名古屋にて世界コスプレサミットの視察。今や外務省も支援するイベントである。午後のパレードは、仁王門通⇒東仁王門通⇒新天地通⇒大須観音通の一時間強。

37度ぐらいありそうな猛暑の昼下がり、コスプレイヤー+プレス+カメラ小僧+観客+ただのやじうまなどが入り混じって、大混雑のサウナ状態である。

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アーケードの中は明らかに酸素不足で、息苦しくなるほどだったが、厚着のコスプレイヤーはハイテンションでカメラのためにポーズをとるなど大サービス。

途中に給水スポットまであったが、水分補給しているのは観客ばかりである。たぶん、観ているよりコスプレイヤーになって歩いているほうがぜったい楽しい。

国籍不明のコスプレイヤーやプレスも多数。英語でもないフランス語でもないロシア語でもない、何語だろう!?という言語が多数とびかっている。

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かろうじて言葉が通じた何人かのコスプレイヤーに聞いてみたところ、衣装は自分で作っている、ということだった。

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なんのコスプレなのかほとんどわからないのもまじっていたが、Photo_8

凝る人はコンタクトレンズで瞳まで赤く変えたりして、とことんやっている。

異様な熱気のなか、「コスプレで世界平和」な空間が一瞬あやしく現出していた・・・・・・。

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カタロニアの議会が闘牛を禁止する、という記事。「ガーディアン」28日付。

2011年末をもって、バルセロナからカタロニアの北東部にかけて、闘牛が見られなくなる。闘牛は動物虐待、という時代の勢いが、ついにここまできたのか、という感じ。

この決定に反対する人の声も多数。闘牛は残酷なスポーツなどではなく、芸術である、と。

自由に対する侵害である、という声も。子供たちや若い人は、怒れる牛に対する対処の仕方を学ぶ。見に行くか、行かないかは個人の自由であって、一方的に禁止するのはおかしい、など。

長い歴史をもつ文化的遺産か。断ち切るべき野蛮な慣習か。「倫理的」であらねばならない時代の流れにあっては、闘牛に対して後者の見方をとる人が圧倒的に多かった。

見られなくなる前に、ぜひ一度見ておきたいと思うが。

イングランドのサッカーチーム「チェルシー」が、選手の公式スーツと「私服」のデザインを、イタリアの「ドルチェ&ガッバーナ」に依頼したというニュース。「インデペンデント」28日付。服装だけではなく、スタジアム内のスペースも改装し、「ドルチェ&ガッバーナ・ラウンジ」と呼んでいるという。

ドルチェ&ガッバーナはすでに二回、イタリア代表チームのデザインをしているし、「ACミラノ」の選手たちのスーツも作っている。が、外国チームのデザインは初めてになる。

濃紺の艶っぽいスーツで、シャツがダークカラー(白とかブルーではなく)であることが目立つ特徴。そこはかとなく「遊び人」っぽいムードを醸しだす。

ドル&ガバの得意とする、「男の自信を誇示するような男らしさ」が、サッカー選手に好まれているということか。少なくとも、イギリス的な「アンダーステートメント」(控え目表現)はそこにはない。

男の服ならイギリス製が格上、と思いたかったが、もうそんな時代でもなくなったのかもしれない。サッカー選手が自由で色気と勢いのある服をグローバルに求めたら、ドル&ガバにいった、という印象。

それはそれでいいことだと思うが、サッカー選手のライフスタイルが憧れと模倣の対象になることを思うと、英国男子もイタリア男のようになっていく風潮が強くなっていくのかな……(18世紀にもイタリアかぶれの「マカロニ」男子などが、いたわけだが)。

◇行方昭夫先生『サマセット・モームを読む』(岩波書店)読み終える。岩波市民セミナーでの講義をもとに書籍化された本。行方先生の声がありありと聞こえてくるような、読みやすくてためになる一冊だった。

モームが日本に紹介されたときの経緯や来日時のエピソードも明かされる。当時の「モーム来日」騒動というのは、今なら「レディーガガ来日」みたいな扱いだったのだなあとイメージを重ねてみる。客層はまったくちがうだろうけど、セレブ来日に振り回される人たちのミーハーっぷりが、なんだか、変わらないなあ、と。

「人間の絆」「月と六ペンス」「サミング・アップ」「かみそりの刃」「赤毛 大佐の奥方」それぞれの作品の読みどころの解説が、楽しい。作品を読んでない読者や、話を忘れてしまった読者に対しても、、あらすじがわかるよう、講義が進んでいく。モームの人間観や、その解説を通した行方先生の人間観がちらりちらりと語られるあたりに、興味をひきつけられる。聴衆にもマニアックなモームファン&行方ファンが多かったようで、質疑応答のレベルも高い。

数々のモームの人生観の指摘のなかでも、心に響いたものがいくつかあり、以下、メモ。

・人生はペルシャ絨毯。人生に意味はない。明るい色ばかりじゃ絨毯は味気ない。暗い色彩、悲しげな模様もあってこそ、深い味わいのある豊かな絨毯が織り上がる・・・という「ペルシャ絨毯の哲学」。

・人間は不可解で矛盾に満ちていて、首尾一貫などしていないこと。

・恋が報いられるということは、めったにない、ということ。だから逆に、そういう恋を得られたら、この世は奇跡となり、人生に深い意味が与えられるように感じてしまうものであること。

エッセイ集「サミング・アップ」を時折、読み返すのだが、いつも感じるのは、モームは「正確」だいうこと。人間の心の動きのいや~な部分も、偽善など取り払い、率直にありのままに見て、「正確」に表現するのだ。読者の反感を買わず、ありのままに、正確な人の心の動きを記述する。自分でエッセイを書こうとするとわかるが、これはなかなか、たいへんなことなのだ。いやなやつだと思われたくないために、偽善のオブラートをかけてしまいがちである。でも、作品が普遍性を帯びるためには、シビアに正確さを追求する(そしてなお愛される)技芸が不可欠なのだと実感する。

◇朝日新聞17日(土)付の、磯田道史の「この人、その言葉」。堺利彦の巻。

「心の真実を率直に大胆に表すことを勉めさえすれば文章は必ず速やかに上達する」

たまたまモームの文章から考えていたことに響き合ったので、膝をうつ。

<真実を語ること><腹案>のほかに、<気乗り>が重要、という点にも、共感。「『よく寝る。散歩する。旅行する。場合相応の本を読む。他の仕事を片付ける』などして<自分の頭の機嫌を取って>調子のよい時に筆をとる。具体的に読み手を想像しその人に語りかけるように書くといい」。

◇「クロワッサン」より著者インタビューを受ける。書いた本に関心をもっていただけるのは、とてもありがたいことである。感謝。

◇旧知の編集者ジュリちゃんと、ピエール・ガニェール@ANAインターコンチネンタルでランチ。ピエール・ガニェール・ア・トウキョウが南青山から撤退してさびしく思っていたら、こんなところに移転していた。

36階に、別天地のように広がる空間。外を見ながらゆったり並んで座れるソファ席もあり、夜のデートに使えばさぞかし艶やかなムードで過ごせるであろうなあ、と思わせる店。今日は女二人で色気のないことであるが。料理は期待以上にすばらしい。

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青山にあったときよりも、「わかりやすい美味しさ」が演出されているように感じる。メインは豚ロースのディアボロ風。辛口のロゼと一緒に。

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コーヒーについてくるプチフールも、小さいのにひとつひとつくっきりとしたパンチがある。食べられるスミレがのったチーズケーキ(上)、梅干し(!)のピューレ(中央)がとりわけ印象的だった。

スタッフの対応も、フレンドリーで、くつろげる。制服があまりにもかわいいので、どなたのデザインかと聞いてみたら、コシノジュンコさんとのこと。ポイントに赤が効果的に使われている。ソムリエの制服は黒っぽい詰襟だけど、ボタンホールの縁取りやそで口から見えるシャツにきれいな赤がちらちらと配されていて、テーブル周りでの所作を優雅に見せている。

◇「ファッションが教えてくれること」DVDで。「セプテンバー・イシュー(=9月号=広告がたっぷりとつく秋のファッション特大号)」ができるまでの、ヴォーグ編集長アナ・ウィンターを追ったドキュメンタリー。この人ならではの名言もちりばめられて(「ファッションを軽蔑する人は、ファッションを恐れている」には考えさせられる)、トレンドが実際に生み出されていく過程に関しても、発見が多い。アナ・ウィンターの働きぶりは、「一流の仕事人」のお手本として、かっこいい。

◇中央公論8号書評(by井上章一さん)感謝。

◇「サライ」8月号発売中です。連載「紳士のものえらび」で「クリスティ」のタオルについて書いています。機会がありましたら、ご笑覧ください。

◇「ミレニアム ドラゴンタトゥーの女」DVDで。ラングドン教授ものにレクター博士のテイストもちょっと入れた感じの、北欧の孤島の冷やっぽい空気のもとでの謎とき。残虐で陰惨なシーンも多々あり。ヒロインのミステリアスな過去もじわりじわりとわかっていくが、最後まで明解にはならない。「恋はしない」媚びない天才ヒロインの、いきなり服を脱いで馬乗りになる行動から始まる関係が、今っぽい。終わった後、べたべたしたがる男に対し、「さっさとあっちへ行ってよ」と背中を向ける女なんて、これまで映画で描かれただろうか?

◇キャリー・ブラックマン著「メンズウエア100年史」購入。スーツ、ワークウエア&軍服、アーチスト、グッドガイ&バッドガイ、スポーツプレイヤー、反逆者、ピーコック、メディアスター、カルチュアクラバー、スタイリスト、デザイナー、それぞれの系統にわけてこの100年のメンズファッションを追った写真集。男のファッションは、かくも多様で変化に富んでいることがよくわかる、眼福の一冊。

パリとミラノのメンズコレクションが終了し、各メディアで一斉に2011年メンズトレンドの総括がおこなわれている。

今年はケンゾーとロベルト・カヴァリが40周年、ドルチェ&ガッバーナのメンズラインが20周年、ラフ・シモンズが15周年、リカルド・ティッシによるジヴァンシーが5周年だったそうである。始めることもすばらしいが、続けるにはさらにたいへんな努力とエネルギーがいる。祝!

数ある総括記事のなかで、英「インデペンデント」7月5日付がもっとも興味深くまとめられていたように感じた。そのなかでも、とりわけ個人的に気になったのが、以下のトレンド。

・スコート(skort)。ショートパンツなんだけど、前面にフラップがついていて、スカートのようにも見えるというボトムである。コム・デ・ギャルソンが2008年あたりからスカートを出していて、トム・ブラウンもショートパンツを出し続けている。その流れが融合してきたような感じ? リカルド・ティッシ(ジヴァンシー)、ラフ・シモンズらがスコートっぽいものを提案している。

・「男はもうこれ以上苦しみたくないのだ(I’ve become convinced that men don’t want to suffer any more)」byクリス・ヴァン・アッシュ(ディオール・オム)。というわけで、ディオール・オムは、「レス・イズ・モア」(少なければ少ないほど、かっこいい)の袖なしVネックシャツや、ショールのような上着。シンプルに向かうトレンドは確実にあるようで、いつもはボリュームのあるコレクションを得意とするリック・オーウェンスも、「減量」感のあるバリエーションを提案。

あれこれ悩まず、スコートはいて性差の縛りからも自由になって、あっさりとシンプルに我が道を行こうとする男を、2011年男性像としてイメージしてしまった(あくまで個人的印象)。

エリザベス女王もドレスを「リサイクル」、との報道。英テレグラフ7月6日付。

昨年秋、トリニダード・ドバゴで着用した白いドレス(同国の象徴の鳥の装飾がつけられていた)を、鳥の飾りをとり、スワロフスキーをたっぷりとあしらうことで「リサイクル」して、トロントでの晩餐会に着用したそう。今回はカナダに敬意を表し、スワロフスキーでメイプルリーフ(同国の象徴)のモチーフが形作られた。

この「リサイクル」ドレスに貢献したのは、女王のスタイリストでパーソナルアシスタントの、アンジェラ・ケリーのチーム。

白いドレスにきらきらのクリスタルのメイプルリーフが流れるような光を添えて、女王のシルバーヘアーと調和している。政治的メッセージ、時流への倫理的配慮(セレブだって同じ服を着まわし)が感じられるばかりか、なによりも、迫力の美しさ。女王、クールである。

http://www.telegraph.co.uk/fashion/fashionnews/7873996/Queen-wears-recycled-dress-to-banquet-in-Toronto.html