WAW! (World Assembly for Women) in Tokyo にご参加のため来日中のブレア元英首相夫人、シェリーさんにインタビューをする機会をいただきました。

今力を入れていらっしゃるシェリー・ブレア財団の具体的な活動(世界中の女性のエンパワメントを促し、それにともなう経済の強化をめざす)や、ダウニング街10番地でのファーストレディー時代の思い出ハイライトなど。

気さくにたくさんお話してくださいました。世界を視野におけば、もっと大きな可能性が開けてくる、そのビジョンを見せてもらいました。小さなことで思い悩んでいる時間はもったいない。とてもいい刺激を受けました。8.29.1

詳しくは「リシェス」冬号にて。
8.29.2

WAW!の会場になった、品川プリンスさくらタワー。

 

 

鈴木光司さんとお嬢様の美里さんの共著『野人力 オヤジが娘に伝える「生きる原理」』(小学館新書)。yajin爆笑に次ぐ爆笑、鈴木家の型破りの子育て。でもきわめてロジカルで、筋が通っている。日常のなかの笑い話が、最後には哲学的な話になっていく。面白くて夢中になってあっという間に読めます。

鈴木光司さんにしかできない子育てなので、表層だけまねようとしてもムリです!彼氏との婚前旅行を勧めるどころか宿までとってしまうとか、子供の飲み会に合流して〇〇〇相撲の行事をするとか。笑 しかし、その破天荒な行動の根底に流れる野太い考え方は、人間の行動原理にのっとった合理的なもので、とても共感できるし、明快なことばでそれを教えられることで、勇気づけられます。なんだか楽天的な力がわいてきます。

おふたりのサイン入り! ありがとうございます。yajin sign

しかも美里さんが添えてくれたカードには私の似顔絵まで入っています。yajin illustバラ散らしてるし。マリー・アントワネットですか。笑。こんな楽しい鈴木ファミリー大好き。美里さんは秋にご結婚を控えていらっしゃいます。あのお父さんのお嬢さまと結婚しようというお婿さんはどんな方なのか(メンタルが相当な猛者のはず)、いまからとても楽しみです。

富山にはあまりゆっくり滞在できなかったのですが、イベントの日の夜と翌日の昼に、友人たちに駆け足で富山新スポットを案内していただきました。

できたてほやほやの市立図書館、「キラリ」。建築家は隈研吾さんだそうです。
8.24.6

そしてレトロモダンな街並みに変身中の岩瀬。8.24.1日本酒の満州泉の製造・販売を手掛ける桝田さんが、岩瀬じゅうの家を買い取って改築し、若い才能あるアーティストを招いて安価で家を供与し、岩瀬の町の、内実も外観もアーティスティックに変えている。8.24.3電線はすべて地下に埋められている。改装された家々は(銀行までも)「町屋」風でどこかモダンな景観はとても落ち着くし魅力的。桝田さんのやっていることは、芸術のパトロン、メディチ家みたい。8.24.2

御手洗瑞子さん著『気仙沼ニッティング物語』出版記念イベント。気仙沼や東京に先駆けて、富山にて。8.24.5

僭越ながら、ナヴィゲーターをつとめさせていただきました。熱心な聴衆の方にお集まりいただき、ライブ感あふれる濃厚な時間を共にしました。

御手洗さんの話のあと、参加者からの質問に答えるという形で、ブランディングのこと、社員の士気の高め方、ファンのつくり方など、法人のみならず、個人においても参考になる刺激的な議論が繰り広げられました。

とりわけ考えさせられたお話の一部は、来月の「まんまる」にて書きます。

終了後は気仙沼と富山の美味・美酒で参加者のみなさまとプチパーティー。

すばらしい会の実現のためにご尽力くださいましたハミングバードの武内孝憲さん(左)はじめスタッフのみなさま、ありがとうございました。

8.24.4
それにしても、瑞子さんとお話するたびに、新しい刺激を得られます。経営者、コンサルタントとしてのタフな能力はすでにブータンや気仙沼で実証済みですが、ストーリーテラーとしてもすぐれているんですね。人の心のひだの奥まで思いを馳せ、あたたかく満たす。そういう人に私もなりたいと思わせられます。

タイトルにしたことばは、瑞子さんが語った社員のモチベーションの高め方。同じ目標を見据え、同じ目線で船を漕ぐように心がけることが大切、と。

 

 

img151朝日新聞8月17日(月)。肖像写真の強い視線にひきつけられた記事。文章も力強い。伊福部昭さんの巻①。

「ひとつのパターンをくり返していると、そろそろ転調か何かやらなきゃ、なんて焦りが来るものなんです。でも伊福部さんの音楽は、無駄な転調も小細工もなく、強い意志でそのまままっすぐ進んでゆく。既存の形式にも頼らず、自身の力だけで曲が立っている。ブレないというのは途方もない胆力の賜物です」

「ほんものの音楽は、特別なものでも理論がつくるものでもなく、その場の自然な感興から何気なく生まれてくるもの」

これよくわかる。

あとから読んでおもしろい文章にしても、理論から生まれたものではなく、その場の感情や空気にどっぷり浸る中からぽっと生まれたものだったりします。アタマで「作文」しようと思ってもだめなんですよね。

 

ビジネス本はめったに買わないのですが、ルイ・ヴィトン元CEOという文字にひかれて買ってみたら、ドラマを見ているようなハラハラワクワク感で一気読み。マーク・ウェバーの『出世の極意』(飛鳥新社)。タイトルも扇情的ですね。いっそ映画化を希望します。笑

ブルックリン(下層階級)出身、大学もたいしたことなく、コネもなく、でも才覚と献身と圧倒的な努力でフィリップ・ヴァン・ヒューゼン(アメリカのシャツ会社)でCEOまで上り詰めたものの、取締役会と対立して突然の解任。そのどん底から数か月後、LVMHグループの米国法人CEO、その傘下のダナ・キャランCEOに抜擢される。という「ヒーローズ・ジャーニー」をそのまんまいくキャリア。

実名で登場するドナルド・トランプ、ダナ・キャラン、アラン・フラッサー、ベルナール・アルノーなどファッション業界有名人のエピソードも面白いし、成功体験からどん底体験まであらゆる体験を通して得られた「教訓」の紹介も説得力がある。

それにしてもフィリップ・ヴァン・ヒューゼンの取締役会となんで対立したんだろうか。強引すぎたのか。そのあたりを違う立場の方の目線から読んでみたい。30年以上会社に貢献してCEOになっても、あっさりとクビになるということじたいも衝撃だった。ビジネスは戦争だ、というのが誇張ではなく実感できる。

以下は、思わず「みつを」カレンダーのように作りたいと思った「マーク・ウェバー」語録(若干の編集ありです)。

・目指すのは「ゴールの一歩先」がちょうどいい

・操り人形になるか?操る側になるか? 状況をコントロールする側に立ちたければ、興味をかき立てられない分野にも積極的に手を出すこと

・「運」は努力するほど増えていく

・つねに感情をコントロールすること。認められなかったときこそ、その失望をバネに、それまで以上に仕事に邁進すること

・ダントツで勝てる分野で勝負をかけること

・将来やりたい仕事にふさわしい服装をせよ。大勢の人に対して説得力のあるメッセージを伝えるプレゼン技術を磨くこと

・「真の顧客」を知ること

・はじめから「そこそこ」しか求めない人間は、その「そこそこ」さえも手に入らない。「そこそこ」の成功ではなく、圧倒的な成功を目指すこと。そこそこの価値ではなく最高の価値を求めること。圧倒的成功を収めている人は圧倒的な努力を重ねている

・「サンクコスト」(それまでに費やした時間や労力)をあきらめる勇気をもて

・熾烈な競争に直面したときは、大勢が進む方向とは逆をいけ

・他人のために尽くす度合いと、その人が手に入れる成功の大きさは比例する

・どん底の屈辱的状況に放り込まれたら、君自身を徹底的に肯定すること。気持ちを落ち着けて、それまでの自分の実績を心から祝福すること

・人の成功を計るものさしは、頂点に立ったときになにをするかではない。どん底を経験した後でどれだけ這い上がれるかだ

・いかなる時も、自分を安売りしてはならない

・最高のクリエイティブとは「ノー」を「イエス」に変えること

・ファッションは「欲望」のビジネス。ファッション業界は、場面に応じて身につけるものを使い分けるよう、消費者を教育している。大儲けの仕組みだ。欲望をつくりだすこと、これこそがファッションビジネスの真髄である。君は「ほんとうは誰からも必要とされていないもの」を売っている。

・力を貸してくれたすべての人たちに礼を尽くすことを忘れないように。ビジネスの現場では無礼をたしなめてくれる親切な人間はいない。だから無礼な人間は、自分がどれほどの信用とチャンスを失っているか、一生気づくことはない

・いざというときに実力を評価されるよう、常日頃からベストを尽くすこと。自然淘汰が作用する。与えられた仕事をやり遂げなければ、その人はそこで淘汰される

 

すべて私も思い当たることばかり。とくに下から二番目の話には、ちょっと胸のつかえが下りる気がした。私はけっこうお人よしで、仕事上のつながりで、人と人とをお引き合わせすることが多いのです(そんなに多くの知り合いがいるわけではなく、頼まれた時にふと思い浮かぶ顔があれば、という程度ですが)。もちろん、何の見返りも求めないし、話がまとまればそれはよかったと相手のために喜んではいる。でも、あとから、一言のあいさつ(その後、どうなったのかの報告)もないということがあるとさすがにその人の人間性を疑うものなんですよね。それどころか、「すべて自分の能力が高いから請われて行ってやった」というふうに吹聴されると(そんなことが実際にあったのです)紹介した私の立場もなくなってしまう。こういう傲慢で無礼な人は、いくら能力が高くても、早晩、自滅するのではないでしょうか。翻って、自分も知らず知らずのうちに失礼なことはしていないかと顧みる。ほんと、ビジネスの場では、他人は無礼を指摘してくれないのです。ただ、「次はない」で終了。これもまた、自然淘汰ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

池内紀先生の寄稿。朝日新聞8.14「私の歩んだ戦後70年」。「国は信用ならない 他人は頼りにしない 自分で考え決断する」。

文学部時代に池内先生の授業をとっていた。「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」という奇書を一年間かけて読む授業で、受講生は最初8人くらいだったのがついに2~3人くらいになったような記憶がある。ときどき1人とかいうこともあった。それでも淡々と講義をする池内先生の記憶はなかなか強烈に残っております。出席などとらない先生でしたので私の存在すら知られていなかったと思うが。laurence sterne

こちらは「トリストラム・シャンディ」の作者、ロレンス・スターン(1713-68)。Wikimedia Commonsより。18世紀に黒を着てるって珍しいな。当時はこの冗長な小説のなにがおもしろいんだかよくわからなかった。でもそれを語る池内先生の淡々と品のいいたたずまいが記憶に残っている。

そのなつかしい池内先生の寄稿。やはり淡々として、でもきちんと筋が通っていてそこはかとないユーモアが漂うあたり、お人柄だなー。
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「『戦後50年』を自分だけの目印にして、55歳でサラリー生活を切り上げた」。定年退官前にお辞めになったので周囲は驚いていた記憶がありますが、そういうご自分のけじめもあったのですね。

「人を動かすのは、事実そのものではないのである。事実についての情報、情報をめぐるオピニオンこそ人を動かす。そして情報は、いつだって『正しく』ない。それが証拠に、情報はつねに新しくもたらされ、オピニオンは際限なくあふれ出るではないか」

「語られていること以上に、語り方が真意をあらわしているものである。時の権力者、また権力にすり寄る人々の語り口を、少し意地悪く見張っているのも悪くない。気をつける点として、つぎの3つがあるような気がする。1.主題をすりかえる。2.どうでもいいことにこだわる。3.小さな私的事実を織り込む」

「(カントの『永遠平和』)そこには国どうしが仲良くといった情緒的な平和は、ひとことも述べられていない。カントによると、隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって『自然な状態』ではないのである。むしろ、いつもひそかな『敵意』のわだかまっている状態こそ自然な状態であって、だからこそ政治家は平和を根づかせるために、あらゆる努力をつづけなくてはならない」

「そのような平和を根づかせるには、ひとかたならぬ忍耐と知恵が必要だが、敵意のわだかまる『自然な状態』を煽り立てるのは、ごくたやすい。カントによると、その手の政治家はつねに『自分の信念』を言い立て、『迅速な決断』を誇りつつ、考えていることはひとえに、現在の世界を『支配している権力』に寄りそい、ひいては『自分の利益』を守ることだという。いまさらながら、この哲学者の理性のすごさを思わずにはいられない」

いいなあ。カントの話をこんなふうにタイムリーに現代の私たちに提示してくれる。人文学の学者はこうあるべき、というような。この知性の豊かさが人に与える影響力を「役に立たない」とか「ムダ」とみなす現在の文科省の方針のほうが、よほど「役に立たない」。

「トリストラム・シャンディ」、今読むと面白さがわかるかもしれないという気がしている。でも、主人公がなかなか出てこないくらいにほんとに長いんだ、これが…。

「語られていること以上に、語り方」。何を読んだかではなく、先生がどう語ったかだけを覚えているのも、そういうことですね。わたしもたぶん、そんな風に記憶されている?笑 と思いながら述べ約800人分のレポートの採点を終える……。

折に触れて思い出すジョージ・ルーカスのことば。

“Always remember, your focus determines your reality.”

「どこに焦点をあてるかで、あなたの現実が決まる」

朝日新聞7月19日(日)、求人欄「仕事力」。「企画アタマが生き残れる」、増田宗昭さんの巻、第3回目。「斜陽の分野はしぼむのか」img143あの代官山蔦谷書店は、増田さんが2年間、あの代官山の土地の地主さんのもとへ通い続けて実現したものだった。

「本が読まれなくなったのではない。本を読みたくなるライフスタイルが手に入らなかったのだと、それこそ考え方も書店企画も真剣勝負で挑みました」

「企画の素材は何かと言えば、夢に加えて、確かなデータと広い情報です。アイデアは情報でひらめき、それを企画に練り上げていくにはビッグデータの裏付けがいる。気になったデータは、社内、官公庁やメディアが発表する数字まで蓄えておき、また、思いついた考えは徹底的にメモに残すこと」

「でも僕は、データと情報の具体的な探し方を教育したりはしません。なぜなら、企画というのはあなた自身の感受性から始まるものだから。(中略)自分をとがらせ、それを実現するための資材を、あらゆる所から自分の磁石で拾い集めてくるんです。そして、集まったものの収集がつかなくても、僕はそのまま課題を持って眠りに就く。不思議なことに脳は、睡眠中に情報を肉体化してくれるようです。なかなかまとまらない企画に悩んでいる時でも、目覚めると自然に整理されているという体験を何度もしました。なぜか。おそらく自分の思考が一貫しているからです」

これは早朝(3時~7時)に原稿を書くことが多い私も納得するなあ。前の日までにできるだけの調べ物をしておく。調べても調べてもきりがなく、どこからどう書いていいかまったく収拾がつかない。そういうときは、そのまま眠るんです。朝起きると、すっきり書けるんですよね。脳が勝手に整理してくれているという実感があります。なにもせず眠るというのとは違います。前日までに資料を集めるだけ集めて、悩むだけ悩んでおく、で、あとは脳に委ねて眠る。これがとても重要。徹夜はぜったいにNG。

もちろん、何日かぶっ通して徹夜したほうがよい仕事ができるという人もいる。そういう人もいる。

それにしても、増田さんはいい顔しているなあ。

 

 

 

プレゼミ1期、4期のOGOB、そして私の講義を受けてくれている企業の社員の方たちも含めて、真夏のOBOG会。

4期(卒業して1年目)の女の子たちを花園神社に案内して、一通りの参拝を終えたあと、

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新宿三丁目のキリストンカフェにて。Christ on Cafe という名のこの店は、インテリアがなんだかドラマのセットのようなけばけばしさ。シャンデリアにキリスト像にデヴィル像に天使に、もうなにがなんだか。

実は4期のOGのひとり、アサコさんが僧侶なんですよね。会社員ですが、僧侶の資格ももっているという。僧侶とともに神社へお参りした後にキリストのカフェ。神仏習合もいいところです。

とはいえ、久々の再会に我を忘れてみな大騒ぎでしゃべるわ飲むわ。本気でハードな課題を出し、それについてくる、というかそれを超えるほどのガッツを見せてくれた学生たちでした。「授業、ガチだったよなー」とか言いながら、当時言えなかった話などを聞かせてもらえるのもやはりOB会ならではの楽しさですね。ハードな時間をともにクリアした経験があるほど後々の絆も強くなるのかもしれない、などと思ったりする。有給をとっても講義を聞きに来てくれる人には、こちらも相応の誠意で応える。仕事の場面での真剣勝負があるからこそ、オフの時間も充実する。無難に、あたりさわりのないことでやりすごしていたら、ついてくる成果もそれなり。勉強や仕事の成果だけではなく、人との関係においても。

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とくに1期の男の子たちが頼もしく成長していて、感激ひとしおでした。会場のインテリアがこうなので、ホストクラブみたいな写真になってしまいましたが(^-^; みな一流の現場で活躍する立派な社会人です。

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キリストンカフェ後は、花園神社、男子ツアー。いや別に意図的に男女別にしたわけではないのですが。男女別で参拝したほうがご利益のありそうな神社ではあります。

また会う時まで、元気でね!

何度も書いてますが、究極の憧れの女はやはりアイリーン・アドラーにヴェスパー・リンド。女には基本興味をもたない最高の頭脳をもつ男が「比類なき女」と認めた唯一の女がアイリーンであり、世界中の美女を知る最強の男が唯一心の底から愛した女がヴェスパー。まあ、自分がそんな存在になれるわけもなく、非現実的なロマンティックな夢ゆえに憧れるわけですが。そんな話を、レジィーナ・ロマンティコのオーナー・デザイナーである角野元美さんと交わしていて、せめてそんな女が着るような服を作ってほしい、と厚かましくもお願いしたのです。2年ほど前の話です。

そんな難しい服、お願いする私も私ですが(ほんとに申し訳ありません)。ドラマや映画のなかでキャラクターが着ている服の模倣ではなく、最強の男がかなわないと認める女が着る服というきわめて抽象的なイメージに基づいたまったくオリジナルな服。そんな服をなんと元美さんが試行錯誤の果てに、完成させたのです。2年越しのお約束を果たしてくれた元美さんの誠実なお仕事ぶりに、深い感動と、心からの敬意を覚えます。

モデルが私で至極恐縮のかぎりなのですが、ヴェスリーン・スーツ。(しかも勝手にヴェスパーとアイリーンから造語してるし)8.10.2
これはボレロをはおったときのシルエット。ボレロって一歩間違えると婚活服みたいにダサくなるのですが、そうならないぎりぎりのバランスを保っています。元美さんは、このボレロのバランスにいちばんお悩みになったとか。

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ボレロを脱ぐとスリーブレスのワンピースになるのですが、いたるところに工夫が凝らしてあります。まずは背中に入った絶妙なスリット。

そして正面。きちんとした襟で首元を隠しながら、ぎりぎり上品な三角形でデコルテを見せる。しかも、リボンでデコルテがセクシーに二分割される…という、エロいのか修道女風なのかよくわからない(ここがポイントですね)悩ましのデザイン。

スカート部分も、アイリーンやヴェスパーなら当然タイトであろう…という期待を爽快に裏切ってあえてタイトにせず、適度に広がりのある品のよいシルエット。膝が見え隠れする永遠不滅の丈。8.10.3

そしてしわにならず、通気性高く扱いやすい素材はレジィ―ナならではのもの。元美さんが考える「大胆セクシー」と「女性の永遠のかわいらしさ」と「上品の秘訣はひとつかみの野暮」が見事に融合した、比類なきスーツです。これを着ると、せめて中身だけでもアイリーンやヴェスパーに近づかねばと、マインドが変わります。これが服のパワーですね。難題に2年間かけて応えてくださった元美さんに、あらためて、とびっきりの愛と感謝を捧げます。

このスーツはレジィーナ・ロマンティコで商品化されています。ボレロ単品のみの販売も始めるそうです。撮影は南青山店にて。

 

8日付、ボストン美術館のキモノウェンズデー中止についての記事に関しては、通常の300倍以上のアクセスがあり、やや驚いています。フェイスブックにあげた同じ記事には、まさかの1200を超える「いいね」と、260を超えるシェア。超有名人でもないかぎりこんな数字は見たことありません。国内でそんな大きなニュースにはならなかったゆえに、いっそう関心が持たれたのでしょうか。

この件に関して、ショーン先生からのご指摘で、さらに補足しておいたほうがよいと思ったこと。以下、フェイスブックのコメント欄にショーン先生が書いてくださったコメントを、勝手ながら私のほうで少し編集して、ご紹介します。

「現在の、社会的正義を気にする若いアメリカ人のなかには、文化の盗用に対する過度な不安(ニューロシス)があります。

彼らの考えでは、西洋人や白人は、非西洋文化やマイノリティー文化に対して主導権があります。西洋人や白人は、他国の文化を盗用することにより、人種差別やオリエンタリズムを助長する、と彼らは考えています。非西洋文化やマイノリティー文化の伝統的な服を着ることじたいが、人種差別、オリエンタリズムに該当する可能性があるというのです。

たとえば、ハロウィーンのコスプレパーティーに関して、ソーシャルメディアで69,000人にシェアされたブログがあります。「あなたのハロウィーンのコスプレは人種差別にあたる?」。そのなかでブログの書き手はルールをこのように説明します。「あなたのコスプレは他の人種や民族や文化からヒントを得たものですか? もしそうであれば、それは人種差別かもしれません」と。先住アメリカ、東アジア、日本やアラビアの伝統的な服のコスプレは、人種差別にあたる可能性があるというのです。


着物を海外のマーケットで販売することを視野におくにあたり、さまざまな課題に直面すると思いますが、アメリカの「文化の盗用ニューロシス」はまさに課題の一つだと思います。http://everydayfeminism.com/・・・/is-your-halloween・・・/ 」 Thanks to Shaun Odwyer sensei.

文化の盗用神経症。なんだか<優越した>立場にある彼らが正義を過剰に意識することで、逆に非西洋社会のほうが迷惑をこうむってる感じですが。そんなことを気にしすぎたらもうなんにも着られない!とツッコミをいれたくなるのをぐっとこらえて。こういう神経症が白人社会のなかにある、ということを、私たちは意識の片隅においておくべきでしょう。

ボストン美術館の「キモノウェンズデー中止事件」。日本のメディアではなぜかほとんど報じられなかったのですが、海外、そして日本の中での海外コミュニティでは議論を巻き起こしています。

フェイスブックページも立ち上がり、私も参加して議論を見守っていたのですが、そのページにお招きくださった国際日本学部の同僚、ショーン・オドワイヤー先生がジャパン・タイムズにとても文化的な配慮の行き届いた記事を書きました。「キモノと文化の借用について」。ショーン先生と議論をしたなかでの私のコメントも最後の締めに引用してあります。光栄です。

以下、ショーン先生の論文のきわめて大雑把な超超訳です。きめこまかなニュアンスに関しては、Japan Times の原文をあたってください。

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キモノ産業はずっと衰退に向かっている。だからキモノ産業は主流である伝統的なフォーマルなキモノだけではなく、海外のマーケットに目を向けている。

最近、ボストン美術館がおこなった「東方を見る:西洋のアーチストと日本の魅力」展は、NHKも協力し、キモノ文化のプロモーションという役割も担っていた。

1876年にクロード・モネが描いた「ラ・ジャポネーズ」。モネが自分の妻に打掛を着せて見返り美人のポーズをとらせているが、当時のフランスにおけるジャポニスムの熱狂を皮肉ったものでもあった。

ボストン美術館はキモノ・ウェンズデーを企画。来場者は、モネの絵に描かれたような豪華な刺繍を施された打掛(用意したのはNHK)を着て、絵の前で写真を撮ることができるというイベントである。

ところが予期せぬ出来事が発生。アジア系アメリカ人と思われる若い抗議団体がプラカードをもってキモノ・ウェンズデーにやってきたのだ。「オリエンタリズム」「人種差別」「(アジア人を侮辱する)文化の勝手な流用」と。

抗議団体はフェイスブックページを立ち上げた。「Stand Against Yellowface」。そのほかのソーシャル・メディア上にも、エドワード・サイード(「オリエンタリズム」の著者)のへたくそなカラオケのような宣言を書き連ねた。白人至上主義的なやり方でアジアの文化を勝手に流用するなというような、美術館に対する批判が続いた。

7月7日、美術館はキモノ・ウェンズデーのイベントを中止。BBCとニューヨーク・タイムズがこの経過を報じると、こんどはイベント中止に反対するカウンター・プロテストが起きた。

カウンター・プロテスター(抗議団体に反対する人たち)の議論はこのようなもの。抗議団体のなかに日本人はいない(おもに中国系)。抗議者たちは、アメリカにおけるアイデンティティを主張したいがために、このイベントに場違いに乗り込んだのだ。

また、サイードの「オリエンタリズム」も誤用されている。サイードの議論は、19世紀から20世紀の西洋のアーチストが、中東やアフリカ社会を自分たちの植民地として帝国主義的な目線(上から目線)で表現していたというもので、その文脈における文化の借用・流用はたしかに非難されるべき「文化の盗用」であった。

しかしサイードの議論は日本やアジアにはほとんどあてはまらない。20世紀の初期、フランスのデザイナーたちは「流用した」キモノスタイルから西洋の女性のためのドレスを作り、日本のテキスタイル産業はこのトレンドを非常に喜んで受け入れた。

そのころは日本もどちらかといえば帝国主義的な力をもっており、「西洋化」の視線さえもって西洋文化を見ていたので、西洋が日本の「エキゾチック」な絵やファッションに熱狂したということは、サイードのオリエンタリズム論にはあてはまらないのだ。

現在のキモノ・ウェンズデーは、日本とアメリカが協働しておこなった文化交流のイベントであり、それに対して「白人至上主義目線から見たアジア人蔑視」というオリエンタリズムの議論をふりかざすのは、滑稽きわまりない。と。

しかしそもそも、こんなアカデミックな議論などここに関わってくるべきではないのだ。もっとも懸念されることは、こんなことが起きることで、キモノ産業の将来の頼みの綱である海外市場が閉ざされてしまうこと、なのである。いまやユニクロも浴衣やカジュアルキモノを世界中で売る時代。「白人が着物を着る」ことにオリエンタリズム云々の議論を持ちこむことはまったくナンセンスである。

さらに興味深いのは、世界中のメディアがこれだけ騒いでいるのに、日本の主流メディアがほとんど話題にしていないこと。日本国内の文化人やファッション関係者もほとんどこの問題はスルーである。

そもそも、「キモノを試着することが人種差別であり、帝国主義的である」という発想じたい、日本人にとってナゾなのである。「抗議団体は、反・日本の立場をとる中国・韓国系の扇動者だ」とする右翼系の愛国者もいる。

おそらく、多くの日本人にとって、このような議論はまったくピントがずれているようにしか感じられないのだ。多民族国家アメリカの中での人種間の小競り合いなんだろうな、くらいにしか見えていないのだろう。しかし、浴衣に魅力を感じながらそんな繊細な社会問題にも気を配り、ほんとうにキモノを着ていいのかどうかためらってしまった良心的な外国人のためにも、今こそ日本側からはっきりしたメッセージを発することが必要だ。

そのメッセージを、京都の西陣織工房で働くある雇用者から受け取った。「だれでも、いつでも、いかようにでも、キモノは好きなように工夫して着てかまいません」

日本は西洋に虐げられた植民地だったわけではない。キモノ産業は、オリエンタリズムに対する固執と政治的に正しい「理解」とやらによって、かえって迷惑をこうむっている。このことはもっと広く伝えられなくてはならない。

明治大学でファッション文化史を教える中野香織・特任教授はこのように表現する。「文化の借用は新しい創造の始まりです。たとえそこになにか誤解があったとしても、その誤解から何か新しいものが生まれます」。このように受けとめることがキモノファッションの未来を開くカギになるだろう。

★★★★★

最後の引用は、ショーン先生とのメールのやりとりのなかで伝えた言葉です。”Cultural appropriation is the beginning of the new creativity.  Even if it includes some misunderstanding, it creates something new.”

Shaun-sensei, superbly well written!  Thank you for citing my words in such an impressive way. I am so proud.

 

老舗百貨店様の真夏の研修。8.5.2015.1
19世紀ジャポニスムから2016年のネオジャポニスム、過去・現在そしてこれから活躍する日本のクリエイターについてのレクチャー120分。雑多な取材経験や知識を総整理して、系統だててわかりやすく伝えるための工夫をぎりぎりまで考え抜くなんてことが、この猛暑のなかでできるのは、こうした機会があるからにほかなりません。暑い夏こそ、観光旅行に行くよりも、休暇を返上しても参加してくれる本気の社会人を前に研修講師をしているほうがはるかに楽しい。と心の底から思う私はかなり仕事中毒にやられたヘンタイなのかもしれません。機会を与えてくださいました関係者のみなさまに、あらためて心より感謝します。喜んでいただけたことが最高の暑気払いになりました。

東野香代子さんと、「ザ・ファッション・ビジネス」第5章の反省のような話をしていて、なるほどなあと納得した香代子語録。

・「最終的に人を幸せにするのがブランド。人はそれが良くて店に行く」

・「とにかくいろいろやって一割くらい結果が出るのが仕事。皆さんが見るのは出た結果だけですが、小さなことの積み重ねしかできないし、ダメ元と言われながらも瓢箪から駒が出ることもある」

 

この夏もあいかわらずレジャー欲も色気も食い気もなく、仕事に燃焼です。10代とか20代に聞いていたsummer BGMをもう一度聞きながら、その頃夢見たことなど何一つ叶わなかったことにあらためて苦笑する。夏の日に描いた「未来の夢」の記憶だけ、ずっと鮮やか。

 

 

週間エコノミスト知人の、そのまた知人が見つけてSNSアップしてくれていた「週刊エコノミスト」7月7日号の記事。

母校の富山中部高校編。鉄板は田中耕一さんや坂東真理子さん、高橋はるみさん。
私まで「文化人」枠で名前を挙げてくださっておる。「学者」枠じゃないのね。笑

「枠」はあくまで他人が決めるもの。型に入ろうとか既存のイメージをなぞろうと意識したことは一度もないですが、ちょっと考えさせられました。

アイキャッチ画像は、昨年11月に母校で講演したときの写真です。

三井住友銀行金融ミュージアム「金融/知のLANDSCAPE」が7月末オープンしました。
タッチパネルにふれると情報が流れてくる体験型ミュージアムです。
金融にはほとんど、というかほぼまったく、縁がない私も出演しています。
お近くに御用がおありの際には、冷やかしに立ち寄ってみてください。

ブルームーンの日は、仕事を通して多くの感動を分かち合ってきた広報ウーマン二人の転機の日でもありました。

仕事とプライベートの友人は全く別ものであるという話をしばしば聞きます。もちろん、両者の区別はきちんとつけるべきで、プライベートの友人を仕事にもちこむようなことはめったにいたしません。

しかし、その逆はあり。実際に自分の周囲を見渡してみると、プライベートで友人になった人は、仕事を共にしたことがきっかけになった場合がほとんどであることに気づきます。仕事の苦楽、達成までの道のりをともにしてこそ、その人の本質がよくわかり、強い絆を感じることができる……ということが私の場合、多い気がいたします。仕事の性格も大いに関係しているのだと思いますが。そもそも私はあんまり世間的な意味での「遊ぶ」こと(消費型レジャーとか観光旅行とか)に興味がない。仕事があればこそ、信頼できる友人も増えた、というのが偽らざる実感です。

そんなふうに、仕事を通して敬いあい、シンパシーを感じてきた女性ふたりが、長く親しんだ職場を離れ、新天地に挑むことになりました。衝撃大きく、その人との時間を振り返ってしんみりしてしまった、感慨深い一日となりました。

まずは、BLBGの広報だった岡田亜由美さん。初めてお会いしてから3年ちょっとほど経ちますが、数多くのお仕事やイベントをご一緒しました。どの瞬間も、忘れがたく、一瞬一瞬が、宝石さながらに輝いています。okada 5 のコラージュAyumi san, I am so happy to have shared a lot of precious moments with you. Every moment has been shining like a jewel and I am so proud of the works we collaborated. I am really sorry you should leave BLBG and I will miss you soooo much, but I hope your further success in the new world.
Thank you and Good Luck!!

 

そして、もうひとり。ラルチザンパフュームとペンハリガンの広報だった、宮地麻美さん。
ラルチザン日本法人が7月いっぱいで撤退してしまったのです。ハートはあたたかく、物腰おだやかなのに決めるべきところは決める、ハンサムウーマンと呼ぶにふさわしい女性です。

ご一緒したひとつひとつの個性的な香りが、脳内であざやかによみがえってきます。心からの敬意と感謝を捧げます。新しい世界でのいっそうのご活躍を願ってやみません。
miyachi collage

お二人とご一緒した仕事をひとつひとつふりかえってみると、やはりそこにはただの時間、ただのイベント、ただの仕事、以上のものがあった。もてるリソースをすべて投入して喜んでもらおうとするサービス精神、ここまでやるかというチャレンジ精神、志を同じくする者どうしのチームワーク。だから感動があって、その時間が永遠に色あせない記憶として刻まれていることに気づく。

国際日本学部教員フォーラム。

森川嘉一郎先生のコレクションに(いまさらながら)感動する。1960年代の「Out」 とか「マーガレット」とか「りぼん」。「奥様は魔女」の主題歌レコードなど、お宝物がどんどん出てくる。
7.31.2
「奥様は魔女」が戦後日本の家族のモデルになった話とか、サマンサが「ダーリン」と呼んでいるがそれは本当に夫の名前が「ダーリン(・スティーヴンス)」だったとか、7.31.11
すでにこのころから、海外ドラマが日本で「マンガ化」されていたとか、

7.31.10興味深い話も尽きず。7.31.4なつかしい「マーガレット」。中身はけっこう濃厚というか、コワい話が多いんですね。そういえば、子供のころ、「マーガレット」のコワい話を読んで眠れなくなっていたこともあった…と思い出す。

7.31.1
森川嘉一郎先生(右)、鈴木賢志先生(左)。

水虫研究で有名な眞嶋亜有先生のプレゼンテーション「水虫と私」も楽しかった。キャリアの重大な転機と結婚のどちらかを選択しなくてはならなくなった時、泣く泣くキャリアを選択してきた……と面白おかしく話す眞島先生に泣き笑いというか、あまり他人のような気持ちがしなかったです。笑。

7.31.3
多くを学んでよく笑った帰途、ブルームーンがあまりにも美しかったので久々に「ル・パラン」に立ち寄ってモヒートをいただきました。こちらの真夏のモヒートは絶品です。7.31.5