どん底から絶頂まで感情をゆさぶられたソチオリンピックも終わり。虚脱感。限界越え、想像超えの、崇高な世界を見せてくださった日本代表選手はじめ世界中の代表選手のみなさま、ありがとうございました! 最上級の敬意を表したい。

オリンピックも3年越しの仕事も最終章の大詰めにきていた先週金曜は、忙中閑、外苑前のイタリアン、「イル・デジデリオ」にてランチでした。「25ans」 & 「Richesse」 編集長の十河ひろ美さん、「Yon-ka」を扱うヴィセラジャパン社長の武藤興子さんと。このレストランが入っている「パサージュ青山」一帯は石畳が美しくて、「フィガロ」なんかに出てきそうな外国の街並みのよう。

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「てんさい」のアイスクリームに、「きんかん」をあしらったデザート。旬の食材を生かしたお料理の数々、美味しかったです。

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食後に記念写真。武藤興子さん(左)と、十河ひろ美さん(右)。話がはずみすぎて時間を忘れるほどでした。

寒さが厳しい最近はこのブルー×グレーのニットワンピースばかり着ていますが、Jun Ashidaのものです。シーズン初めに一目惚れして購入。あたたかくて着心地がよく、まったく型くずれしないし仕事にも社交にも旅行にもOK。これだけ毎日のようにヘビロテすれば投資価値以上のものがあります。なによりも、ほんとうに丁寧に作られているので、作り手の愛情とプロフェッショナルな心意気の波動に守られているという安心感があります。

楽しくランチでエネルギーをチャージしたあとは、気持ちを引き締めて、最後の最後の校正作業で出版社に自主缶詰。総ページ数544ページ、本文は二段組になります。なにせシャネルときたらばフランス、ロシア、ドイツ、イギリス、イタリア、アメリカ、オーストリア…にまたがる活躍ぶりなので、出てくる地名と人名の確認が半端ではない。ロシア語とドイツ語の地名と人名の読み方がとりわけ人泣かせ。こういうときはゴール(総量)をあえて見ないで、目の前にきたものを一つ、一つクリアしていくのが、とりあえず気が狂わないコツ。夢中になっていたらすっかり時間が経つのも忘れ、ビルを出たのが夜10時になっていた。干場社長はじめ社員のみなさまはさらに遅くまで頑張っていらっしゃいました。

この翻訳は干場社長肝入りの本で、社長直々に編集作業にあたっています。写真は、干場さんのフェイスブックアップからシェア。

Chanel

泣いても笑ってもこれで終了。こっちの仕事でもぐったり虚脱感。ほんとうに多くの人に助けてもらった3年間。

いつも思うのだけど、完成直前がいちばんつらい。でもつらいときを経たものほど、完成時の喜びは大きい。

夜明け前がいちばん暗い。種が発芽するときも、土から出る直前がいちばんエネルギーを使う。なにかが実現する直前が、おそらくいちばん苦しい。……っていうことと同じなのかな。

一緒にするのも厚かましい限りだが、ドラマでも演出不可能な、圧倒的なパフォーマンスで「天才と努力の輝かしい集大成」を世界中に見せてくれた浅田選手の、あの直前の苦しみも、あとから振り返れば、(メダルを超える成果にとっての)意義深いできごとだったのかなとすら思えてくる。どん底から頂点へと突き抜けるカタルシス。この感情のジェットコースターの振り幅が大きければ大きいほど、人は「ことばにならない感動」で揺さぶられる。


神足裕司さんが新作『一度、死んでみましたが』(集英社)をお送りくださいました。大学宛に届いており、帰途読み始めたらボロボロ泣けてきて。

重度くも膜下出血から生還し、まだ脳に機能障害が残るなか、書くことだけが残された機能と感謝して綴られた奮闘記。

ご病気前の華麗なレトリックや饒舌でウィットに富んだ表現はなく、むしろ一文一文がシンプルで、本を開くと余白が目立つ。だが。その余白から立ち上ってくるものに圧倒される。ただただ、生きていることの尊さ。すばらしいご家族や友人の愛とあたたかさ。死の淵から復活し、徐々に機能を回復していく生命の奇跡。感情を、人にちゃんと伝えることの大切さ。

「潜水服は蝶の夢を見る」という映画を連想した。

涙とまらない中に、不意打ちに、自分の名前が出てくる。『スーツの神話』が神足さんの心のお守り的な本になっているという話が紹介される。

自分の本が誰かの心のお守りになる。こんな状況でも記憶から消えていなかった。これほどの賛辞が、はたしてあるだろうか。

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ご病気前の神足さんの文章は、「こんな文章を書きたい」とお手本にしていた。15字×87行で、と注文を受けたら、起承転結をつけてオチまで鮮やかにまとめて収める、というコラムのお手本だった。今の神足さんの心の姿勢も、お手本にしたい。こちらがかえって激励された気分です。

ありがとうございます。これからもたくさん書き続けてください。

神足さんのお母様が広島でかつて「シャネル」という洋品店を営んで繁盛しており、「シャネル」社からクレームの電話がかかってきたことがあるというエピソードに笑いました。来月出版される「シャネル」伝、お送りします(笑)。

面白かった! 真剣勝負な「性から政へ」のお話。硬派なナンパ話です。要約なんてできない豊かさにあふれていて、一筋縄ではいかないのですが、新しく教えられたことなどを以下にメモしておきます。ほとんど自分のための備忘録であったりするので(紙に書いたメモはなくなりますが、ウェブ上にアップしておけばいつでも検索可能に)、前後の文脈がなくて恐縮です。そんな自分勝手な記録ですが、読者の方にも少しでもシェアできるアイディアがあれば幸いです。

★ヴァーチュー(virtue) = 内から湧き上がる力。内発性。<自発性>は損得勘定が中核だが、<内発性>は損得を超えた不条理なもの。

どんな社会も、損得勘定の<自発性>とは別に、損得勘定を超えたヴァーチューがないと、社会的貢献動機を十分に調達できない。そして、損得勘定を超えたヴァーチューを示す人は、周囲を次々にミメーシス(感染)させていく。

ミメーシスは変性意識状態を前提にしたもの。

内から沸き上がる力だけが、相手に変性意識状態をもたらし、「ここ=実数」に「ここではないどこか=虚数」を重ね焼きにした複素数空間を生きさせる。 

★女性は花。花だから、自分から誘いに行ったら、みっともない。ただし、花のような感じで「ふわーっ」とひきつけている。

★<受苦的疎外> 世界は本当なら別のものでありえたのに、目の前にあるこのものでしかない、というふうに現れる。

★「性に乗り出せないことの困難」から「性に乗り出したことによる困難」へのシフトは、「現実の実りから疎外されている」という感覚から「現実の実りのなさへと疎外されている」という感覚へのシフトにつながる。

これをデュルケームの自殺類型にあてはめると「貧困ゆえの自殺から、豊かさの実りなさゆえの自殺へ」。「現実は取るに足りない」との感覚。

★「男子における<恨み>がナンパクラスタ的ミソジニーにおける女の<物格化>として現れる事態」と「女子における<恨み>が風俗や売春における男の<物格化>として現れる事態」が機能的に等価。

★黒ギャル⇒白ギャル。援交から離脱したリーダー層の「男たちの性的視線を拒絶する」ガングロ化にシンクロして、「性的に過剰であることはイタイ」という意識が日本全国に広がる。これは社交的なリーダー層がストリートから退却して24時間出入り自由な地元の友達の部屋にたむろする「お部屋族化」ともシンクロ。

リアルに過剰にこだわるのはイタイ、という男子。性的に過剰であることはイタイ、という女子。90年代後半には過剰さという痛さの忌避が一般化。

★肉食系合コン。単に<踏み出し>に積極的なだけで<深入り>の意欲とノウハウを持たないので、マンネリ化と取っ替え引っ替えを繰り返す。

騎士道における7つのヴァーチュー。美徳、と訳していてはダメでしたね。ミメーシスという概念も、大学の文学の授業で延々と時間をかけてやったわりにはよくわかってなかった。この本でようやくすんなり腑に落ちた。

朝日新聞2月15日(土)付け、オピニオン欄「今こそ政治を話そう 二分法の世界観」、是枝裕和監督・談。

こういう人を真のリベラルで良識のある文化人、と呼ぶのでしょう。以下、とくに強く印象に残った言葉のメモ。

★特定秘密保護法案に反対する映画人の会に賛同した件につき、政治的な「色」がつく懸念はなかったか?という記者の質問に対し。

「そんな変な価値観がまかり通っているのは日本だけです。僕が映画を撮ったりテレビに関わったりしているのは、多様な価値観を持った人たちが互いを尊重し合いながら共生していける、豊かで成熟した社会を作りたいからです。(中略)これはイデオロギーではありません」

★「あるイベントで詩人の谷川俊太郎さんとご一緒したのですが、『詩は自己表現ではない』と明確におっしゃっていました。詩とは、自分の内側にあるものを表現するのではなく、世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚きを詩として記述するのだと」。

★「昔、貴乃花が右ひざをけがして、ボロボロになりながらも武蔵丸との優勝決定戦に勝ち、当時の小泉純一郎首相が『痛みに耐えてよく頑張った。感動した!』と叫んで日本中が盛り上がったことがありましたよね。僕はあの時、この政治家嫌いだな、と思ったんです。なぜ武蔵丸に触れないのか、『二人とも頑張った』くらい言ってもいいんじゃないかと」。

★「世の中には意味のない勝ちもあれば価値のある負けもある。(中略)武蔵丸を応援している人間も、祭りを楽しめない人間もいる。『4割』に対する想像力を涵養するのが、映画や小説じゃないかな」。

★「日本では多数派の意見がなんとなく正解とみなされるし、星の数が多い方が見る価値の高い映画だということになってしまう。『浅はかさ』の原因はひとつではありません。それぞれの立場の人が自分の頭で考え、行動していくことで、少しずつ『深く』していくしかありません」。

わかりやすい星いくつの評価とか、すぱっと明快な分類とか。そこからとりこぼれる複雑でわりきれないものに惹かれる人がいる限り、映画も小説も絵画もなくならないはず。それがいやおうなくランク付けされてしまうのは矛盾してるとも思うのですが。

エノテカ広尾本店で、ブラン・ガニャール&ロシニョール・トラペ試飲会でした。

エノテカ本店ははじめて訪れましたが、マルゴーでワイン造りのために使われている器具なども展示してあり、奥の方には10万円を超えるワインがガラスケースのなかに美術品のように並ぶ。ミニミニ博物館のような雰囲気。

 

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オーナーのジャン・マルク・ブラン、ニコラ・ロシニョール、おふたりのトークを聞きながら6種類を試飲。2011年のシャサーヌ・モンラッシェを3種、2007年のボーヌ・ド・マリアージュ、2008年のジュヴレ・シャンベルタン、2005年のシャンベルタン・グラン・クリュ。最後のワインは争奪戦も起きるほどの貴重なものだそうで、25200円で2本だけありましたが即完売してました。

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縁起のいい名前をもつ「ボーヌ・レ・マリアージュ」を。ニコラ・ロシニョール氏にボトルにサインしていただきました。

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Les Mariages と、マリアージュ(結婚)が複数形になっているのは、フランス人だから結婚が複数なのかと思いましたが(^_^;) ニコラ氏によれば、吉日に、教会がある付近、つまり同じ場所で同時に、たくさんのカップルが結婚する、そんな村の光景から名付けたものだそうです。複数回の結婚ではなく、結婚式同時多発というわけですね。どっちにせよ、華やかで祝祭的な場におきたいワインです。


前にも一度アップしたかもしれないけれど、何度も読み返している、私にとっての心のクスリみたいな本なので再掲。

言葉尻だけを捉えてのあげつらい、悪意を前提とした偏った解釈や罵倒、嫉妬を避けるための巧妙な自虐、あるいはその反対の、明朗すぎて気持ち悪い自己アピール、味方のフリして打算だらけの噂話、ガチガチの正論攻撃など、なにか気持ちが荒むような言葉を浴びて心がやられそうなときがあったりすると、この二人の、適度にいいかげんな、リベラルな言葉でバランスをとりたくなってくる。以下は第一章からの引用、ほとんど自分に言い聞かせて、癒されるためのものです(笑)。

鷲田「近代社会って生まれて死ぬまで同じ自分でないといけないという強迫観念があって、直線的に自分の人生を語ろうとするじゃないですか。昔の偉い人は何回も名前が変わった。失敗しても名前を変えるくらいの気持ちでいたらええよ、と。人生を語るときは直線でなく、あみだくじで語れ、といいたいね。あのとき内田さんと会ったからこんな人生に曲げられてしまった、でいいんです(笑)。出会った人を数えたほうがいいんですよ」

内田「若い人たちが書いたものを読むと、整合的なことが書いてはあるんだけど、言葉がとげとげしいんですよね。(中略) 格差論の中には『無能で強欲なジジイたちを退場させろ』なんて言葉を使う人もいる。言葉の肌理が紙やすりみたいにざらざらしているんです。そんな言葉遣いしてたら、どんなに正しいことを書いても誰もついていけない。とげとげしい人たちが集まって、果たしてそこに共同体が作れるのか」

鷲田「人が成熟するというのは、編み目がびっしりと詰まって繊維が複雑に絡み合ったじゅうたんのように、情報やコンテンツが詰まっていく、ということです。それなのに今の世の中、ジャーナリズムも単次元的な語り口でしょう。すぐに善悪を分けたがる」

鷲田「僕は多様性という言葉を使う人にいつも質問するんです。『わかった。文化は多様でなくてはならない、人はそれぞれ違う。では、どうして私は多様であってはいけないの』と。なぜ個人が多様性を持つと、多重人格というレッテルが貼られるのでしょう」

内田「ほんとですね。それが今回のテーマである『成熟』の一つの答えでもあると思うんです。子供と大人の違いは個人の中に多様性があるかどうかということですから。(中略) 年をとる効用ってそれだと思うんです。生きてきた年数分だけの自分がひとりの人間の中に多重人格のように存在する。そのまとまりのなさが大人の『手柄』じゃないかな。善良なところも邪悪な部分も、緩やかなかたちで統合されている。そういうでたらめの味が若い人にはなかなかわからないみたい」

読者の知性を信じるからこそ生まれている、このゆるゆるで寛容なやさしさにほっとする。年をとる効用が、人格が増えること・・・って(笑)。「15歳の自分」を打ち消す必要もなく、「40歳の自分」なんかの合間に時々出てきてもいいじゃないか、といういいかげんな懐深さに、救われます。

とやまサンフォルテカレッジ公開講座にご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。

「ダイアナ妃の復讐は『リベンジドレス』から始まった」というお題をいただき、ロイヤルウーマンの愛とファッションの関係を話しました。
キャサリン妃、ダイアナ妃、エリザベス女王、ウォリス・シンプソン、そしてエリザベス・バウズ=ライアン(クイーンマザー)。ちょこっとだけヴィクトリア女王。

話を考えながら、それぞれの愛のあり方が社会を変えてきたことをあらためて実感していました。安全パイと思われていたダイアナ妃が、本人も無自覚なまま起こした「革命」の実態は、愛の力が法律の整備以上に多大な影響力をもたらすことを教えてくれます。

Diana

募集人員50名のところ、3倍の150名近くの応募があったそうで、9割ほどが女性でしたが、みなさまノリノリで聴いてくださいました!
たくさんのお花をいただき、感激しています。
寒桜が満開を迎える頃が楽しみです。
あらためて、心から感謝申し上げます。

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Girls, Don’t Dream. Be It.