キンドル版でもお読みいただけるようになりました。

夏休みの読書にお役立てください。一節、一節がミニストーリーになっているので、気になるところだけ拾い読みしてもワクワクする(たぶん)。

起業家列伝、自己啓発書としての性格も備えています。

夏の定番、シェラトングランデ東京ベイのガーデンプール。


夏がくるとやはりここで一度は滝潜りをしたくなってしまいます(成長していません…)。

いつ来ても解放感があって、広々とした空間の中で気持ちが伸びます。

みなさま、素敵な夏をお過ごしください。


さて、本題です。秋から始まるプロジェクトのために、読み進めている本のご紹介。

J.G.・パーンウェル&ケリー・メン・パーンウェル著 “Research Methods in Luxury Management” (Routledge).

ラグジュアリー・マネジメントを扱うときに必要な言語や枠組みがみっちり書かれた、一種の教科書です。国際的な共通言語を知りつつ、日本の独自性をどのように活かしていくのか、一緒に考えていきたいですね。

One of the books I’m currently reading in preparation for a new project launching this autumn is Research Methods in Luxury Management by Michael J.G. Parnwell and Kelly Meng (Routledge).

It’s essentially a textbook—dense with the language and frameworks required for engaging with luxury management from an academic perspective.

As we deepen our understanding of the global vocabulary surrounding luxury, I hope we can also explore how best to bring Japan’s unique sensibilities into the conversation.


(自分の子どもの写真を撮るような行為と同じようなものだと思ってください)

 

 

北日本新聞「ゼロニイ」連載「ラグジュアリーの羅針盤」Vol. 33 「豪奢と素朴は大地でつながる」。

アラン・デユカス氏のお話と著書、そして料理からインスピレーションを得て次世代のラグジュアリーについて考えてみました。

人生を変えたい、変わりたい、という願望をよく耳にする。スピリチュアル系が人気なのもそんな願望に応えているのでしょうね。

私も変革者が大好きなので、そんな願望に共感するのですが。

ファッションの領域での変革者を研究し、本にも書いている立場から何か言えることがあるとすれば、現実レベルで地味にも見える行動をある一定期間変わらずに続けてきた人が結果として人生を変え、時に社会まで変えている、ということ。

エルメスの創業者ティエリー・エルメスは、13歳のときパリをめざし500キロの道のりを一人で淡々と歩いた。

MIKIMOTOの創業者、御木本幸吉は 真円真珠の養殖の成功までに15年かけている。

現代においても、スズサンの創業者、村瀬弘行氏は、知人もいないデュッセルドルフで一件一件、泥臭く営業するということを5年続けている。

舘鼻則孝氏もメールを100通送り続け、ようやく3人から返事をとりつける。その一人がレディ・ガガのスタイリストだった。

現実を大きく変えるもっとも確実な方法(のひとつ)は、志を変えず地道に行動を続けること。

『「イノベーター」で読むアパレル全史 増補改訂版』では、迷ったときに道しるべを示してくれる、そんな変革者たちを紹介しています。

Photo: By Courtesy of Mikimoto

We often hear people say they want to change their lives—or change themselves. The popularity of spiritual practices likely reflects this widespread longing for transformation.


I, too, am drawn to changemakers and deeply resonate with that desire.

From my perspective as someone who studies and writes about innovators in the world of fashion, if there’s one thing I can say with confidence, it’s this:

Those who have truly transformed their lives—and sometimes even society—are often the ones who quietly and consistently carried out seemingly modest actions over a sustained period of time.

Thierry Hermès, the founder of Hermès, walked 500 kilometers alone at the age of thirteen to reach Paris.


Kokichi Mikimoto, the founder of MIKIMOTO, spent fifteen years perfecting the cultivation of round pearls.


In more recent times, Hiroyuki Murase, founder of Suzusan, spent five years persistently visiting shops one by one in Düsseldorf—a city where he had no connections—to promote his brand.


Artist Noritaka Tatehana sent out 100 emails before receiving just three replies. One of them came from Lady Gaga’s stylist.

One of the most reliable ways to bring about real change in life is to stay true to your vision and keep taking steady, grounded action.

In The Complete History of Apparel Through Its Innovators – Revised and Expanded Edition, I introduce the stories of transformative figures—changemakers who offer guidance and inspiration when we find ourselves at a crossroads.

Issey Miyake Men 2025 SS 展示会。一点一点の作品が力強く魅力的。

ダイナミックながら繊細なシルエット、凝りに凝った素材感に、目を惹きつける磁力がある。

テーマはDancing Texture.
三宅一生さんの功績の一つは各界で活躍する優秀な後継者を育て上げたこと。高橋悠介(CFCL)、黒河内麻衣子(マメクロゴウチ)、廣川玉枝(ソマルタ)も一生のもとから羽ばたいている。一生さまについて詳しくは『「イノベーター」で読むアパレル全史 増補改訂版』にも書いています。

河野太郎選対代理が辞表提出。 いまのところ河野氏だけが選挙の結果の責任をとる意図を示す具体的行動をとった形。

以下、政治に関する意見とは無関係の、ホントにどうでもいい話ですが、

河野氏はサスペンダー姿で会見しました。

伝統的なビジネスマナーにおいてサスペンダーは「下着の一部」とされ 、上着やベストで隠すのが一般的です。

ですが河野氏はしばしばあえてこれを表に出していらっしゃいますね。「ウォール街」のゴードンゲッコーのように 自分が自分のルールを決めるという強い自信も示唆しています。

彼のスタイルはあの自民党のなかにあって 「改革派」「型破りな合理主義者」といったイメージを強く印象付ける一方、保守的な価値観を持つ層からは「マナー違反」「奇抜」といった批判も根強いようです。

個性容認、多様性重視の流れと相まって、サスペンダー姿は「河野ブランド」の形成に無言で貢献しているように見えます。

 

サスペンダーはズボンのラインをすとんとキレイに見せる効果もあり、良いアイテムではあります。カジュアルシーンにおいては全部見せても失礼ではなくなっていますが、個人的には、あくまで下着であるという慎みをもち、ここぞというときにチラ魅せしてドキッとさせるというのが、サスペンダーのもっとも効果的な使い方ではないかと思っています。

 

Photo:  By Sean Russel. Pokey LaFarge plays guitar at the Square Room in Knoxville, TN on April 17, 2010.  CC BY-SA 2.0

ラグジュアリー視点で考える日本の文化と工芸の記事を英語にして、noteで淡々と発信し続けて2年近く経った。そもそも取材の経費はすべて自分もちで原稿料など微々たるもの(英語版では完全にゼロ)、取材先に喜ばれるわけでもないし、反応も薄い。日本にはこんな埋もれた技術やローカルな思想があり、それに従事するユニークな職人がいるよということが海外の伝わればという思いから始めたことではあったが、こんな状態ではまったく誰得なのか、エネルギーと時間の無駄遣いだよなあ……と心折れかけていた。

ところが。先日、イギリスの某有名大学で教鞭をとる、ラグジュアリーマネージメントの専門家から連絡をいただき、昨日、オンラインで話をした。彼女は私の英語の記事をすべて読んでいる、と言ってくれた。そのうえで、ある提案をしてくれた。私一人では絶対に出てこないアイディア、しかしおそらく(こんな利益にもならず、日本では見向かれもしないことを愚直にやっている)私にしか協力できないグローバルなプロジェクトの構想だった。

全く予想もしなかった、不意打ちの大きなリウォードだった。暗闇を孤独に彷徨ってる迷走感が続いていたが、ようやく少し扉が開かれ、光明が見えた思いがする。

本当の奮闘はむしろこれから、なのだろう。

前例もないし、実現するかどうかもわからない。

ただ、この扉を大きく開いて、せめて後に続こうという若い人達が希望を失わないでいられる程度の光は届けたい。

報われない思いがする仕事を淡々と続けているすべての方に、どうかあきらめないで、誰かがどこかで見ている(こともある)、とお伝えしたい。

Photo: Goldsmiths, University of London.  CC 2.0

中島敏郎『英国流 旅の作法』(講談社学術文庫)を読み返していたら、ペデストリアン・ツアーについて書かれたところで「スーツにリュック」の源流と思われるイラストに遭遇した。

(以前も見ていたはずなのだが、現代生活のなかでス―ツにリュックを不思議な光景として見ていたので、意識の中に入ってきたのでしょうね)

1780年代のイングランドでは、歩いて移動することは、貧しくて階層も下であることのあらわれと見られていた。ところが10年経った1790年代には、少数の上流階級の人々が歩き出した。ただ、歩く人は散策で歩いている「しるし」を服装であえて示さなくてはならなかったとのこと。それがこのリュックでしょうか。

「スーツにリュック」は決して21世紀の日本特有の光景ではなく、源流は1790年代の「自然」にロマンを求め始めたイングランドの徒歩ツアーに源流がある、ということで。

図のクレジットは次の通り:Sylvanus [W. M. Thackeray], Pedestrian and Other Reminiscences at Home and Abroad: with Sketches of Country Life (Longman, 1846), frontispiece.

 

半年以上前にパリコレ詐欺でコメントした朝日新聞の記事に関し、 なぜか今また反応が活発になった。またどなたか学生さんが「パリコレにモデルとして出ました」とSNS投稿して炎上しているらしい。

あの時だいぶ浸透したと思っていたのだが、世間一般に常識となるほどには広まっていなかったのですね。

先月出した『「イノベーター」で読むアパレル全史 増補改訂版』のなかで 「パリコレもオートクチュールも安易に使用してはいけない用語」 というコラムとして知っておくべき基本的な情報をまとめています。 何らかの形でかかわろうとする方は是非お目を通していただきたいです。

パリコレに出たと主張するのも、それを批判するのも、まずは基本情報を共有したうえでおこないませんか。無知なだけで叩かれる若い人を見るのはしのびない。

もし、ほんとうに公式スケジュールであることを強調したいのであれば、正確な表記は「パリ・ファッションウィーク®に参加」です。

このパリ・ファッションウィーク®の原型を作ったのが ほかならぬ髙田賢三さん。 1971年10月におこなった合同ショーがそれです。この詳細も『増補改訂版』の「髙田賢三」の項目に詳しく記しています。ぜひ、お読みになってみてください。

正しい知識を身に着け、騙される若い方がいなくなるよう、願っています。

 

*ファッションジャーナリストの宮田理江さんに丁寧なレビューを書いていただきました。ありがとうございました。

ナポリスーツの特徴に「三つボタン段返り」というのがある。

ジャケットのフロント部分に3つのボタンがありながら、通常は真ん中のボタンだけを留める仕様。上のボタンはラペルの折り返し部分に隠れており、見た目には二つボタンのようなバランスと、三つボタンのフォーマルさを兼ね備えている。

ヴィンチェンツォ・アットリーニが、1920年代後半に、従来の堅いスーツから余分なパッドや芯地をそぎ落とし、軽快で柔らかなジャケットを考案。この進化のなかで、ナポリ独特のボタンスタイル「段返り」が生まれた、ということになっている。

『王様の仕立て屋』Vol. 16を読み返していたら、こんな表現があった。

「イギリス服は2つボタンなら2つボタン 3つボタンは3つボタンときっちり作ることで威厳を主張するのだ。段返りは3つボタンでありながら1番上のボタンとボタンホールはラペルの裏に回ってしまい まったくどっちつかずのディテールだ」

「なぜナポリ人は3つボタンの一つをわざわざ使い物にならないように裁断するのか」

「一説では イギリスからナポリにスーツが伝えられたばかりの時 某店で一番上のボタンが締まらない失敗作を作ってしまった しかしイギリス服にない面白い立体がスーツに生まれ ナポリ人に受け入れられたのが始まりだという」

「一工房のイレギュラーから生まれた南イタリアを象徴するような自由でのびのびとした局面 これがベルニーニのごとく美しいラインを描けるかは職人の技量次第」

 

ナポリスーツにはまた、「マニカ・カミーチャ」という特徴もある。肩パッドを使わず、シャツのようになだらかに肩に沿った丸みのある袖付け。ギャザーが入っていることも多く、これによって柔らかな肩周りと自然なシルエットが生まれる。

 

*KASHIYAMAの動画サイト「Be Suits! 服学」内の「スーツの歴史」 「世界のスーツ」 おかげさまで地道に好評をいただいております。多くのコメントもありがとうございます。次回テーマは「女性とスーツ」「マフィアとスーツ」です。8月公開予定。写真はアラン・ドロンの「シシリアン」(1969)より。Pubic Domain.

 

ボストン・コンサルティング・グループとイタリアの業界団体アルタガンマが共同で発表したラグジュアリー業界の調査レポート、2025年版が発行された。

これによれば、世界の個人向けラグジュアリー市場は10年ぶりに成長の鈍化を見せているという。

この変化は、一時的な景気後退というより、根深い構造変化を示唆している。かつてブランドを支えた「アスピレーショナル層(憧れ消費層)」、つまり年に数十万円程度をラグジュアリーに費やしてきた中間層が、その支出を止めつつあるのだ。物価高や将来不安のなか、彼らはお金の使い道をウェルネス、投資、そして中古品にシフトさせている。実に約35%が、ここ1年でラグジュアリー消費を減らしたと答えている。

一方で、最上位の富裕層(市場のわずか1%以下)による支出はむしろ増加しており、個人ラグジュアリー市場の23%を占めるまでになった。このわずかな顧客層に向けて、ラグジュアリーブランド各社はいま、「再集中(re-focus)」を進めている。華やかな広告やインフルエンサー頼みのスケール戦略から、親密な顧客体験と真のクラフツマンシップへという転換である。言わば、原点回帰の動きでもある。

では、この動きは何を物語るのか。

ひとつには、グローバル化とSNSに後押しされてきた「民主化されたラグジュアリー」が、限界に達しつつあることが挙げられる。万人に開かれた「ステータス消費」は、かつては夢や活力を与えてくれたが、やがて情報過多と商品過多のなかで疲弊を招いた。調査では、顧客層の60%以上が「ブランドからのコミュニケーションが多すぎてうんざりしている」と答えている。高額な商品を買っても、自分の価値を正当に認識してもらえず、「誰でも買えるもののひとつ」として扱われる。そんな体験が、ラグジュアリーの本質と逆行しているのだ。

顧客がいま求めているのは、「つながり」「静かな親密さ」「ちゃんと見てもらえているという実感」である。混雑した店舗や騒がしい広告ではなく、落ち着いた空間と、パーソナルなやりとり。作り手の顔が見える品質。そして、自分が「ちゃんと見てもらえている」という実感。それは「信頼」に基づく関係性の構築に他ならない。

このような潮流は、ラグジュアリーの枠を超えて、私たち自身の暮らしや仕事にも通じる示唆を含んでいる。たとえば、あらゆる業種において、「数を追う」ことの限界が見えている。フォロワー数、売上高、アクセス数。こうした数は一時の勢いにはなるが、必ずしも顧客との関係を深めるものではない。むしろ、過剰な情報発信や過度の販促が、顧客との信頼を損なう例も少なくない。

いま求められているのは、「誰に届けるのか」をもう一度見つめ直すことでだろう。そして、選ばれた少数に対して、どれだけ丁寧に応えることができるか。効率や拡張性の追求ではなく、時間や手間をかけた「人と人との仕事」が、むしろ差別化の源泉になる時代が来ている。

ラグジュアリー領域で起きることは常に時代の動きを予兆している。このようなラグジュアリーの再構築は、量から質へ、ノイズから本質へという、現代の価値観の地殻変動を映し出している。私たち自身も、自分の仕事や暮らしのなかで「何を削り、何に集中するか」を問い直す時期に来ている、と覚悟したい。

では、こうしたラグジュアリーの世界的潮流のなかで、日本が取り組むべき道はどこにあるのか。

近年、日本でも「ローカルラグジュアリー」という概念が注目を集めている。大量生産・大量消費ではなく、地域資源や伝統工芸、自然と共生する暮らしの知恵など、日本各地に根ざした独自の美意識を、次世代のラグジュアリーとして再定義しようという動きだ。

これは、まさに今の世界の変化と響き合う潮流である。ブランドを規模で測る時代は終わりつつある。重要なのは、どれだけ深い物語を持ち、どれだけ誠実に顧客と関係を築けるかという点だ。ラグジュアリーは、時をかけて築かれた信頼や、場所に宿る美意識を体現するものへと変容している。

この観点から見ると、日本の地方に眠る価値は計り知れない。各地の工芸はいずれも、時間、手間、熟練を要する仕事であり、その土地の風土や歴史と切っても切れない関係にある。それらはグローバルなラグジュアリーブランドと同様、あるいはそれ以上に、「クラフツマンシップ」「ストーリーテリング」「唯一無二性」という価値を備えている。

ただし、単に伝統を守るだけでは不十分で、必要なのは、「ローカルなものを、グローバルな感性で磨き直す」戦略であることは、これまでに書いてきた記事でもたびたび触れてきた。ローカルラグジュアリーには体験価値と文化価値を統合するポテンシャルがあり、開拓はまだこれからである。

たとえば、伝統工芸を物販に留めず、滞在体験、食、建築、パーソナルなストーリーと結びつけて、「五感と記憶に残る世界観」を編集・演出する。その土地の自然、季節、精神性を、現代のライフスタイルと結びつけて再構築する。それらは観光でも民芸でもなく、「深く生きるための選択肢」としてのラグジュアリーとなる。

こうした構想を成立させるためには、「売る人」ではなく「編集する人」「関係をつなぐ人」の存在が欠かせない。いわば「文化のキュレーター」のような役割を果たす人材が、日本のローカルラグジュアリーの未来を支える鍵となるだろう。前回の雅耀会で講演をおこなっていただいた立川裕大さんの言う「ミドルウェア」がまさにそうした存在で、8月11日に講演をおこなっていただく北林功さんもまさにローカルラグジュアリーのキュレーターである。

ローカル特有の価値観やユニークな思想を掘り起こし、新しい言葉と体験で語り直すという試みには、大きな可能性が潜んでいる。

SPUR オールタイムフレグランス ベスト2025 ご協力させていただきました。

試香の機会をくださいましたブランドの皆様にも感謝します。ありがとうございました。

各部門、妥当な結果になっている印象です。この夏の香水選びに参考になれば幸いです。

 

 

 

 

 

ラグジュアリー文脈のなかで伝統工藝を考える雅耀会、第4回のご案内です。COS KYOTO 株式会社代表取締役の北林功さんをお迎えして、「ローカルラグジュアリーを再考する 工藝×文化ビジネス」をテーマに開催します。

地場産業は日本固有の資源であり、これからの世の中に必要な知恵が詰まっている。その可能性は、新たなビジネスモデルや販路開拓によってまだまだ広がる」と語る北林氏。COS KYOTOでは、経営戦略の立案やブランディング、新商品開発、国内外への販路開拓、研修や体験プログラムの企画・運営まで、グローバルに通用する地場産業の価値向上を支援・実践しています。

本イベントでは、そうした豊富な現場経験と洞察をもとに、「ローカルラグジュアリー」という概念の本質とその可能性を掘り下げていきます。

日時:2025年8月11日(月・祝)14時開催
会場:国際文化会館 講堂

私はコメンテーターを務めます。

北林さんには、昨年の丹後の取材で多くの職人さんたちにおつなぎいただきました。各地の地場産業を世界につないでいる実績があり、お話も大変面白い方です。

 

今年1月に発足した雅耀会ですが、すでに開かれたあたたかいコミュニティーが醸成されつつあります。一方的な講演ではなく、参加者が積極的に意見交換、交流する場になっており、次回もすでに数名の方が参加を表明してくださっております。

学生さんもぜひお気軽にご参加ください。

詳細とお申し込みはこちらからお願いいたします。皆様にお会いできますことをたのしみにしています。

 

 

KASHIYAMAの動画サイト、「Be Suits! 服学」で講師を務めた「スーツの歴史」「世界のスーツ」がおかげさまで好評をいただき、続編の機会をいただきました。コメントも多々いただきありがとうございました。

今回は「女性とスーツ」「マフィアとスーツ」をテーマに収録しました。ともに準備に膨大な時間がかかりました。たくさんの写真を用意したり、ホワイトボードなどの機材を用意したりときめこまやかにご対応いただいたのは、LuaazのZ世代の撮影メンバーのみなさまです。ありがとうございました。

来年はスーツ生誕360年です。スーツなんて義務的に冠婚葬祭の時しか着ないもの……と思い込んでいる新しい世代に、少しでもスーツの歴史の深さと広がりの面白さに触れていただけたら幸いです。

 

*お問い合わせもいただいておりますが、番組内で私が着用しているスーツは何年も前から着ている廣川輝雄さん(現在The LOA所属)によるメンズ仕立てのスーツです。

 

横浜・三渓園は蓮のシーズン。
清らかで可憐な蓮の花よりも強烈な印象を残したのが、池で繰り広げられていた大勢の亀とすっぽんのバトル。全速力で泳ぐすっぽんなんて初めて見た…。闘争心丸出しですっぽんを蹴落とそうとする亀たちも、目が赤く光って戦隊のようだった。

写真中央、頭のとがった、大きな甲羅の亀がすっぽんです。

蓮の花を観賞して心を静かに浄化するはずだったのですが😅

天上の平和な美と熾烈な生存競争が隣り合わせという寓話のような光景。


Sankeien Garden in Yokohama is in the midst of lotus season.

But what left a stronger impression than the pure and delicate lotus flowers was the fierce battle taking place in the pond next to the lotus pool—between a swarm of turtles and a soft-shelled turtle.

It was my first time seeing a soft-shelled turtle swim at full speed. The other turtles, brimming with fighting spirit, were trying to knock it down, their eyes glowing red like members of a superhero squad.

In the fifth photo, the soft-shelled turtle is the one in the center—with the pointed head and large shell.

I had intended to quietly purify my spirit while admiring the lotus blossoms, but… 😅

A scene like a fable, where heavenly, peaceful beauty and a fierce struggle for survival exist side by side.

「ジェームズ・ボンドはウィンザーノットでネクタイを結ぶ人間を信用しなかった。虚栄心が強すぎることの表れだった。たいてい、いかがわしい人物の印でもあった」。

とりわけそれがオレンジ色の極太ノットだった場合には、このイアン・フレミングのフレーズがふと頭をよぎるのです.

(ある政党の党首のタイを見て思い出したフレーズでした。)

 

*ボンドはシングルノットを小さめにきりりと。英王室の正統も小さめシングルノットですね。ウィンザーノットの名前のオリジンとなったウィンザー公(エドワード8世)は、ウォリス・シンプソンと結婚するために国王の地位を放棄した後、ウォリスとともにナチス寄りの行動をとり、英国を事実上、追放されています(本人はお幸せな人生だったろうと拝察しますが)。自伝によれば、ウィンザーノットと命名したのはアメリカ人であって、本人ではありません。

Photo: Abbie Rowe, Public Domain

日経夕刊連載「ラグジュアリー・ルネサンス」。本日付けでは、ブランドの文化戦略について書いています。シャネルがマガジンを出し、サンローランが映画を作り、ボッテガ・ヴェネタが詩の朗読会をする。そんな時代のことを。

英語版はこちら

この連載は本日で最終回となります。ご愛読に感謝します。

 

アラン・デュカス氏が語ったことでもうひとつ、印象に残ったことばがある。

「フランス人が傲慢でいられるのはベルサイユ宮殿があるからだ」。

ベルサイユ宮殿みたいな、どこの国も真似できない豪華の極み 。

ああいうものが残っていることで 「オレたちは本気出せばあのくらいのものが作れる」という 自信の根拠となり、 フランス人は傲慢になれる、と。

(前後の文脈を切り取った形で恐縮ですが ユーモアを含んで語られたなごやかな話であったことをお断りしておきます)

作れるときに、ありったけのエネルギー(資金であれ時間であれ)を 注ぎ込んでとんでもないものを作っておくということは 後々の世代の自信にもなるんだなと感じた次第。

 

*写真はベルサイユ宮殿、鏡の間。筆者撮影。

パレスホテル東京のレストラン「エステール by アラン・デュカス」が5周年を迎えました。おめでとうございます。来日中のアラン・デユカス氏を囲む昼食会が開かれました。

エステールの料理には、フランス料理のDNAと日本的な繊細さが共存しており、自然の恵みを尊重する「職人としての料理人」というデュカスの哲学が根底にあるそうです。料理は模倣ではなく、自然や文化からのインスピレーションを経て創造されるべきものであり、それが「唯一無二の体験」として記憶に残るとデユカス氏は語りました。

<ラグジュアリー>

せっかくの機会でしたので、デュカス氏のラグジュアリー観も質問しました。「ラグジュアリーとは、職人が手がけた一点物である」という信念を語り、日本の職人文化を「世界最高峰」と称賛。長年モナコで腕を磨いた小島景シェフを「フランス人であり日本人である、理想的なブレンド」と表現し、日仏の融合を体現する唯一無二の存在として信頼を寄せていたのが印象的でした。お二人の長年にわたる強い絆を感じました。

また、料理だけでなく、器、空間、サービス、人の気配。そうした無形の素材こそが、記憶に残る贅沢を生むと強調。「デリシャス」という言葉には「心地よさ、美しさ、優しさ」が含まれており、五感と心に響く体験の提供こそが自身の使命である、と語りました。

<未来の構想>

デュカス氏は、「美味しい食事とは、単なる栄養摂取ではなく、美しい思い出を生むもの」と定義したうえで、ベジタリアンを基本とした新しい大衆食堂「サピド」を構想中であることも紹介しました。ソウルへの進出や、フランスでの歴史建造物の再活用(ジャン・プルーヴェ設計「メゾン・デュ・プープル(MDP、メゾン・デユカス・パリの頭文字にもなる)」の再生計画)など、社会的・文化的インパクトを伴う食のあり方を追求する姿勢に、彼が料理人を超えた文化人として敬われる理由を見る思いがします。

若い才能の発見にも積極的で、シリアやメキシコなど困難な状況から生まれる料理人にも注目。「明日はより良い日になると信じなければならない」という言葉に象徴されるように、不確実な時代だからこそ前を向いて進むべきだという、力強いメッセージを最後に残されました。

<一流と超一流を分かつもの>

一流の料理人は多いけれど、超一流となると限られてくる。その違いはどこで生まれるのか?とも質問してみました。デユカス氏の答えは「情熱と意欲」。なるほど、分野をとわずこれを持続させることができる人が、突き抜けていくのでしょう。

美食を超えた文化の料理のあり方を再考させる、永く記憶に残るであろう時間でした。前日には書籍も発売されたばかり(祝!)、参加者ひとりひとりにサインを入れて手渡してくださいました。

パレスホテル東京の総支配人、渡部勝さんはじめスタッフのみなさま、ありがとうございました。スタッフひとりひとりが、マニュアルではなく、お気持ちのこもったサービスをしてくださるんですよね…。渡部勝GMは、「トラベル+レジャー」の2025年アジアパシフィックの読者投票にて、総支配人部門で日本の1位を獲得しています(祝!)

Esterre by Alain Ducasse, the French fine dining restaurant at Palace Hotel Tokyo, has just celebrated its 5th anniversary—congratulations! A special luncheon was held in the presence of Alain Ducasse himself during his visit to Japan.

At Esterre, the DNA of classic French cuisine is gracefully blended with Japanese precision and sensitivity. Ducasse described his culinary philosophy as that of a “craftsman-chef” who serves as a messenger of nature. For him, cuisine should not be imitation, but creation—born from nature and culture—and remembered as a singular, unrepeatable experience.

<On Luxury>

I took the opportunity to ask Monsieur Ducasse about his definition of luxury.
“Luxury,” he said, “is a unique piece crafted by the hands of an artisan.”
He praised Japanese craftsmanship as the finest in the world and spoke with deep respect and trust for Chef Kei Kojima, who trained under him in Monaco. Describing him as “both French and Japanese,” Ducasse sees Kojima as a perfect embodiment of cultural fusion.

He also emphasized that true luxury lies not only in the cuisine, but in the intangible: the plateware, the space, the service, and even the presence of people. “Delicious,” he explained, includes comfort, beauty, and kindness. Creating experiences that resonate with all five senses—and with the heart—is his calling.

<Visions for the Future>

Ducasse also introduced SAPID, his new vision for a modern, mostly plant-based “popular canteen” concept. He’s preparing to launch it in Seoul, and is also working on the revival of a historical French architectural treasure: Maison du Peuple—originally designed by Jean Prouvé in 1935. Notably, the initials MDP echo his own project, Maison Ducasse Paris. These initiatives speak to a chef who is increasingly seen as a cultural figure beyond the kitchen.

He’s also committed to discovering and supporting young culinary talent from all corners of the world—including chefs from Syria and Mexico who have overcome extraordinary odds. “We must believe that tomorrow will be better,” he said—a powerful message in times of uncertainty.

<What Distinguishes the Very Best>

I asked him what sets apart the truly exceptional chefs from the merely excellent. His answer was simple: passion and determination. It’s not just talent, but the ability to sustain that passion over time that defines the greats—across all fields.

It was an afternoon that made us reflect on cuisine not only as gastronomy, but as cultural creation.
Ducasse’s vision of luxury—rooted in reverence for materials, individuality, and sustainability—reveals both his humanity and his aesthetic sensibility.

His newest book had just been released the day before (congratulations again!), and he graciously signed a copy for each of us at the table.

Special thanks to Mr. Masaru Watanabe, General Manager of Palace Hotel Tokyo, and his team for hosting such a remarkable occasion. Mr. Watanabe was recently named Best General Manager in Japan in the 2025 Travel + Leisure Asia Pacific reader rankings—another heartfelt congratulations!

近年、日本で耳にする「ブリティッシュ・アイビー」なるファッショントレンド。

GQに寄稿した記事がウェブ転載されました。

イギリスではあまり聞かない表現なのですが(植物のアイビーのことかと思われる)、その源流を解説しました。

「アイビー」はアメリカで確立されたスタイルですが 、そのルーツには英国のクラシックスタイルが息づいています。

そして日本は、日本人特有の繊細な感覚をもって 「アイビー」の起源をさらに深く掘り下げ、 新たな視点で「ブリティッシュ・アイビー」というスタイルを編み出し、世界のファッションシーンに再び刺激を与えている、というところでしょうか。

現場に近い方の意見も聞いてみたいところです