国の支援×伝統工藝×ラグジュアリーのイベント、拙いファシリテーターを務めましたが、各地からご参加いただいた方々からの鋭い質疑応答のなかに学ぶことが本当に多く、忘れないうちに備忘録としてメモしておきます。

◎「伝統的工芸品」は、「伝産法」に基づき、経済産業大臣が指定する。100年間以上、それぞれの地域に密着した生活用品を提供する産業であることが大前提となる。そう、100年の歴史を持ってないと国の指定を受けられないのです。国の指定が受けられないと補助も受けられない。

<伝産法第一条>国民の生活に豊かさと潤いを与えるとともに地域経済の発展に寄与し、経済の健全な発展に資する。

指定されているのは全国に243品目。100年経っていることが要件なので、「輪島塗」は伝統工芸品に指定されるけれど「珠洲焼」は指定されてないのです。ただ、自治体での指定要件は別。でもね、民藝的に生まれ、発展したものも多いだろうに、100年経っているという証拠を出せ(文書でもなんでも)と言われても難しいところもあるのでは。

◎伝統工芸品の生産額。1990年代には158品目508,164百万円→2022年には240品目104,989百万円。 5分の1に激減してるなかでも織物の割合が減っています。増えているのは金工品。 伝統工藝、たったの1000億円規模だったんかいと愕然としました。エルメス一社で2兆4000億円ですよ。どこかで値付けが間違ってるとしか思えません。

◎伝統工藝の従事者数を見て見ましょう。1990年代には158品目205,588人。2022年には240品目48334人。ひとりあたりいくら稼げてるかという平均値を無理やり出せば、約217万円。あまりにも割に合わない低賃金労働。これが伝統工藝に後継者がいない決定的理由でしょう。

◎こういう状況なので現代生活に「必要」なければ廃れていくしかない運命です。 ですが廃れるままにしておくにはあまりにも美しいのですよ。 そんなお宝に目をつけているのが海外ラグジュアリーブランドです。ゆえにそこから資本を入れてもらうことを目的とするところも出てきてますが、それでいいのか?

◎貴重な技術が海外のブランドに買われ、日本からは無視されていることに怒りと虚しさを表明する「いせかたがみ」に携わる方もいらっしゃいました。また、国の支援が職人中心に向けられ、ラグジュアリー化にもっとも大切なプロデュースやマネージメントが軽視されていることに対する怒りに近いコメントを表明される「伝統工芸プロデュ―サー」の声も鋭く心に残りました。

◎一方、国の支援に頼ることがそもそもクールではないことで、自立して自由にクリエイティブを発揮してやっていければそれに越したことはない、という意見も。もっともなのだけれど現在の日本の伝統工芸がおかれている状況ではそうも言っていられないこともある現状。

◎「相談したくても窓口がない」「誰に相談していいのか、どこまで突っ込んだ相談ができるのかわからない」という現場の方々の切実な声を聴くたびにやはり思うのです。ラグジュアリーマネジメント(伝統工芸のマネジメント含む)教育、ラグジュアリー統括組織(伝統工藝を含む)、産業が三位一体となったエコシステムは必要だということを。有機的な人のつながりを基にそんなシステムを構築していきませんか?

 

雅耀会第2回、「国×伝統工藝×ラグジュアリー」の回。国際文化会館にて。ファシリテーターを務めました。

名古屋、金沢はじめ遠方からのゲストも多く、産地、教育機関、プロデューサー、メディアの方々からの鋭い質疑に対する応答で盛り上がりました。

職人への支援ばかりではダメ、プロデューサーやマネージメント側面への注力が肝要という現場の専門家からの指摘が、良い形で政策に反映されることを願っています。
経産省中部経済産業局の局長、寺村英信さん、同製造産業課の磯貝智子さん、おふたりのあたたかいハートと冷徹な頭脳のおかげで伝統工藝の現状に対する理解が深まりました。現場の方からは怒りにも近い絶望の声が出たような伝統工藝の現状ですが、「火を絶やさない」という磯貝さんの言葉に希望も見えました。

今回も良き交流の場になりました。それぞれの活動の次につながりますように。

 

「わたのまち、応答セヨ」の紹介記事です。さびれゆく繊維の街の地味な話かと思って見たところ……撮る人が撮られる人を変えていくドキュメンタリーの底力を感じました。ラスト、ロンドンで遭遇する奇跡に泣きました。

「ラグジュアリーの羅針盤」Vol.29 「銃弾を拾い、祈りを染める 琉球びんがたが伝える物語」公開されました。

沖縄戦のことが、こうした美しい伝統工藝を通じて後世に伝わっていくのだということを体感した取材でした。「鉄砲のたまが、そこら中におちていた。それを拾って道具にした」と淡々と話す城間さんのお話の衝撃がよみがえります。

取材にご協力くださいました城間びんがたのみなさま、ありがとうございました。

ラグジュアリー文脈のなかで伝統工藝を考える会の第2回目は、「国の支援」がテーマです。経産省中部産業局からお二人をお招きします。

2年で異動になる経産省のお役人とは思えない(偏見ごめん!)、炎のような情熱と賢さと愛らしさを備えた女性、それが磯貝智子さんでした。経産省中部産業局の局長補佐。

彼女の前例なき活動を後押しする上司である局長の寺村英信さんが、これまたヘラルボニーのネクタイもさらりとつけこなすチャーミングな方なのです。

お堅い話?と敬遠したらソンするほどのお二人の内容の濃いお話と、何よりもお人柄、心意気をお伝えしたい。

愛と知性にあふれるこんな方々が携わるからこそ、私も一緒に応援させてください、ってなってる。

伝統工芸がよくわからない人にこそ、この場に来ていただき、彼らの熱意とヒューマンな知性を共有したいと願っています。

なんといっても、4月から磯貝さんは異動になってしまう (万一、筋違いの部署だったら経産省に抗議したい)。

彼女が灯した火を絶やすのはあまりにも惜しい。伝統工芸に対する知識はもちろんのことなのですが、 それを超える、あたたかな心の収穫がもたらされるはず。

なんであれ、未来へ繋がる鍵になるのは結局のところ、心が動くかどうかという人間的な共感。あなたの仕事に情熱と愛はあるか。彼女の仕事ぶりからは、そんな基本を再確認させられます。

3月29日(土)開催「伝統工藝の未来を拓く 国の支援とラグジュアリーとの新たな可能性」、お申し込みはこちらから。

雪がちらつく寒い日でしたが、阪急メンズ東京で開催中の「香りで巡る日本の美」ポップアップの中で開催されたトークイベント「日本発の香水ブランドと次世代ラグジュアリーの新しい可能性」を無事終えることができました。

寒い中、立ち見でずっと集中して聴いてくださったゲストの方々には心より感謝申し上げます。

SATORIの大沢さとりさん、リベルタの山根大輝さんとも、準備の段階からアフタートークにいたるまで、深く対話を重ねてきました。当日の内容の概要はあらためて記事化させていただき、英語でも発信する予定です。

ラグジュアリー製品のなかでもニッチな香水はもっとも文化や思想や夢という付加価値の部分が大きいジャンルかもしれませんね。液体の原価を計算することにあまり大きな意味がないというか。価格を超える価値、価格をどうでもよくしてしまうほどの斬新な視点や感動、使う人の人生を格上げすると感じさせるほどの価値をそこにどうやってこめていくのか。そこが問われる。

日経新聞連載「モードは語る」第100回最終回、「服装が語りかけることとは」

フランクリンの毛皮帽とゼレンスキ―大統領の黒シャツが語ることをどのように解釈するのか。

私の「ファッション観」も込めています。

私家版ですが英語版はこちらです。

服装は確かにメッセージですが、 それをどのように読むのかはひとえに解釈する側にかかっている。

服の背後にある人間の物語や状況をどこまで慎重に読み解けるかが鍵になる。

「失礼」があるとすればむしろ、背景を想像しようともしないことだろう。

ファッションには本当に多様な見方があり、それぞれに興味深いと思うが、 私が見てきたのは常にその奥にある人間の物語でした。8年間にわたるご愛読ありがとうございました。

朝日新聞から依頼を受け、「破れないストッキング論争」の背景を解説しました。

紙版では3月5日付夕刊に掲載されています。ウェブ版は有料会員への全文公開になりますが…。

技術論としてはたしかに、「美しく薄い質感」と「強度と耐久性」を両立させるのは容易ではない。軍事レベルの強度な繊維を使ったとしてもコストや通気性、着心地などが犠牲になる。

だが女性の現実はそこまでの強度を求めているわけではないのだ。あまりにも些細な刺激で(時には履く前に)破れることが多すぎることに不満を抱いている。

メーカー(ほとんど男性)が技術論をふりかざし、ユーザー(女性)の切実な現実をくみとろうとせず「指切るで」などの軽率で的外れな対応をしてしまったことで反感を買ってしまった。

そもそも根本的な原因は、日本のメジャーなアパレル業界において決定権をもっているのがほぼ男性、ということにある。彼らが「多様性の大切さ」を力説し、同じような後ろ姿の男性が全員うなずくというシュールな光景ときたら……。

I was commissioned by The Asahi Shimbun to explain the background of the “Unbreakable Stockings Debate.”

From a technical standpoint, it is certainly not easy to achieve both a “beautifully thin texture” and “strength and durability.” Even if military-grade strong fibers were used, it would come at the cost of breathability, comfort, and affordability.

However, women are not necessarily demanding such extreme durability. Their frustration stems from the fact that stockings often tear too easily from even the slightest stimulus—sometimes even before they are worn.

Manufacturers—mostly men—insisted on technical arguments without considering the real concerns of female users. Their dismissive and tone-deaf responses, such as jokingly saying, “You could cut your finger on them,” only fueled further backlash.

At the core of the issue lies the fact that decision-making in Japan’s major apparel industry is still dominated by men. The irony of these men passionately advocating for “the importance of diversity,” while a room full of similar-looking men nods in agreement, is almost surreal.

アカデミー賞授賞式。昔ほど熱心にフォローしていないのですが、アダム・サンドラーがブルーのスウェットパーカで出席し、ドレスコードを派手に破って追い返された「シーン」が印象的でした。帰り際にサンドラーが抱きついたのは、全身黄色いスーツのティモシー・シャラメ。

一瞬でしたが、視覚的なインパクトは明白。ブルーとイエローのふたりでウクライナ―カラーを作っていたのです。

前々日には、ウクライナのゼレンスキ―大統領がホワイトハウスに赴き、「スーツ着てないのは失礼」という趣旨の指摘を記者から受けていました。

(この件については、今週末の日経連載「モードは語る」で書きました。8日に掲載されます)

タキシード着てなくて追い出されたサンドラーとシャラメのメッセージ、スーツ着ないで追い出された大統領に届いたかな。

 

さてもう一点、ちょっと残念だったのがデミ・ムーアに主演女優賞がいかなかったこと。

前日に「サブスタンス」の試写を見ました。すさまじい狂気とSF的グロテスクに瞬きもできないほど見入ってしまいました。ルッキズム・エイジズム・承認欲求がもたらす未来を描くホラーですが、ホラーを通り越して最後はジョジョ味も加わった阿鼻叫喚。あらゆる感情を分離不能なほど沸騰させ、狂気爆発の花火が揚がる感がいっそ痛快な、これが映画的感情だったなあと思い出させてくれた世界。ひとえに演技を超越した内臓さらけ出しを見せるデミ・ムーアの迫力ゆえです。

そんなデミにまたしてもオスカーが行かず、若い女優にもっていかれた。映画の内容そのもので皮肉さえ感じました。

これほど限界を超えてがんばっても、不当と思われる評価に終わってしまうこともある。内心、悔しくて辛いだろうな。とはいえ、彼女の復活と貢献は多くの人の心をつかんだと思う。究極におそろしく醜く悲しい姿(演技においては誉め言葉)を見せてくれて……ありがとうと伝えたい。彼女の勇気と覚悟そのものに力をいただいた。

 

*写真は東福寺の庭園。水の流れと波紋を表現しているという。見る人によって受け止め方も変わってくると思いますが、すべては流れ続けてダイナミックに変化していく、同じ瞬間はなく変わり続ける、という無常観を感じ取りました。

日本の香水ブランドだけで百貨店で特集が組める時代が到来したのです…。2000年あたりから限りなく細々とかすかに(笑)香水普及のための発信を続けてきた身には、感無量です。

3月8日(土)には、Parfum SATORIの調香師である大沢さとりさん、LIBERTA Perfume代表の山根大輝さんとともに、日本の次世代ラグジュアリーと香水について語るイベントもあります。よろしかったらぜひどうぞ。

Artists’ Fair Kyoto 2025。京都新聞社地下も会場になっております。

ここがもう、あやしいのなんのって…。展示もその雰囲気に相ふさわしい、あやしい作品が多くて相乗効果でゾクゾクする空気を醸し出している。

アートは飾られる環境も大事ですね。というか、環境と一体になってこそアートの価値が生まれるという一面もある。

京都新聞社地下はアートと環境の相性がよかった(東福寺に展示されていたアートは完全に環境負けしていたと思う。東福寺にはどう太刀打ちしてもかないませんわ)。

展覧会プレビューの翌日は、千總工房の見学と取材。

詳しくは後日記事にて、なのですが、さすが470年の歴史を誇るだけあり、和のデザインの一大アーカイブも持っていらっしゃいました。デザインの数、2万点。有名なデザイナーの和柄をOEM的に手掛けられることもあれば、お茶やお酒、お菓子の外装に描かれた和柄をデザインすることもある。驚きの連続。

千總のマーケティング部長、斯波大輔さんにご案内いただき、締めくくりは社長の磯本延さんにじっくりお話を伺いました。初めて聞く話ばかりでとんでもなく充実していました。記事に書ききれるかな。書ききれなかったことは、講演などでもお伝えしていく予定です。

 

京都伝統工芸館。千總ギャラリーのすぐ近くにあり、立ち寄ってみました。

京都伝統工芸大学校(学校法人二本松学院)関連の施設らしく、講師や学生の最新作品も展示されています。どのように伝統工芸がアップデートされているのかよくわかる展示でした。

外はインバウンドで混雑気味の京都ですが、この館内はがらがらでゆったり眼福体験できました。伝統工芸を学びたい方にとっては、穴場的なスポットかもしれませんね。

京都の3か所の会場でArtsits’ Fair Kyoto 2025 が開催。プレビューに伺いました。

まずは臨済宗大本山 東福寺。東福寺そのものが初めての体験だったのですが、いやもうスケールの大きさが予想以上で、文字通り目を見張ることの連続。

なかでも庭園のバリエーションの豊かさときたら。幾何学的で抽象的な美しさに見惚れます。

とても崇高な気が流れるような場所で、雲一つない快晴だったこともあり、心が洗い清められるような時間を過ごしました。

表に展示されたこけしの「花子」にはおおっと思いましたが、中に展示されたアートは、正直、あまり理解できませんでした。ごめんなさい。おそらく東福寺の美がそれをはるかに凌駕するものだったためだと思います。今までなんで行かなかったのだろう、と悔やんでいるほど。

今回宿泊したのは、ぎおん美先。
スタッフが全員外国人で日本語を話し、ゲストも外国人ばかり。

外国人が好む、というか期待するであろう京都らしさがしつらえられている。

こじんまりしているが設備もインテリアも最先端。朝食も素朴な和食でゲストが大きな一つのテーブルで同席するのでなぜかいつのまにかみんな英語で会話している。

京都というテーマパークのある外国旅行をした気分になりました。シュールで得難い体験でした。(写真上は、Paolaさんが絶賛していたThe  Shinmonzen。ご近所であることを知り、あらかじめ取材を申し込みましたがかなわず。次に機会あれば宿泊してみたい)

周辺も古い京都の風情が保たれ、あるいは演出されている、しっとり落ち着いた界隈でした。

アーチストの加藤泉さんと、創業470年を迎える老舗の千總がコラボした展覧会が千總ギャラリーで開催されています。
記者会見と内覧に伺いました。

加藤泉さんと、千總社長の磯本延さん。

加藤泉さんと、蒲池工芸の蒲池正太さん。今回の作品では、加藤さんのヒトの絵の上にリアルな「みみずく」を描いています。

詳しくは後日記事にて。

 

Q JAPAN 4月号特集はTokyo New Ivy。
ブリティッシュ・アイビーについて解説しました。

とはいえ「ブリティッシュ・アイビー」なる用語は当のイギリスでは使われず、日本独自の分類・解釈により生まれた言葉&スタイルと思われます。
(こういうの、日本は巧いですよね)

日本の「アイビールック」(これじたい、アメリカを経由したイギリスのトラッド由来ですが)がイギリスの伝統服装を再解釈した結果……イギリス側では日本独自のスタイルとして認識される可能性があります。

The April issue of GQ JAPAN features “Tokyo New Ivy.”
I provided an explanation of British Ivy.

That said, the term British Ivy is not actually used in the UK. It seems to be a concept and style born from Japan’s unique classification and interpretation.
(Japan is quite good at this kind of thing, isn’t it?)

Japan’s Ivy Look (which itself is essentially British trad filtered through America) has reinterpreted traditional British clothing. As a result, there is a possibility that it may be recognized in the UK as a uniquely Japanese style.