価格と価値の問題は、ラグジュアリー領域の話題では避けて通れない。

バナナを粘着テープで壁にはった「作品」が9億超で売れたというニュースには脱力した。作者はアート界のジョーカーことマウリッツイオ・カテラン、購入者は中国の暗号資産関連の起業家。しかも購入者は数日以内にバナナを食べてしまう。

同じ脱力を、内容が薄っぺらく粗雑な作りでも「ベストセラー」になってしまう本にも感じていた。

サービスや商品に対して支払われる金額が、製作費用や時間、作り手の技術の熟練度とは関係のないところで決まる。そんな不条理な現実を突き付けられる虚しさ、というか。日々、技術を磨き思考の訓練をしているクリエイターには共感いただけるだろう。

価格が価値に見合うかどうかは、購入者が決める。それによって得られる地位、満足感、将来の資産価値などが考慮される。寄付行為においても、自身に語るストーリーや世間へのインパクトが寄付額以上と考えればおこなわれる。

技術を駆使し思いをこめた傑作を作るだけでは、商業的な成功は保証されない。

顧客が必要とし、欲しがり、夢見るもの、満足するものを想像して共感を呼び起こすための仕事も重要になる。

それはわかるが、かんじんの人間の欲望が永遠にわからない(笑)。一本のバナナとテープに9億超を支払って満足する欲望は、謎だ・・・

 

The issue of price and value is unavoidable when discussing the realm of luxury.

I was utterly dumbfounded by the news of a “work” involving a banana taped to a wall selling for over 900 million yen. The artist, Maurizio Cattelan, known as the “Joker” of the art world, sold it to a Chinese entrepreneur involved in cryptocurrency. To top it off, the buyer ate the banana within a few days.

I ’ve felt the same sense of dismay toward books that, despite being shallow and poorly crafted, somehow become “bestsellers.”

The price paid for a service or product is determined independently of production costs, time invested, or the creator’s level of expertise. It’s a sobering and absurd reality that can feel disheartening. I imagine many creators who dedicate themselves to honing their craft and cultivating their ideas can relate.

Creating a masterpiece with great skill and heartfelt effort does not guarantee commercial success. Part of the work lies in imagining what customers need, want, dream of, and find satisfying—and evoking empathy to resonate with them.

I understand this, but human desires remain an enigma to me. The desire to spend over 900 million yen on a banana and some tape… that’s a mystery I can’t unravel.

Photo: Public Domain

石川県の牛首紬展、日本橋高島屋で開催されております。白山工房の西山博之さんに牛首紬復活のユニークなストーリーを取材しました。

牛首紬展は12月3日まで。西山さんもアテンドしていらっしゃいます。ぜひこの機会に!

お話の最後の方で、「業界」なるものについて考えさせられました。西山さんがこんなことを話されました。「着物業界とファッション業界の間には長年、大きな溝があって、まったく違うシステムで動いていた。でもMIZENの寺西俊輔さんが入ってきたことで、両者の溝がなくなり、協力しあうことで可能性が無限に広がりつつある。ワクワクしている」と。

これを聞いて、はっとしました。メンズファッション業界(とりわけスーツ業界)とモード系のファッション業界も相いれない業界で、それぞれ別のシステムで動いていると見られている節があります。が、もしかしたらそれも「人」次第で、溝を取り払うことで新たな可能性が開けてくることもあるかもしれないなあ……

「業界」なるものは、つまるところ、「人」が作っています。

ファッションイラストレーターの巨匠、穂積和夫先生が逝去されたという知らせを深い悲しみとともに受けとめています。

アイビーボーイはアイビースタイルのアイコンとして世界で親しまれていますね。THE JAPANESE DANDYの顔でもあり、お人柄から多くのファンに「マエストロ」と呼ばれ愛されていました。90歳を超えても好奇心強く、学び続ける姿勢を示されていたことに頭が下がる思いがしていました。

個人的には9年前のOPENERSの対談で日本の男のダンディズムについて教えを請う機会があったことがお知り合いになるきっかけでした。

https://openers.jp/beauty/4790

当時の自分がまったく知らなかった日本の男性のたしなみや、山の手の美学の基本を教えていただきました。後代に伝えたいことばかりです。

ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

次世代ジュエリーブランド、Gemmyo創業者ポリーヌ・レニョー氏にインタビューする機会をいただきました。彼女が掲げる「スマートラグジュアリー」がカプフェレ教授(ラグジュアリー論の権威)と一緒に練り上げたコンセプトと聞いて、意外で驚きました。フランスでも確実にラグジュアリー観が変化しているのだと知り、次世代のラグジュアリーについて議論する充実した時間になりました。詳細は後日、記事にいたします。

I had the privilege of interviewing Pauline Laigneau, the founder of the next-generation jewelry brand Gemmyo. I was surprised to learn that her concept of “Smart Luxury” was developed in collaboration with Professor Kapferer, a leading authority on luxury studies. It’s clear that the perception of luxury is evolving, even in France.

エルメスというブランドを心から尊敬しているし、文字通り「時を超える」高品質や時代を先駆けるイノベーションも最高級ブランドの名にふさわしいと思う。

ただ、その製品、とりわけ一部のバッグをめぐるあり方というか構造には疑問を抱く。

・一部の顧客が本命バッグを「買わせていただく」ために他の製品に課金しなくてはならないらしいこと

 ⇒顧客が従属的でブランド様に仕えている構造

・購入したことで特別な社会的ステイタスが得られるという幻想が根強いこと

 ⇒確たる階級なき時代にブランドの威光で「上」に立てるという幻想がある構造

問題はブランド側にあるというよりむしろ、稀少性や名声、階級(の幻想)をありがたがる顧客が勝手に創り上げていった上下構造にある。

ラグジュアリーはモノやサービスを提供する側だけでは作れない。とりまく市場や顧客のあり方まで含めて世界観が築かれる。

顧客もやがて成熟してくると、ブランドに従属すること、上下格差の幻想の中で生きることの古さ、ないし幼稚さから卒業していくのだろう。その暁に、ようやくフェアにモノやサービスと向き合える世界が待っている(と思いたい)。

 

 


I hold profound respect for the brand Hermès. Its unparalleled quality, which literally “transcends time,” and its groundbreaking innovations are truly befitting of a top-tier luxury brand.

However, I find myself questioning certain aspects of how its products—particularly some of its bags—are positioned and the structures that surround them:

  • The necessity for some customers to spend on other products in order to “earn the privilege” of purchasing a flagship bag
    → This creates a dynamic where customers appear subordinate, serving the “almighty brand.”
  • The persistent illusion that owning such items grants exclusive social status
    → In an era without rigid social hierarchies, this structure fosters the fantasy that a brand’s prestige can elevate one’s standing.

The issue lies not so much with the brand itself but with the hierarchical constructs that some customers have built around the notions of rarity, prestige, and social class (or its illusion).

Luxury is not created solely by the providers of goods or services. It is a worldview shaped by the ecosystem of the market and its customers as well.

As customers mature, they may gradually move beyond subordination to brands and the outdated or even immature notions of living within hierarchical illusions. When this evolution takes place, I hope a world awaits where customers can engage with goods and services on fairer and more equal terms.

ファッション(外見への気配り)に無関心であることは美徳だという意見がある。 今の日本政府の中枢にも根強くある。 高潔な知性を働かせることにエネルギーを注いでいるので、 装いや振る舞いという「取るに足らないこと」にまで気が回らない、と彼ら​は言う。

そこに見えるのはむしろ、人間性に対する冒涜。「高潔なる知性」と「軽んじていい身体性」を切り離して考えていいという傲慢。

知性はむしろ、身体性が体験することを通して形成されていく部分がある。それを自覚し、考えぬいて社会的な身体を創り上げていくことで、「高潔なる知性」の伸びしろはぐんと増え、結果的に政治的な影響力も大きくなるだろう。

ハイテク企業のトップは考え抜き選び抜いて、「毎日服を考えなくていい」ノームコアスタイルに行きついた。

アフリカのサプールたちは、独裁主義と部族間暴力をともに否定すべく、カラフルで優雅なスーツスタイルで世界に主張を届けた。

世の中の規範通りに整えろと言っているのではない。(もちろん時と場合によっては規範に倣っておくケースも必要かもしれない。)むしろ「知性」が高くなるほど常識に抵抗し、人間の新しい可能性を身体性を通して世に示す、そんな例にこそ本物の高潔な知性を見る思いがする。

 

There is an argument that indifference to fashion (or attention to appearance) is a virtue—a view deeply rooted even at the highest levels of Japan’s current government. Advocates of this perspective claim that their energy is devoted to exercising “noble intellect,” leaving no room to concern themselves with “trivial matters” like attire or conduct.

However, what lies beneath this attitude could be seen as a form of contempt for humanity. It reflects the arrogance of separating “noble intellect” from “dispensable physicality,” as though the two could be entirely divorced.

In reality, intellect is often shaped through what the body experiences. By recognizing this fact and thoughtfully constructing one’s “social body,” the potential for “noble intellect” could expand significantly, ultimately leading to greater political influence as well.

Consider the leaders of high-tech companies, who have meticulously deliberated over their choices and arrived at a normcore style—one that allows them to avoid the daily hassle of deciding what to wear.

In another example, Africa’s Sapeurs have rejected dictatorship and tribal violence alike, presenting their message to the world through colorful and elegant suits.

This is not about blindly conforming to societal norms. (Although, depending on the context, adhering to certain norms may sometimes be necessary.) Instead, it seems that the higher one’s intellect, the greater their resistance to convention. True “noble intellect” manifests in those who use physicality to demonstrate humanity’s new possibilities to the world—a shining example of genuine intellectual virtue.

見て見て私すごいというアピール欲を抑制できず、大混乱を引き起こした可哀そうな女性PRさんを見て思い出した礼法がある。

「前きらめきを慎む」-自分の能力や個性を人前で得意げに見せない。

小笠原敬承斎先生『誰も教えてくれない男の礼儀作法』(光文社新書)に出てくる。小笠原流礼法の解説で、男性向けとされているが、社会性を求められる女性にも通じる話が多い。

前きらめき(キラキラアピール)は失脚の最大の原因になること、大昔から戒められてきたのだ。

もうひとつ座右の礼法を紹介したい。

「無躾は目に立たぬかは躾とて目に立つならばそれも無躾」 ー 作法の知識があるのだ、とひけらかすことは、作法を知らないことと同じく、非礼に通じる。

そんな礼法の目的とは、こころを練磨すること。「こころが平穏で落ち着き研ぎすまされている人と出会ったとき、自分の本質を見抜かれてしまうように思うことがある。自分の言動に後ろめたさがある人にとっては、相手のこころの落ち着きが脅威に感じられることもあるのではないかと思う」。

礼法を意識すると心のコントロールができるようになり、精神が安定する。こんな時代にこそ必須教養にすべきなんじゃないか。

心のコントロールでふと思い出した。私が両親から毎日のように言われてきたことがある。「足るを知れ」。今あるものに感謝して、それを活かして工夫してやりくりしていけ、と。機会や関係や立場や利益や貴重品など、なんらかの大きな喪失体験をしたとき、ひととおり絶望を味わったあと、とりあえず「今あるもの」の棚卸をしていくと不思議と少し落ち着いていきました。時間だけはいつも「足りない」と思ってしまうんですけどね。

20代にイギリス文化を研究する環境に偶然、身を置いて以来、 その面白さに魅了されてきたのだが、 2年ほど前に「RRR」を見たときに世界が反転する衝撃を受けた。

ジェントルマンシップという倫理は、時代に応じて変化する。19世紀の「植民地開拓」時代のジェントルマンシップは 男性のエゴイスティックな暴力的征服欲を覆い隠すための美装という一面をもった。「RRR」は、 そんな「紳士の裏側」をインド側の視点で見せてくれたのだ。

これまでも「紳士の闇」や「紳士の醜悪」を告発する小説や映画はあったが、 イギリスの内部からだった 。「植民地」側からスケール大きく見せた意義は絶大だった (酷い描かれようをしたイギリス人も「RRR」を高評価していたのが救い)。

何かを研究するのに一点、深堀りもいいのだが、 視野を広げれば広げるほど、見え方が変わってくる。 反対から、上から、下から、広い視野をもつことで全体像に近づける。

全体像に近づくことで、矛盾だらけの人間に対する理解も深まる 。ただの「好悪」が、すべてをあきらめと共に受け入れる「慈愛」に変わることがある。

不毛な争いの要因の一つは、あらゆる角度から知ろうとする態度の欠如にあると思う。

もちろん、知る努力を尽くしたうえでどうしても対立せざるをえないこともあるだろう。現代はそんな争いがあちこちで増えてきたようにも見える。

 

そんな分断に悲しくなったときにも、「RRR」は癒しのパワーを発揮しますね。

写真は近所の公園です。葉の色の変化が青空に映える季節になりました。

Mikako Nakamura 20周年、おめでとうございます。

銀座・和光で記念のイベントが開催されました。上は挨拶をする三加子先生。

幕間に駆けつけてお祝いにいらした中村橋之助さんのめでたき舞を間近に拝見できて眼福の極みでした。

橋之助さんから三加子さんへのこんなプレゼントも。

三加子さんがブランドを支える職人さんたちへの思いを伝えられたことにも感銘を受けました。最上級の作品を産みつづけるために最も大切な基盤こそ、生地屋さんや工房の職人さんたちで、もっと彼らが優遇されていかないと日本のものづくりがもたないという危機感、きちんと伝えていらっしゃいました。

タイムレスで品格あふれ、着る人を引き立てる余白を残すミカコ・ナカムラ。そぎ落とした部分が磨き上げられていることが贅沢感を生むという和光社長の庭崎紀代子さんの話も深かった。

20周年イベントの一環として和光の時計台に上るという機会をいただきました。ファッションジャーナリストの宮田理絵さんと記念写真。

なかなか撮れない場所ということでソロのも置かせていただきます。新しい体験を多々させていただいた、すばらしいイベントでした。

スマートラグジュアリーを掲げるフランスのジュエリーブランド、Gemmyo が日本上陸、お披露目会。

ショップの建築は佐野文彦さんで、日本とフランスのよき折衷をめざしたという。フランスの丸い柱、大理石の天井。日本の細尾の装飾帯など。

創業者には来週インタビューする予定です。ショップのオープンを心よりお祝い申し上げます。

先日、お伺いしたポーラ文化研究所でご恵贈いただいた本、『平成美容開花』。これが優れた平成美容史になっているのです。

コロナ禍において、研究員のみなさまが平成に出版された美容誌やファッション誌をくまなく読み込んで研究。その成果が本にデータとして反映されているとのこと。

あと50年経ったら(今も、ですがさらに)とんでもなく貴重な文化資料になっているでしょう。

コスメの空前のブームです。自分を素敵に見せるメイクの研究に余念がないのはけっこうなことですけれど、どのような時代にどんな思いをもって何を目指して自分はヘアメイクをしているのか?ということは一度考えてみても無駄ではないように思います。

それを考えるときの基準として、近過去の日本女性によるヘアメイクの闘い(!)を知るのも一興です。

瞬間風速的に「かわいい」「きれい」をめざした集合体の無意識が、時の経過で浮き彫りになる感じ。

ポーラ化粧文化研究員のみなさまによる地道なリサーチとわかりやすいアウトプット、リスペクト💙

LVMH傘下のベルモンド(ラグジュアリートラベルのブランド)が、イングランドとウェールズで初となるラグジュアリー寝台列車「ブリタニック・エクスプローラー」を発表

2025年7月、「ブリタニック・エクスプローラー」はロンドンを出発し、コーンウォール、湖水地方、ウェールズといった壮大な自然景観を巡る3つの魅力的な旅程を選べる3泊の旅を提供する (あ~乗りたい!!)

スローな旅の新しい幕開けですね。古き良き鉄道遺産を称えると同時に、現代の英国の食、文化、スタイルを融合させ、スローな時間のなかで一流のサービスや風景を顧客に堪能させる。「移動」を手段ではなく目的そのものにしてしまう。

「特別な体験」「時間の贅沢」にいっそう価値が置かれていく時代になりそう。

もちろんこれまでも豪華列車や豪華客船、キャラバンなど移動中の時間を楽しむための旅はあったが、一応目的地はあり、主に顧客に食やサービスの満足を提供するものだった。ベルモンドはそれに加え、移動中の自然景観が重要な要素になっており、コーンウォール、湖水地方、ウェールズといったイギリスの象徴的な自然や文化をテーマにした旅程が用意されている。停車地の地域経済にも貢献するような設計がされているのが次世代的という印象を受けます。

Photo from Creative Commons: Wooden restaurant car from the Orient Express displayed in the Railway Museum in Utrecht. CIWL WR 2287 from 1911.

試写。「市民捜査官ドッキ」。タイトルで損してますが、一瞬たりとも目が離せない快作です。振り込め詐欺の被害者が元締めをつかまえるまでの実話に基づいた韓国映画です。

詐欺集団の手先として軟禁されている男のSOSを、被害者が受け止め、おばちゃんたちが協力しあって元締めを追い詰める。

振り込め詐欺集団の過酷な実態をシリアスに描きながら、おばちゃんたちの活躍を笑いを入れつつテンポよく活写。感情を上下左右に揺さぶってくるのは、やはり韓国映画の底力ですね。

整形してない系の韓国の女性のタフな表情の豊かさが、ヒューマンな美しさとして長く心に残ります。

試写。ナイーブな金髪の美青年だったドナルド・トランプが悪徳辣腕弁護士ロイ・コーンに導かれて誰も手に負えないモンスターに化けるまでの衝撃の半生。

恩知らずで冷酷でエゴイスティックな冷血ぶりが公開されても大統領に選ばれてしまえば勝ち。これ実話なのか。フィクションでも考えられないだろうというくらいの非人間的なトランプが暴かれるすさまじいストーリーにまだ呆然。

80年代から90年代にかけてのアメリカの勢い、当時の音楽やファッション、インテリアもぎらぎらとたっぷり見せてくれる。

見て快くなる映画ではないし、なかなか経験できない暗い動揺が続く後味だったりするのですが、人間や社会のダークサイドを刮目して見よ、といった感じの問題作でした。シェイクスピアの不条理劇みたいな味わいもあり。

1月17日公開。

米大統領選は日本のテレビを見ない人間にとっては、予想通りの結果でした。

さて、ドナルド・トランプのマッチョイズム全開に対し、独自の立場をとっているメラニア・トランプを興味深く見ている。

息子を理由に、ファーストレディとして主要なイベントには出席するけれど日常的な業務やインタビューは控える「パートタイム・ファーストレディ」になるという。

夫の仕事のために全面的に献身する保守的ファーストレディの伝統を破壊している。だって息子のバロン、あんなに立派な18歳ですよ。明らかに息子のケアは「口実」ということがみんなわかる。この抵抗、ちょっと痛快。

10月に出版された回顧録「メラニア」では中絶や移民政策に関しては夫と立場を異にすることを明確にしているし。夫とは一心同体であるはずもなく、考えが違うのはあたりまえで、パートタイム的に協力すればいいじゃないかというのが実に現代的。

さらに自伝で驚いたのは、2005年から現在にいたるまで、メラニアがチャールズ国王と文通しているということ。意外と、外交には向いている人なのかもしれない。

そんなこんなでメラニアがこれからどう出るのか、注目したい。少なくとも、ファーストレディのファッション云々だけの記事は、彼女に関しては、もったいなすぎる。

日経新聞連載「モードは語る」。11月9日付では「若者のウェルネス疲れ」について書いています。電子版は有料会員限定ですが、こちらです。

英語版はnoteに掲載しています。

挙げた例はダリのシュールレアリスムとアルトーの残酷演劇でしたが、マルキ・ド・サドのサディズム、ロマン主義者たちの活動も、人間本来のウェルネス回復のための芸術とみなすことができるのではないかと見ています。

写真はサルバドール・ダリ、ウィキメディア・コモンズより。

金沢・香林坊で「伝統文化を未来へ」繋ぐことをテーマにしたシンポジウム。

「伝統工芸の担い手問題を考える」セッションでは、金沢箔と加賀友禅の、それぞれの経営者と若手後継者のお話。若き後継者の夢と希望にきらきらした姿がまぶしかったです。

共に発信の大切さを力説していらっしゃいました。

「伝統を次世代のラグジュアリーブランドへ」のセッションでは、牛首紬の西山さんとMIZEN寺西さん、そして冨永愛さんのトーク。西山さんがなぜいま牛首紬に携わっているのかという経緯が予想外で興味深く、ノーブレス・オブリージュ的な面に焦点を当ててあらためて深くお話を聞いてみたい。

冨永愛さん効果でつめかけた観客の熱気がすごかった・・・。今後も大手メディアのバックアップによる愛さんの発信が続き、各産地の伝統工芸はどんどん脚光を浴びていくでしょう。

金沢のイベントの帰途。「はくたか」の車窓からの風景。高層ビルがないと空が広々と見え、気持ちまで伸びるようですね。

ブルネロクチネリ2025SSメンズ。テーマは「ACTS OF INSTINCT(本能的な行動)」。もっと自由にスタイリングを楽しもう!という提案。
「マイアミヴァイス」と「グレートギャッツビー」の自由なスタイリングが着想源。パステルを多彩に展開する軽やかな洗練。
ブラウンタキシードの登場にも、ついに!という感慨(写真なくて失礼)。大谷選手がボスのブラウン夜会服を着ていたあたりからブラウンが来るのだな、と感じていたらやはり。(業界が新しい定番服を買ってもらおうとすれば、まあ、色を変えるのがよいというのはわかります…)

いつも感心するのが色の名前。前からあった名前なのかもしれないですが、私的に耳慣れない名前。「オールドイングリッシュホワイト」とか「ダストブルー」とか。納得感のある名前に、色を見る目の解像度が上がります。
今回もモデルさんが何度も着替えて登場してくださり、とてもわかりやく眼福なプレゼンテーションでした。ありがとうございました。

ブルネロクチネリ2025SS。まずは香水のニュースから。

すでに発売中の2種の香水に加え、来春、6種の新たな香水が加わります。左(ベルガモット)から右(レザー)へ、色が濃くなるとともに深みと艶が増していきます。「天上への道」「夜開く夢」という詩的な名前も魅力。

クラシックな王道的なカテゴリーを網羅し、すべてにクチネリ的解釈を加えた新・王道、という印象があります。陶酔に導かれる香りです。

西洋の紋章だけでなく、日本の家紋も視野に入れ、比較文化的に歴史を読み解く意欲的な本。

著者の安田裕貴さんは、Xで「ゆづき@西洋紋章学」というハンドル名で紋章の知識を発信し続けている若い独立研究者です。

まずはクラファンの力も借り5年がかりで結実させたゆづきさんの努力に心から敬意を表します。彼が本を書きあげる過程で、鈴村裕輔先生や君塚直隆先生による励ましも見ていただけに、彼を見守る多くの人のあたたかさの結晶とも感じます。

紋章の栞も素敵です。

ますますのご健筆を応援しています。

資生堂オープン イノベーション プログラムfibonaと、ポーラのマルチプル インテリジェンス リサーチセンターmirc の共同研究に、先月に引き続き外部講師としてお招きいただきました。

未来のウェルネスとウェルビーング(両者は違う)をさらに明確に考えるためのユニークな機会でした。
今年の春にできたばかりのピッカピカの青山ポーラビルにて。

左から資生堂fibonaリーダーの中西裕子さん、大阪大学の佐久間洋司先生、ポーラmircリーダーの近藤千尋さん。

自分のミッションとして、当たり前のように使っていた多くのコンセプトをオリジンから徹底的に洗いなおして現代的に考える、という作業をさせていただきました。良い機会を与えていただきありがとうございました。

 

I am honored to have been invited back as an external lecturer to contribute to the collaborative research initiative between Shiseido’s open innovation program, fibona, and POLA’s Multiple Intelligence Research Center (MIRC), building upon our productive session from last month.

This unique opportunity allowed us to further clarify our thinking on the future of wellness and well-being (which are distinct concepts).

The event took place at the brand new POLA Building in Aoyama, which opened just this spring.

Pictured from left: Yuko Nakanishi (fibona Leader, Shiseido), Project Researcher Yoji Sakuma (Osaka University), and Chihiro Kondo (MIRC Leader, POLA)

In preparation for my participation, I set myself the mission of thoroughly re-examining many concepts we use routinely, tracing them back to their origins and reconsidering them in a modern context. I’m grateful for this valuable opportunity.

少し時間があいてしまいましたが、朝日新聞11月5日付朝刊文化欄「選挙ファッション重視、過去の話?」でコメントが掲載されました。

米大統領選各候補につき、配偶者、副大統領、その配偶者、そしてそれぞれの党の支持者にいたるまでかなりのエネルギーを割いて調べ、コメントを出したのですが、掲載されたのはハリス候補のみ、しかも結構、誰でも思っている普通の内容でした…。新聞コメントはそんなものですかね。むしろまとまった原稿書いておけばよかったかな。

 

ちなみにもっとも面白いと感じているのは、共和党副大統領候補として出たヴァンス氏です。だんだんトランプに似てくるスーツスタイルと、政治家としてはかなり異例なメンズ顔ひげ。政治家の顔ひげの歴史。どこかで書く機会があればまとめて書きたいテーマです。

 

トランプ大統領誕生をお祝いします。

 

 

 

定期の高知出張です。過去3年くらいずっと快晴でしたが、今回は台風→線状降水帯の影響で雨です。あめにけぶる風景もどこかおとぎ話のような幽玄な印象。トップ写真は行きの飛行機からの富士山ですが、10月最後の日にも冠雪は見られませんでした。

 

「ラグジュアリーの羅針盤」、輪島塗職人の回がウェブ公開されました。こちらです。

あまりにも過酷な輪島の現実を思うと何を書いても偽善的に見えて、自分でほとほといやになることもあります。それでも、余裕のある方に少しでも多く輪島塗を買っていただくきっかけになることがあれば、という思いです。少しでも早く復興が進むことを願っています。

 

取材やコンサルの仕事で地方へ行くたびに、日本の「標準」はむしろこちらなのだ、ということを実感します。東京がむしろ異常なニッチなのかもしれません。