大好きなので、ボリュームが多すぎるなと思う時にはシェフに頼んでポーションを小さめにしてもらいます。そうすれば失礼もありません。

本書を読んで、なるほど、ここぞのときに強運なのは小食のおかげだったのか…と。

すみません。そんなしょぼいことを自慢したかったわけではありません。

慎みを重んじる、という視点に立つと、高位の人とのつきあいも戒められるのですね。SNS時代、有名人と遭遇すると思わず舞い上がってツーショット写真をとってしまうような愚行(ああ、私もやらかします……)を今後、自戒するために以下の名言、記しておきたかったまで。

「低い身分でありながら、殿上人と交わることは、大きく徳を損なう。恐れるべきである。ここでひとたび高位と接するということは、それがあなたの一生の頂点となる。人間としての成長なしにその頂きに至ってしまったのなら、それ以上のことはもう起こり得ない」「身の程を知らぬ愚か者にいたっては、高位と交わって栄誉を得たいと願い、その結果、大きく徳を損なってしまう」。

まさしくその通りですね。偉い人と意味なくツーショットを撮ったからってあなたまで偉くなったわけではなく、かえってその心根のあさましさや虚栄心が浮き彫りになるばかり。(意味や必然があって一緒にいる場合はこのかぎりではありません。)SNS上での「いいね」というのは、それがその人の「一生の頂点」に見えるから「よかったね」ということなのでしょう。そう受け取るべきなのでしょう。慎み第一を心がけるにこしたことはありません。はい。

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