歴史のなかには、後にも先にも一度きり、という出来事があります。女性天皇から女性天皇へ、母から娘へと皇位が渡ったのは、長い日本の歴史でここだけです。その娘のほうが、今回たずねる元正天皇です。
元正天皇(六八〇―七四八)は、第四十四代。諱を氷高(ひだか)といい、新家(にいのみ)皇女とも呼ばれました。父は草壁皇子、母は元明天皇。弟に文武天皇、甥にのちの聖武天皇となる首(おびと)皇子がいます。天武天皇と持統天皇の血を父方に引く、皇統の中枢に生まれた皇女でした。
霊亀元年(七一五)、母・元明天皇が譲位を決意します。首皇子はすでに前年に皇太子に立っていましたが、まだ数え十五歳ほど、天皇として世に立つには若すぎました。そこで皇位を継いだのが、元明天皇の娘、氷高内親王です。ここに元正天皇が誕生しました。母から娘への継承は、このとき一度きり、日本史上ただ一つの事例となります。
ただし、元正天皇の即位は、今日いうところの「女系継承」ではありません。彼女の父は草壁皇子であり、男系としては天武天皇の皇統に連なります。母から娘へという継承のかたちは、あくまで男系の血統を安全に次代へ渡すための、当座の選択でした。ここを混同すると、歴史は現代の論争の道具に堕してしまいます。
そのうえで、もう一つ、見落としてはならないことがあります。彼女は、結婚を経ずに即位した初めての女性天皇でした。それ以前の女帝は、みな皇后や皇太子妃という立場を経て位についています。けれども元正天皇は、后(きさき)であった過去を持たず、独身のまま、一人の内親王として玉座に上りました。私的な家族の事情や継承への欲を背負わない——そのことが、かえって彼女に中立の重みを与えたと考えられます。
彼女の即位は、しばしば「中継ぎ」と呼ばれます。中継ぎとは、空白ではありません。むしろ、最も危うい時間を引き受ける役割です。皇位を受け、保ち、次へ渡す。その間も国家は止まらず、政治も文化も動き続けます。そして元正天皇の治世は、まさに奈良国家の骨格が形づくられた時期でした。
養老二年(七一八)には、藤原不比等らによって養老律令が編纂されます。養老四年(七二〇)には、日本最初の勅撰正史『日本書紀』が完成しました。同じ年、南九州では大隅隼人の反乱が起こり、律令国家の支配が周縁へと及んでいく緊張も露わになります。養老七年(七二三)には三世一身法が出され、開墾した土地の権利を三代にわたって認めることで、土地制度に新しい動きが生まれました。律令、正史、土地制度、地方支配。国家の根幹に関わる事業が、彼女の在位中に次々と実を結んでいます。「何も起きなかった時代」では、決してありません。
元号「養老」にも、この時代らしい想像力が宿っています。美濃国の美泉が、老いを癒やし若返らせる霊験あらたかな水として言上され、これを祥瑞として霊亀から養老へ改元されたと伝えられます。のちにこの泉は、貧しくも老父に孝を尽くす男の説話——養老の滝伝説——と結びついて語られるようになりました。水が老いを養う。そこには、仏教的な救済とも儒教的な孝とも響き合う、奈良朝の政治的想像力が見てとれます。
元正天皇その人がまとった装束について、後世の女帝礼服のように確実に語れる資料は、多くありません。しかし彼女は、制度のかたちとして、いまも鮮明に残っています。母から皇位を受けたという事実。甥へ皇位を返したという事実。結婚を経ず、子を持たなかった一人の女性が、それでも天皇として即位し、国家を代表し、次代へ皇統を渡したという事実。その一つひとつが、元正天皇という存在の輪郭を、くっきりと描き出しています。
元正天皇は、皇位を乱した存在ではなく、皇位を守った存在でした。制度が必要としたとき、女性天皇は現に立ち、機能し、次代へ皇統を渡したのです。
彼女の即位が、無条件の男女平等を意味しないことは確かです。むしろそれは、未来の聖武天皇へ皇位をつなぐための、きわめて慎重な政治的選択でした。しかし、その慎重さのなかで選ばれたのが女性だったという事実は、重い意味を持ちます。皇位を安定して保つために、女性天皇という形式が、現実の制度として用いられたのですから。
元正天皇は、強烈な個性で時代を焼きつけた女帝ではありません。けれども、その静けさを弱さと見てはなりません。歴史には、声高に主張する力だけでなく、壊れやすい秩序を壊さずに持ちこたえる力があります。母から受けた皇位を、甥へと渡す。その一見シンプルな動作のなかに、奈良朝の皇統を支えた、高度な政治的知性がありました。
女性天皇を語ることは、単に「女性も即位できるか」を問うことではないでしょう。皇位をどう安定して次代へ渡すのか、そのために制度はどれほど柔軟でありうるのか。それを問うことでもあるのように思うのです。
母から皇位を受けた、ただ一人の女帝。そして次代の聖武天皇へ、その位を確かに渡した女帝。華やかな衣裳が残らずとも、彼女が体現した継承のかたちは、いまなお私たちの前に、はっきりと立っています。
(Top写真は、元正天皇像(南法華寺蔵))
次回は、その母へ。平城京へ都を遷し、奈良の都を開いた女帝、元明天皇をたずねます。
歴代女性天皇一覧(新しい順・8人10代)
| 代 | 天皇 | 生没年 | 在位 |
|---|---|---|---|
| 117 | 後桜町 | 1740–1813 | 1762–1770 |
| 109 | 明正 | 1624–1696 | 1629–1643 |
| 48 | 称徳(孝謙重祚) | 718–770 | 764–770 |
| 46 | 孝謙 | 718–770 | 749–758 |
| 44 | 元正 | 680–748 | 715–724 |
| 43 | 元明 | 661–721 | 707–715 |
| 41 | 持統 | 645–703 | 690–697 |
| 37 | 斉明(皇極重祚) | 594–661 | 655–661 |
| 35 | 皇極 | 594–661 | 642–645 |
| 33 | 推古 | 554–628 | 592–628 |
皇極=斉明、孝謙=称徳が重祚のため、10代・8人となります。

























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































