池内紀先生の寄稿。朝日新聞8.14「私の歩んだ戦後70年」。「国は信用ならない 他人は頼りにしない 自分で考え決断する」。

文学部時代に池内先生の授業をとっていた。「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」という奇書を一年間かけて読む授業で、受講生は最初8人くらいだったのがついに2~3人くらいになったような記憶がある。ときどき1人とかいうこともあった。それでも淡々と講義をする池内先生の記憶はなかなか強烈に残っております。出席などとらない先生でしたので私の存在すら知られていなかったと思うが。laurence sterne

こちらは「トリストラム・シャンディ」の作者、ロレンス・スターン(1713-68)。Wikimedia Commonsより。18世紀に黒を着てるって珍しいな。当時はこの冗長な小説のなにがおもしろいんだかよくわからなかった。でもそれを語る池内先生の淡々と品のいいたたずまいが記憶に残っている。

そのなつかしい池内先生の寄稿。やはり淡々として、でもきちんと筋が通っていてそこはかとないユーモアが漂うあたり、お人柄だなー。
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「『戦後50年』を自分だけの目印にして、55歳でサラリー生活を切り上げた」。定年退官前にお辞めになったので周囲は驚いていた記憶がありますが、そういうご自分のけじめもあったのですね。

「人を動かすのは、事実そのものではないのである。事実についての情報、情報をめぐるオピニオンこそ人を動かす。そして情報は、いつだって『正しく』ない。それが証拠に、情報はつねに新しくもたらされ、オピニオンは際限なくあふれ出るではないか」

「語られていること以上に、語り方が真意をあらわしているものである。時の権力者、また権力にすり寄る人々の語り口を、少し意地悪く見張っているのも悪くない。気をつける点として、つぎの3つがあるような気がする。1.主題をすりかえる。2.どうでもいいことにこだわる。3.小さな私的事実を織り込む」

「(カントの『永遠平和』)そこには国どうしが仲良くといった情緒的な平和は、ひとことも述べられていない。カントによると、隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって『自然な状態』ではないのである。むしろ、いつもひそかな『敵意』のわだかまっている状態こそ自然な状態であって、だからこそ政治家は平和を根づかせるために、あらゆる努力をつづけなくてはならない」

「そのような平和を根づかせるには、ひとかたならぬ忍耐と知恵が必要だが、敵意のわだかまる『自然な状態』を煽り立てるのは、ごくたやすい。カントによると、その手の政治家はつねに『自分の信念』を言い立て、『迅速な決断』を誇りつつ、考えていることはひとえに、現在の世界を『支配している権力』に寄りそい、ひいては『自分の利益』を守ることだという。いまさらながら、この哲学者の理性のすごさを思わずにはいられない」

いいなあ。カントの話をこんなふうにタイムリーに現代の私たちに提示してくれる。人文学の学者はこうあるべき、というような。この知性の豊かさが人に与える影響力を「役に立たない」とか「ムダ」とみなす現在の文科省の方針のほうが、よほど「役に立たない」。

「トリストラム・シャンディ」、今読むと面白さがわかるかもしれないという気がしている。でも、主人公がなかなか出てこないくらいにほんとに長いんだ、これが…。

「語られていること以上に、語り方」。何を読んだかではなく、先生がどう語ったかだけを覚えているのも、そういうことですね。わたしもたぶん、そんな風に記憶されている?笑 と思いながら述べ約800人分のレポートの採点を終える……。

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