「芸術新潮」9月号がおもしろい。特集「ニッポンのかわいい」。

はにわから、仏像、国芳、春信を経て、中原淳一、内藤ルネ、水森亜土にいたり、ハローキティーで極まるまで。銀座松屋での「キティーアート」展に合わせた企画と見えるが、それだけに終わらない、渾身の特集。

ずっと「ニッポンのかわいい」絵を見ていると、だんだんこわくなってくる。このアピール、なんだろう。攻撃しませんよ、というオーラの集まりが逆にブキミになってくる、というか。

西洋的キュートだとすぐ忘れるけど、日本の「かわいい」には「私を覚えてて~」みたいなウェットなものが漂っていて、それがコワさになるのか?

女子美大教授、南嶌宏(みなみしま ひろし)さんの話に、その答えのヒントがあり。

「小さいから簡単にやっつけられるかというとそうではなくて、小さいゆえに絶対に乗り越えられない、そのような存在が放つ力、魅力、それを指し示す呪文が『かわいい』なのではないか」

「人類は、勝ち抜き、征服し、支配したいという意志を持って文化を形成してきました。しかし一方で、何か全く無抵抗なものに同化したい、弱々しいものに支配されたいという欲望も抱え込んでいる。20世紀のある時期以降の人間たちがどこか無意識に希求しているその思いが、『かわいい』によって救済されているのでしょう」

教授のとなりにフツーに座って、うなずきながら聞いているようなキティが、やっぱり「コワい」(笑)。

H&Mのカンボジア工場で働く、およそ300人の労働者が劣悪な状況下で倒れた、という記事。英「インデペンデント」29日付。

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/hundreds-of-workers-collapse-at-cambodian-hampm-clothing-factory-2345537.html

2日間にわたって二度、トータル284人が気を失った。組合の代表は、工場の劣悪な状況を非難。「中はきわめて暑く、悪臭もひどく、工場からの煙も入ってくる」。それでめまいや頭痛が起きたり、息苦しくなるのだという。

一方、警察側は「集団ヒステリー」と。「一人が倒れると、他の人間まで気分が悪くなるのだ」。

International Laber Organizationは、栄養状態の不良を指摘。

H&Mは、調査を開始した、と発表。

カンボジアには、ほかにマークス&スペンサー、テスコ、ネクスト、インディテクス(ZARAのオーナー)の工場もある。

記事のダイジェスト、以上。

多くの労働者の卒倒。直接の原因に関しては、正確な調査を待たねばならないが、ひょっとしたら、労働者による「ストライキ」のような意思表示かもしれない。先日も、ザラの工場でおこなわれていた児童労働を含む非人道的労働のニュースを紹介したが(8月22日付)、いずれにせよ、安価な服には、「理由」があるのだ。

日本でこういうニュースがほとんどといっていいほど報道されないのは、たぶん、多くの媒体が、こうしたチェーンの広告を掲載しているからではないか。広告主に不利益なことはできないのである。その意味では、原発報道と似ている。マスメディアは東電から膨大な利益を得ていたので、マイナス面を報じるわけにはいかなかった。

福島、および周辺の農作物の汚染は、いまどのような状況になっているのか。日本では曖昧な情報しか入ってこない。ドイツのある公共テレビ番組によって、ようやくはっきりと知ることができた。

内容に愕然とすると同時に、日本でこういう報道が行われないことに、さらに怒りがこみあげる。

(追記:フェイスブックで多くの人にシェアされた動画を上に紹介したのですが、翌日、動画そのものが削除されました。なんらかの黒い力が働いたのではと勘繰りたくもなるのですが……。字幕全部を書き記していた方がいたので、そちらを紹介しておくにとどめます。http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-6085

「プチプライス」の服の背後に広がる悲惨な状況の数々が報道されないのと、同じような理由がありそうだ。(もちろん、福島の問題はこれとは比較にならないくらい大きくて複雑である。だれかの利益のために報道規制がおこなわれているらしい、という点において似た匂いを感じるというほどの意味である。)

安価な服の背後に広がる諸問題をすべて了解したうえで、それでも着るならそれでいいと思う。「しかたがない」「選択肢がない」という側面は、たしかにある。ただ、まったく何も知らずノーテンキに、雑誌のグラビアがあおるままに「ブーム」とやらにのせられている人々の姿を見ると、3・11以前に「原発はクリーンエネルギーです」という甘言に何の疑いもさしはさまずにエネルギーを享受していた私たちの姿が、ほんのちょいと重なって見えてしまうのである。

素敵なバー体験、もう一軒は、木曜日に。新宿の京王プラザホテルの地下にある「ブリヤン(Brillant)」。本命は高層階の「ポールスター」だったが、いまは、金曜と土曜しか開けてないのだという。震災後の影響と、節電のため。だいぶ客足は戻ったそうだが、京王プラザにはバーが多いので、できるだけ電気や人手の無駄を省くためにこのようにしているとのこと。ホテル業界も必死にがんばっているのだ。

なぜ京王プラザかというと、2年ほど前にホテルバーメンズ協会主催のカクテルコンテストの審査員をしたときに、京王プラザが、歴代の優勝者を多数輩出していることで有名なホテルであることを知ったのである。そのときに私が花丸をつけたカクテル「紅(くれない)」も、ふたを開けてみると、京王プラザのバーテンダーが作ったものだった(彼はその年のチャンピオンになった)。

この日は、ホテルバーメンズ協会にも関わっている「日本マナープロトコール協会」の理事、明石伸子さんとともに訪れた。明石さんはお仕事柄、ホテルのバー事情に詳しく、ホテルマンにもお知り合いが多いので、さまざまなホテルのバーのスタイルの差異などを教えていただきながら、一味違ったバー体験を楽しむことができた。

京王プラザのバーテンダーは、一目で「あ、この人はバーテンダーだ」とわかる特徴的なヘアアスタイルをしている。なでつけた7×3分けか、リーゼント。やや時代遅れとも感じられる、このレトロなスタイルを守り続けることが、京王プラザの伝統のひとつ。

非日常的なバーという空間を演出するのにもっとも大切な要素は、「人」である。そこで働く「人」の独特のヘアスタイルは、プロ意識の証。そんな考え方が徹底しているので、レトロなスタイルが、いっそ、すがすがしく感じられる。

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実はホテルマンのヘアスタイルには、名前がある。「オークラカット」という。7×3の刈り上げ。床屋さんで「オークラカット」と言うと、そういう髪型にしてくれる。

無駄のないきびきびした動きが小気味よいバーテンダーのひとり、石部和明さんに、「そのレトロな髪型、好みなんですか?」とあえて聞いてみた。

すると石部さんのお答え。「いや、ホテルの外の地下道で私とすれちがうと、たぶんわかりませんよ。髪もどちらかといえば、ボサボサで。ホテルで働くときはバーメンをこの髪型で演じてるんです」。

でも、時代遅れでイヤじゃありませんか? とまたしても酔いに任せてぶしつけな質問をしてみた。「そうですね、外資系のホテルにいくと、バーテンダーは短髪にツンツンの髪だったりしますね。リーゼントは、外国人に対しては威圧感を与えるようで、あまり好まれないこともあるのです」。

でも、あえてこのオールドファッションなスタイルを守り続けているのである。なぜならば、「これが王道」だから。

とはいえ、他のホテルにはそれぞれ、そのホテルが「王道」と考えるスタイルがあるようだ。シェイカーの振り方にしても、たとえば、オークラには「オークラ振り」と呼ばれる振り方がある。シェイカーの向きが、通常とは逆なのだそう。

石部さんは、よく聞いてみると、なんと東京都のカクテルコンテストで優勝した経験をお持ちだった。チャンピオン・カクテルの名は、「桜舞(おうぶ)」。このベテランのバーテンダーに、バーで素敵に見える男の振る舞いとは? と聞いてみる。

「ほかのお客様に対してマナーを心掛けている人ですかね。そんなお客様は大事にしたいと思います。それから、知ったかぶりはしないほうがいいと思います。通ぶったり、知識をひけらかしたりするのは、あまりかっこいいことではありませんね。こちらはお酒のプロなのだから、私たちバーテンダーを上手に使って、バーテンダーの力を発揮させてくれる男性の方は、素敵ですね」。

「それから、女性とおふたりでいらっしゃる場合、多くの場合、女性が一枚うわてであることが、カウンター越しに見ると、よくわかります(笑)」。

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ホテルバーメンズ協会員のバッジ。やはり雄鶏(Cock)なのであった。

◇朝日新聞から3つ、面白いと思った記事の記録。ランダムな書きっぱなしで申し訳ないが、引っ掛かりだけでも書いておくと、いくばくかの時間がたったときに、「あ、そういうことだったのか」と、意外なことがらと結びつくことがある。というわけで、まずは25日付、論壇時評。高橋源一郎の「伝えたいこと、ありますか」。

ジプリの小冊子「熱風」表紙になった、宮崎駿による「NO!原発」のひとりデモ、についてのコメントである。

「この面白さは、この写真が醸しだす『柔らかさ』から来ている、とぼくは思った。『柔らかさ』があるとは、いろんな意味にとれるということだ。ぼくたちは、このたった一枚の写真から、『反原発』への強い意志も、そういう姿勢は孤独に見えるよという意味も、どんなメッセージも日常から離れてはいけないよという示唆も、でも社会的メッセージを出すって客観的に見ると滑稽だよねという溜め息も、同時に感じとることができる。

なぜ、そんなことをしたのか。それは、どうしてもあることを伝えたいと考えたからだ。そして、なにかを伝えようとするなら、ただ、いいたいことをいうだけでは、ダメなんだ。それを伝えたい相手に、そのことを徹底して考えてもらえる空間をも届けなければならない。それが『柔らかさ』の秘密なのである」。

◇次は24日付、美の季想。高階秀爾先生による「日本美術の傑作 根底に『鑑賞の美学』」。

西洋の傑作は、芸術家の優れた才能によって生み出されるマスターピース、「創造の美学」であるのに対し、日本では「名」が関わってくる、というお話。

「名所」とは、多くの人が訪れ、歌に詠み、絵に描くなどした場所。「その先人たちの記憶の遺産が『名所』を『名所』たらしめるのである」

「広重晩年の名作『名所江戸百景』では、自然景に加えて、七夕祭りや両国の花火などの年中行事が大きな役割を果たしている。年中行事もまた、繰り返されることで人々を過去の記憶と結びつけ、また参加をうながす。日本人の美意識の根底には、西欧の『創造の美学』に対して、『鑑賞の美学』ないしは『参加の美学』とも呼ぶべきものが根強く横たわっているのである」

……深く納得。語られ、描かれ、繰り返されること。それによって、「名」がつく。

◇最後は、26日夕刊のHeroes File Vol. 57。俳優の柄本時生による「父のマネも演じる僕のもの」。

「街で『かっこよかったですよ』と声をかけられたらめちゃくちゃうれしいですが、『かっこよく映りたい』と思いながら演じていたら、それはすごく恥ずかしいこと。でも、気づくとお金がほしい、こんなふうに見られたいという欲が、年齢と主に以前よりも強くなっている自分がいて」

「欲を出したら途端に自分の浅さを見破られる」

……無心で、邪心なく、人前に立つこと。そのむずかしさ、とてもよくわかる。自分以外のものを演じようとしたり、「よく見られたい」という意識がちらついたりしたら、人はとたんに浅はかに、みっともなく見える。文においても同じなのだ、結局。21歳の若者とはいえ、あの柄本明の背中を見て育った息子。ひときわ説得力をもつ。

「再読してみてやっぱり重要」メモ、もう一つ追加。朝日8月3日付、オピニオン欄、「『断捨離』『すっきり』はリスクが高い」の森永卓郎さんの話。ブームにさえなっている断捨離や片づけに対する、B級コレクターからの異議。

「物を捨てて何かが生まれる、ということはありません。無から有は生まれないですから。新しいアイディアも感性も、異質なものが融合したときに生まれています。学問だって過去の論文の蓄積の上に新しい論文ができます」

「心のガラクタは必要なんです。捨ててはいけません。だって、すべての発想や豊かさの源ですから。新しい物や考えというのは無駄の中からしか生まれないんですよ。それを不要だと捨ててしまうのは、自分で自分の可能性を捨てているのと同じです」

なぜ人は物を減らすことにひかれるのか、という質問に対し、森永氏の答え。「デフレの産物ですね。本来は豊かになればもっと大きな家に住めばいいわけだが、デフレのためにできない。だから物を捨て、狭い家を効率的に使う、おしゃれな暮らしを求める。物を買わないからさらにデフレが進む。経済全体では縮小均衡とリスク増大をもたらしているわけです。それと、こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、私は陰謀だと思っています。国民を都合のいい労働力として飼いならすための」

陰謀、についてのより詳しい説明。「都会に住み、通勤時間が短くて、物を持たなくて、趣味もあまりないという人が、企業から見たら使いやすい労働力なんですよ。通勤コストは少ないし、疲れないし、無駄を切り詰めて最小限の物しか持たないから、ライフスタイルが規格化というか同じようになって、ブームが起きやすい。企業にとってはおいしい国民なんですね。ライススタイルが多様化すると、すごくコストがかかるんです。みんなが同じような衣類を求め、同じスイーツを喜び、同じ食事をしてくれるのが、一番効率がいいんですね」

ここしばらくの断捨離ブームのうさんくささを、自己啓発ブームの延長のように見ていたので、この喝破はかなり痛快だった。

切り抜きの山の中から、再読して「やっぱり重要」と思った記事2つのメモ。大部分は、そのときには盛り上がっても、2~3週間後に読むと「流してもいいかもしれない話」になっている。だからこそ逆に、後者のほうがあとから貴重度が増してくるかもしれないので、やはりその都度、何かあとで参照できるようにしといたほうがよいのだとは思うが。時間と体力・気力とのせめぎあい。

◇朝日新聞7月31日付、ザ・コラム 「災害と専門家 『敗北』にたちすくまずに」 by 山中季広

イタリアの地震において、地震学者の権威が、直前に安全宣言を出したことで過失致死罪に問われたことをめぐるコラム。

訴えられたのは、国立地球物理学火山学研究所長エンゾ・ボスキ氏ほか。

経緯は、こう。ラクイラで群発地震が半年ほど続き、在野の研究家が、地下水の観測をもとに「大地震が来る」と断言。市民の不安をしずめ、観光客を遠のかせないため、政府は安全宣言のお墨付きをほしがり、学者7人を現地に招いて討議させる。何人かが「安心してよい」と宣言した。

その6日後に、本震が起き、住民309人が犠牲となる。学者7人全員が起訴された。

告発は、正しく予知できなかったという理由によるものではない。予兆か、たんなる群発か、見極められないなら、そのようにありのままに語ることこそが誠実な態度であるはずなのに、あまりにもその誠実さを欠いていた、というのが理由。

関東大震災の時にも、同じような論争があったことが、コラムでは記される。「大災害には至りません」と告げるのが役どころだった地震学者の権威、大森房吉という人がいたそうである。群発地震に市民がおびえても、「大地震は来ない」を繰り返し、翌年、関東を巨大地震が襲った。大森は、責任を感じ、病気を悪化させて2か月後に亡くなる。

山中さんの締め。「共通するのは、市民が不安を訴えたこと、専門家は安全だと言ったこと、そして専門家の判断が間違っていたことだ。専門家の敗北としては、あえなく崩れた原発の安全神話も同じだろう。

思うに、これまで何世紀もの間、専門家の仕事は『解明できたこと』を語ることに尽きた。しかし東日本大震災を境に、期待される仕事は一変した。いま人々が渇望しているのは、専門知識をもってしても解明できないことを率直に語る誠実さだろう」

◇もう一つは、過去からの予言シリーズ、第1回。筒井康隆の小説『霊長類、南へ』(1969年)をめぐる筒井へのインタビュー。朝日8月22日付。

70年代には滅亡論がさかんだったけど、その後、文明批評色の強いSFは潮が引き、「文明が滅んだ後の暴力と荒廃の世界だとか、剣と魔法のヒロイックファンタジーだとかになっていく」。

なぜ、文明批評は消えたのかという問いに対し、筒井の答え。「設定やアイディアは書き尽くしたし、冷戦構造が壊れて批評の足場がなくなったし、若い人が本を読まず、大状況を書いたり読んだりする能力を失った。誰もが原発からエネルギーを享受し、グローバル資本主義に浸って生きています。そうしなければ生きていけない時代に文明批評を書いたってしかたがない」

今後、革命的な転回が起こる可能性は、との問いに、筒井の答え。「ないでしょうね。マルクスが予言したように、資本主義は世界を支配したとたんに自壊を始めて、すでに破綻していますし、フクシマの事故があっても原発は地球からなくせない。このふたつは車の両輪ですからね。こんな巨大な自走するシステムは、動き始めると止められないんです。人類の叡智を駆使しても、せいぜいあと数百年でしょう」

突然の土砂降りの中、「サライ」連載記事のため、「カールツァイス」に取材にいく。今年で創業100年を迎える、ドイツの双眼鏡・単眼鏡・ルーペなどの老舗メーカーである。まったく疎い分野であったが、わかりやすく解説していただき、有意義で楽しい取材になった。ツァイス社の方、ご協力ありがとうございました。

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お話をうかがった部屋に飾ってあった(?)レンズかなにかの設計図。イエナ大学の物理学者が書いたものだそうで、アーティスティックな印象を受けた。

ツァイス社の完成度の高い製品の詳細はさておき。

この分野全体の発展を支えている根強いジャンルが、「ノゾキモノ」と総称される製品であるということを知り、人間の普遍的な願望にまで思いが及ぶ。多くの技術革新の背後には、案外、とても原始的な人間の欲望があるのかもしれない。

金沢ついでに、妙立寺を見学。別名、忍者寺として名高いお寺。前田利常が、1643年に、金沢城近くから移築建立したお寺で、戦火にもあわず、今に姿を残している。

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外見は、二階建てのふつうのお寺。しかし、内部がすばらしいというか、複雑で、仕掛けに満ちて、無条件にワクワクさせられた。

4階建て7層構造にもなっており、階段の数、なんと29。迷路のように、各部屋から意外な場所へと結びついていて、フツーの部屋がない……。屋内に、風流な「太鼓橋」まで。人知の限りをつくした(?)隠し階段や落とし穴など、どこもかしこも楽しすぎる。

木のゆがみを生かした巨大な梁も見ごたえあり。このゆがみこそが、雪の重みを分散させる働きをし、寺を支えてきた、という解説にも感心する。17世紀の人のほうが、現代人より賢かったんじゃないだろうか、とさえ思わされる工夫が、いたるところにたっぷり。

それにしても、この内部の風景、夢に2度ほど出てきたことがある。おなじ風景を、はっきりと覚えている気がする。不思議な既視感。いつかの前世、ここで隠れたり祈願したりしていたことがあったんだろうか?

猛暑の中、金沢21世紀美術館へ。見たかったのが、「レアンドロ・エルリッヒのプール」。

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上からのぞいて驚く人、下からそれを眺めて面白がる人、双方の反応を楽しむ体験が、「アート」?

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「イエッペ・ハイン 360°」と、

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「Inner Voices」も駆け足で鑑賞。

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とても広い建物なのだけれど、どこも人、人、人、の大混雑だった。美術館にこれほど人が集まるというのは、ほかならぬこの美術館だからか、それとも夏休みだから? あるいは現代アートブームが本物ということか? 熱心に「体験」を楽しむ人々の表情が、なによりも強く印象に残る。

富山市の芝園中学校で、ミニ講演会。芝園中学校の校長(石上正純先生)が、小学校6年生のときの担任の先生(しかも教員になりたての新任)だった、というご縁で、急遽、依頼されてお話をすることになった。

「学ぶこと、仕事をすること」をテーマに、作文好きな生徒さん、保護者の方、教職員の方を対象に、自分の仕事から学んださまざまな発見などを、お話させていただいた。熱心に聴いてくださったみなさま、ありがとうございました。サプライズできてくれた、中学時代の卓球部男子部長(現・教育委員会)、高校の同窓生にも感謝。とても充実した楽しい時間を過ごさせていただいた。

富山市は教育環境がすばらしく、芝園中学にも、校長先生はじめ、熱意にあふれたすてきな先生方、スタッフがそろっていた。保護者との連携も理想的で、こんなところで子供を学ばせたいなあ、と誰もが思うであろう素敵な環境。校舎も明るくモダンであるばかりか(全国から見学者が訪れるとのこと)、花やグリーンにあふれているので、明るくあたたかな印象。よく手入れされた植物に迎えられると、「歓迎されている」という気持ちになれる。多感な時期の生徒にとって、この効果はとても大きい。植物はすべて教職員や保護者の方がボランティアでもちより、世話をしているとのこと。写真は、校舎の2階から屋上に向けて伸びやかに育っている「緑のカーテン」。近くで見ると、なかなかの壮観。

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芝園中学は、かの田中耕一さんの母校でもあるそうだ。

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未来の日本の国力のベースになるのは、教育である。石上校長は、そういう使命感も抱いて、さまざまな改革をしながら情熱的に取り組んでいる。新任(22歳)のときも、熱血教師だったが、定年を迎えるという今、ますますアツくいらしたのであった(笑)。恩師が変わらず元気に活躍しているというのは、とても励みになる。今なお、教えられること多。感謝。

クリスチャン・ルブタンが、赤いソールをめぐってイヴ・サンローランを訴えていた件。NYで第一回目の判決が下されました。(「テレグラフ」10日付 Christian Loubtin loses round one of red sole battle with Yves Saint Laurent)

ラウンドワンにおいては、ルブタンの敗け、でした。判事はヴィクター・マレロ。

赤いソールをトレードマークとするルブタンは、2011年リゾートコレクションで赤いソールを展開するYSLに対し、100万ドル以上の損害賠償を求めていた。これに対し、YSL側は、赤いソールはすでにルイ14世や、「オズの魔法使い」のドロシーがはいており、ルブタンが最初ではない、と主張していた。さらにYSLは、赤いソールを独占的に不正に使いすぎ、とまで非難していた(写真は「オズの魔法使い」のドロシーがはいた、ルビーレッド・ソールの靴)。

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これに対し、判事は、レッドソールはルブタンのみに許されるブランドの刻印なのかどうか、証明することは難しいとして、ルブタンの訴えを退けた。

YSLの弁護士は、法律事務所Debevoise & Plimton のデイヴィッド・バーンスタイン。

「いかなるデザイナーも、服飾アイテムにおいて一つの色を独占すべきではない、というわれわれの主張に対し、判事マレロが同意してくださったことを感謝します。YSLのデザイナーはアーチストであり、ほかのデザイナーと同じように、各シーズンのファッションをデザインするときには、あらゆる色彩を使う権利があるべきです。YSLが当初から指摘してきたとおり、ルブタンによる赤いソールのトレードマーク登録じたい、認められるべきではありませんでした。この登録が取り消されるべきであるというわれわれの主張に、判事が同意してくださったことをうれしく思います」

とはいえ、これで終わったわけではない。YSLは2011年のリゾートコレクションの販売続行を許された段階であり、裁判は来週も続く。お楽しみに(?)。下は、とりあえず「救われた」(?)YSLの靴。

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