人前で見せることにはなっていない、というアイテムだからこそ、見えてしまったときの衝撃は大きいものです。

サスペンダー。ブレイシズ(braces)と呼ばれることも多い、いわゆる「ズボン吊り」です。

日本では子どもや老人のもの、というイメージもあるようですが、私のイメージとしては、ジェームズ・ボンドにマイケル・ダグラス。ラリー・キングも有名だけど。どちらかといえば、男のパワーアイテムという位置づけです。

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上のゴードン・ゲッコー(「ウォールストリート」)は「見せる」ことで力を誇示しましたが、「効く」のはむしろ、本人も意図しないところで「見えてしまった」瞬間です。

Braces

シャツと同色の白なのでわかりづらいですが、不意打ちを食らうようにちら見えしてしまったジェームズ・ボンドのブレイシズの色っぽさときたらどうでしょう。見せるアクセサリー的に着用しているゲッコーとちがい、<見せることにはなってない下着感>を残しているのがいいですね。まるで「パンちら」を見ちゃった男子高校生の喜び方みたいで(^_^;)恐縮なのですが、たぶん、似たような心理的インパクトなのかもしれません。

先日、まったく予期せぬ場面で、意外なブレイシズ姿を目の当たりにしてしまい、問答無用に悩殺されてしまった経験から、ブレイシズの威力を今一度、知っていただきたいと思った次第です。もちろん、トラウザーズのフォーマルなラインを崩さず着用する、という本来の機能は言うまでもないですが、女性のガーターベルトと同様、「前時代的で、かなりめんどくさい」アイテムであることが、機能を超えるセクシュアルなパワーを発揮していることは間違いありません。その場合、意図して「見せる」んじゃなくて、「見えてしまう」ことが重要であるのも、ガーターベルトと同じですね。

ブレイシズは本来、ウエストコートで隠すのが正しい? もちろん、正しいのがお好きな方は、上の戯言には目もくれず、どうか正しい道をきわめてください。

何が楽しいって、バラバラで、一見、何の関連もなさそうな断片が、脳内でつながった!と感じられたときの快楽ときたら。

ル・パランでいただいた「ブリティッシュ・フェスティバル」で火をつけられたボニー・プリンス・チャーリーへの関心。この王子様のことを調べていたら、なんと、小さいころからなじみ聞いていたあの歌、「マイ・ボニー」(My Bonnie Lies Over the Ocean)のボニーって、このプリンスのことを歌っていたらしいことを知る。

http://www.youtube.com/watch?v=N-Kow7RPkgM&feature=player_detailpage

Bring back, bring back, oh bring back my bonnie to me, to me (私のボニーをどうか返してちょうだい)…

っていうふうに歌われるボニーの姿が、はじめてはっきりと立ち現われてきた…。

なんだそんなことも知らんかったのか。と言われれば、はい、そんなことも今の今まで知りませんでした ^_^;

で「私のボニーを返してちょうだい」と言ってる女性なのだが。あとは想像というか、あまり根拠が定かではないところもあるのだが、有望なヒロインといえば、フローラ・マクドナルド。

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ヘブライディーズ諸島のある島の族長の娘として育てられていた彼女は、24歳のとき、カロデンの戦いに敗れてベンベキューラへ逃げてきたボニー・プリンス・チャーリーを発見し、かくまう。そしてボニー・プリンスを、自分のアイルランド人メイド「ベティ―・バーク」として女装させ、スカイ島まで連れて行くのである。衛兵たちの目をごまかす必要がでてきたときに、彼女はハイランド・ダンスを踊る。その間に、プリンスはスカイ島からの脱出に成功。これがいま、Flora MacDonald’s Fancyと呼ばれているダンス。

無事にプリンスを逃がしたあと、彼女はつかまってロンドン塔に投獄されるが、まもなく釈放される。その後、フローラの勇敢さと忠誠心は称賛の的になり(マナーも気立てもよかったこともあり)、社交界でも人気者となる。1773年にフローラに会ったジョンソン博士は、彼女をこのように評す。

‘A woman of soft features, gentle manners, kind soul and elegant presence. (柔らかな物腰で、立ち居振る舞いは品よく、優しい心をもち、エレガントな存在感のある女性)

彼女の記念碑に刻まれていることばも、ジョンソン博士によるもの。

‘A name that will be mentioned in history, and if courage and fidelity be virtues, mentioned with honour.’ (その名は歴史の中に語られるであろう。勇気と忠誠が美徳であるならば、名誉とともに語られるであろう)

無事にフランスへ逃亡したボニー・プリンスは、その後二度とブリテン島の地を踏むことはなかった。で、冒頭の歌である。凛々しくもエレガントな愛国の士であるフローラが、再会を約束して果たせなかったボニー・プリンスを思って歌う場面が想像されてくるのである。「私のボニーを返してちょうだい」と (T_T) 

・・・ドランブイ単品でもう一杯飲みたくなってくる。

久々のル・パラン。一杯目に出していただいたのが、「ブリティッシュ・フェスティバル」というカクテルで、ドライジンとライムジュース、そしてドランブイ(Drambuie)が構成要素。

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ドランブイ、というお酒を初めて知ったのだが、アルコール度40度のスコットランド産モルトウィスキーで、ゲール語の語源は「満足できる飲み物」の意。

1745年にスチュアート家のチャールズ・エドワード・スチュアートが、ジャコバイト軍を率いて王位継承権を争う戦いを起こすけれど(カロデン・ムアの戦い)、大敗してスカイ島へ逃亡。チャールズの首には多額の賞金がかけられた。にもかかわらず、ハイランドの士、ジョン・マッキノンは、変装したチャールズを護衛してフランスへの亡命を成功させる。チャールズは褒美として、マッキノンに王家秘伝の酒のレシピを授ける。で、ドランブイのラベルには、Prince Charles Edward’s Liqueur と記されている…という逸話のあるお酒。

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上は、「カロデンの戦い」を描いたデイヴィッド・モーリエによる絵。1746年。左側のタータンチェックがスコットランドの反乱軍、右の赤いユニフォームが近代装備した英国政府の「官軍」ね。当時のイングランドはドイツ系のハノーヴァー王朝。

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上は、ボニー・プリンス・チャーリー(愛らしいプリンス・チャーリー)と呼ばれたほどの人気があった、チャールズ・エドワード・スチュアート。

ジャコバイトの反乱に関しては、「その後」も含めて、小冊子一冊が書けそうなほどのエピソードがあることもわかった。それはまた後日のネタに。

で。そういう由来が語られるお酒、ドランブイなのであった。いつも思うのだが、この手の逸話は、どこまでが事実で、どこからがフィクションなのか、定かではない。でも、情景を想像させる逸話があるというそのこと自体が、お酒であれモノであれ、味わいをより深くしていることはまぎれもない真実。

ベースのモルトウィスキーに、はちみつとハーブがブレンドされている。このこてこてなスコットランドのお酒に、イングランドのドライジンが加わって、ゆえに「ブリティッシュ・フェスティバル」というわけですね。敵対する者同士がまじりあい、祝いあうことで、お互いのいいところが2倍増しに際立っていくような。そんな祝祭感のある、華やかな味わいが広がるカクテルでした。

このバーはいつ行っても新しいことを教えてくれる。私の知らないイギリス文化がまだまだ闇の奥深~く広がっていると思うと、「センセイ」なんて呼ばれてる場合ではないし、と思う ^_^;

二杯目は、王道をいくマンハッタン。いい感じで暗闇に溶け込んでますね… 

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マスター啓彰氏の絶妙のさりげなさ(スプレッツアトゥーラ、とはこういうこと?という見本をときどき実にさりげなく見せてくれる)に感動し、片腕の聡氏の明るい率直さに笑わせてもらった楽しい時間でした。二人のホンダさん、ありがとうございました♡

芥川賞受賞作を読みたいと思って買ってみたが、むしろ断然、面白かったのが、「テレビの伝説 長寿番組の秘密」。なんであれ、長続きするって偉大なことだが、その秘密が納得できるような言葉の数々。

・紅白最多出場の北島三郎が語る「オレと紅白と美空ひばりさん」より。「紅白の舞台に限らず、キャバレーで歌っても、ステージの向こうに歌を聴いている人はいる。そこに届けようと思って歌えば、メシを食う手をとめて、聴いてくれるんです。それが、プロの仕事ですよ。そういう思いで自分に鞭打ちながら、今日までやってきた」

・立川志の輔「『ためしてガッテン』は六か月かけて一本つくる」より。「(立川談志師匠のコメントとして)科学的に言ったら、酒も煙草も体に悪いに決まっているけど、そうはいってもやめられない人間の業を肯定していくのが落語なんだよ、おまえは『酒も飲まず、煙草も喫わず、百まで生きたバカがいた』といい放つ側にいろ、と」。その結果、癌になる確率を減らすテーマを取り上げた回でしめくくりに色紙に書いた一言が、「癌は運である」。

・萩本欽一「僕が泣いた『仮装大賞』名作選」より。「笑いの方程式は、『振りは静かにまっすぐと』なんです」「(二郎さんの晩年の舞台を見ていて)名人芸の上に仙人芸があると思った」

・堺正章「『チューボーですよ』の食材はゲストです」より。「(60代になったときにどうなっていたいかと考えた時に)そこで覚えたのが『捨てる芸』です。ツッコミたくても割り込みたくても、ここは言わないでおこう、とスタジオにどんどん捨てていくんです。昔は全部言わなければ気がすまなかったけど、この年齢になると、それでは必ずしも得をしない。あえて前に出ず、後で、『ああ、あそこは捨ててよかったな』と思える捨て方を覚えたことは、僕にとって大きな財産です」

・草野仁が黒柳徹子の『ふしぎ発見!』」より。「(黒柳)これまで蓄積してきた自分の知識のレベルを考えてみたら、音楽、芝居、パンダ、ユニセフなど一生懸命やってきた分野に関しては自信があるけれど、スポーツ、科学、歴史などに関しては惨憺たる知識しか持っていないと気づいて愕然とした。だから、出演をきっかけに少し腰を据えて、歴史と地理を勉強してみようと思います。一週間前でかまわないので、『古代ヨーロッパ』とか『開拓時代のアメリカ』とか、大まかなテーマを教えてください。それについての本を読んでからクイズにチャレンジしたいんです」……で、毎回平均して5冊は読んで予習していらっしゃるとのこと!

・樋口毅宏「30周年『笑っていいとも』タモリの虚無」より。「(四半世紀、お昼の生放送の司会を務めれば)まともな人ならとっくにノイローゼになっているよ。タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何一つ期待をしていないから。そんな絶望大王」……。「たけしやダウンタウン松本が時に刃物をチラつかせて、誰からも恐れられる『自らをコントロールできる狂人』だとしたら、タモリは一見、その強さや凄さが伝わりにくい、まるで武道の達人のようです」。「(あるときテレフォンショッキングッキングのコーナーに突然、男が乱入)しかしタモリは慌てず騒がず、『何、言いたいことがある?』と返し、やりとりをしている間に男はスタッフに取り押さえられました。観覧していた客は目の前の光景が信じられず、しばらくざわついていたが、タモリはケラケラと笑っていた」(!)。

思いや喜びを届けたいというサービス精神やプロ根性、尋常ならざる努力や強運に加え、捨てる芸を覚えて絶望大王として構えていれば、仙人の域に達していることもある。強引なまとめでスミマセン。

島地勝彦さんにお引き合わせいただき、資生堂名誉会長の福原義春さんにお会いしました。

品格そのもの、というオーラに接し、また、福原会長と島地さんの掛け合いの面白さに笑った、豊かな時間だった。というか、もっと意識的に教養を磨いていかないと、とても太刀打ちできないなあ…。

「現代ビジネス」島地対談の福原会長の回で、「そうお」という相槌が頻繁に出てきていて、文字だけで読んでると、冷たくそっけない感じがするのだけれど。実際、福原会長ご本人が「そうお」を発するその絶妙なニュアンスときたら! 高貴で、ちょっと怖くて、あたたかくて、でもそれしかありえないだろうという優雅な音。このノーブルな相槌がサマになるのは、天皇陛下と福原会長しかいらっしゃらないでしょう。

サインをしていただいたご高著。福原会長の生い立ちから、駆け出し時代、社長になってからのさまざまな取組みなどが易しく書かれている。

もっとも感動したエピソードが、社長になってから、社員全員に「言葉のカード」を贈ったというお話。テレホンカードでもないし、キャッシュカードでもないけれど、「無限に知恵を引き出せる」というカード。それが社員を動かし、社員との絆を深める贈り物になった、というくだりに、共感する。

「お客さまは、もっと美しくなれる。まず。私たちが美しくなろう。お客さまが支持してくださるのはそのときです」と書かれたカードの写真が、例として掲載されていた。

社長と社員の関係ばかりではなく、他の多くの関係においても、やはり「言葉を交わしあうことができる(それが続く)」関係というのが、いちばん確かな絆を築くことができるように思う。時折、ピリッとすてきな言葉で心に届くメールをくれる友人は、たとえあまり会えなくても、ちゃんと心の中心近くに存在しているもの。福原会長と島地さんの交友も長く、福原会長が新聞を読まない島地さんのために、面白いと思った記事をクリッピングし、コメントをつけて送り続けているのだそう。なんと贅沢な友情。

スーツは、同じ生地、同じ型のものを数着仕立て、それを毎日、着替えるのだそうです。本物の紳士の気品を感じました。写真は、品格の象徴のような福原会長。未熟者の私は、引き立て役として並んでおります。

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原研哉『日本のデザイン』(岩波新書)。久々に、ゆっくりと文章そのものを「味わう」という喜びを堪能した本。日本の歴史や現在のなかに潜在する可能性を見出し、具体的な未来のビジョンを明快に描きだす(=デザインする)、という趣旨の本なのだが、ウェブにあふれる「日本の未来をこうすべき」というハウツーものとはまったく別格のレベル。ハウツー表記は字面をたどっていくにつれてなにか焦燥感や虚無感が増していくのだが、この本は読んでいくに従って心が落ち着いて潤っていく気がする。

要点の総括とか、概略の紹介、というのは、このようなタイプの本にかぎり、あまり意味をなさないような気もするので(そういうことを知りたい人は通販系ウェブサイトのレビューでもチェックしていただければ)、文筆業者として、「美しい文章だなあ…」と感じ入った箇所の中からいくつかを、ランダムに紹介。「何が書かれているか」ということよりもむしろ、「どのように書かれているのか」という表現において魅了された文章ばかりである。いかなる文脈において登場するのかは、各自購入して確認されたい。

「人為の痕跡もないような極まった自然の中に先端テクノロジーを駆使してぽつりと存在したいという衝動は、理性に自負を持つ人間の根源的な欲望のひとつである。植民地文化の華やかなりし時、西洋人がことさら極まった野性的環境の中で、白いテーブルクロスと、白服の給仕係をともなって、フルコースの食事をしたがった心性も同じ動機に起因するものだ」

「およそ人間が集まって集団をなす場合、それが村であれ国であれ、集団の結束を維持するには強い求心力が必要になる。中枢に君臨する覇者には強い統率力がなくてはならず、この力が弱いと、より強い力を持つものに取って代わられたり、他のより強力な集団に吸収されてしまったりする。村も国も、回転する独楽のような存在である。回転速度や求心力がないと倒れてしまう。複雑な青銅器は、その求心力が、目に訴える形象として顕現したものと想像される。普通の人々が目の当たりにすると、思わず『ひょええ』と畏れをなすオーラを発する複雑・絢爛なオブジェクトは、そのような暗黙の役割を担ってきた」

「中国は龍を、イスラムは幾何学的パターンをびっしりと身にまとい、互いに『僕を攻めるとちょっと怖い目に遭いますよ』と、威嚇し合っていたにちがいない。現代でいうところの抑止力。核兵器で脅し合うのではなく、緻密な文様の威力で互いの侵略を抑止していたのだ」

ファッションに関する記述が、とりわけ一文一文、正確で、本当は全文丸暗記したいくらいの勢いなのだが。なかでも、この表現はさすが!と拍手したのがこちら。

「(VOGUEの編集には筋の通った原則がある、という話にふれて)ファッションとは、衣服や装身具のことではなく、人間の存在感の競いであり交感であるという暗黙の前提のようなものだ」

ファッションとは、人間の存在感の競い。そして交感。こうした視点をもってファッションシーンで繰り広げられる情景を眺めてみると、昨日とは違う風景としてその中の人間が見えてこないか。

「人間は偏りをもって生まれ、歪みも癖も持ち合わせて生きているが、そういうものを全部のみこんで、どっかりと開き直って生きている人々には、時代を経た大木のような迫力が備わってくる。シミを取ったり、まぶたを二重にしたり、アゴの線を整えたりするのではとうてい太刀打ちできない、人間としての強烈なオーラを放っている。そして、そういう人は、才能ある服飾デザイナーが全身全霊を投じて創作したオートクチュールのパワーを見事に一身に引き受けて服を着こなしている。着られるものなら着てみろと言わんばかりの、斬新で独創的な服飾デザイナーの挑戦を、真正面から受け止め、自身の身体と人的オーラでそれを増幅し、あたりに発散している」

私が「ダンディズム」で取り上げた男たちの態度を通して言いたかったかったこととも、まさに通じている気がして、深く納得。偏り、欠点、歪み。コンプレックス。「かっこいい」男たちは、みなこうしたマイナスを受け入れて、それを長所に転じてしまった。そのロマンティックなパワー、ラブ&ヘイトを同量たっぷりと受けとめる懐の深さこそが、人を魅了するエネルギー源になっているんだよね。そのあたりのもやもやを、「人間の存在感の競い」とずばり的確に表現してくれた原さんに感謝。

「個々の人々の自由が保証され、誰もが欲しいだけ情報を入手することのできる社会においては、人々は平衡や均衡に対する感度が鋭敏になる。したがって『夜なべをして手袋を編む』ような、アンバランスな献身性を発揮して子育てや家事にいそしむ母のイメージは支持を得られない。女性は社会の中に相応のポジションを得て、賢く損のない人生を生きようとする。少子化の根は、育児にお金がかかるからという単純な理由にあるのではない。全ての人々が自由を享受する社会の趨勢に根をおろした現象なのである」

「ミック・ジャガーは68歳。年齢的には立派な老人だが、そういう認識ではとらえにくい。若さはすでにないが、多くの時間をロック・スターとして生き抜いてきたことで強烈な存在感が醸成されている。老齢化社会を考える時、いつも僕はこの人物を思い出し、ひとつの態度に回帰する。そこに平衡や均衡への配慮はない。あるのは超然とした大人のプリンシプルである」

平衡や均衡へ配慮なんかしないこと。今風に言えば「空気を読む」ことへの配慮なんかしないこと。難しいからこそ憧れる…。でもぼんやりと憧れごっこしてるヒマはあんまりないのだ。昨日、旅立っていったホイットニー・ヒューストンは、私よりも年下だった。誰にも永遠に時間が与えられているわけではないのですね。

ほかにも、思考を刺激してくれる美文多々あるのだけれど、今日はこのくらいに。折に触れて読み直したい本。

延び延びになっていた『スーツの神話』の電子書籍版、仕上げに没頭中。ちょうど干支一回り前に出した「デビュー作」で(ブランメルに出逢ってしまい、資料を集めはじめたのは、さらに干支二回り前)、気負いもあってハズカシイところも多いのだけれど、そのときの熱気のままにしといたほうがいいのかな。とかなんとか迷いつつ改訂をすすめる。フリーで使える図版が増えたこともあって、図版を大幅に増やそうとしている作業の中で、「そうだったのか!」の発見も多い。

たとえば、チェスターフィールドコート。これが画期的だったのは、ヴェルベットの襟というよりもむしろ、「ウエストの切り替えがない」点。それまでのオーヴァーコートにはすべてウエストの切り替えがあった。

また、ロンドン大火(1666年)でロンドンの家屋の85%が焼失した後、木造住宅を禁止する規制が敷かれていたことも初めて知った。ペスト→ロンドン大火のあと、チャールズ2世が衣服改革宣言を出して「スーツのシステムが誕生」するわけなのだが、これまでは「災厄続きはだらしない宮廷への天罰。まず服装から改めるべし」というような視点でこの宣言をとらえていた。でも、それだけじゃあるまい。中世のロンドンが焼失し、新しい建築が増えて、それにふさわしい新しい服が着たくなった・・・てこと、あるかもしれない。

などなどの発見(アタマのいい方には「何をいまさら」なあたりまえすぎる事実)を加えてばかりいると遅々として進まないのだが、暑苦しいかもしれない熱気をそのまま+発見事項追加改訂バージョンを、近日中に、電子書籍の形でお届けしたいと思います。