チェン・カイコーの「始皇帝暗殺」DVD。買ってからずいぶん時間が経ったが、ようやく観る気に。というのも、なにせ長いのである。171分。結局、移動やネイルなどの合間に、3回ぐらいに分けて鑑賞。で、やっとのことで、完。邪道で申し訳ないが、それなりの充実感は残る。

大がかり(すぎ)なセットとスケール大き(すぎ)なストーリー。歴史にのみこまれる激情。舞台的な演技。1980年代だったらヒットしていたのかなあ。どうも現代のスピード感とのズレみたいのを感じた。たしかに、あらゆる点で「巨編」にふさわしい大きさで、面白かったことは面白かったのだが、今の時流と同調する監督ならばもっとスピーディーにまとめあげたはず……とも感じた。映画のスピード感と時代の速度感は、やはりシンクロしているほうが、同時代の観客としてはノリやすい。でも、どっちがいいのかは、わからない。あえて反時代的な、ゆったりとした大作を贅沢につくることができる監督は幸運である、とは言えそうだ。

刺客のケイカを演じたチャン・フォンイーが、好もしい印象を残す。コン・リーは何を演ってもコン・リーだなあ。ここまでのレベルになると、あっぱれ、とも思う。

次男のピアノ発表会@フィリアホール。渡辺信子先生の門下生16人+プロとしてもご活躍の渡辺敬子さんの特別演奏。

Photo

ベートーベンのソナチネ第5番、バダジェフスカの乙女の祈り、モーツアルトのトルコ行進曲はじめ、ローティーンの時代に「弾かされた」(苦笑)記憶のある懐かしい楽曲に、当時の平和で幸福な時間が蘇る。音楽も、においと同様、無意識の層から古い記憶を引っ張り出す力があるようだ。

今だったらぜひとも「弾きたい」と思うけれど、肝心の指が動かない。

ベートーヴェンの悲愴、ショパンの英雄ポロネーズ、ショパンのワルツは何度聴いてもうっとりするし、演奏者によって異なる解釈を聴き分けながら、演奏者の性格や内面をつらつら想像したりするのも、また楽しい。

夏休みも終わり。今年はとりわけ暑くて長い夏だった。

佐藤優氏講師による「カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を読む」会@衆議院第一議員会館。

なぜ、政治の世界で「風」が起きるのか? 小泉純一郎氏は、立派な政策をもたなかったにもかかわらず、なぜあれほど国民の支持を得たのか? 田中真紀子氏は、いっとき、なぜ「風」を起こすことができたのか? ひるがえって、浮動票を使うためには、どのようにしたらよいのか? 

こうした「制度の盲点」というか「民主主義のおとし穴」のような政治的現象を、共和制下フランスのルイ・ナポレオンが圧倒的支持を得た状況と照らし合わせながら考え、日本人の集合的無意識を言語化していく、というとても興味をそそられるテーマ。

歴史的現象は、「一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として」現れる。つまり、モノゴトは無意識のうちにらせんを描きながら反復する。だから過去の事例から類似の「構造」というかモデルを探し出すことができる、という本書にも記される考え方を確認したうえで、現代に起こっている政治・経済・社会の大小さまざまな現象を、過去の事例と比較しながら次々に分析していく過程は、たいへんに刺激的である。

現在の円高。民主党の党首選。普天間問題。浅田次郎「終わらざる夏」が今、売れている理由。団地の中で白骨化した死体と同居できる日本人がいることの意味。村木裁判のウラの意味。検察と官僚と民主党の力関係。「官僚」という一つの塊をなす階級の存在を認めなくてはいけない現状。自衛官が反旗を翻すことができる現状の不気味さ。民族と国家と市場とのバランス関係。「帝国」の本来の意味。卑近な話題では、マルクスとエンゲルスの、俗っぽくどろどろの私生活。足利義満が建てた金閣寺の中にある、むだにも見える広間の政治的意味。

革命(Revolution)の本来の意味の解説も、目からうろこが落ちる思い。レボリューションとは元来、「天体が回ること」であった。つまり、「天体の運行が変わると、それに応じて地上が変わる」というのが「革命」で、これはどちらかといえば、あきらめの思想に近い、と。

(こんなふうに、語源順に意味が書いてある英和辞典は、Oxford English Dictionaryに準じてつくられた「岩波英和辞典」のみで、1970年代に出たのが最後の版とのこと)

ちなみにレヴォリューション=革命、と訳されることになったのは、孟子の易姓革命から。天の意志が変われば、地上の王朝が変わる、というのが、易姓革命の思想。その「天の意志」に呼応するのが、ほかならぬ、民衆。

前回に引き続き、多岐にわたる圧倒的な情報のシャワーを浴びた思いがする。

外は満月。

「ゴシップガール」シーズン1のボックス2をすべて見終える。

狭い社交界のなかでの駆け引きと仲間意識と虚栄と恋と友情と陰謀と家族愛がぐるぐるにねじりあいあって、さらにヒートアップ。ブレアとジェニーのバトルの行方が二転三転するさまに目が離せない。目の上のたんこぶを蹴落とすための、おそろしいワナをしかけていくブレアの率直な邪悪さが、なぜか憎めない。ブレアに振り向かれない腹いせに、ブレアを陥れるメールを流布させながら、「誰からも相手にされなくなったお前には魅力がない」と足蹴にするチャックの正直さが、なぜか「そういうものだろうな」と腑に落ちる。偽善のかけらもない。洗練された社交界を舞台に、野蛮に近い人間心理の闘いが展開する。親同士が恋愛したり結婚したりという複雑な関係も加わり、このくだらないかもしれない世界の異様な面白さはなにごとだろう、と引き込まれる。すっかり製作者のワナにはまり、シーズン2のボックス1&2を予約注文。

感覚のバランスをとろうと思ったわけではないが、たまたま知人が薦めてくれていて積読中だった、つげ義春の「大場電気鍍金工業所/やもり」(筑摩書房)を、移動中に読む。いくら描かれる時代が違うとはいえ、「ゴシップガール」の世界と同じ人間の世界とは思えない、貧乏と悲惨と不潔と愛なき欲情の世界が、淡々とシンプルに描かれる。虚飾のかけらもない、地べたをはうような生活を「ど」リアリズムで描く世界は、読み終えると、不思議にすがすがしい。

その秘密をとく赤瀬川原平の解説も、なっとくの読みごたえ。

「焦らず、力むことなく、全部同じスピードで、安全運転のように描き進んでいる」

「職人の快感のようなものを感じるのだ。仮りに貧乏と悲惨の中であっても、いつものように刃物と鋸を使っていくと、いつものように木製品がひとつきっちりと仕上がっていく。その流れがまったく無意味に快い」

品川よしもとプリンスシアターにて、よしもと若手~中堅(?)の芸人さんたちの寄席公演。

Photo_4

ほとんど「はんにゃ」目当てであったが(笑)、アジアン、品川庄司、中山功太、ロバート、はりけ~んず、それぞれ個性が際立っていて、腹筋が痛むほど笑わせていただいた。瀧川なんとかさんの「冬ソナ」ヨン様に扮したマジックも楽しく、水玉れっぷう隊のパフォーマンスには感動(コントは少し長すぎたかも)。包丁、まな板、ビニール傘、おろし金、ごみ箱、といったどの家庭にもありそうなものたちを使って、キレのいいミュージックを生みだすパフォーマンスは、驚きに満ちていて、もっとたくさん見たかった。

品川のエプソン水族館。「TSUNAMI」の記憶が生々しいので、この水槽トンネルが地震で決壊したら……とついつい想像してしまう。

トンネルの真上には、ノコギリザメがはりついていた。コワい「顔」(?)がそこはかとなくユーモラス。

Photo

恒例のイルカショウ。今夏のテーマは「イナズマイレブン」ということで、高くジャンプしてヘディングをするイルカたち。

Photo_2

近くに、なつかしいマーライオン像が見えたので近づいてみたら、「シンガポール・シーフード・リパブリック」なるレストランがあった。かの「ジャンボ」はじめ、シンガポール政府観光局おすすめのシーフードレストラン数件が名を連ねている。今夏は行けなかったので、せめて雰囲気だけでも、と入ってみる。湿度も気温も、建物もインテリアもメニューもシンガポールそのまんまという感じで、楽しくて美味しかったけど、やや割高感もあったかな。現地にいっそう行きたくなる。

Photo_3

昨日の試写後、日比谷線ついでに出光美術館に寄り、「日本美術のヴィーナス―浮世絵と近代美人画」展を観たときのメモ。

Photo

江戸時代の浮世絵から昭和初期の美人画まで、「和美人」を堪能。美人はS字曲線で描かれる。美人はすっと筋が通っているが、力みがない。美人は押し出しが強いのではなく、引き込む力が強い。などなど、日本人が「美人」として描いてきた絵を眺めながら、つらつらと考える。

西洋のドレスが足元にも及ばない和服の美しさも再発見する。幾重にも重ねられた繊細な布のちら見せ、大胆な色と柄の組み合わせ(組み合わせは無限にあるから、同じものがふたつとない)、ドレープの美しさ。帯の立体感。扇子や傘などの小物のあでやかさ。扇子をお盆にして盃を運ぶ、だなんて。

明治・大正・昭和初期に活躍した近代美人画の画家たちに出会えたことも大収穫だった。鏑木清方の「五月晴」、伊藤深水の「通り雨」、上村松園の「冬雨」など、絵の前から離れがたいほどの艶めかしさ。

上村松園のミニ画集も購入。「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである」という松園のことばの引用あり。納得。伝統的和美人のエッセンスも、「清澄で、香高い珠玉」かなあ、と。

久々に来た丸の内界隈、いつのまにかおしゃれになっていた。三菱一号館美術館(あいにく休館中)も入るブリックスクエアに、ジョー・マローンの店舗も発見。うれしさ半分、あんまりあちこちに店舗を作ってほしくない感じも半分。どこででも手に入るようになると、便利な反面、ありがたみも薄まっていくので・・・。

Photo_2

韓国映画「TSUNAMI」試写@パラマウント。ハリウッド風パニック映画の範疇に収まらない、感情をはげしくゆさぶる堂々たる映画として成功している大作。

長年の思い合いの末、ようやくプロポーズの返事をもらえるかどうかという、幼なじみカップル。

自分を本当の父とは知らない7歳の娘に再会した地質学者。その元妻のキャリアウーマン。

海洋救急隊員と、金持ち浪人中の都会の女子の、始まりかけたばかりの恋。

定職についたことのないチンピラと、そんな息子を案じる貧しい母。

平凡な、でも真剣に人生を生きているフツーの人たちの思いが、高さ100メートルのメガ津波の襲来に、どう耐えるのか、変わるのか、呑みこまれるのか。

津波のシーンの、すさまじい迫力に負けず劣らず丁寧に描かれるのが、そんな市井の人々のこまやかな感情。だから単純なパニック映画に終わっていなくて、見終わったあとも情緒をこってりとひきずる。ハリウッドCG映画にありがちな鼻白み感が皆無。

ことに強い印象に残ったのが、「午後3時の男」(=中途半端)と形容された、海洋救急隊員のイ・ミンギをめぐるストーリー。女の子主導でコミカルに恋がすすんでいくのだが、彼が最後に下す決断には、涙がしぼりとられる。

恋、愛、家族愛、恐怖、使命感、笑い、悲しみ、畏敬、パニック、絶望、希望、赦し、崇高、ありとあらゆる感情を、大がかりなアクションが連続する短い時間のなかで呼び起こす。語り口も巧みで、大画面を生かしきった、映画らしい映画。

これが最期とわかった瞬間、自分ならだれを救おうとして走るのか、なにをその人に伝えるのか、思わず考え込ませるような力もある。

9月25日公開だそう。もう一度、大劇場で体感したいと思う。

昨日の取材のあと、渋谷ついでに、「ブリューゲル版画の世界」@BUNKAMURA。150点を超える圧倒的な展示で、真剣に見入っていたら、最後はほとんど足も疲れ、頭も朦朧としてくる。ゲイジュツにも体力が必要。

Photo

予想したよりも一点一点の作品の大きさは小さい。だが、一点一点のなかに、予想したよりもはるかに豊穣な世界が、これでもかというくらい過剰につめこまれている。

おびただしい数の作品のなかでも、ワクワクするほど面白かったのは、「七つの原罪シリーズ」や人間の愚行を描く版画、そして諺をビジュアル化した世界。

「貪欲」「傲慢」「激怒」「怠惰」「大食」「嫉妬」「邪淫」、それぞれの中にみっちりと描かれるディズニーランドの建物のようなオブジェ、どこからイメージがでてくるのだろうかというグロテスクで奇怪な生き物たちは、ブキミを通り越して、魅惑的である。

実際、会場のなかでは、ヘンな生き物たちは、ひとつひとつ抽出されて、壁の垂れ幕に描かれていたり、ソファの柄になったり、デジタル化されてスクリーンの中で動いていたりしたが、かなり「かわいい」のである。一緒に見た次男は、「昔のポケモン?」と言っていた。たしかに、足のある魚や、手と翼をもつモンスター、甲羅をかぶり、頭から尻尾を生やし、手で歩く顔のキャラクターなどは、そのまんまポケモンになってもぜんぜん不思議ではない。

さまざまな動物、楽器、モノの象徴性など、はじめて知ったこともたくさん。というか学びきれないほどの情報量。人間の愚行が400年前と今とほとんど変わらないということも、あらためて実感する。

「サライ」記事のための取材で、白山眼鏡店WALLS@神宮前。あえて経年変化を演出した個性的な店舗に、他の眼鏡店では出会えないオリジナルなメガネフレームが、スタイリッシュに並ぶ。

Photo_3

代表取締役の白山將視さんに、お話をうかがう。筋が一本、太く通った、すばらしい「眼鏡観」にふれて、感銘を受ける。書きたいことは山ほどあるのだが、ここではガマン。詳しくは本誌で。

Photo_5

ジョン・レノンが凶弾に倒れたときにかけていた眼鏡が、ほかならぬこの店の製品だったことも知る。レノンの血も生々しい眼鏡をオノ・ヨーコが撮影していた。