スペインのラグジュアリーセクターでビジネスをする方が来日、お声がけいただいてお話を伺いました。

初来日にもかかわらず、3週間でディープで広範な日本を体験していらして、私よりもはるかに日本の最先端をご存じで驚愕でした(私が知らなすぎ、ということもありますが)

「調査力」の秘密は何かと聞こうと思ったのですが、話しているうちに、「調査力」なるものは人間力とコミュニケーション力に尽きるのだろうと実感(人と会い、雑談しながら良好な関係のなかでごく自然に情報を得る)。

「松葉茶寮」も旅行者であるはずの彼女の指定。日本人の私は知らなくて、初めて足を踏み入れてどきどきしてしまいましたよ(笑)

もっとも重要で必要な情報は、たぶん、どこにも「書いて」ない。生身の人間からしから伝わらない。

幻想的な金魚たちが織り成すアートの世界が、銀座三越新館アートアクアリウム美術館で展開されています。

赤い光に包まれた金魚鉢には、妖しさが漂うヒガンバナが絡まり、異界への入り口を感じさせる佇まい。「百花繚乱」の世界に水中を泳ぐ金魚たちが優雅に動く…のですが水中に閉じ込められている図がそこはかとなくホラー。音楽もその効果を狙っています。

館内には色とりどりの照明を浴びた水槽が並び、それぞれ異なる耽美な世界を展開。青や赤に彩られた円柱の中では、金魚たちが舞い、その場で時が止まったかのような感覚に陥ります。月を背にした映像展示では、秋風に揺れるススキの影が、儚さと同時にジャパンホラーを思わせる不思議な恐怖感を引き出します(トップ写真)。

頭上に広がる無数の提灯の灯りは、幽玄の世界へと誘います。どこか異世界の空気感が漂うこの耽美な展示は、「現実と非現実の狭間」に迷い込む感覚を味わわせてくれる幻想世界でした。

期日前投票に行ったついでに、近隣でありながらこれまで足を踏み入れたことのなかった辺りを歩いてみた。高速インターチェンジの高架下周辺になる。整然と手入れされた表通りからほんの2,3分歩き進んだだけで別世界が広がっていた。

何年も顧みられていないために雑草が森のようになっており、電柱や電線にまで雑草がからむ。

これはこれで趣きを感じる光景ではあったが、まさかほんの少し「裏」に入っただけでこんな光景が広がっているとは夢にも思わなかった。

さて、話は変わるが。

「ルルレモン」のウェルネスリポートで、最近の若い人が「ウェルビーイング疲れ」に陥っているという報告を見た。

<回答者の61%が身体的、社会的、精神的な健康を達成するプレッシャーを感じており、45%はストレスや孤独感、疲労感も引き起こす“ウェルビーイングへの燃え尽き”に陥っていることが明らかになった>(WWD)

最近の映画やドラマに、極端なホラーや不条理な恐怖を描いたものが増えているのは、表層的なきれいごと追求のプレッシャーに対する反動なのか?

ウェルビーイングが謳われれば謳われるほど、その世界観とほど遠いことが起きることを見逃すわけにはいかない(夜更かしドラマ一気見、異様な激辛、オーバードーズ、斧投げバー、感覚遮断タンクetc.)

うるわしい理想であるウェルビーイングのプレッシャーがかかれれば、そこに至れない場合に大なり小なりの自己破壊的行動を引き起こすこともある。

それって逃避なのか、反逆なのか、それとも別次元のウェルネスや再生を見出す手段なのか。

一応、レポートにはプレッシャーを感じる理由として3つ挙げられている。

・社会の期待
・矛盾する情報
・全てを一人でこなしている感覚

対策として、

・雑音を遮断し、自分自身の声を聞く
・心地良いことをする
・一人でなく、誰かと取り組む

という対処法も挙げられているが、いや、それが簡単にはできないから、代替の道に行ってしまうのではないか?

少なくとも、「ウェルビーイングであれ」のプレッシャーを緩和する、あるいはそこから解放するような理念やサービスやアートの需要はなくならないだろう。

整然とした理想の裏には乱雑な野生。そんな光景に重なって見えたウェルビーイング疲労。

北日本新聞別冊「ゼロニイ」連載、「ラグジュアリーの羅針盤」Vol.24は、輪島塗職人に取材した記事です。話を伺って一週間後、輪島は豪雨に襲われ、再出発したばかりの職人さんも再度、絶望の淵に立たされました。何を書いても偽善的に見えてしまうのですが、それでも負けずに立ち上がり、支援の輪と協力を続けて輪島塗を存続させようとする姿に逆に勇気をいただく思いがします。

ほんとうは今、輪島は選挙どころではないのだ。自治体も政府も動きが遅すぎる。歯がゆい思いをかみしめながら早い復興を願っています。

SPUR 12月号、発売です。

「読む『宝石と腕時計』」特集で協力させていただきました。宝石を連想させる文学の言葉を探せ、というミッション。

ボードレール、シェイクスピア、キーツ、宮本輝、三島由紀夫から探してきました。本棚の埃がきれいになりました。

よろしかったら本誌をご覧くださいませ。

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文学の言葉は長く残り、時空を超えて後世の人々に影響を与えるものであるなあ……ということを改めて実感していた矢先に、ちょっと心に引っかかる光景を目にしたので、記しておきます。

リアルであれインターネット上であれ、

仮に言葉をかけるならば、どんな相手であれ最低限の敬意をもってかける。
よほど軽蔑や怒りが大きければ、ひねりのある皮肉で昇華する形で伝える。
それさえ難しければスルーするか思い切り距離をおいて法的処置にゆだねる。

それが人に影響を与える言葉を使う人間の責務であり大前提とされてきたし、 言葉によって社会になにがしかの影響を与える人間の価値でもありました。 学問の世界に長くいたのは、そんな「生きるお手本」のような先達への尊敬と憧れがあったためです。

そのような倫理観が公然とふみにじられる光景を目にしました。

若者や子供たちは、それでもなお影響力をふるう大人の態度を模倣します。

罵倒や侮蔑のことばを立場のある人が公然と放てば、それをOKなのかと受け取る若者が主流になる数年後、「そんな」世の中になってしまう。

言葉を用いて仕事をする人が(そうでなくても、ですが)責務を倫理的に果たすということは、何年後かの自分ないし子孫が生きる未来の社会環境を作るための、最低限の投資でもあります。さらにそれを美しく使えば、後世の人々を救う光にもなります。

自戒を込めて、です。

 

1666年10月のチャールズ2世による衣服改革宣言は、スーツのシステムを生んだという意味でも画期的でしたが同時に、ラグジュアリーの意味を変えたという意味でも注目に値します。

それ以前、宮廷は誇示的消費を宮廷の特権とすることで権威を保っていました。エリザベス1世時代には中産階級以下に「奢侈禁止令」を制定してまでラグジュアリーを独占しようとしていました。その「伝統」が続いていました。

しかし、「貴族に倹約を教える服」の導入により、王侯貴族が反・贅沢に向かうことによって文化的権威となろうとしたのです。これがいかに斬新なことであったか。

さらに1688年の名誉革命はイングランドにおける最初の民権条例を制定させましたが、これにより、貴族はいっそう贅沢から離れ、慎ましさへ向かうのです。

啓蒙思想がこの傾向を後押しします。啓蒙思想は民主主義と人権を大切にするという理念を育てていきます。

旧時代の貴族が耽溺していた誇示的装飾をやめたイングランド人は、地味で簡素なスーツを、このような政治的理念や社会思想と結びつけます。

旧貴族的贅沢の誇示を頑なに残していたフランスでは流血革命が起き、反・贅沢のドレスコードの力でうまく移行に成功したイングランドは、18世紀末までには、世界のメンズスタイルのリーダーとなっていきます。簡素なフロックコートは、個人の自由と立憲政府を支持する人間のドレスコードとなるのです。

とはいえ、フランス側でそんな立場をとる者は、仲の悪いイングランドではなくアメリカに倣った、という風を装います。ベンジャミン・フランクリンにちなみ、フランクリン風ファッションと呼ばれて採用されていきます。

ともあれ、その流れを作った発端が、チャールズ2世の衣服改革宣言にあったということ、これはもっと重視されてよいのではと思います。

それで、ラグジュアリーはイングランドから姿を消したのか?といえばそうではなく、質素・簡素の徹底の中にラグジュアリーを見出す「新しいラグジュアリー」として、ボー・ブランメルのダンディズムが開花させるのです。紳士型ラグジュアリーの誕生であり、今日も隆盛する紳士ブランドはこの時代のヘリテージを利用してラグジュアリービジネスをおこなっています。

 

 

 

 

大阪・うめだ阪急で開催されたブルネロ クチネリ顧客様イベントでラグジュアリーに関するサロンレクチャーを2回、行いました。テーマ「1920年代の文学サロン」に似つかわしいようVIPルームも装飾され、スタッフのみなさま、顧客のみなさまとともに豊かな時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

1階のポップアップではイタリアからオペラニットの職人が来日、デモンストレーションをおこなっています。ひとりですべて手作業でおこない、20時間から、40時間くらいかかることもあるそうです。お近くの方、またとない機会ですので間近でご覧ください。

I had the pleasure of speaking about luxury at a special client event for Brunello Cucinelli at Hankyu Umeda. The salon was beautifully decorated with books, creating an atmosphere reminiscent of the literary salons of the 1920s, which perfectly matched the theme. Thank you very much.

ココ・シャネルがコスチュームジュエリーによって金融資産とエレガンスを切り離してしまい、1920年代にふさわしいエレガンスを示したことで結果的に女性解放をもたらしたように、 金融資産とラグジュアリーを紐づけず、新しいラグジュアリーのあり方を示すことが次の時代を作るだろう。

ブルネロ・クチネリのエッセイのなかに哲学者カントのラグジュアリー観が紹介されていた。

「ラグジュアリーはセンスに恵まれた人間のなかに見出され、その多様性により私たちの判断能力を満足させ、社会生活全体を活気づけながら多くの雇用をもたらす」。このことばのなかにも、ヒントがある。

 

金融資産と切り離す、というのは発想においてそのようにするのがいい、ということである。金融資産のある人の世界に媚びない。むしろ視点の転換をもたらす。

これを実際に現在おこなっているのが、MIZENの寺西俊輔さんで、日本の農民発の知恵と工夫、技巧を「ラグジュアリー」製品に組み込んで発信している。B級とされた繭から生まれた紬。寒さをしのぐために工夫されたこぎん刺し。

結果として富裕層しか買えない価格になるというジレンマは、19世紀のウィリアム・モリスの時代からあった。アーツ・アンド・クラフツ運動を先導したウィリアム・モリスは、低品質の大量生産品に抵抗して、職人が喜びを感じて作ることができる、芸術的な日用品を生産することを目指した。でも実際にそういったものを作ったら、金持ちばかりが買っていく。そこにジレンマを感じて、次第にモリスは社会主義運動に傾倒していく。

このジレンマを解決するひとつの考え方として、クチネリは「利益の再分配」をソロメオでおこなっている。職人の賃金を平均より20%上乗せする。村を修復し、美化する。劇場や図書館を作る。人間を幸福にするための経営だ。

 

つまり言いたかったことは、ラグジュアリービジネスを日本から創ろうとする際に、「富裕層の好きそうなもの」の世界に媚びるな、ということ。むしろ日本土着の発想からサービスや製品を磨き上げ、顧客の価値観をひっくり返すようなものを作ったほうがいい。オリジンに忠実という意味でオーセンティックだし、そもそも人は、価値観がガラッと変化するようなものにお金を喜んで払う。

それが結果的に金融資産のある人しか買えない価格になるとしても、その利益を、別の形で再分配していけばいい。職人への還元、地域の環境の美化、教育、福祉などできることは多い。国があてにならなくなった時代には、そんなラグジュアリービジネスが頼もしい存在になる。かつてないほど、経営者に倫理が求められる。

「きれいごと」でビッグピクチャーを描いているのは百も承知。が、クチネリ、寺西さん、suzusan村瀬さんはじめ、実際にその理想に向けて奮闘している人もいる。であればその努力を応援したい。

サロン・ド・パルファン2024。

上はイギリス発のブーディカ・ザ・ヴィクトリアス。存在感大。

ナルシソ・ロドリゲスはじめ、今年初登場の高級ブランドが多いし、クリベリ様、さとり様はじめ調香師自ら解説してくれるしで、祝祭感最大。

「パルファンSATORI」の調香師大沢さとりさんと。手前にあるのは新作の「WABISUKE」。

「メゾン・クリヴェリ」の調香師クリヴェリさんにはじかに手首に新作のおすすめ2点を重ね付けしていただきました。伊勢丹の名札にカタカナでお名前が書いてあったのがかわいい。

アンリジャックのローズ3種限定ボックスには出会いたくなかった。2023年に摘まれた薔薇のみを使ったローズの芸術的なバリエーション。「パフューム」のラストシーンを連想させる、天上の陶酔に導く香りだった。恋したものの150万て。伊勢丹では限定3箱のお取り扱い。入手できる世界の500人はお幸せですね。

 

企画を途中まで進めながら「その後なくなりました」という通告を出すメンズファッション誌が出てきたり、王者的存在だったメンズファッション誌が休刊になったり、かつての栄光と誇りはどこにといったという感のある界隈になったこの頃ですが、灯を消やさないようふんばっている方々もいます。

時代の変化を受けオワコンと言われてしまう業界はここだけではない。外部からそう言うのは簡単だが、逆流のなか、踏みとどまり、バトンを次世代につなぐ希望を持ち続けて奮闘している人もいる。

こうした人たちの気高い努力によって、本質的なエッセンスは、形を変えるかもしれないけれど、必ず次世代に残るだろう。

敬意をこめて、「インターステラー」にも引用されていたディラン・トマス(1914-1953)の一節を届けたい。

Do not go gentle into that good night; Old age should burn and rave at close of day. Rage, rage against the dying of the light.

「おとなしく夜を迎えるな 賢人は闇にこそ奮起する 消えゆく光に対して果敢に挑め」

H&Mグループが2025年までにヴァージンダウンの使用を廃止するなど、ファッション業界全体がファーのみならずダウンも使用を控える方向へとますます進んでいることを受けて。NewsPicks comment をこちらにも転載します:

人類が最初に着た衣類が毛皮。毛皮は土に還るので地球環境との共存という意味では、実はポリエステル製のエコファーよりも、自然の摂理にかなっている。

同じように自然に生え変わる鳥の羽根を使って保温に使ったヴァージンダウンならば地球環境をなんにも損なっていない。

人間の需要(欲望)にこたえて量産しなくてはならない時代になり、動物を痛めつけても毛皮や羽根を強制的にとるという事態が横行したので、ならば使わないことが正義、みたいに極端な方向にいってしまった。

そもそも使いません宣言は、今の時代なら(動物を虐待してまで金儲けするビジネスの横行に対して)効力があり、善いことをしている企業として消費者にアピールするのかもしれない。

しかし、毛皮やヴァージンダウンを着ることそのものは、本来、悪ではない、ということはおさえておきたいところです。

Photo: NASA blue marble (Public Domain)

ファッション用語で頻出する「スタイル」というのは、少なくとも英国紳士学においては、「いい・悪い」ではなく、「ある・なし」で語られる。

「スタイルがある」とは、「強い信念がある」とほぼ同義で、ファッショナブルかどうかという問題とは無関係。ましてや身体的美醜とも全く関係がない。

紳士ワールドに由来するものは、デザイナーやテイラーの名前ではなく、「スタイルのある人」の名前がついている。

ウェリントン・ブーツ
プリンス・オブ・ウェールズ・チェック
ラグラン・スリーブ
カーディガン
チェスターフィールドコート
ノーフォークジャケット など。

サヴィルロウのスーツにしても客の注文で作るのが基本。テイストを持っているのは客であるという大前提がある。だからかつてはどこで作ったかわからないようにしていた。

「デザイナーズブランド」の対極ですね。オズワルド・ボーティングあたりからサヴィルロウでもブランド化が進むのだが

身だしなみは大切ですが、身だしなみ以外に真剣勝負するものをもっていることが、スタイル確立の第一歩でしょうか。

Photo: Henry Fitzalan-Howard, 15th Duke of Norfolk (1890)

朝日新聞13日付「万博 デザインの挑戦」というコシノジュンコさんインタビューの記事。最後に万博とファッションについてコメントしました。

コシノさんの言葉が力強い。「今を感動することが未来に通じる」という名言。 朝日新聞の華野記者にお世話になりました。ありがとうございました。

電子版は有料会員限定ですが、こちらでお読みになれます。

 

なお、大阪万博のユニフォームにつきましては、関西電力からご依頼を受けて原稿を書いたことがあります。こちらでお読みいただけます。

12日付日経コラムのこぼれ話です。

そんなわけで輪島・千舟堂の岡垣社長は、ブルネロ クチネリの表参道店で展示販売会をすることになった。

輪島塗の作品をクチネリの店舗に搬入するにあたり、岡垣社長は「お礼に服を買おう」と思い、価格を見て衝撃を受けた。なんでこんなに高いんだろう?と心底驚いた。

その後、クチネリのスタッフが輪島塗の作品を並べながら、「輪島塗ってなんでこんなに高いの?」と驚きながら話しているところを漏れ聞いた。

「ああ、同じなんだ」と岡垣社長は理解する。

輪島塗は塗師屋(ぬしや)と呼ばれるディレクター(岡垣社長もそのひとり)の指揮のもと、数人の専門職人の分業制で作られる。それぞれの工程を担当する職人さんに正当な賃金を払い、彼らが働けるシステムを整えていけば、それだけの価格になる。

クチネリの服が高価であるのも同じ理由であることを岡垣さんは悟る。職人に平均賃金より20%高い賃金を払い、彼らが創造性を発揮できるよう環境を整えると、それなりの価格になるだろう、と。

それまでアパレルにまったく興味のなかった岡垣さんは、以後、服にも興味をもち、生産背景まで考えるようになったという。

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繰り返し書いていますが、職人も尊重され、技術にふさわしい賃金を支払われると、責任を感じ、創造力を発揮して唯一無二の手仕事の成果を発揮する。それがラグジュアリー製品として高価で売られる。(そこに価値を感じて買う人がいる。)利益は、地域全体の環境を整える形で再分配される。ソロメオ村の文化的な価値も向上する。これがクチネリ型のラグジュアリービジネス。

これまでの高度資本主義時代のラグジュアリービジネスでは、その利益が一部の資本家のみに独占され、ますます格差が広がるという状況が生まれていましたが、これではもう社会がもたないのではないか。それに代わるあり方として、クチネリが実践するような、すべての人をフェアに尊重するやり方に向かうべきなのではないか、ということです。

そもそもそんな高価なものは不要、という考え方もあるでしょう。もちろん、そういう合理的な考え方もそれはそれでありだと思います。

ただ、時に熟練能力を過剰なくらいに発揮してすごいもの、すばらしいものを創りたいという職人の欲求(アルチザン魂)は自然に生まれてくるものだし、夢のように圧倒的に美しい世界に感動したい、という願望も人間にはある。だからこそ、無駄で余剰かもしれない「ラグジュアリー」は人類に寄り添い続けてきたし、これからも新しい形のラグジュアリーは存続していくでしょう。となったときにどういう方向に向かうべきか?

 

 

日本経済新聞連載「モードは語る」。12日付夕刊では、ブルネロ クチネリ・ジャパンと輪島千舟堂の交流「秘話」を書いています。

この内容は、私が自主的に輪島に取材に行ってはじめて判明したことでした。紙幅の関係で書ききれなかったのですが、クチネリは複数回、輪島に行き支援を続けています。紙面に書いた内容と同様、この事実は、一切、PRされていません。

国や宗教をもはや信じられなくなった時代に、「真・善・美」を示すのがラグジュアリーブランドになった、というのはフランソワ=アンリ・ピノー(ケリングCEO)のことばですが、それを先鋭的に実践しているのがクチネリだと認識しました。

これからのラグジュアリーは、職人に自由に創造力を発揮してもらう環境と待遇を与え、そこから生まれた高価格製品の利益は地域全体の環境の向上のために再分配する。それによって、特権階級の排他的幸福ではない、「包摂」=全体の幸福を目指す必要がある。クチネリ・ジャパンはそれを淡々と実践していました。

富裕層のみのことを考えるラグジュアリーは古い、というのはそういう意味でもあります。

 

きものやまと表参道コンセプトショップ、12日にオープン。おめでとうございます。レセプションに伺いました。
きものやまとの全ラインナップに加え、アクセサリー、バッグ、履物、傘など、表参道限定のすてきなアイテムも扱っています。
きものの文化を発信する場として、伝統工芸や産地の魅力を伝える体験POPUPや、路面店ならではのお祭りやお茶会、ワークショップなどのイベントを開催するそうです。

振袖や袴の着付けコーナーもあり、ここぞの機会には頼れそうですね。社長の矢嶋孝行さんは、きもの文化継承のために新しい挑戦を次々に仕掛けていらっしゃいます。

きもの文化と産業が盛り上がることを応援しています。

GQ誌上で斎藤幸平さんと対談した記事が、ウェブ版に公開されました。

ラグジュアリー/クラフツマンシップ/サステナビリティ、が主なテーマです。

編集部・高杉さん、ライターの松本さんにもお世話になりました。ありがとうございました。

英語翻訳版(自家製)はこちらです。

職人さんにもいろんなタイプがいる。指示されたことを忠実になぞるのが得意なタイプと、自分のオリジナリティをついついどこかに発揮したくなるタイプ。

ただし、その2タイプも厳密に分かれるわけではない。指示されたことを忠実におこなっているうちに、熟練し、次第にオリジナリティを発揮したくなってうずうずしてくる、というパタンもある。

「日頃は指示された仕事を忠実にこなし、その仕事で貯めたお金を資金として、年1~2回、個人の名前を出して展覧会をおこなっていくのが、経済的にも、精神的にも、最もバランスがいい」、と輪島の職人さんを統括する「塗師屋(ぬしや)」(=親方)さんである千舟堂・岡垣社長は語っていた。

伝統工芸の職人でなくとも、各業界の仕事人にも、もしかしたら同じようなことが言えるかもしれない。指示されたことをきちんと行う、という仕事をベースにしながら、年1回ほど、独自の創造性を発揮するクリエーションを披露できる機会をもつ、というような。

写真は、輪島取材時に、岡垣社長が蒔絵職人からピックアップしてきたばかりの名刺入れ(許可を得てアップしています)。自由に何でも作っていいよ、というと、テーマを決めたときよりも誰もが2割増しですばらしいものを作ってくる、と岡垣社長は話す。

職人に責任と創造性の自由を与えるととんでもなく素晴らしいものを作り、ラグジュアリー製品として売れる、というブルネロクチネリの話を思い出す。

Artisans exhibit diverse dispositions. Some excel at meticulously following instructions, while others possess an innate drive to express their originality.

However, these archetypes are not mutually exclusive. A common trajectory involves artisans who initially adhere strictly to instructions, gradually developing expertise and subsequently experiencing a growing urge to infuse their work with personal creativity.

Mr. Okagaki, CEO of Senshudo and a master artisan (“nushiya”) overseeing Wajima craftsmen, told me:

“The optimal balance, both economically and psychologically, is achieved when artisans faithfully execute assigned tasks daily, utilizing the accrued funds to host one or two personal exhibitions annually under their own name.”

This principle may extend beyond traditional craftsmanship to various professional domains. A potential model emerges: maintaining a foundation of diligent execution of assigned tasks while reserving opportunities, perhaps annually, to showcase individual creativity and innovation.

Unleashing Creativity

During a visit to Wajima, Mr. Okagaki presented recently completed business card holders crafted by maki-e artisans (photo shared with permission).

He noted that when given creative freedom, artisans consistently produce work of superior quality—approximately 20% better—compared to projects with predetermined themes.

This phenomenon resonates with the Brunello Cucinelli approach, where entrusting artisans with responsibility and creative liberty results in the production of exceptional, luxury-grade items.

本日、10月7日はスーツの誕生日でございます。

10月7日をスーツの誕生日と考える根拠はこちらです。サミュエル・ピープスの日記、1666年10月8日の記録。11行目あたりから 「国王陛下は昨日、枢密院において、衣服の流行を定め、それを決して変更しないという決意を宣言された」。

ここでベストが導入され、3ピーススーツの歴史が幕を開けます。

バースデー説はほかに18日説や12日説などいくつか散見されますが、私はこちらの文献を根拠としました。他説の根拠がわかったら是非教えてくださいね!

この日、いったい何が生まれたのか? なぜそんな宣言をしなくてはならなかったのか? に関しては「スーツの文化史」(「スーツの神話」の電子書籍版)に詳しく描いておりますので、ご関心のある向きはお読みになってみてくださいね。

まずは本日、スーツ好きな方あなたもあなたも、スーツのお誕生日をお祝いしましょう。

Today, October 7th, marks the birthday of the suit! 🎉👔

This date is based on Samuel Pepys’ diary entry from October 8, 1666, which states:

“The King hath yesterday in Council declared his resolution of setting a fashion for clothes, which he will never alter.”

This declaration introduced the vest, marking the beginning of the three-piece suit’s history.

While other dates like the 18th or 12th are sometimes cited, this primary source forms the basis for our celebration. The introduction of the vest (waistcoat) was a pivotal moment in fashion history.

Curious about what exactly was born that day and why such a declaration was necessary? For a deeper dive, check out “The Cultural History of the Suit” (kindle version of “The Myth of the Suit”).

Whether you’re a suit enthusiast or simply appreciate fine tailoring, let’s celebrate the suit’s birthday today!

すでにXとThreadsに投稿して何日か経っているのですが、いまだに反響が多いので、こちらにも載せておきます。モーニングと燕尾服の違いに関する話です。影響力のある多くの方がアレを「燕尾服」と堂々と書いていたり、「フロックコート」と呼んでいたりするので見るに見かねてポストしたのですが、「そもそも違うものだと初めて知った」とコメントされた方もいらっしゃいました。ご存じの方にとっては「釈迦に説法」なのでスルーしてください。

組閣の写真で着用されているのは、昼間の正礼装モーニング・コートです。夜の正礼装である燕尾服/イブニング・テールコート(下)との違いがわかるよう図解を添えます。

上記の礼装はともに、サスペンダーでトラウザーズを吊り、ラインをまっすぐに見せるのが大前提です。(サスペンダー用のボタンをつけたうえで、アジャスターをつけるテイラーもいらっしゃるようです)

夜でもモーニングを着用するのは日本だけです。写真の出典は、私も共著者として書いている『フォーマルウェアの教科書(洋装・和装)』です。5年前のもので写真がちょっと古いかもしれませんが、両社の形の違いがわかる例として挙げてみます。

ついでながらタキシードは夜の準礼装で、燕尾服より格下です。これも上記の本に写真入りで解説してあります。

フォーマルウェアには正礼装・準礼装・略礼装×昼・夜の6パタンあります。さらにそれぞれに慶・弔の違いもあります。日本にはさらに和装のルールまで加わり、混線するのはやむなし、というところもありますね。新郎の父がモーニングで母が和装、という謎の和洋混合も日本独特です。

日本で和洋混合が定着したプロセスに、日本特有の男尊女卑に近い礼服指定があったことは忘れてはいけないことかと思います。「男性と女性皇族・宮中女官・華族のみに洋装のドレスコードが指定された」という経緯があるのです。一般の女性は「じゃあ、無視された私たちは何を着ればよいのか?」と周囲を見渡し、皇室と同じ洋装をするわけにはいかないと遠慮・忖度をして結局、横並びの和装に落ち着いた」という次第です。

男性は公的に指定されたドレスコードの洋装。そもそも公的な場に出ることを想定されていなかった女性は昔ながらの和装。詳しくは、小山直子先生著『フロックコートと羽織袴』に詳しいのでぜひお読みになってみてくださいね。

海外の方でもカップル和洋混合は見られます。各国の歴史的経緯はわからないのですが、民族衣装の美しさを世界に示したい、という意図があってご夫人が民族衣装を着られることも多いと思います。ただ、最上級の礼装が求められる場面で民族衣装を着られる場合の理想形は、ブータンのように、男女そろって着用されるケースではないでしょうか。

*私はマナー講師ではなく、こんなドレスコードがこういう経緯で存在している、と示している歴史家なので、ドレスコード指定とTPOを考慮したうえで個人が判断し、何をどう着用されるかは自由だと思っています。そもそも皇室メンバーや貴族がしばしばドレスコードやぶりをして、新しいコードを創ってきたりしているので、がちがちに順守するのも、ヴァイオレットおばあさま風に言えば「中産階級的」なのかもしれません。(中産階級を下に見ているわけではなく、ドレスコードを定めた国独特の表現です。)

写真はミキモトの展示会で飾られていた花。戦後、豊かになっていく日本で、「花嫁にはパール」という広報活動をおこない、結果、それを「ルール」であるかのように定着させたミキモトの精神を見習いたい。「ルール」を創る人が、いちばんの「勝者」ですね。

 

パルファンサトリの待望の新作「WABISUKE」が完成、発売の運びとなりました。まずはおめでとうございます!

調香師の大沢さとりさんから直々にご紹介いただきました。フレグランスエキスパートの地引由美先生もご一緒で、「WABISUKE」に対する理解と愛情がいっそう深まりました。

WABISUKE(侘助)でイメージされているのは、「暁の茶事に宿る侘び寂びの香り」。

茶道の「暁の茶事」という特別な儀式に着想を得たそうです。

夜明け前の闇に包まれた茶室に、朝の光が差し込み始める暁の時間。床の間には一輪の侘助椿(わびすけつばき)が佇み、その足元に光が届く瞬間の静謐な緊張感。奥には墨絵。蝋燭の灯りと朝日が溶けあい、茶事が終わる。そんな情景をさとりさんは語りました。

まさにそんな情景が脳裏に浮かび上がるフレグランスです。トップノートはパチュリとダバナ(インドヨモギ)、ミドルにカモミールがきて、ラストではアンバーや墨や香木が深い余韻を残します。高貴な日本らしさの印象。

「利休が侘び茶を通じて伝えたかったことは、身分や階級にとらわれず、人は誰もが自由であるということ」とさとりさんは語ります。まさに利休は当時における「新しいラグジュアリー」を考え、表現されていたのですね。

10月22日ローンチ(10月16日伊勢丹先行発売)です。

I’m pleased to announce the launch of Parfum Satori’s highly anticipated new fragrance, “WABISUKE.” Congratulations on this achievement.

Master perfumer Satori Osawa personally introduced the fragrance, accompanied by fragrance expert Yumi Jibiki. Their insights deepened my appreciation and understanding of “WABISUKE.”

“WABISUKE” (侘助) is inspired by the “scent of wabi-sabi inherent in the dawn tea ceremony.”

Satori-san described the scene: In the pre-dawn darkness of the tea room, as morning light begins to filter in, a single wabisuke camellia stands in the alcove. The moment light touches its base creates a serene tension. An ink painting adorns the background. As candlelight merges with the morning sun, the tea ceremony concludes.

The fragrance perfectly captures this evocative scene. The top notes feature patchouli and davana, followed by chamomile in the middle, and concluding with deep lingering notes of amber, ink, and agarwood. It exudes a noble, distinctly Japanese impression.

Satori-san reflects, “Through wabi-cha, Sen no Rikyu sought to convey that all individuals are free, unrestricted by social status or class.” Indeed, Rikyu was conceptualizing and expressing a “new luxury” for his time.

トッド・スナイダー氏へのインタビュー記事がウェブ版GQで公開されました。こちらです。

あのウールリッチが今シーズンからステージを変えます。伝統モチーフはそのままに、ちくちくしない、イタリアのカシミア100パーセントの新しいアメリカンカジュアルへ。発想のヒントはいつも日本から。

多くのコラボに貫かれるトッドのビジネススタイル、”True and Honest”な姿勢にも魅了されます。

Rugged Luxury (上質剛健)なウールリッチへの変貌、期待しましょう.


(写真はウールリッチの提供です)

GQ has released an interview with Todd Snyder, the newly appointed Creative Director of Woolrich.

Woolrich is set to enter a new era this season. While preserving its traditional motifs, the brand is evolving towards a new American casual style, featuring 100% Italian cashmere that’s not itchy. Interestingly, Japan continues to be a source of inspiration for his innovative ideas.

Todd’s business approach, consistently evident across his numerous collaborations, is characterized by a “True and Honest” attitude that’s truly captivating.

Let’s look forward to Woolrich’s transformation into a brand of “Rugged Luxury”.

フェリス女学院大学 緑園都市キャンパスで「ラグジュアリーの変遷と時代を創るファッション」というテーマで講義をさせていただきました。150名の学生さんたちの丁寧なコメントシートも拝読し、一層のやりがいと使命感を感じております。お招きありがとうございました。

資生堂のオープン・イノベーション・プログラムfibonaと、ポーラのマルチプル・インテリジェンス・リサーチセンターmircがタッグを組んで、次世代のウェルビーイングの価値を創造する前衛的な研究がおこなわれております。

資生堂とポーラが共に研究をする。これだけでも驚きですが、光栄なことに大阪大学の佐久間洋司先生と共に外部講師としてお招きいただきました。

資生堂とポーラ、総勢20名ほどの精鋭研究員の方々とともに刺激的な議論の時間を過ごさせていただきました。

同業種の競合を超えて人類の未来のためにともに研究するというプロジェクト。こんな若い世代が活躍する日本は頼もしい。

トップの写真はfibonaのリーダー、中西裕子さん、大阪大学の佐久間洋司さん、そしてポーラmircのリーダー、近藤千尋さん。ありがとうございました。


Shiseido and Pola, two industry giants, have joined forces in a groundbreaking research collaboration.

Even more remarkably, I’ve had the privilege of being invited as an external lecturer alongside Dr. Hiroshi Sakuma from Osaka University.

I spent an invigorating session engaging in thought-provoking discussions with an elite group of approximately 20 researchers from both Shiseido and Pola.

This project, which transcends industry competition to pursue research for the future of humanity, is a testament to the promising young generation driving Japan forward.

Pictured are Yuko Nakanishi, leader of fibona; Dr. Hiroshi Sakuma from Osaka University; and Chihiro Kondo, leader of Pola mirc. My sincere gratitude to all involved.