絶望に近い状況をなんとか「なだめる」べく、必死に放水をしつづけるというアナログな作業を、NYタイムズの記者は「作戦(plan)などではなく、祈り(pray)である」と表現していた。その文面には「こんなことをしたって、決定的危機を回避するのはムリに決まっている」というニュアンスが(はっきりとは書かれなかったけれど)暗黙裡に漂っていた。
知人からも、夜半、「回避できなくなってから5時間で東京はパニックになる。西へ逃げる準備をして」というメールがきた。世界中の多くの人々が半ば最悪の事態を覚悟をしていたような状況だった。
でも、ハイパーレスキュー隊は、身の危険をものともせずに、夜を徹して3号機への放水を続けたのである。勝ち目はないかもしれない状況において、決して負けたりはしない闘いを、闘いぬいてくれた。一晩中、水を放ち続ける赤い消防車は、全国民の「祈り」の象徴に見えた。
(「勝ち目のない戦いにおいて、負けない」という兵士の態度がひとつのモラルとして存在することを、もうすぐ出版される河毛さんの本で知って印象に残っていたのだが、ハイパーレスキュー隊員の闘いぶりがまさしくそれだった。)
明け方、まだまだ安心できない状態とはいえ、誰もが恐れた「この日に起こるはずだった最悪」をとりあえずは回避することができた。この瞬間に、私は日本のプロフェッショナルを信じることにした。もちろん、まだまだ楽観は許されない空気ではあるが、だれもが絶望視する状況のなかで命がけの最大限の努力を遂行し続けることができる、という(おそらく)日本にしかいないプロフェッショナルの力を、信じてみることにした。
東京消防庁ハイパーレスキュー隊の方々には、「落日のマッチョ」連載のときに取材に伺って以来、ひときわ親近感を抱いている。頼もしい隊員はじめ、彼らを理解して支えるご家族の皆様に、最大限の敬意と感謝をささげたい。
消防隊員ばかりではない。警察、自衛隊、現場に残り続ける東電の職員の方々。草食化・軟弱化が嘆かれていた日本だったが、実は重要な局面になればこんなにも強い責任感を発揮し、こんなにも頼りになる男たちが大勢あらわれてくるのだということに、日々、深い感銘を受けている。彼らの勇気と行動は、日本が誇るべき宝物として、長く語り継いでいくべき。