千舟堂/岡垣漆器店の岡垣祐吾社長に、輪島塗りの世界を丸一日かけてご案内いただきました。

下地塗り職人の七浦孝志さん、沈金職人の高出英次さんにじっくり取材させていただいたほか、多くの工程を統括する「主屋(ぬしや)」である岡垣社長の日常のお仕事にも同行。

リアルな輪島塗の世界の一端を学ばせていただきました。

瓦礫も多々残る環境のなか、長年親しんだ工房を失い、それでも手を動かす職人さんたちのお仕事ぶりにふれ、あまりにも多くのことを感じ考えたのでどれだけのことを伝えられるかわかりませんが、最大限の敬意をこめて記事を書こうと思います。
千舟堂の岡垣社長にはすっかりお世話になりました。

そもそも千舟堂とのご縁を作ってくださったのは、ブルネロクチネリ。クチネリ・ジャパンがいかに本気で輪島の支援を持続的におこなっているのかも現地に来て知りました。このストーリーもいずれ記事にする所存です。

取材にご協力くださいましたみなさま、本当にありがとうございました。復興が進むことを願っています。

13日に能登・輪島に輪島塗の取材に伺いました。

 

震災から8か月半経っているのに、まだまだこのような状況があちこちに残る。滑走路も道路もところどころひびわれており、バウンスする。大破したまま撤去もされない家屋があちこちにあり、建っているように見えてもインフラがだめになって休業している施設も多々ある。

仮設住宅からも人が出入りする。

そのような状況のなかでも日常の生活が営まれていて、職人さんたちが淡々と仕事を続けている。辞めざるをえなかった方もいらっしゃるなかで続けていけることはありがたい、と愚痴ひとつ言わず。

海底は隆起し、かつて海のそこにあったと思われるものが現れ、海岸線が変化している。岩が転げ落ち、道路が割れたまま、手付かずになっている。

それでも夕陽は淡々と変わらず輝くという自然の営みに、切なさがこみあげてくる。

HOSOO Couture 第二章発表会、ブルガリホテルにて11日に開催されました。3種類のゴージャスな西陣織の生地を主役とする10型のコレクションはタイムレスで高級感にあふれています。
「ブリンク」というまつげのような糸を織り込んだ生地のワンピースを着こなすのは細尾代表の奥様でもある細尾多英子さん。
バスルームにはHOSOO のシルク成分配合のソルトやボディクリームが。ベッドスローやクッションもHOSOO。ブルガリの世界観にしっくり調和しています。

世界展開も着々と進み、本格的総合ラグジュアリーブランドとしての進展が目覚ましい。

さて、HOSOOさんはすでに着々と世界展開へ駒を進めているわけですが、続く多くの日本ブランドが世界でラグジュアリーとして受容されるために、私たちができることを考えてみました。ブランドとその国の人の魅力は無関係ではないのです。

各国のラグジュアリー製品の魅力を支えている要素のなかに、その国の人やライフスタイルへの憧れがあります。『新ラグジュアリー』の共著者である安西さんに「イタリア人は自分たちのライフスタイルに自信があるから、高い価格を堂々とつけられる」と指摘されて、そういえばそう、と気がついたことなのですが。

イギリスブランドは、英国王室や英国紳士のライフスタイルへの憧れを高価格の根拠にします。
フランスブランドの背後には、パリマダムや紳士、ライフスタイルが控えており、
イタリアブランドの背景には、ミラノメンズやマダムの立ち居振る舞いがあります。

たとえすでに過去の遺産になっていたとしてもその幻影(ヘリテージ)が高価格を支えています。

日本からラグジュアリーブランドを世界へという話になったときに、高品質で美しいものはそろっているが、はて、世界の人が「すてき」と夢見る日本のライフスタイルや人は?となって戸惑うところがあります。

100年先を見据えて、自国の文化に立脚した魅力のある日本人になっていきたい(育てたい)。

隣国の量産加工型男女の真似をしたり、海外ブランドで武装してマウント合戦したりもいいけれど、そこにはついぞ本物の魅力は宿りません。

すべての日本人が、借り物ではない、内側からの、地に足のついた優しさを伴う美しさとその美を引き立てる環境づくりを目指すことは、未来の日本への社会貢献となるはずだと思いませんか? 個々人が成長していくことで、企業も世界へ展開しやすくなり、ひいてはその利益が私たちに還元される。そういう循環を生み出せることを願っています。

 

 

日本古来の知恵と世界初のiPSテクノロジーを融合させた日本発のスキンケア、TEUDU発表会が12日におこなわれました。

TEUDU=手水。

防腐剤を使わないと聞いて驚きましたが、肌の菌のバランスを最大限に整える「菌との共生」に焦点をおいた美肌スパイラルを生む環境を作ると知り、なるほど、と。

エスヴィータ代表篠崎祥子さんと研究者の継国孝司博士が10年以上かけた日本の思想と最先端テクノロジーの結晶。日本発のスキンケアはどんどん進化していますね。

 

さて。

菌を徹底的に除去するのではなく、ある程度残し、菌との共生に焦点を置いた環境を考えるという考え方。これって谷崎潤一郎のいう「なれ」ですよね。ぴかぴかに完璧に消毒しきるのではなく、むしろ手垢の照り?が残る艶をよしとする日本古来の美学。最初読んだときはぎょっとしてムリ、と思ったのですが、今回の発表会を聞いて、なるほど、汚れを落とし切らないことによる菌との共生か・・・とその思想の普遍性に感じ入ったのでした。

12日におこなわれたHAYAMA AROMANCE 発表会。ブランドを立ち上げた真海英明さんが徹底的に考え抜いたコンセプトの話、日本でもっともキャリアの長い調香師である森日南雄さんの話がリアルで興味深かった。
調香師を探していた真海さんが、日経BPに出ていた森さんを見てピンときて直に会いに行き、目を見て決めた話もヒューマンなエピソードでいいな。森さんは絵も描く。調香師は技術者というよりアーチストなんですよね…。

それにしても、というか、だからこそ、製品の「調香師の名を明かさない」のは「職人が匿名」という旧弊と根が同じでは、と感じることがある。理由はなんだろう? ブランドの世界観に奉仕するため陰の存在になっておくべきという考え方だろうか。
(HAYAMA AROMANCEはその点、調香師の名をきちんと立てていて新時代の感覚があるなと感じる)

日本の調香師界にもフランスのように「名のある」調香師がどんどんフィーチャーされていくとよいですね。

(会場になった原宿bamboo)

 

さて、香水の話題ついでに。

宮本輝『ドナウの旅人』に、「本物の香水、本物の人」に関する会話があります。

「香水って、乾いて何分かたってから役割を果たし始めるのよ」
「役割って、何の役割?」
「香水の種類によって違うと思うわ。ペーターが没頭している学問も、同じことよ。私はひとつのことに没頭して貫きとおした人は、それが決してはなやかな物でなくったって、忘れたころに匂いを放つと思うの。忘れたころに匂いを放って、人間をほっとさせたり、うっとりさせたりするのが、本物の香水よ」

ニセモノは、乾けばそれっきりというわけですね。

この道50年というような職人さんたちから放たれる人間的な「匂い」の正体もまさにこれ、と共感した一節です。

本物の香水や本物の人に接していると、自分の行動の影響を、目先の周囲の反応ではなく長期にわたるスパンで考えたいと思うようになります。

日経連載「モードは語る」。昨夕は、ラグジュアリーの持続にとって不可欠な職人の地位向上の提言を書きました。有料会員限定ですが記事はオンラインでも公開されています。こちらでお読みいただけます。

掲載した写真は、丹後のデザイン橡・豊島美喜也さんの作品です。金属織物を使った茶室のパーテーションで、青海波の柄がデザインされています。ロンドンで展示されたもので、豊島さんにお写真を提供いただきました。

英語版はこちらです。(海外の方からのお問い合わせがあった時用に勝手に作っています)

この記事、および最近の取材に関して「ラグジュアリー論のあとに職人の話というのは180度違う路線ですね」と言われて驚きました。

これからのラグジュアリーを考えるにあたり、重要になるのは手仕事の稀少性です。だからこそ職人をもっと重んじ、その地位を上げていくべきだと提言しています。ラグジュアリーの持続と職人の地位向上は、不可分な問題です。

ただ、多くの日本人にとっては、ラグジュアリー=富裕層ビジネス、でとどまっています。ゆえに、富裕層な好きなものマーケティングみたいなのがラグジュアリー研究だと勘違いされている節があります。

ブルネロ クチネリが持続的に輪島の支援をおこなっていることも顕著な一例ですが、ラグジュアリービジネスを長期的におこなう立場にある者には、ノーブレスオブリージュ的行動が大前提として求められます。

表面的なきらきら、一時的な大金の動き(の幻想)、虚飾に惑わされていると、ラグジュアリーの本質を見失うことになります。

JBpress autographにて、『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』レビューを書きました。

AIには書けないであろう私的な偏りの強い感想文、を意識しています。ご高覧いただけますと幸いです。

午前中は銀座で宝飾業界の方々にラグジュアリーについての講演。午後は新宿・京王プラザでホテル業界のトップセミナーで、ラグジュアリーをテーマにした講演でした(もちろん、ご参加者に応じて内容を変えています)。

(京王プラザ43階の講師控室からの風景)

午前、午後、トータルで200分ほど、久々にヒールで立ったままのレクチャーでしたが、楽しかったな。お招きいただきありがとうございました。

以下、雑記。

 

「ジェントルマンの定義をすべて満たす男はジェントルマンではない」という”定義”がありますが、実際に会うとこの人はジェントルマンか否かかは感覚で「わかる」。いわく言い難い「ジェントルマンらしさ」というのが確実にあります。表情や言葉の端々、立ち居振る舞いからそれが漂うのです。逆にそれっぽくしていてもニセモノはすぐ「わかる」。

ラグジュアリーにも似たところがあります。ラグジュアリーの言葉による定義には曖昧さが常に残るのだが、実際にサービスを受けるとラグジュアリーであるかないのかが体感で「わかる」。あたたかみのある透明で崇高な清らかさに包まれる感覚というか、現世の価値基準を無にしてしまうような新鮮な感覚というか。(だからおそらくお金の価値基準もなくなるのでしょう)。逆にニセモノもニセモノのオーラをちゃんと出しています。贅沢っぽくしつらえればそれでOKという世界ではない。

ジェントルマンにしてもラグジュアリーにしても言葉による定義に曖昧な部分を残しているからこそ時代に応じて変わり続けることができ、人が追求してやまないという一面があります。言葉を使って考えていくためにはある程度の定義枠も必要ですが、やたらと「定義、定義」と固執しすぎないことも大切なときがあります。

Design Week Kyoto 2024 「ものづくり対話」、終了しました。新幹線が一部終日運休になったため、私はオンラインに切り替わりました。

パネリストの方々はじめ、ご参加のみなさまの問題意識をたくさんうかがえたことは大きな収穫になりました。ヨーロッパで長く仕事をしてきた寺西俊輔さんの「デザイナーと職人の階級の違い」の話は強烈でした。

ヨーロッパではデザイナーの仕事は貴族の仕事、職人の仕事は手を汚すから労働者の仕事、というような歴然とした階級がある。デザイナーはピラミッドの頂点にいて、その世界観は絶対。職人はその世界観に奉仕するために存在する。この世界観を崩さないために、職人は名前を出さないのだ…という話。その階級制がいまも強い、とのこと。

なるほど。職人はデザイナーの世界観に奉仕する労働者…。だからヨーロッパでは職人が「下」に見られがちなのか。一方、日本にはその壁がない。デザイナーはデザインしながら物も作る。職人もデザインする。だからこそ、寺西さんは、デザイナーが頂点にこない、「職人」の技術を活かすブランドを日本で作ったのだ。

丹後の民谷(螺鈿)さんを取材したときに、数多くのブランドとのコラボ作品を見せていただいた。ディオールオムのように名前を公表してくれるブランドもあれば、「守秘契約」を結ばされ、コラボの事実があったことを言ってはいけない契約を結ばされるブランドもある。半々ぐらいで、まだ過渡期なのだなと実感する。ヨーロッパにおける職人とデザイナーのこの上下構造、大工さんと建築家の関係と似た構造なのだろうか?

現場での寺西さん(左)と主催者の北林さん。プログラムの内容がイラスト化されている!