一年の締めくくりのお礼に明治神宮に参拝。こちらに立ち寄った直後にいつも新しい運を開く出会いがあります。

それに気づくのも気づかないのも自分しだい、と後からわかり、つまり参拝後に雑念が薄らいで世界の景色が少しフレッシュに見えるから人に対してもよりオープンになれるのかもしれない。同じもの、同じ人と違う心理状態で出会っていても、感じる意味が違ってくる。雑念や警戒をもって接していればそれっきりになるでしょうし。


うまくいかないこともあった半面、おかげさまで新しい機会や出会いにも恵まれて、たくさんの場面で助けていただいたり教えていただいたりしました。みなさまありがとうございました。

能登の復興をお祈り申し上げます。来年2月には、ささやかですが輪島塗り応援のためのイベントも行います。あのような絶望的な状況のなか、それでも立ち上がり継続のために動き続ける方々とお会いしたことは、最も強く優しい人間のあり方を教えられた経験として心に残っています。

少し前、18日の話になりますが、明治記念館Kinkei(金鶏)でランチにお招きいただきました。来年、周年記念となる明治神宮(そして明治記念館)のプロジェクトのなかでお仕事をすることになり、そのお打ち合わせです。


赤坂仮皇居御会食所をそのままに、歴史あるインテリアを堪能しながらの王道の「洋食」。サービスレベルがすばらしく、全てが心に残る完璧ぶり。青山にこんな「穴場」があるとは。

えと鈴もおみやげにいただきました。ヘビの顔がかわいい。

食後に、記念館のなかをご案内いただきました。

明治記念館儀式殿。洋装でも神前結婚式ができる、現代のスタイルに合わせた儀式殿です。そういえば、桂由美先生がこの儀式殿にふさわしい和洋折衷のウェディングドレスをデザインされていました。あのドレスはこの場所で。ようやくつながった感慨。

式を終えて庭園に出るときにフラワーシャワーなども可能。自分で自身のお祓いをしてから入ります。ほんとに清らかな気が感じられる場所でした。

ロンドンから武内秀龍さんが、富山から武内希璃さんが東京にいらしていてキャッチアップ。富山の老舗呉服店、牛島屋社長の武内孝憲さん(富山中部の後輩)の息子さんたちです。

秀龍さんはグッチ、ボッテガ、ディオールなど名だたるラグジュアリーブランドのショーや広告で活躍中のスーパーモデルにして自分のオリジナルブランドも手がけるクリエーター。拠点もロンドン、ニューヨーク、東京、とグローバル。

弟の希璃さんはきものを制作することもできて、きもの産業全体に造詣が深く、「川上から川下まで知る」日本の伝統文化を担う次世代のホープ。
(左が秀龍さん、右が希璃さんです)

ラグジュアリー文脈で日本の卓越を考える、というミッションを拝命したとたんに目の前に現れたのがこの兄弟。天からの応援のように感じられました。

ラグジュアリーブランドの内側で仕事をする人の目線、きもの産業の内側からの目線、ともに深く話ができるというファミリーはなかなかいないですよね。

190,180超というお二人はコートを着ていても映えますが、コートを脱いでもそのままメンズファッション誌の表紙になるほどおしゃれでした(すでに表紙は飾ってそうですが)。

昨日のお知らせに続きまして、さっそく第一回のサロンのご案内です。

Salon Explore #001 会食&トークセッション

輪島塗の物語 災害を乗り越え、共感の輪を未来へつなぐ

ゲスト:岡垣祐吾 千舟堂/岡垣漆器店 代表取締役
聞き手:中野香織 著作家/服飾史家

日程 2025年2月22日(土)12時~16時(11時30分から受付開始)
会場 表参道のレストラン&ブルネロ クチネリ 表参道店B2Fアートスペース

輪島塗の支援のために最も大切なのは、「買って支援」。そのように考えて、参加費にすでに含む形で、輪島塗のお箸をおみやげとしてつけました。ご購入(参加)の方には、希望に応じて千舟堂が名前をいれてくださいます。ランチも含まれているのは、よりカジュアルな形で岡垣さんのお話を聞くためであるとともに、支援のご縁を長く続ける絆を確かにするためでもあります。実際に輪島で取材した私が言うので間違いないですが、岡垣さんは人をひきつける魅力をもつストーリーテラーでもあります。

こちらは、ブルネロ クチネリ、アートスペースのクリスマスインテリアのデコレーション。棚には輪島塗の逸品。洋のインテリアにもなじみ、空間の格を上げる力をもつのが輪島塗。

ブルネロ クチネリの「ジェントル・ラグジュアリー」という人間主義に基づく経営哲学もご紹介するとともに、表参道旗艦店の店舗ツアーもおこないます。店舗でじっくりクチネリの商品をご覧いただけるまたとないチャンスでもあります。

定員になり次第締め切らせていただきます。お申し込みは、こちらからお願いいたします。

2025年からJ-Luxe Salonが始動します。アドバイザーを拝命しました。感謝しつつ、まずは半年、謹んで務めさせていただきます。

ゼロ回の講演として、1月11日(土)大安の日に、「次世代ラグジュアリーと日本の伝統、卓越技能の未来」をテーマに話をします。お申込み、詳細はこちら

既存ラグジュアリーの制度疲労と意味の変化、次世代型ラグジュアリービジネスの考え方(フランス、イギリスの例)、ウェルビーイングと日本の伝統、ラグジュアリー統括組織と教育の必要性まで、未来を創るために押さえておきたい文脈を大きな見取り図として提供します。

日本の卓越技芸や伝統を未来へつなぐ方法をともに考えていきましょう。

写真は会場となる国際文化会館です。

 

これに続く第一回のサロンもすでに決まっております。2月22日(土)、ブルネロクチネリ表参道店B2階アートスペースにて、輪島塗を支援することをミッションに、千舟堂岡垣社長をお迎えしてトークセッションをおこないます。「輪島塗の物語 災害を乗り越え、共感の輪を未来へつなぐ」。詳細、お申込みなど追ってお知らせします。

第二回以降も、各分野から多彩なゲストをお迎えしてラグジュアリー文脈における伝統工芸や卓越技能を考えていきます。どうぞお気軽にご参加ください。

北日本新聞ゼロニイ連載。牛首紬の西山博之さんに取材した記事が出ました。

代々伝わる「家」でないところが伝統を継承するというのは大いにあり。その模範的な実例を見せてくれるのが西山さん。

こちらも少し時間差投稿になりますが、クリスマス直前に伺った毎年恒例の「シー」とシェラトングランデ。

シーの方は、これまで行っていなかったニッチな方面に行ってみました。

 

「ジャンボリミッキー」もかぶりつきで拝見。ミッキーってキレキレにへんなダンスするんだ。おもしろい(いまさらですが)。

シェラトングランデは日本の経済が勢いの良かった時期に建てられたので一部にクラシック感が残ることは否めませんが、やはり海と空に広々と包まれるクラブラウンジやチャペルを2つも擁するゆったりした庭園では、ほっとするところがあります。

半年ぶりくらいのお休みで一息つきましたが、これからまた来年5月の刊行に向けて疾走します。

日経新聞連載「モードは語る」。14日付夕刊ではスマートラグジュアリーを掲げるジェミオの創業者、ポリーヌ・レニョ―氏にインタビューした記事を書きました。電子版はこちらです。

英語版はnoteにアップしています。

超高価格になり「稀少性を大量に」販売するラグジュアリービジネスに反旗を翻し、フランスからも新しい価値を提示してラグジュアリースタートアップを成功させている例が出ているのは興味深いことですね。

記事には書きませんでしたが、レニョ―氏は、「フランスの古くからの権威ある宝飾店で買い物をしようとするフランス人は私たちだけだった・・・」と。あとはアジア圏やアラブ圏の方々が多く、店員もフランス語を話さない、という店もあるそうです。

自国の職人を尊重し100%自国生産。適正価格。デジタル活用。各顧客に最適にカスタマイズされたサービス。在庫を出さない受注生産。セレブを使う宣伝をせず顧客の口コミ。虚栄や地位の誇示とは無縁の本物の幸福感。次世代のための「賢い」ラグジュアリーの方向性、内面が成熟すればそっちに行くのは自然に思えます。

ラグジュアリーの価格は本当に不条理だ。というのも、ラグジュアリーの価格を最終的にどうでもよくしてしまうのが、感情だからだ。昨今、一部ではとくにアート市場と同じような感覚で価格がつけられている。バッグが数百万円。それでも買う資格を得るために課金行列まで生まれる。マーケティングの勝利である。

本気でその市場のプレイヤーになろうとすれば 人間のありとあらゆる感情の動きをとことん研究すべきだと思う。価格なんて忘れるほど、価格以上の価値があると感じさせるほど、人間の欲望を突き動かすような感情。

人と違いたい。「上」あるいは「特別な人間」に見られたい。ステイタスを誇りたい。美しいと感じたものと一緒にいたい。投資という名目のもと「損したくない」。ちやほやされる顧客体験にひたりたい。すごい、いいね、と言われて気分よくなりたい。夢見た自分になりたい。最高のものに囲まれていたい。新しい自分にワクワクしたい。いろんな感情がうごめいている。プレイヤーはそれを巧みに購買につなげていく。

人間の感情なのでそこに善悪や倫理をもちこむつもりはない。ただ、万一、翻弄されてるなあと感じるようなことがあれば、自分の感情をありのままに徹底的に分析するのも悪くないと思います (困ってなければ放置していいと思いますが)。

ラグジュアリー領域に関わるには人文学が重要とかねてから書いていますが、歴史や文化の素養だけでなく、ますます文学や心理学の要素が求められていく。

年末の各アワードが乱立するが、今年は「名品」と「時計」で審査員、コメンテーターを務めさせていただいた。こういう機会は市場に出回る最高級を見比べながら学べるので ほんとうにありがたく思う。

「買えない(価格)だから見ない」とか「高すぎるから自分には縁がないので無視」 というコメントを時折見るのだが、いちいち自分の所有物になるかどうかという 物欲基準をもちこむのはもったいないと思う。

(編集サイドや広告主はもちろん購入に結びつくと嬉しいとは思うが)

ブランドの誇りをかけた圧倒的な風格を漂わせる製品を見るということと 所有欲(物欲)を切り離してしまうと 、

なにを上質というのか
どんな細部が違いを生むのか
アイデンティティをどのような形で表現するのか
時代の先端感覚と伝統をどのような形で折衷させるのか

という基準に関するこの上ない研究材料になる。

そこで得られた体感がセンスとなり、自分の仕事や生活に応用できる。

どんな分野でも身の丈に合うもので満足することは幸福感のベースを作るが 、その分野の最高峰を知る、という経験はあったほうがいい。

そうやってセンスが養われてくると、かえって所有欲から解放されて自由になる。

写真はイタリア商工会議所のガラが行われた八芳園。緑のアルファロメオと紅葉でイタリアンカラーを構成していました。

 

At the end of the year, numerous awards abound, and this year, I had the privilege of serving as a judge and commentator for categories such as “Masterpieces” and “Timepieces.” These opportunities are truly invaluable, as they allow me to learn by comparing the finest creations available on the market.

Occasionally, I come across comments like, “I can’t afford it, so I won’t even look,” or “It’s too expensive and irrelevant to me, so I’ll ignore it.” However, I feel it’s a pity to limit one’s engagement with these works by framing them solely through the lens of personal ownership or material desire.

(Understandably, editors and advertisers may hope such exposure translates into purchases.)

Separating the act of appreciating products that exude an overwhelming aura of excellence—a testament to the pride of their respective brands—from the desire to possess them unlocks an unparalleled opportunity for intellectual and aesthetic enrichment.

It provides a foundation for exploring critical questions, such as:

  • What defines quality at its highest level?

  • What nuances distinguish one creation from another?

  • How is a brand’s identity expressed in tangible form?

  • How can cutting-edge contemporary sensibilities harmonize with timeless traditions?

The insights gained from these observations crystallize into a refined sensibility that can be applied to both one’s professional endeavors and personal life.

In any field, finding contentment within one’s means forms the basis of happiness. However, the experience of encountering the pinnacle of excellence is equally essential.

As this cultivated sensibility deepens, one may paradoxically find themselves liberated from material desire, embracing a sense of true freedom.

Precious 1月号 「新時代の最愛名品リスト28」に協力させていただきました。

サンローランのピーコート、マメクロゴウチのワンピースについてコメントしています。

また、今月号には別冊「ウォッチ・アワード・ブック」がついてきます。めくるめく超高級時計がリッチ感あふれる写真で掲載されています。

ピアジェのライムライトガラ、ルイヴィトンのエスカル、グランドセイコー、ブルガリのセルペンティトゥボガス、ショパール他についてコメントいたしました。

すでにPreciousのサイトにも各時計ごとに拡大写真とともに掲載されています。が、まとまった冊子でじっくり見比べるのも味わい深い。

おびただしい数の超個性的な時計を見比べてみて感じたのは、なんの遠慮も衒いもなく堂々とそのブランドらしさを誇ることはなんとすがすがしいことなのか、ということ。人もそういう風にあればいいのだ。

ウェブサイト掲載済みの各時計についてのコメント:

・ピアジェのダイヤモンドウォッチ
https://precious.jp/articles/-/51534

・ルイヴィトンのエスカル
https://precious.jp/articles/-/51545

・日本の誇り グランドセイコー
https://precious.jp/articles/-/51540

・ブルガリのセルペンティ トゥボガス
https://precious.jp/articles/-/51532

WWDからご依頼を受け、穂積和夫さんの追悼文を寄稿しました。

あらためて、ご冥福をお祈りいたします。

「ラグジュアリーの羅針盤」Vol. 25 公開されました。

「マイルドヤンキービジネス」とNewsPicksが呼んだ日本の大衆ビジネスの大ヒット。作り手が「他人の目を意識して演じる」ことではなく、「ありのままの姿を見せる」ことを選んでいる点が、大きな共感を呼んでいる。

「本物であること」とは、自分自身に対して正直であること。他者の期待に応えるために変えるのではなく、自分の信念や文化をしっかりと軸に据えて、誠実に表現し続けること。その先に希望があるのだろう。

 

I find myself grappling with complex emotions as I revisit content I wrote for this series two years ago—specifically, in Vol. 3, titled “Before the Luxury Liner Runs Aground.”

In that article, I likened the current state of the luxury business to the Titanic, poised before an iceberg. Unfortunately, that prediction seems to have come true. According to Bloomberg, more than 38 trillion yen in market capitalization has evaporated from European luxury brands since March 2024. While Hermès and Prada have shown resilience, LVMH has reported a significant decline in sales, and Kering, which owns Gucci, has faced even steeper double-digit losses.

The contraction in demand can be attributed to the shrinking Chinese market, upon which the industry had become overly reliant. Adding to this is the phenomenon being termed “luxury fatigue.” As noted by an executive from Chanel in an interview with the Swiss daily Le Temps, “A sense is spreading among consumers that they are beginning to question the very purpose of this industry.”

The overwhelming flood of information surrounding luxury products today seems to strip away their allure of rarity and exclusivity. Many might find themselves fatigued by the relentless marketing excesses involving celebrities. It’s a sentiment that likely resonates with a growing number of people.

Another point that strikes me is a phrase I wrote myself:

“While we speak of luxury as a single concept, the path to pursue is not that of the European luxury industry. Rather, we should re-evaluate the essence of true richness, rooted in the unique philosophies and inherent characteristics of our own land. Or has this now taken root in the form of ubiquitous discount retailers?”

“Ubiquitous discount retailers,” of all things. And yet, that’s precisely what has happened. Japanese businesses offering low-cost, high-experience value—such as Kura Sushi, the amusement chain Round1, and the secondhand clothing store Second Street—are achieving remarkable success in the United States.

Unlike brands that chase status and prestige or proclaim lofty missions such as “making the world a better place” or “promoting Japanese beauty to the world,” these businesses target a customer base that seeks simple, accessible pleasures. Without significantly adapting to local customs, they are embraced abroad exactly as they are, following the Japanese way. The impact of inbound tourism appears to play a significant role in this phenomenon.

This approach—eschewing high-concept branding and embracing a relaxed, unembellished authenticity—ironically aligns with the principle most prized by luxury: authenticity.

Being “authentic,” rooted in the unique culture of a particular place, emerges as a powerful magnet in an era that celebrates cultural diversity. This authenticity, whether in the realm of luxury or mainstream business, captivates people and serves as a bridge connecting like-minded individuals across the globe. This realization feels like a glimpse into a new wave of globalization.

Now that we can observe this trend with clarity, I hope it heralds the rise of Japanese luxury with its unique allure, ready to be confidently shared with the world, distinct from its European counterparts.

エストネーション2025SS、こちらは「ESTNATION THE JOURNEY」のデビューライン。

日本古来の素材や染色方法に注目して商品開発がおこなわれています。

トップ写真は京都墨流し染めを滋賀県の浜ちりめんのシルクにほどこした作品。
こちらは東京・青梅の藍染とカシミア。

旅先の洗練されたホテルで過ごすにふさわしいラウンジスタイルに仕上げてあります。デザイナーはエストネーションの田中浩三さん。

「墨流し」って「墨=黒」→「苦労を流す」という意味合いが込められているそうです。(日本人が大好きなおやじぎゃぐ)。旅の苦労を流してくださいっていう意味がこめられた墨流しのお洋服。日本の技法や素材に脚光を当てるトレンド、どんどん広がってほしいですね。

エストネーション2025春夏展示会。

新しく「エストネーション・ザ・ファースト」というラインが始まります。公的なシーンで活躍するエグゼクティブに向けた知性と品格を際立てるコレクション。
円柱のようにしっかりとした芯を持ちながらしなやかに生きる女性をイメージした「コラム」のラインも。ひねりがあるけれど凛として見えるデザイン多く、いまの空気をうまくとらえている印象。
裾にバラが刺繍された赤のレトロクラシックなスカート、なかなかインパクトありました。
ファッショントレンドと社会的な要請と絶妙に折衷させる感覚に感心することが多々。

PITTI IMMAGINE がJFWO(日本ファッションウィーク推進機構)とパートナーシップを締結。プレス発表会がイタリア大使館でおこなわれました。

日本のクリエーションだけでなく、日本のメディアやファッションシステムへの絶大な信頼が伝わってきました。
1月のピッティでは話題のSETCHUが初めてのショーを開催するということで、デザイナーの桑田悟史さんも登壇。
いつも思うがPITTIのカテゴリー分けのセンスもショーの人選も時代の半歩先をいい感じにいっており、言葉を見ているだけでもわくわくしてくるんですよね。
日本との連携が強化されて、日本へのニュースも増えてくるんじゃないでしょうか。期待します。

ありがたいことに、本当に多くのクリエーターや経営者に取材させていただいたが、 長い時間をかけて成功していったブランドないし企業は 「物語」として価値を伝える力がずば抜けている。

起業ストーリーを俯瞰して、試練やアップダウン、運命的な出会い、どん底からの復活と再生、すべてのできごとの背後にある人間的な感情や思想、さらに社会背景までをリアルに伝えることができる人は、おそらく「ブランドを築く」という仕事の能力も高いのだ。

一方、表面的なビジョンやミッションのきれいごとを どんなに美辞麗句で並べられても、上滑りして忘れてしまう ストーリーが実態に比べて盛りすぎである場合もすぐにバレる (心に響かないと、支持したいという気持ちが起きてこない)。

「天」の視点から一つ一のできごとを意味づける 。

「点」としてのできごとをあとづけでいいから人間の論理としてつなげていく。

「転」となる出会いに気づくことができる。

こうした能力は意識的に磨くことができて、 それは個人のブランド構築においても絶大な力を発揮するだろう。

一方、職人さんのなかにはずば抜けたクリエイティブの能力をお持ちでありながら話し下手という方も少なくない。

そんな時には辛抱強く言葉を聞き出して、代弁者にになるつもりでストーリーを創り記事を書く。

そういう質実剛健な職人さんには、ブランド云々を超えた深い親愛感を覚えます。

 

Over the course of interviewing numerous creators and executives, one consistent insight stands out: brands and companies that achieve enduring success possess an extraordinary ability to convey their value as a compelling “story.”

By taking a broad view of their entrepreneurial journey—encompassing trials and tribulations, ups and downs, serendipitous encounters, comebacks from adversity, and rebirth—they masterfully communicate the human emotions, philosophies, and social contexts behind these events. Those capable of authentically sharing these narratives often demonstrate a superior ability to “build a brand.”

On the other hand, superficial visions or missions, no matter how eloquently phrased, fail to resonate and are quickly forgotten. Similarly, overinflating a story beyond the reality of the brand is easily exposed—if it doesn’t touch the heart, it won’t inspire genuine support.

The ability to assign meaning to each event from a higher perspective, to retrospectively connect individual “dots” through human logic, and to recognize transformative “turning points” is a skill that can be consciously developed. This talent is invaluable not only in crafting corporate brands but also in establishing a personal brand with profound impact.

On the other hand, there are many artisans who possess extraordinary creative abilities but are not particularly skilled at expressing themselves.

In such cases, I patiently draw out their words, intending to become their voice, crafting a story to share through my writing.

For these earnest and dedicated artisans, I feel a profound sense of affection that transcends any discussion of brands.

カマラハリスの功績は、テーラードスーツの威力を普及させたことにあるだろう(ほかにもあるのだろうが、ここではファッションの側面に限り話をさせていただきます)。

最初にテーラードスーツを作ることになったとき、ああ、男性は「おしゃれに関心ありません」という風を装いながら、こんな極上の世界で楽しんでいたのかと 目からうろこが落ちる思いをした。

身体を適度に抽象的に覆いながら上品に包み込む。

生地は暑さ寒さ湿気から程よく身を守る最高級の天然繊維。

インナーや小物でアレンジが効く。

身体に合わせた縫製は動きやすく、全く疲れない 。

重役室、レセプション、どこへ行っても品格を保てて一目おかれる 。

タキシードにいたっては一度作ればOK 。パーティーのたびに服で頭を悩ませる必要もない 。

トレンドがほぼないので10年前のスーツも古びない 。

「祖父のスーツをサイズ調整して着ている」紳士もざらにいる。 究極のサステナブルな服でもある。

テーラーで最適に仕立てたスーツは 自由と快適とリスペクトを与えてくれる服なのだ 。

記憶に残るブランドは、着ている本人。

スーツと言っても千差万別で、量産型リクルートスーツとは まったく異なるカテゴリーのものだが、 「一般的に、地味な制服と思われているスーツ」を隠れ蓑にした 別格にラグジュアリーな世界を男性に独占させておくわけにはいかないだろう。

(写真は元グッチCEOのマルコ・ビッザーリ氏にインタビューしたときのもの。廣川輝雄さん製作のスーツは、ビッザーリも称賛してくれました。どんなブランドの方に会ってもOKなのがテーラードスーツの良さでもある。どうでもいい話ですが私の身長は165㎝で、5センチヒールを履くと170㎝になります。ビッザーリ氏がいかに長身か)

#全国のテーラーのみなさん、がんばれ

 

When I first took on the task of creating a tailored suit, I was struck by a revelation: men, while pretending to be indifferent to fashion, had been quietly indulging in this extraordinary world all along.

Here was a garment that gracefully envelops the body, offering just the right amount of abstraction while exuding sophistication. Made of the finest natural fibers, the fabric provided unparalleled comfort—shielding the wearer from heat, cold, and humidity. It was a masterpiece of functionality and elegance.

The possibilities for styling with innerwear and accessories were endless. Tailored stitching ensured a perfect fit, making movement effortless and eliminating fatigue. Whether in the boardroom or at a reception, a well-made suit exuded class, commanding respect and admiration.

A tuxedo, once custom-made, eliminated the stress of choosing outfits for every formal occasion. With virtually no trends to follow, even a suit from a decade ago remained timeless. It wasn’t uncommon to see gentlemen wearing suits that had belonged to their grandfathers, adjusted to fit them perfectly. The tailored suit, I realized, is the ultimate in sustainable fashion.

A suit expertly crafted by a tailor offers freedom, comfort, and respect. It’s a garment where the brand that leaves a lasting impression is the wearer themselves. Of course, not all suits are created equal; the realm of bespoke tailoring is a world apart from mass-produced business suits.

Yet, within the guise of the “ordinary, understated uniform” most people associate with suits lies an exceptional, luxurious universe. And surely, we can’t let men keep this unparalleled world of elegance all to themselves.

(The photo was taken during my interview with Marco Bizzarri, the former CEO of Gucci. The suit, crafted by Teruo Hirokawa, received high praise from Bizzarri himself. One of the great advantages of a tailored suit is that it’s always appropriate, no matter which brand representatives you meet. Just as a side note, I’m 165 cm tall, and with 5 cm heels, I stand at 170 cm. It goes to show just how tall Bizzarri truly is.)

北日本新聞「ゼロニイ」12月号が発行されました。「ラグジュアリーの羅針盤」Vol. 12にて「欧州ラグジュアリーと日本発大衆向けサービスの共通点」について書いています。

リアルであること、本物であること、がこれまで以上に価値を帯びるようになっています。

記事内で言及している「ラグジュアリー疲れ」についてはこちらの記事をご参照ください。