国宝級のマスターテーラーの一人、廣川輝雄さんが(英ロイヤルミュージアムでも作品発表、BBC放映)、このたび、超優秀な若手とともにThe LOA(Legacy of Artisan)設立。

女性のスーツを女性パタン+メンズ仕立てでかくも美しく作ることができる稀少なテーラーでもあります。

若手がまたすばらしいのです。信州大学の繊維学部で修士号をとった方も。

身体にあった良いスーツを一着持っていると、最初は高価に感じるかもしれませんが、インナーだけ変えて、公的な場で何度でも着用可能なので(女性服のようなトレンドに左右されないから流行遅れに見られない)、長い目で見ると、結局、合理的でコスパがよいことになるのですよ。実際、私はここ数年のメディア出演や講演、プレゼンなどすべて一、二着のスーツで通しています。何十回着たことか(笑)。いつも同じ服ということにしている、というのはとても楽で、より大事な「内容」に集中できます。場へのリスペクトを表現できて、「おしゃれ」かどうかの査定を受ける必要もないし、「女性」アピールも必要ない。外見への関心を低くして、話す内容だけに集中してほしい。そんな時にスーツは最強の味方になってくれます。

 

 

 

日経連載「ラグジュアリー・ルネサンス」の第二回。

成熟した社会においては、ブランド表示や物質的豪華さはラグジュアリーの知覚とはほど遠くなっていく。ではそれに代わるラグジュアリーとは?

軽井沢でししいわハウスを創設したグローバル投資家、フェイ・ホワン氏に取材しました。

「人間に立ち返る」ラグジュアリー観、「カオスの中に主体的に美を見出していく」美意識を大切にしたホテル文化をどのように設計し、そこからどのような新しい経済圏を生んでいるのか。

未来の人間的な豊かさを考えるとき、フェイ氏の実践はひとつの指針になります。

 

英語版は、こちら

ラグジュアリービジネスにおいて、もはや「体験型マーケティング」を採用するか否かは議論の対象ではない。問われるべきは、その体験がいかに戦略的に設計され、刹那的な感動をいかに持続的なブランド資産へと転換するかという点である。

ロエベの「クラフテッド・ワールド」展(東京・原宿にて開催)は、この問いに対する一つの鮮やかな解答を示したと思う。

本展は、まず視覚的な迫力によって来場者を圧倒する。なかでも、話題を集めたスタジオジブリとのコラボレーションの部屋は幻想的で、赤ちゃんの撮影室と化していた(笑)。巨大な植物モチーフ、シュルレアリスムを思わせるクラフトのインスタレーション、細部まで計算された空間演出、アートとして並べられたドレス。いずれも「思わず写真を撮りたくなる」衝動を巧みに喚起される(写真撮影は自由)。撮影された写真は、ソーシャルメディア上で無数に拡散され、ブランドは広告費を一切かけることなく、圧倒的なプロモーション効果を手にすることになる。現代のラグジュアリーブランドに求められる最も洗練されたマーケティングの形であろう。

とはいえ、この寛大さを装った体験の背後には、取引構造が隠されている。入場は無料だが、チケット取得時に個人情報の登録が求められる。来場者は、一瞬の感動的な体験、写真をSNSに掲載する承認欲求の満足と引き換えに、自らのデータを自発的に提供しているのである。この取引はあまりに巧妙で、消費者はその対価にすら気付かないまま、ブランドにとって貴重な行動データと心理的ロイヤルティを残していく。

すでに「ルイ・ヴィトン & 展」や「ディオール展」あたりから兆しがあったこの取り組みは、ラグジュアリー業界における本質的な転換を示している。もはやモノを売るだけの時代ではない。ラグジュアリーブランドは「エコシステムの構築」に注力している。希少性や価格ではなく、「個人的で、記憶に残り、そしてシェアしたくなる体験」こそが、現代のラグジュアリーを定義づける価値として浮上していることがわかる。

ロエベは、この展示を通じて単に楽しませるのではなく、欲望そのものを精密に設計してみせた。クラフトマンシップという伝統的価値を現代的な文脈で再定義し、ビジュアルの魅力の背後に、ブランドの核となるストーリーを強く刻み込んだ。その結果、訪問者は美しい写真と感動を手にして帰るが、ブランドはそれ以上のもの、つまり消費者データ、文化的影響力の強化、そして現代ラグジュアリーの価値観そのものを形づくる力、を着実に手にした。

ラグジュアリーの本来の価値には偶発的な喜びがあったかもしれない。でも、現在のラグジュアリービジネスは、偶然に委ねられるものでもない。緻密に設計され、消費者に意図的に経験させることで初めて、その価値が最大化される時代に入っている。ロエベ(というかLVMH)はその最前線に立ち、「次のラグジュアリー」の輪郭を描いている。

LVMHによる日本へのてこ入れが積極性を増してますね。4月に2025年フォールコレクションを京都の世界遺産、東寺で開催したり、大阪万博のフランス館に協賛したり、村上隆とのコラボを復活させたり、ロエベの〈Crafted World〉展を開催したりと、華やかなニュースが続いています。

こうした取り組みは、LVMHグループによる「文化的影響力の再構築」と「日本市場におけるブランド再定義」を目指す一連の戦略ではないでしょうか。

2025年4月15日にDiorが京都・東寺で開催したショーは、フランスのクチュールと日本の歴史文化との対話を演出した文化装置になっていました。大阪万博におけるフランス館へのLVMHの協賛も、「未来のラグジュアリーとは何か」という価値観を提示する象徴的な試みです。村上隆とのコラボレーション再開は、2000年代に日本市場で築いた強固なブランド愛を再活性化させる狙いがあります。さらに、ロエベの〈Crafted World〉展は、日本の「つくる文化」への敬意と、クラフツマンシップを軸とした価値観共有の表明と受け取れます。

では、なぜラグジュアリーブランドはここまで日本に惹かれるのでしょうか?

第一に、美意識とクラフツマンシップの親和性があること。日本文化に根づく「侘び寂び」や「職人の精神」は、本来のラグジュアリーが追求するタイムレス、素材の美しさ、手仕事の価値と深く共鳴しています。実際、多くのメゾンが「日本は自分たちのクリエイションを最も深く理解してくれる市場」と語っています。

第二に、日本は「戦略の試金石」でもあります。審美眼が鋭く、体験重視でブランドリテラシーの高い日本の顧客に評価されることは、国際市場での展開においても一定の保証と見なされる傾向があります。だからこそ、LVMHやリシュモンは、日本で店舗設計や展示手法、クラフトコラボレーションを実験的に展開するのでしょう。

第三に、日本での存在感は「文化的ステータスの証明」でもあります。もろもろのイベントは、「自らの文化的立ち位置を再確認する場」として機能しているように見えます。

日本は単なる売上拠点ではなく、ラグジュアリーブランドが自らの哲学を再考し、物語を深め、世界に向けて文化的威信を再定義するための重要な「知的実験地」になっているように思う。

Photo: 東寺 2004年 CC BY-SA 3.0

すっかり恒例となりました、ヨコハマの薔薇の記録。5月7日の山下公園、海の見える丘公園、イギリス館あたりですが、薔薇の良い香りのなかを歩くのは至福です。おそらく母の日前後に満開になっているでしょう。今日、明日の荒天予報がちょっと心配ですが、雨上がりの薔薇もまた瑞々しいですよね。イギリス館の庭園の薔薇は、ヨーロッパのプリンセスが出てくる童話のなかにはいりこんだような幻想を与えてくれます。

「今年の桜を見る」ことを大切にしている方は多いと思いますが、私は桜もさることながら、「今年の(初夏の)薔薇を見る」ことにかなりのエネルギーを注いでおります🌹
後はちょっとだけ場所的に不便なのですが、ヨコハマ・イングリッシュガーデンも超お勧めです。

 

「Precious」6月号発売です。レース特集の巻頭で「レースが紡ぐ美と社会の物語」を見開き2ページにわたり書きました。

歴史的にラグジュアリーの象徴とされてきた装飾的な布ではありますが、であるからこそ、社会情勢の影響をもろに受けてきました。

奢侈禁止令の対象となり、フランス革命では迫害され、産業革命では階級闘争を激化させ、アイルランド飢饉を救い、現在のかわりゆく価値観のなかで再発見されています。レースを通して読む歴史、ほんとうに駆け足ではありますが、お楽しみいただけたら幸いです。

 

The June issue of Precious is now out.

I contributed a two-page feature at the beginning of the lace special, titled “The Story of Lace: Where Beauty and Society Intertwine.”

Historically seen as a symbol of luxury, lace has always been deeply intertwined with social and political shifts.

Lace was once targeted by sumptuary laws, persecuted during the French Revolution, intensified class conflict during the Industrial Revolution, helped alleviate the Irish Famine, and today—amid shifting values—is being redefined as a warm, handcrafted expression, evolving in collaboration with technology.

Today, as our values evolve, lace is being rediscovered—not just as a nostalgic craft, but as a warm, human expression that continues to evolve in dialogue with technology.

5日(月)20:00 ~ 22:00 放送のBSフジLIVE PRIME NEWSに出演しました。ご視聴ありがとうございました。

2時間の生放送でしたが、話したりないことも多々あり、あっという間でした。

政治とファッションの話が前半のメインで、今回、番組でお話できなかったことは、追々、まとめて書いていきます。来年はスーツ生誕360年。

ダイジェスト版をYoutubeでもご覧いただけるそうです。万一、機会あればご笑覧くださいませ。

最後の提言として、「装いの向こうに、世界を想像しよう」と書きました。表層の見た目をただ批評するのではなく、その服の奥にある背景、文化や歴史や価値観などに目を向けてみましょう、という提言です。装いの奥に広がる物語を想像することで、私たちはもっと他者に、世界に、寛容になれるかもしれない。

 

吉田茂元首相のスーツ姿は、敗戦後の日本の外交理念と国際的な矜持を体現していた。

彼のスーツは単なる個人の趣味を超え、敗戦国・日本が再び国際社会に復帰するための、「装いによる国家戦略」であった。

吉田は戦前、駐英大使を務めた経験を持つ。1936年から1938年にかけて滞在したロンドンでは、外交儀礼のみならず、英国紳士の装いの作法を徹底して学んだ。サヴィル・ロウの仕立て文化に触れた彼にとって、スーツとは、知性・品位・信頼を象徴する「教養の外皮」であった。そこには、戦後日本が「文明国」として再出発するにあたり、欧米と対等な文化コードで交渉を行うという、深い戦略的意図が込められていた。

帰国後、吉田が愛用していたとされるのが、東京・銀座の老舗「テーラー神谷(かみや)」である。同店は明治から昭和にかけて、英国式仕立てを忠実に守り続けた名門であり、多くの政財界人や文化人が顧客として名を連ねる。吉田は、ダブルの三つ揃いスーツを好み、クラシックで重厚なラインを崩さなかった。加えて、外出時に携えたステッキや控えめなポケットチーフは、英国紳士の名残を感じさせ、敗戦直後の日本において異質とも言えるほどの威厳と洗練をまとっていた。

このような装いは、講和条約や安保条約といった歴史的交渉の場において、極めて有効な視覚的言語となった。そして、視覚におけるこの「同調」と対をなすように、吉田は言語において「ずらし」の戦略を取る。1951年のサンフランシスコ講和会議において、彼は英語を完全に操るにもかかわらず、あえて日本語で演説した。そこには「自国の言葉で主権を回復する」という強い意思が込められていた。姿は西洋の形式を纏いながら、言葉はあくまで日本語。まさに日本という国の立ち位置そのものであった。

服装により「国際社会への復帰の意思」を示し、言語により「文化的主権の堅持」を宣言する。その両方を同時に成立させることで、吉田は敗戦国・日本の再出発を強いメッセージとして打ち出したのだ。

注目すべきは、そのスーツが流行を追うものではなかったという点である。生地、ラペル、シルエット、どれもが永続性と格調を重視した選択であり、一過性の時流とは一線を画していた。混乱期にあって、吉田の装いが放った静かな重みは、国民に知的な安定感と、国家としての成熟した自己像を示すものだった。

彼の装いは、戦後日本が掲げた「外交による再建」という道のりにおいて、視覚的信頼の基盤を築いた。それは今なお、日本の政治家がスーツに込めるべき意味を問い続ける遺産でもある。

Photo: 吉田茂(1878-1967) Public Domain

外交や儀礼の場において、国家指導者が何を着るかは、体制の正統性、歴史との向き合い方、そして対外的なメッセージを可視化する記号として機能する。とりわけ旧共産圏諸国における「伝統的人民服」の扱いを見比べると、その違いは際立っている。

たとえば中国や北朝鮮の指導者は、今なお人民服(中山装やその亜種)を重要な儀礼の場でまとい続けている。単なるノスタルジーではない。彼らの国家体制そのものが、いまもなお「革命政党の支配」という枠組みにあり、人民服は体制の成立過程と不可分な象徴だからだ。すなわち、服装を通じて彼らは、「革命は終わっていない」というメッセージを発信していると見える。

一方、ロシアの指導者が公式の場で伝統的な民族衣装やソ連時代の制服を身にまとうことは、極めて稀である。プーチン大統領をはじめとする現政権は、国際標準に則ったビジネススーツを着用し、過去の体制的な衣装とは距離を置いている。この違いは、ソ連崩壊という「体制の断絶」がロシアにおいては歴史的事実として明確に位置づけられていることによる。1991年以降、ロシアは国旗・国章・国歌のいずれにおいても「帝政への回帰」を選択し、ソ連時代の象徴を公的装いから排除することで、新生国家としてのアイデンティティを確立しようとしてきた。

つまり、ロシアにとって服装とは「過去との距離感を測る手段」であり、中国・北朝鮮にとっては「過去との連続性を誇示する装置」なのだ。

加えて、民族主義と服装文化の文脈も異なる。中国や北朝鮮では、西洋的装いから距離を置くことが「自立と誇り」の表現とされやすい。対してロシアは、帝政、共産主義、資本主義と体制が大きく変遷してきたため、特定の服装に統一された国家的アイデンティティを託すことが難しい。結果として、最も中立的かつ現実的な装いであるスーツがデフォルトになっていった。

近年、プーチン政権はソ連的な記号や英雄像を部分的に再評価しつつも、それを服装として再現することはほとんどない。そこには、イデオロギーではなく現実主義に基づく対外戦略の姿勢が透けて見える。

Photo: William Ide, 2015年。Public Domain

北朝鮮の金正恩総書記が何を身にまとうかは、彼の政治的スタンスと国際社会へのメッセージを視覚的に象徴する。2018年の米朝首脳会談においては人民服、2023年の露朝首脳会談ではビジネススーツを着用した。この服装の違いは、北朝鮮の外交戦略の変化を如実に物語る。

2018年6月、シンガポールで行われた米朝首脳会談。金正恩氏は、父・金正日も好んだ黒の人民服で登場した。人民服は社会主義国家の指導者にふさわしい「反西洋」の象徴であり、資本主義の権化たるアメリカに対する北朝鮮の独自路線を強く印象づけた。この時期、北朝鮮は核・ミサイル問題をめぐる緊張のただ中にあり、人民服はあえて「国家主権を譲らない」という意思表示として機能した。相手がいかに強大な国であっても、北朝鮮の体制と思想は不変である。そんな強硬な自画像を、彼の人民服から読み取ることができる。

一方、2023年9月のロシア訪問では様相が異なる。極東アムール州で行われたプーチン大統領との会談において、金正恩氏はダークスーツにネクタイという、いわば国際標準の装いだった。この選択は、人民服に込められた体制の象徴性を意図的に脱ぎ捨て、「実利を求める交渉者」としての顔を前面に押し出したものと解釈できる。経済制裁下にある北朝鮮にとって、ロシアとの軍事技術協力や物資支援は切実なテーマである。スーツという現代的で合理的な装いは、こうした現実的利害を共有する同志としての立場を演出する。

装いは、多くを語る。人民服を選んだとき、彼は体制の正統性を視覚化し、権威とカリスマを内外に示した。スーツを選んだとき、彼は外交ゲームのプレイヤーとして、共闘と取引のテーブルに着く姿勢を表現した。

この二つの装いの対比は、北朝鮮外交の二面性──理念と実利、孤立と連携、硬直と柔軟──を浮き彫りにする。服は、国家が世界とどう向き合うかという立場をまとう鏡になっている。

Photo: CNN.co.jpより引用

2019年6月、大阪で開かれたG20サミットにおいて、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が着用していたスーツは、一見すれば何の変哲もないクラシックな装いに映った。しかし、あの場面を外交的コンテクストとともに読み解くならば、それはきわめて緻密に設計された、静かな演出であったと言える。

プーチン大統領が着ていたのは、黒に近いチャコールグレーのスーツに、白シャツ、そしてワインレッドのネクタイという、保守的かつ抑制の効いた組み合わせである。奇をてらうことなく、ただし冴えわたる精悍な佇まい。挑発ではなく統制、アピールではなく沈黙による圧力である。

当時、米露関係はきわめて複雑な局面にあった。2016年のアメリカ大統領選へのロシアの介入疑惑を発端に、トランプ政権は国内外からロシアとの癒着を疑われ、いわゆる「ロシアゲート」が政権を揺さぶっていた。さらに、INF全廃条約の失効を目前に控え、軍事・安全保障の枠組みも大きく揺らいでいた。トランプはしばしばプーチンに対して異様な親和性を示したが、アメリカの制度的な対露姿勢は一貫して警戒的であり、両国は、握手しながら疑念を深めているような状態にあった。

そのような文脈のなかで、プーチンの装いは明確な信号を発していた。深いグレーはロシアの現実主義を象徴し、ワインレッドのタイは、赤の持つ攻撃性を巧みに抑制しながらも、権力と主導権の意思をほのめかす。派手なスーツや強い柄を避けることで、「服では語らず、立ち姿で圧倒する」スタイルであり、いわばKGB出身の統治者にふさわしいスーツ美学である。

対するトランプ大統領は、淡いピンクのストライプタイというやや軽快な装いで登場した。政治的な含意はともかく、ビジュアル上は華やかであり、言葉も冗舌であった。プーチンの静けさとトランプの騒がしさ。そのコントラストは、米露の立場の違いを象徴するような一幕だった。

プーチンは、この「静」のスタイルによって、外交舞台においても「読ませない男」であり続けた。スーツに感情を載せず、しかしその無表情のなかに国家の影を背負わせる。

Photo: 駐日ロシア大使館Xより引用

紳士服業界にある方々にはつとに「常識」になっているのだが、今なお、政治家のなかにも「常識」が浸透していないと見受けられる場面が多いので、重ね重ねではあるが、ボタンダウンのシャツを着用する際の注意として記しておきます。

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ボタンダウンのシャツは襟がきれいに立ち、ネクタイとも相性がよく、ネクタイなしでも様になる。実用性に優れた一枚である。

ひとつだけ注意したいのが「公式の場」での使用である。ボタンダウンはその成り立ちや印象から、いわゆる「格式」を重んじる場にはあまり適さない。その背景を少しだけ。

ボタンダウンシャツの起源は19世紀末のイギリス、上流階級の間で人気だったポロ競技にある。騎乗中に襟が顔にかかるのを防ぐため、襟先をボタンで留めたのが始まりだ。つまりこのデザインは、そもそもスポーツウェアの実用性から生まれたものだった。

その後、アメリカの老舗ブランド、ブルックス・ブラザーズが1900年頃に商品化し、「ポロカラーシャツ」として定番化させる。ハーバードやイェールといった名門大学の学生たちがこぞって着るようになり、ボタンダウンは知性や清潔感の象徴として広まっていく。いわゆるアイビールックの代表アイテムであり、アメリカ流のカジュアルな上品さを体現する存在になった。

ここで注意したいのは、「カジュアル」と「公式」の違いである。

たとえば、第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ。彼はアメリカ政界きってのスタイルアイコンと称され、当時としては比較的細身のスーツを颯爽と着こなし、現代にも通じるエレガンスを体現した。そんなケネディ大統領は、プライベートではボタンダウンシャツを好んでいたものの、大統領演説や外交会談といった公式の場では一貫して着用しなかった。代わりに、レギュラーカラーやセミワイドカラーのシャツを選び、ネクタイとのバランスや襟元の美しさを大切にしていた。アメリカという若い国のリーダーとして、伝統的なヨーロッパの格式に敬意を払う姿勢の表れでもあった。

ヨーロッパ、とくにイギリスやフランスでは、シャツの襟元はフォーマルウェアの要とされる。ボタンで襟を固定するボタンダウンは、「略式」として扱われるのが通例だ。タイノットの立体感や襟のロールが制限されるため、正統なスーツスタイルの美意識にそぐわない、という感覚が根強くある。

日本においては1960年代以降、アイビールックの流行とともにボタンダウンがビジネスシャツとして普及したが、その文化的背景やTPOの区別が十分に浸透しないまま定着してしまった。とりわけ、目上の方と対面する場や式典、外交的儀礼のような「格式の要求される空間」では、ボタンダウンは控えるのが国際的にも妥当である。

ボタンダウンのシャツは、親しみやすく、どこかくつろいだ印象をまとう。だからこそ、信頼関係のある商談や、日常のビジネスにはふさわしい。一方で、表彰式、記者会見、外交、葬儀など、儀礼性の高い場では、レギュラーカラーのシャツを選ぶと、節度が漂う。

Photo: Cecil Stoughton, White House. 1963. Public Domain

ファッション研究からラグジュアリー研究に対象を拡大し、新しいラグジュアリーの価値について発信するなかで、なぜ日本文化なのか? なぜ伝統工芸なのか? を問われることが増えた。気まぐれな移行ではなく、すべてつながっているのである。じっくり考えてみたので書き留めておきたい。

大量生産・大量消費の仕組みに、私たちは深く組み込まれている。安く、早く、便利に手に入るモノが都市と生活空間を覆い、衣服や家電は「直す」よりも「買い替える」のが当然とされるようになった。この大量生産・大量消費型の社会は、20世紀の経済成長を支えた中心的な構造であると同時に、いま世界はその副作用に直面している。私が「これからのラグジュアリー」を問う必要性を感じた出発点も、まさにそこにある。

大量生産が制度として確立されたのは、19世紀の産業革命以降、とりわけアメリカの自動車産業における流れ作業の導入による。フォード社の工場は象徴的な事例であり、同一の製品を均質かつ短時間で、以前の何分の一のコストで製造することを可能にした。この技術革新によって、冷蔵庫、テレビ、洋服、時計といった従来は富裕層の特権であった品々が一般市民の手に届くようになり、生活水準は飛躍的に向上した。大量生産はまた、工場労働の需要を拡大させ、雇用を生み出し、中間層の形成を促した。すなわち、大量消費は「民主化された豊かさ」を実現した装置でもあった。

しかし、その恩恵を享受する構造は、今まさに制度的限界を迎えつつある。最も深刻な問題は、環境への影響である。資源の過剰な採掘、製造と輸送過程におけるCO₂の大量排出、さらに水や土壌の汚染が各地で進行している。ファッション産業は、その環境負荷の大きさから、世界で二番目に「環境に悪い」産業とすら言われている。たとえば、ケニアなどの国々には世界中から廃棄された衣類が流入し、腐敗・堆積しながら、海洋や土壌を深刻に汚染している現状がある。

また、大量消費の維持には、労働コストの抑制が不可欠であり、多くの企業が生産を賃金の安い国へと移した結果、劣悪な労働環境に置かれた労働者が低賃金で働かされているという構造的搾取も横たわっている。私たちが享受している安価さや利便性の背後には、可視化されにくい「誰かの犠牲」や「どこかの破壊」が存在している。

加えて、消費意識そのものの変質も見逃せない。かつては修理して使い続けることが当然とされた道具や衣類が、今や「安いから捨てる」「新品を買うほうが早い」という考え方に取って代わられた。流行が変われば、まだ使えるモノですら処分の対象となる。このような価値観の常態化は、モノに対する意味や愛着の希薄化をもたらしている。

さらに、情報と商品が過剰に流通することによって、「何を選べばいいのかわからない」という消費疲れも広がっている。選択肢が増えるほどに、判断力と精神力が消耗され、結果として無関心と倦怠が広がる。大量消費社会がもたらした精神的副作用とも言える。

いま必要とされるのは、大量生産・大量消費の全否定ではなく、仕組みの見直しと再設計である。必要なものを、必要な分だけ、丁寧につくる。長く使えるものを選び、壊れたら修理して使い続ける。「所有」よりも「共有」や「体験」に価値を見出すような方向転換が、すでに各地で模索され始めている。

この文脈において、あらためて見直されつつあるのが、日本に古くから根づく「もったいない」の感覚である。「もったいない」とは、単なる節約や倹約ではなく、モノに込められた時間・労力・命に対する敬意の言葉であり、倫理的態度の表明である。破れた布は繕い、使い古した道具は手入れしながら別の用途に転用する。かつての日本人の暮らしには、自然と「再利用」の所作が組み込まれていた。

このような感覚は今、世界のラグジュアリー領域でも新たな価値として注目されている。機械で量産されたプロダクトではなく、時間と手間が込められた一点物、希少な手仕事、職人の痕跡が残る製品が求められるようになってきた。速さや多さではなく、「どれだけ唯一無二であるか」「どれだけ手間と時間が積み重なっているか」が、新たな評価軸となっている。

こうした価値観の転換において、日本の美意識――たとえば、静けさ、簡素、陰翳、内面性といった感覚――にも再び光が当てられている。「たくさん持たない」「主張しない」「けれど深い」という姿勢が、むしろ未来志向の美学として、世界的に再評価され始めている。

大量消費社会が飽和に達しつつある現在、問われているのは「何をどれだけ持つか」ではなく、「どのように使い、どのように手放し、どのように循環させるか」という美意識である。日本の文化や暮らしの所作は、未来型の価値観のプロトタイプとしてこそ再発見されるべきである。

それを買うことで、どのような世界を支持することになるのか。ここに視点が移っている。

いま静かに立ち上がっているのは、「少なくても、丁寧に、意味をもって持つ」という姿勢であり、まさにこの点を、世界のラグジュアリービジネスに関わる方々が話題にし始めている。

そのような経緯の中にあって、ごく自然に、これからのラグジュアリーに対する考え方を、日本と世界で同じ語彙で交わす必要がある、と考えるに至ったわけである。どうなるかは、やってみなければわからない。少なくとも、2,3年くらいは地道に発信と交流を続けてみたい。悔いのないプロセスを経ても難しいとなれば、その時はその時、ですね。

『「イノベーター」で読むアパレル全史 増補改訂版』(6月20日発売予定)の初校ゲラを終えてあらためて感じたのだのが、20世紀には「流行」に意味があって、社会を変革する力があった。

変革とまではいかなくとも、SNS(2012年頃に生まれる)前までは、「流行」と見られる現象があった。たとえば、ミニスカートが流行ったとか、ローライズが街にあふれたとか。でも、今はそういう街の統一感は、あまり感じられない。

流行のしくみそのものが、スマホとSNSによって劇的に変わってしまったからだろう。

かつて流行は、雑誌やブランド、ファッションショーから発信されて、ゆっくりと社会に浸透していくものだった。みんなが「今年はこれだね」と感じるまでに、一定の時間とプロセスがあった。でも今は、TikTokやInstagramでたった一人の投稿がバズることで、数日で世界的なトレンドが生まれる。流行が「発表される」ものから、「発生する」ものへと変わった。

何より大きな違いは、流行の舞台が街からスマホの画面へと移ったこと。

今や、服は「誰かに会うため」に着られるのではない。SNSに投稿したときにどう写るか、共感を得られるか、アルゴリズムに拾われやすいか。そうしたことが服選びの判断基準になっている。

ところが、実際の暮らしの中で、私たちが毎日着ている服はどうかというと、実はその真逆だったりする。

SNSでは派手なトレンドが次々に現れても、現実に着ているのは、ユニクロや無印、GUのような、シンプルで機能的な服がほとんど。これは決して矛盾ではなく、むしろSNS時代だからこそ、「見せる服」と「生活する服」が完全に分かれてしまったのだ。

派手なファッションは、スクリーンの中で一瞬だけ消費される舞台衣装のようなもので、実生活では、動きやすくて、洗いやすくて、周囲に馴染む服、つまり空気のような服が選ばれる。これがいまのファッションのリアル。

この二極化が進んだことで、かえって「何を着てもいい」とされる時代になった一方で、どうせ見られないから適当でいい、という諦めと、誰にも見られてないからこそ、本当に好きなものを着たい、という自己回帰とが、同時に生まれているように見える。

で、初めの話に戻るのだが、流行の中にある「意味」が、ほんとに希薄になってきている。1960年代のミニスカートには女性の自立やジェンダー観の変化といった社会的な背景があった。けれど今のトレンドの多くは、あえて意味を持たない軽さが特徴。意味よりもスピード、記号よりも拡散。
そうした「意味を問わない流行」が、次々に使い捨てられていく時代に、私たちは生きている。

(なんだか「(メンタルが)疲れる…」と感じることが増えた原因の一つはそれもあるんではないか?)

だからこそ今、問い直すべきなのは、「自分はなぜそれを選ぶのか?」という軸を持てるかどうか、という自分軸なのかもしれない。

何度も書いているが、「エレガンス」の語源には「選び抜く」という意味がある。

画面の中の刺激的なトレンドと、現実の生活に溶け込む服。この二つを行き来しながら、何を主体的に選び取るのかという自分自身の「装う哲学」を育てる、それが、SNS時代の私たちに求められている視点ではないかと思う。

Photo: Summer Orange Blossom (筆者が自宅庭で撮影)

政治家にとって、言葉と同様に雄弁なのが、装いである。とりわけ外交の場においては、国家の姿勢や理念を象徴的に伝える。

なかでもネクタイは、視線の集まる位置にあり、色・柄・幅の選択が無言のメッセージを発する。たとえば歴代日本の首相たちのネクタイにおいても、それぞれの政治信条、時代背景、国際的立ち位置が織り込まれている。選ばれたネクタイは、おそらく意図以上に、外交における信頼醸成や文化理解に寄与してきた。

象徴的な存在として、海部俊樹氏(第76・77代首相)を挙げたい。1989年、リクルート事件による政治不信が高まる中、「クリーンなイメージ」を評価されて登場した海部氏は、トレードマークとして水玉模様のネクタイを着用した。これは、テレビ出演で同じネクタイを繰り返し使っていたことを視聴者に指摘された経験を受け、逆手にとって個性として打ち出したものだった。600本以上の水玉ネクタイを所有し、常に異なる水玉で登場するという視覚戦略は、清潔感と親しみやすさを演出し、「さわやか宰相」としてのパブリックイメージを確立した。

安倍晋三氏(第90・96〜98代首相)のネクタイ選択もまた、視覚的言語として強い意味を発していた。外交の場において、青系とともに黄色系のネクタイをしばしば選んだ。青は誠実さ、冷静さ、信頼感といったイメージを想起させる定番であるが、黄色はやや異質に見える。だが、日の出ずる国=日本」の象徴としての意識的な選択であったと解釈できる。

太陽の色である黄色や金色は、古来より光明・繁栄・知恵の象徴であるとともに、視覚的に日本を想起させる色である。国際会議のフォトセッションにおいて、黄色のネクタイは視線を引きつけながらも、攻撃性なく品位と存在感を発揮する。安倍氏が標榜した「戦後レジームからの脱却」や「積極的平和主義」の発信において、黄色のネクタイは、日本の伝統と未来をつなぐ光として、視覚的外交における確かな役割を果たしてきたのだ。

小泉純一郎氏は、グリーン系ネクタイを好んだ。グリーンは自然、再生、調和の象徴であり、政界においては異色である。しかし、彼の「聖域なき構造改革」「自民党をぶっ壊す」といったメッセージと併せてみれば、現状への挑戦と刷新を示す色でもあった。グリーンは権威から距離を置き、自然体で風通しのよいリーダー像を演出するための装いであったとも言える。

岸田文雄氏は、無地や控えめなストライプといったネクタイを好んだ。その選択は、調整型で穏健中道を旨とする彼の政治スタイルと一致している。外交の場でも落ち着いた印象を与え、相手国に対する過剰な主張を控えたバランス感覚を印象づけた。

しかし、ストライプの扱いには常に注意が必要だと思う。日本ではストライプのネクタイが若々しいイメージを与えるものとして広く愛用されているが、海外ではこれがしばしば「レジメンタルタイ(連隊ネクタイ)」として認識される。もともとは英国の軍隊やパブリックスクール、クラブに由来し、各ストライプには所属を明示する意味がある。そのため、該当する所属者でない者が無自覚に着用することは、時に無礼と受け取られる。

さらに、英国式では右上がり、米国式では左上がりのストライプが基本であり、方向性までが文化的アイデンティティを帯びている。石破茂氏のように英国式ストライプを愛用する政治家もいるが、国際舞台でこの選択が不必要な誤解や違和感を招くリスクを持つことは否めない。ストライプは、国内では無難な柄でも、国境を越えるとき、文化的誤読の種にもなる。

外交においては、無地のネクタイ、小紋、水玉といった控えめで、非所属的な柄が推奨される。こうした柄は文化的中立性を持ち、相手国への敬意や調和の姿勢を自然に伝える。ネクタイは言葉より先に、相手に見られている。ゆえに、政治的リーダーのネクタイとは、単なる装飾ではなく、自己像と国家像を織り込んだ外交の言葉として扱われるべき。

「どのネクタイを締めるか」の判断の積み重ねが、国際社会における信頼と尊敬を築いていく。

Photo:海部俊樹氏 首相官邸HP CC 4.0

(*スーツ360周年に向けた次の書籍のためのエッセイの一部)

喪に服す色は世界共通ではない。喪の色とは、その文化における死生観、宗教観、社会儀礼の結晶であり、それぞれの地域、民族、信仰によって意味づけが大きく異なる。

日本では明治以降「黒」が一般的となったが、それ以前の神道葬では「白」が正式な喪服であった。中国やインドでは今なお「白」が死者を弔う色であり、アフリカの一部地域では「赤」や「青」が重要な意味を持つ。つまり、喪の装いとは単なる服装規定ではなく、精神の表現であり、文化の記号でもある。

これを雄弁に示したのが、2025年4月に行われたローマ教皇フランシスコの葬儀だった。サン・ピエトロ広場に世界各国の要人が集い、最後の別れを告げたこの日、注目されたのは荘厳な儀式だけではない。各国首脳や王族、宗教指導者たちがまとった「喪服」の多様性である。現代のグローバル社会における弔意のあり方を象徴していた。

アメリカのトランプ大統領は、鮮やかな青のスーツに青系のネクタイという装いで参列した。西洋社会における一般的な喪のドレスコードから逸脱したこの選択は、批判も呼んだ。他国の首脳の多くが黒を基調とした服装で臨むなか、この明るい装いは「自己主張が過ぎる」「哀悼の空気を乱す」と受け止められた。しかし一方で、トランプ氏らしい「俺様がルール」という政治的パフォーマンスの一環とする見方もあり、その是非は文化と価値観の対立を浮かび上がらせた。

イギリスのウィリアム皇太子は、ネイビーのスーツに黒のネクタイを合わせて出席した。これは英国王室が葬儀においてしばしば用いる正式な喪服スタイルである。濃紺は控えめでありながら格式を保ち、また戦後の英国において「黒の過度な強さ」を緩和する色として受け入れられてきた。また、イギリスは宗教的には「英国国教会」であり、カトリックとはやや距離を置く。そうした微妙な宗教的立場の違いも感じられた。

ヨルダンのアブドゥッラー2世国王もまた、ネイビーのスーツで参列した。イスラム文化圏において、喪の色は一義的ではなく、白、緑、青、あるいは伝統衣装など多様なスタイルが認められている。ネイビーの選択は、バチカンの規律を尊重しつつ、自国の文化を損なわない礼節として成立していた。

インドのムルム大統領の装いも目に留まった。彼女は青のサリーで参列した。ヒンドゥー教において、死は魂の輪廻の一部であり、白が喪の色とされることが多い。だが、インドにおける女性の礼装=サリーは、弔意の文脈であっても一色ではない。ムルム大統領の選んだ深い青のサリーには、個人としての弔意とともに、国家の代表としての矜持も感じられた。

一方、戦時下のウクライナから参列したゼレンスキー大統領は、黒の軍服風ジャケットを身にまとっていた。喪服ではないが、国家非常時の指導者としての立場を象徴する装いであり、その佇まいからは、服装規定を超えた「戦時下」にいる指導者としての存在感が伝わってきた。

こうした多様な装いは、形式的ドレスコードと矛盾しているように見えるかもしれない。しかし、真に重要なのは色そのものではなく、「死者に対していかに敬意を表すか」という精神のあり方である。黒ではなくとも、ネクタイがなくとも、敬意があれば、背景に文化があれば、十分に「喪の表現」として機能する。

ローマ教皇という世界的精神指導者の葬儀が、このように多様な装いに彩られたことは、現代が直面する「儀礼の共存」というテーマを浮き彫りにした。「黒でないこと」にもまた、意味が与えられ、共感される時代へと移行しつつある。グローバル化と多文化共生の時代にあって、私たちは、弔意の形が一様でないことそのものを受け入れる寛容さを問われている。

それぞれの装いが語る弔意の背景を知ることこそ、異文化理解の第一歩である。(それにしてもトランプ大統領のブルースーツだけは、違う意味を放っていた…)

Photo: Dipartimento della Protezione Civile.  CC BY 2.0

日本の香りを通して考える日本のラグジュアリー。

ヨーロッパの香りとの違いとは? 海外の顧客は何を求めて日本の香水を買うのか? 価格を超える価値をどのように生むのか?

パルファンサトリの大沢さとりさん、リベルタパフュームの山根大輝さんと話した内容を記事にしました。こちらでお読みいただけます。

English version is here.

沖縄の芭蕉布を取材した記事、ウェブ公開されました。

「手で績ぐからこそ糸に小さな傷が生まれる。それが艶に抑制を効かせ、布の魅力の源泉になる」という考え方に視界が開かれた思いがしました。

陰翳礼讃にも通じる日本の美意識がここにも。

職人さんの話を直接、聞いたからこそ学ぶことができた視点です。

ぎらぎらした美の誇示を避け、どこで留めるのかを配慮することが むしろ日本的な美しさにつながるのでしょう。

noteでは英語版を公開し、おもにLinkedInでつながる海外のラグジュアリーセクターの方々に共有しています。

 

I wrote a piece on bashōfu, the traditional Okinawan textile made from itobashō fibers.

What struck me most is how its quiet beauty is born from imperfection: tiny scars in the hand-spun threads soften the sheen, creating a subtle, soulful luster.

This aesthetic—finding allure in what is incomplete—resonates deeply with the Japanese appreciation of shadow and nuance.

In an age of AI and automation, the human touch still holds irreplaceable value.