映画『プリシラ』にコメントさせていただきました。

GAGAホームページに掲載されています。

『フェラーリ』がザ・マチスモな映画だとすれば、 『プリシラ』はガーリーの極み。 1950年代後半から60年代を背景にするとこういう映画が作りやすいんですね。いまのジェンダーフリーもいいけど、こういう両極端の感覚にふりきった世界観の表現も好き(その時代に生きて楽しそうかどうかは別の問題)。

 

 

 

試写拝見しました。アダム・ドライバーが59歳のエンツオ・フェラーリを銀髪で演じて違和感なし。ペネロペ・クルスはお色気封印で好演。

ミッレミリアのすさまじい迫力もさることながら、1957年のメンズファッションが眼福です。アニエッリまでシャツの上に時計という伝説のスタイルでちらっと登場する。フェラーリは女性関係においてもイタリアン・マチスモ全開。ザッツ・映画という複雑な感慨が豊かに残ります。

「うまくいく場合、見た目も美しい」。

「関心領域」試写。映されているのは幸せな小市民の家庭の日々のみで、壁の向こうはポスターでは真っ黒に塗りつぶされています。音や煙や灰でそこで何が起きているのかを示唆する。アウシュヴィッツものの全く新しい「見せ方」で、映画でしか表現方法。収容所から出る灰が庭の花々の養分になり、花々が揺れるたびに涙が出てくる。現在の私たちそのものじゃないのかと問いを突き付けてくる必見の映画だと思います。

フィガロジャポン✖️ルイ・ロデレールのプレミア「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」、プレミア試写会の上映前にお話しさせていただきました。フィガロ編集部の森田さまが司会、エノテカの佐野さまがルイ・ロデレールの解説、私は当時のフランスの習俗について解説しました。


18世紀フランス宮廷が舞台の映画でコスプレ絶好の機会だったので、なんちゃってロココメンズ風で遊んでみました。「風」なので深いツッコミはなしでお願いします。

アビはアーチストのあきさんの作品です。左右で生地が異なります。プリント生地からオリジナルで制作していらっしゃいます。中に入れているベストはアジャスタブルコスチューム小高さんの作品、レギンスはユニクロです。すべて日本の作り手ですね。

スタッフのみなさま、ご参加くださいましたみなさま、ありがとうございました。あきさん、小高さんにもあらためて感謝&リスペクトします。

Bond映画60周年記念4Kレストア版「スカイフォール」上映前トークショーに登壇しました。9月と同じように、マダム・フィガロ編集部の金井洋介さんとのトークでした。

この日、着用しているのはイギリスブランド「フェイズエイト」のニットドレスです。ラメ糸を使っているのできらきらしますが、実はニットでラクチンに着用できる便利な一着です。数年前のデザインですが、そんなに何度も着る機会があったわけでもないので、大事に着まわしております。

ボンド映画60周年記念4Kレストア版「ロシアより愛をこめて」上映前トークショーに登壇しました。新宿ピカデリーにて。マダムフィガロ編集部の金井洋介さんとのトークでした。

トーク内容はマダムフィガロのオフィシャルサイトに掲載されております。

この日着ているのは、Yuima Nakazatoのドレスです。日本の川俣シルクを使い、エプソンのインクで染めている、軽いけれど重厚な一着です。衣装協力いただきました。ありがとうございました。

こちらは客席からお客様が撮ってくださってお送りくださったものですが、シルクのショールの透け感がいくばくかわかります。

ラインナップ的には、Yuima Nakazatoの展示会で圧巻だったこのドレスのいとこ的位置づけです。やはりエプソンのインクで染めてあります。羽生さんが着用してらっしゃいました。

11日の公開初日に「Barbie」鑑賞しました。

爆笑!最高!大爆笑!というシーンが続くその合間にシリアスな社会批評ががんがん投入され、最後は地に足のついた人間賛歌で終わりじわじわと余韻を残す快作でした。

現代社会への問題的は多々ありました。なかでも印象に残ったのが「自分はなにものにもなれていない、なにものかになりたい」症候群のこと。これは先日のやましたひでこさんとの対談でも提起された話題でした。今の50代、60代の女性のなかには「なにものにもなれなかった、これからどうすればよいか」と悩んでいる方が多いということでした。

バービーは「女の子はなんにでもなれる」という理想を謳い、大統領にも宇宙飛行士にも医者にも清掃員にもなれたわけですが、逆に、「なにものかにならなければ」というプレッシャーを女性に(男性にも)暗黙裡に与えてきた、という指摘が映画の中でなされていました。「なにものでもない」「なにものにもなれていない」というプレッシャーは国境や年齢を超え多くの人が感じている悩みであるようです。

なにものにかなりたい欲などかけらもなく、「なにものでもない」私がこんなことを言うのもまったく説得力がないのですが、

「レンタルなにもしない人」のビジネスがなぜあれほど盛況なのか。なぜお金を払ってまでなにもせずそこにいてほしいのか。なぜ敬意をもって崇められるのか。ここにも一つのヒントがあるように思えます。なにもできない自分を卑下もせずありのままに生きながら人に寄り添うこと、これが究極に難しくて、おそらく人間のあるべき理想形でもあるからではないのか。

映画ではケンがこの境地にいきつくわけですが、そこまでのプロセスがほんとにたいへん! (笑)

BUNKAMURAで公開中のドキュメンタリー映画「アンドレ・レオン・タリ― 美学の追求者」。彼の功績について、約4000字、3ページにわたり書いています。鑑賞の予習・復習のおともにぜひどうぞ。

アンドレは現代ファッションシーンを語るときに欠かせない、モード界のレジェンドです。

3月6日 「2020年代の『ファッショントレンド』を見直す」という解説をしました。

 

3月14日 アカデミー賞にちなんだ特集「あなたの仕事に影響を与えた映像作品は?」のなかでコメントしました。

取材を受けた過去記事は、本サイト内「Various Works」⇒「Interview」に収蔵してあります。Various Works の第一部に「Copywriting」があり、そのまま下方へ移っていただくと、第二部「Interview」の一覧が出てきます。

3月17日公開のドキュメンタリー映画。アンドレ・レオン・タリ―はファッション界のレジェンドです。

過去の短い映画コメントや、企業・人・作品応援のための短い原稿などは、本サイト「Various Works」第一部の「Copywriting」に収蔵しています。

Bunkamuraル・シネマで行われた貸し切り試写会「マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説」。レイチェル・チャンさんとトークショーに出演しました。主催は東急ロイヤルクラブです。

 

過去の講演・トークショー登壇に関しては本サイトWorks カテゴリーの「Lecture / Seminar」にまとめてあります。

「スペンサー ダイアナの決意」公開中です。

コメントを寄稿しました。シャネルが衣裳協力をしています。カントリーでのロイヤルファミリーの衣裳に学びどころが多い映画でもあります。

 

過去の映画コメントをはじめとした企業・人・作品への応援コメントなどは、本サイトWorksカテゴリーの「Various Works」第一部「Copywriting」に収蔵しています。

ダイアナ妃のドキュメンタリー映画『プリンセス・ダイアナ』が30日に公開されます。

コメントを寄稿しました。

 

これはひいき目抜きによくできたドキュメンタリーです。「注目される」ことで、人はよくもわるくも「化けて」いく。多くのことを考えさせられます。おすすめ。

サディ・フロスト監督のドキュメンタリー英語「マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説」パンフレットに寄稿しました。

イギリス文化、60年代、ファッション、ヘアメイク、社会改革、アパレル産業、スタートアップ、夫婦で起業、アートスクール、といったキーワードにピンとくる方々は必見の、中身の濃いドキュメンタリーです。

11月26日、bunkamura ル・シネマでロードショー。

 

「ココ・シャネルは私を嫌った。理由もよくわかる」、とマリーは言います。シャネルは膝は醜いもの、と考えて決して膝を出すようなデザインはしませんでしたからね。そうした思い込みに反旗を翻したのがマリーでした。

KAAT神奈川芸術劇場でミュージカル「夜の女たち」が上演されます。9月3日~19日。

パンフレットに寄稿するために、オリジナルの溝口健二監督の映画「夜の女たち」(1948)を観ました。

衝撃でした。1948年……戦後間もない日本の「同時代のリアル」を描いたものと想像されます。凄まじい世界。衝撃の最大の理由は、弱者をとりまく状況が、現在、何も変わっていないことです。

何もかも奪われて、追い詰められて、絶望して、忍耐の限界にきて、ついに最後のエネルギーをふりしぼって人間全体への反逆に出た弱者による「犯罪」がいまも絶えないのではないか。「責任」をすべて本人になすりつけるのはあまりにも過酷な状況がある。転落せざるをえなかった背景も知らないで高みからキレイゴトを並べて批判する「教育婦人」も登場する。「どんな理由があろうと暴力はいけません」とか言いがちなあの種の人間にだけはなりたくない、と心底思わされた。溝口健二、すごい。

この物語を現代、ミュージカルとして上演するという意味がまさにここにあるのだろう。

パンフレットではさらに戦後ファッションの話とからめて書きます。

 

9月30日(金)から公開の『プリンセス・ダイアナ』ドキュメンタリー、試写拝見しました。アーカイブ映像のみを使って悲劇のドラマを創り上げていくエド・パーキンズの斬新な手法。普遍的な問いをいくつも投げかける傑作になっています。

配給: STAR CHANNEL MOVIES

今年の秋には、さらに、クリスティン・スチュワート版のダイアナ映画もきます。前半はエリザベス女王でしたが、後半はダイアナ妃ブームですね。

同じ6月誕生日の友人と、小さなお祝いの会。

セルリアン最上階のベロビスト。早目の時間は空いてて良い席に座れます。暗くなる前に解散。このくらいがちょうどいい感じ。

さて、くどいですがハリー・パーマー。コメントをこんな素敵な写真に重ねてくれました。ルーシー・ボイントンの堂々たる浮きっぷり。あやかりたい。スターチャンネルで全6話として配信されております。

 

女王の多面的な魅力が満載のドキュメンタリー、本日公開です。

パンフレットに寄稿しています。


年表や家系図、主要な登場人物のリストもあり、充実した内容になっています。劇場でチェックしてみてくださいね。

日本経済新聞16日夕刊に広告も掲載されました。配給会社、イベントも多々行っており、とても力を入れています。

 

ABCのトークイベント(ご視聴ありがとうございました!)、ウェブメディアからのインタビュー、とZOOMでの話が続きました。ともに黒レースのインナーの上に音遊さんの赤い備後木綿の着物を着ておりました。視聴者のおひとりがTwitterで好意的に書いてくださいましたが、気分はジャポニスム時代のヨーロッパ人が着た室内着kimonoです。(本当のところ、ただ着付けが下手なので、いっそそっちを演出してみたというだけなのですが。)

 

 

「ハリー・パーマー 国際諜報局」(イプクレス・ファイル)全6話がスターチャンネルで公開されました。


推薦コメント寄稿しました。公式HPに予告編ほか詳細があります。

アンチ007として設定されたハリーがじわじわくるんです。最初の2,3話はペースについていく忍耐が必要かもですが、後半、独特の感覚に乗ってくると俄然、面白くなっていきます。

ルーシー・ボイントンが着る60年代ファッションも眼福です。

ブリティッシュカルチュア、1960年代ファッション、英国スパイ映画の系譜、に関心がある方はまず見ておきたいドラマです。

Kingsman のハリーのモデルになったのがハリー・パーマーで、60年代当時はマイケル・ケインが演じていました。メンズスタイルも丁寧に再現されています。

©Altitude Film Entertainment Limited 2021 All Right Reserved Licensed by ITV Studios Ltd.

「ザ・ロストシティ」試写。小さな試写室ではなく、日比谷TOHOシネマズでの劇場試写だったのがラッキーでした。

サンドラ・ブロックとチャニング・テイタム主演、ブラッド・ピットがパンチの効いたチョイ役でいい味だして出てきます。

「インディ・ジョーンズ」と「ハーレー・クイン」系ドラマと「スピード」と「世界遺産」系ツーリズム映像をごたまぜにしたような、少なくとも見ている間は現実を忘れて楽しめる映画でした。この手のお気楽映画のヒロインが<若くない>女性だというのもハリウッドでは画期的なのかも。サンドラ・ブロックあっぱれ。

チャニング・テイタムは次のジェームズ・ボンド役でもいいのではと思えたほど。抜群に美しい逆三角形ボディでダンスシーンではことにセクシーです。ブラッド・ピットが戦闘シーンでキレキレのアクションを見せてくれて、これもまた眼福でした。

とはいえ「トップガン・マーヴェリック」の余韻がある後ではどうにも映画として「あれにはかなわない」感が残ります。いや、「トップガン」は別格でしたね。

 

 

プラチナジュビリーまでのカウントダウンが始まりましたね。

開業70周年を迎える椿山荘東京が、即位70周年を祝うドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」とコラボしたアフタヌーンティーを6月11日より提供するとのこと、発表会に伺いました。

トップ写真のエリザベス女王バービー人形は、スタッフが執念で競り落とした貴重なものだそうです。

アフタヌーンティーは、一品一品に女王陛下にまつわるエピソードがあります。

こちらは、椿山荘が駐日英国大使館主催のケーキコンテストに応募したケーキ。

ホテル3階ヒストリーラウンジでは、エリザベス女王の写真展も開催されます。無料ですのでぜひこの機会にどうぞ。

全くおススメしないけれど、ありうる未来への警告だ、と衝撃を受けたディストピア映画。

メキシコのミシェル・フランコ監督による「ニューオーダー」。格差拡大するとこうなるしかない、という警告がリアリティありすぎ。フランス革命的なもの、今、リアルに迫っているのかもしれないとさえ思わせる。

くどいですが、一時的に映画でハッピーになりたい人には全く勧めない。ほんわか志向な方、見ないでね。でも、持続可能性のために格差拡大をなんとかしたいと真剣に考える方は、覚悟して見る価値あり。リアリティの凄さに眠れなくなる。こわいもん、見てしまった…?

ヴェネツィアで審査員大賞受賞の問題作。

6月4日公開です。
配給クロックワークス

Netflix 「ホワイトホット アバクロンビー&フィッチの盛衰」。

1990年代に排他的な戦略(白人・美・マッチョ以外は排除)がウケてカルチャーを席巻したブランドが、その価値を貫いたゆえに2000年代に失速,凋落。その過程に2000年代、2010年代にうねりを見せた多様性と包摂の動き、#metoo 運動など社会の価値観大変動がありました。関係者の証言で生々しく描かれる内部の様子が非常に興味深い。

それにしても、言葉遣いにいたるまできめ細かく設定された「エリート主義+セクシー+エクスクルーシブ(+伝統)」なアバクロのブランド戦略=排他的文化の構築に驚愕。

アバクロのモデルは服を着ないで服を売った。ファッションビジネスは、服を売るんじゃなくて文化を売る、ということがよくわかる例にもなってます。ふつうに良いものがあふれる今は、ますます文化に細心の注意を払う必要がでてきます。

とりわけラグジュアリー領域にその兆候が現れやすい。新ラグジュアリーが文化盗用や人権、包摂性やローカリティー、倫理観に対して敏感になり、新しい文化を創るのとセットになっているというのは、そういう文脈に則っています。ラグジュアリーが特権的で神秘的で選ばれた人のための贅沢品という思い込みのままなのは、1990年代で止まっているのと同じ。あらゆる文化間に「上」「下」関係を作るのがダサくなっている今、ラグジュアリーの概念も大変動を起こしています。価値観をアップデートしましょう。

 

?ファッションジャーナリストの宮田理江さんが『新・ラグジュアリー』のレビューをアパレルウェブに書いてくださいました。

?amazonでは連休中、その他の地域経済関連書籍部門でプーチンをおさえて一位。8日の現時点でまだベストセラーマークがついてます。ありがとうございます。

本日公開のオードリー・ヘプバーンのドキュメンタリー映画。

天真爛漫な愛くるしさで永遠のスタイルアイコンとして人気ではありますが、映画では、あまり知られていない幼少時の悲惨な戦争体験や二度の結婚生活の不幸も描かれます。ユニセフの親善大使になったのも凄絶な戦争体験からの必然的な流れだったと見えてきます。

戦争をやめない人間への彼女の訴求力は今なお強い。というか今だからこそ各国の指導者に見てほしい……。

©️PictureLux / The Hollywood Archive / Alamy Stock Photo

 

 

昨日見た試写は、アレックス・トンプソン監督のアメリカ映画、「セイント・フランシス」。34歳独身、仕事も中途半端、人生がまったくぱっとしない、見た目も平凡な女性が主人公。レズビアンの両親に育てられる女の子フランシスのナニーをしながら強さに目覚めていくストーリー。女性の生理や中絶などのなまなましすぎる「本音のリアリティ描写」に戸惑うくらいでした。中絶後の「細胞のかたまり」まで見せるのが今なのかと衝撃を受けました。男性とのやりとりも、「ど」のつくリアリティ。「そこまで描くか」というショックはありながらも、繊細な人間的な感情の変わらなさも同時に感じたのですが。

オードリーの時代は、映画の世界はいわば「きれいごと」でした。だから神秘的で夢のような「スター」も存在しえた。そんな時代はもうすっかり遠いものになったような気がしています。(どちらがいい悪いの問題ではなく、大きく変化した、という感慨)

ゴールデンウィークといっても混雑が何よりも苦手なので日中は引きこもって仕事とファミリーの世話と家の手入れ、すべてノルマを終えたあとは試写です。ラグジュアリーな感覚とは遠いけれどユニークな2作、まとめてご紹介。

まずは、夏が近づいてくることを知らせる風物詩、サメものです。
ひたすら生々しい恐怖を味わえる今年の佳作はこちらでしょうか。
「海上48hours」。

教訓1: 友達が一緒だからって調子に乗るな
教訓2:調子に乗りやすい友達とつるむな
教訓3:調子に乗りやすい友達はだいだい裏切る

恐怖とスリルとアドレナリンで時間を忘れる没我の85分。
暑くて人生投げ出したくなるようなことあればそのタイミングでご鑑賞ください。この状況に比べればマシな人生にもどりたくなると思われます。納涼B級シネマ。

7月22日公開です。
監督ジェームズ・ナン、出演ホリー・アール、ジャック・トウールマンほか
配給GAGA 。

もう一作は、タイトルからして挑戦的な、”The Worst Person in the World.” 「わたしは最悪。」

オスロを舞台に、ひとりのアラサー女性の日常が淡々と描かれます。本人はいつも正直にその時々でこれしかないという選択をするのですが、引いて見ると、最悪のやらかしばかりにも見えてきます。でもことさら騒ぎもなく日常は続いていき、静かにチャンスを逸しながら人生は下降線、おそらくヒロインは一生、こんな最悪の人生の選択をしていくのであろうか…。ズキッとします。自分に正直に行動せよ、というスローガンが正義みたいになってますが、ほんとにそれがよい結果をもたらすのでしょうか? そもそも「よい結果」ってなんでしたっけ? ちょっと考え直してみようよ、と問いを投げかけられます(受け止め方は人によってずいぶん異なると想像します)。

どこかにきっと特別な自分がいる、と選択を否定し続けて次へ次へと行くヒロインに対し、いかにも私のことです、とおそらく多くの観客が共感し、カンヌで女優賞受賞。

本音のリアリティが静かに描かれるからいっそう、痛烈でぎょっとするほどアナーキーです。痛みと苦味とともに深い学びがちりばめられる映画です。語り口がちょっとこれまでになかったような感覚で、観客を退屈させるフリしてなかなか新鮮でした。北欧映画って人間の暗いところをぐいぐいえぐってきますね。

7月1日公開。
監督ヨアキム・トリアー 出演レナーテ・レインスヴェ
配給GAGA

リュ・スンワン監督「モガディシュ」試写。

ソマリア内戦下、命か国家か究極の選択をせまられた「北」と「南」の外交官たちの、人間としてのぎりぎりの選択がスリリングです。

いまの時代だからこそひしひし迫り来る強い映画。衝撃の実話の映画化。ソマリア内戦のシーンに緊迫したリアリティがあります。小さな子供まで銃をかついで人に向け、しかも笑っているという……。

こんな小さな地球で隣人どうしの憎みあいとか殺し合いとか、もうほんとに全く意味ないからやめようよ。映画をみながら地球の現実を重ねて泣けてくる、そんな映画でもあります。

7月1日公開です。
配給 ツイン

秋に公開されるマリー・クワント映画の試写。

90分の中に、60年代ロンドンの生々しい躍動感がぎゅっと詰まってる。戦争、ファッション、音楽、政治、ビジネス、ジャーナリズム、性革命、ヘアメイク、ストリートカルチャー、アメリカ、日本、家族。濃厚で自由。クオリティ高いドキュメンタリー。現代にも通じるメッセージも多々。

この秋は、映画、展覧会、書籍で連動してマリークワントがきます。

「アパレル全史」にも書いてますが、私はクワントにひっぱられて道を外したところがあるので、あれから40年ほど経ったこの時期にクワントの総まとめが襲来することが、再び彼女に導かれているようで、複雑で感慨深いです。(展覧会、映画、書籍、すべてにおいて関わることになりました。)

なにはともあれ60年代祭りがきます。60年代クワント風ファッションでみんなで盛り上がりたいところですが、どなたか作りませんか?

 

V&Aのマリー・クワント展とともにイギリスで発売された書籍がこちら。

エリザベス女王96歳のお誕生日を心よりお祝い申し上げます。

故ロジャー・ミッチェルがコロナ禍の期間に作り上げたドキュメンタリー映画『女王陛下の微笑み』が、プラチナジュビリーにあわせて公開されます。

これまで公開されてこなかったプライベートな映像も使われており、「初めて見るエリザベス」がぎっしり。女王ファンには涙涙涙の90分です。この70年間の英国史のエッセンスも凝縮されています。

映画公開にあわせ、椿山荘ではアフタヌーンティーなど特別コラボプランが企画されているようですよ。

©Elizabeth Productions Limited 2021

6月17日、TOHO シネマズシャンテ、Bunkamura ル・シネマほか全国公開

Star Channel でこれから公開されるドラマの試写を拝見。『ハリー・パーマー 国際諜報局』全6話、一周まわってレトロでアナーキーなおもしろさがあります。

1960年代にアンチ・ジェームズ・ボンドとして設定された元祖黒縁眼鏡のスパイが、いやあ、反007だからこそ今っぽいというか。もっさりしたスピード感といい、ゆるい音楽設定といい、その中で際立つヒロインの60年代ファッション。やみつきになってます。

詳しくは媒体などで書きますのでこれ以上はここでは控えておきますが、英国スパイもの好きな方はネタ元を知っておくためにも必見でしょう。

それにしても今年は1960年代ものの仕事が多い…。秋は60年代ブリティッシュカルチャー、全開ですよ!

 

©Altitude Film Entertainment Limited 2021 All Rights Reserved. Licensed by ITV Studios Ltd

<作品情報>
『ハリー・パーマー 国際諜報局』
【脚本・製作総指揮】ジョン・ホッジ(『トレインスポッティング』)
【製作総指揮】ウィル・クラーク(『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』)
【監督・製作総指揮】ジェームズ・ワトキンス(『ブラック・ミラー』)
【出演】ジョー・コール、ルーシー・ボイントン、トム・ホランダー、アシュリー・トーマス、
ジョシュア・ジェームズ、デヴィッド・デンシック ほか

オードリーヘプバーン、初のドキュメンタリー映画が公開されます。

世界中から愛された大スターですが、両親は離婚、父には冷たく見放され、自身も二度離婚。心の傷を、愛することに変えることができた人でした。

華奢なのは戦争中にひどい栄養失調になっていたため…。晩年、ユニセフ親善大使として世界を訪問し、飢えて痩せ細った子供たちを抱きしめるとき、幼少期の思いも重ねていたのですね。

世界が憎しみや暴力で傷ついている今だからこそ、オードリーの言葉と行動が強く響きます。

5月6日公開です。
配給 東北新社

ロジャー・ミッチェルがコロナ禍の最中につくりあげたドキュメンタリー映画「エリザベス」試写。

女王が走る、笑う、なんだかファニーなことを言っている。これまであまり表に出てこなかったプライベートな一面もさしはさまれながら、女王の生涯をポップにコラージュした映画。ファンにはたまらないニッチな深掘りをしておりますが、おそらくイギリスや王室に関心の薄い方には「?」かもですね。女王ファンには全力推薦したい。

プラチナジュビリーに向けて、詳細は後日!

「帰らない日曜日」(Mothering Sunday)試写拝見しました。


原作はグレアム・スウィフト「マザリングサンデー」、監督はエヴァ・ユッソン。

1920年代のカントリーハウスを舞台に繰り広げられる天涯孤独のメイドと名家の跡取り息子の秘めた官能的愛。とくればカズオイシグオ的世界のなかにダウントン風人間模様。

淡く物悲しいストーリー展開にとって大切な役割を果たしているのが、眼福を与えてくれるインテリアや衣裳。

衣裳はサンディ・パウェル。「女王陛下のお気に入り」を手掛けた方です。20年代コスチュームにエッジを効かせて見せてくれます。絵画のように上品で「自然な」(ここ、強調しときますね)ラブシーンにはちょっと驚きますが。

5.27(金)全国公開

2021年/イギリス/104分
配給;松竹
© CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE AND NUMBER 9 FILMS
SUNDAY LIMITED 2021

北日本新聞「まんまる」4月号発行です。連載「ファッション歳時記」第127回は、「ナイトメア・アリ―」のコスチュームについて。

ギレルモ・デル・トロの世界が好きな方には全力おすすめの映画です。

 

©2021 20th Century Studios. All right reserved.

この映画のケイト・ブランシェットのクラシックな髪型にしてみようかと思ってしまうほど磁力が強い。

配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
3月25日より全国公開

kotoba 春号 ゴッドファーザー50周年記念特集。本日発売です。

このような目次です。これは永久保存版でしょう。

 

拙稿「マフィアとスーツ」では、バー「ル・パラン」の本多啓彰さん、「アジャスタブルコスチューム」の小高一樹さん、「スローンレンジャートウキョウ」の大西慎哉さんに取材のご協力をを賜りました。ありがとうございました。

ご覧のように、小高さんは「パートII」でのヴィトー・コルレオーネのスタイルを再現した装いで取材に応じてくださいました。マニアックを極めた観察力で多くのご指摘をいただきました。

『ナイトメア・アリー』試写拝見しました。

濃厚な、極限の最悪な悪夢を見ているような時間が2時間半。世界の見え方が変わる寓話。強欲な資本主義への警告にも見える。あなたは獣か人間か。

見終わるとぐったりしてしばらく立ち上がれませんでした。ギレルモデルトロのダークなイマジネーション炸裂の最高傑作、更新。

1939年、40年あたりのコスチュームも美しいし、インテリアそのものもスペクタクルになっている。カーニバルはトッド・ブラウニングの「フリークス」を連想させるし、おどろおどろしさと不穏な世界観はギレルモ節全開。

 

配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

3月25日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

©2021 20th Century Studios. All rights reserved.

映画『ゴヤの名画と優しい泥棒(The Duke)』。


あの不朽の傑作『ノッティングヒルの恋人』の監督、ロジャー・ミッシェルの遺作となった長編です。ザ・プレイハウス(青山店)でのプライベートシアターで鑑賞させていただきました。

映画は、1950年代にイギリスで起きた実話をもとにしています。〈ロンドン・ナショナル・ギャラリー〉で起きた、フランシスコ・デ・ゴヤの名画「ウェリントン公爵」盗難事件。

当時の労働者階級のリアリティ、家族の絆、イギリス社会の不平等とそれに対して果敢に闘う人に向けられるさりげない共感が、ミッシェルらしい優しい目線で描かれます。現代社会へのメッセージとしても響くようなセリフも多々あり、最後は心がほっこりとあたたかさに包まれます。

このプライベートシアターには、英国王室御用達のオーディオブランド「LINN(リン)」が、ザ・プレイハウスのために特別設計した5.1chサウンドシステムとして搭載されています。

ゴヤの「ウェリントン公爵」は、映画『007 / ドクター・ノオ』にも登場するんですよね。「007」グッズだらけのこの部屋でなぜこの映画なのか? 最後には違和感がなくなる。

2月25日(金)からTOHOシネマズ シャンテ他で公開されます。

日本経済新聞「モードは語る」。22日付では、「ハウス・オブ・グッチ」を撮ったリドリー・スコットへのリスペクトを込めて書いてます。

 

電子版はこちら

 

photo ©2021 Metro-Goldwyn Mayer Pictures Inc. All Right Reserved.
配給 東宝東和

 

ゴッドファーザー」生誕50周年記念の原稿8000字近く脱稿しました。書き上がるまでかなり苦悩して長い「旅」になりました……。

20世紀の実在のマフィアのボスのスーツスタイルを調べつくしてやたらこの分野に詳しくなりました。

だからってまったく何の役にも立ちませんが、そんな無駄なことが意味もなく楽しいから困ります。(ちょっとは役に立つ人間になりたい)

その仕事の意味は? 意味ある仕事と感じられる時は幸せでしょう。一方、「意味ない」と感じられることもあります。「意味のなさ」にも二種類あって、虚しすぎて意味ないと感じ、疲労ばかりが増していく「ブルシットジョブ」もあれば、社会的な意味なんかまったくないんだけど没頭しているだけで脳がフル回転して元気になっていくという「意味のなさ」もありますね。私はどちらかというと後者の無意味にひたっているのが得意(?)で、無意味を極めるための苦労は苦しいんだけど苦しくない。そういうことを何の疑問も抱かずやっている変人を見つけたらお仲間としていたく共感を覚えがちです。

 

取材にご協力くださいました方々、ありがとうございました。

「アジャスタブル・コスチューム」の小高一樹さん、ヴィトー・コルレオーネ スタイルでの熱いお話ありがとうございました。


「スローンレンジャー・トウキョウ」の大西慎哉さん(右)、スーツの細部に関するマニアックなお話ありがとうございました。

そしてルパランの本多啓彰さん、ありがとうございました。


同、上村卓さん。ありがとうございました。

紙幅の関係で豊穣なお話のごく一部しか引用できなかったのが残念極まりないのですが。3月に活字になります。

 

雲一つない空の暗闇、目の前には2022年最初の満月。

House of Gucci. 14日から公開になりましたね。

ファッション史に興味があってもなくても飽きさせず、2時間半、目が釘付け。

 

ノリノリの70年代末~80年代ミュージックと感情揺さぶるイタリアンオペラがいい感じで「意味まみれ」。衣裳は眼福、俳優は驚愕。

ジャレットレトを探せ。史実を知っていたらなお面白くなる。(「アパレル全史」参照。笑) ちょうどゴッドファーザーの原稿を書いていて、アルパチーノの演技に歴史を重ね見てじわり泣きました… とにかく必見です。

 

写真はすべて、© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

 

House of Gucciで印象に残った人間観察のひとつに、「人と違う個性や才能をアピールすることは、実は凡庸さの頂点である」というのがあります。本当に革新的なやり手は、最も静かで平凡に見えたアノ人だった!という事実に基づくオチが渋い。画期的な変化を起こす人はいちいち人と違うアピールなんてしない。静かな意志を、平凡に着実に淡々と貫き、その暁に結果を出す。そんなもんです。

 

 

 あわせて読むとよりいっそう面白さが増す原作本。

 下巻末の解説も理解を深めてくれます。

 映画の中に出てくるトム・フォード、ドメニコ・デ・ソーレ、アナ・ウィンター、カール・ラガーフェルドがどんな位置づけの人なのか? 占い師役のサルマ・ハエックの現実世界での夫がどんな人なのか(グッチを傘下におさめるケリングの会長)? 今のグッチをもりあげるアレッサンドロ・ミケーレはどんな仕事をしていて画期的なのか? いつからファッションのメインプレイヤーが資本家になったのか? などなどご参考になる点いろいろあるかと思います。電子書籍版もあり。

とてつもないものを観た。

ウェス・アンダーソンの10作目にあたる「ザ・フレンチ・ディスパッチ」。

想像の限界をあっさり超えてくる贅沢すぎる映画でした。クリエイティブに関わる人は自信なくすか発奮するか。敵わない。というか比較するのも無理な圧倒的な別次元で濃厚に豊潤にオタク世界がきらめきわたる。108分の中にカラフルないくつもの映画的エピソードが花開く。ウェスアンダーソンの才能と、愛があふれすぎるマニアックなこだわりに斬新な刺激をうけます。

映画好きは必見です。

1月28日ロードショー。
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

オペレーション・ミンスミート」試写拝見しました。

1943年のリアリティある軍服&ファッション、耳に心地よいイギリス英語、世界の命運をかけたナチス相手のギリギリの(難しすぎる)頭脳戦と妻帯者コリンファースの淡い淡い曖昧なロマンスにしびれます。暗号解読に活躍したのは女性たちだったことも描かれる。イアン・フレミングも登場してイギリス・スパイものファンにはワクワクものです。実話に基づく緊迫感あるストーリー

監督:ジョン・マッデン
出演:コリン・ファース、マシュー・マクファディン、ケリー・マクドナルド

2月18日公開。

「オートクチュール」試写。ディオールのメゾンの舞台裏で働く一人一人の職人に焦点を当てる、滋味深いヒューマンドラマです。職人の世界を通して今のフランス社会に焦点を当てる目線そのものがこれからのラグジュアリーの方向を示しているように思います。

監督・脚本:シルヴィー・オハヨン
出演:ナタリー・バイ、リナ・クードリ

3月25日全国公開

©2019-LES FILMS DU 24 – LES PRODUCTIONS DU RENARD – LES PRODUCTIONS JOUROR

 

 

Netflix のDon’t Look Up. 地球規模の破滅が迫っているのに茶番と分断と投資と巨大企業による国家支配が進んでいく救いようのない現代のリアルな衆愚をアダムマッケイがコメディのフリして痛烈にあぶり出し。爆笑しつつ笑えない傑作。今更ながらディカプリオいい俳優になったと思う。超お勧めの傑作。

1966年制作の映画「Hotel」鑑賞会。

ホテルの総支配人の理想的なあり方が描かれています。

一方、資本家と総支配人の関係、老舗ホテルと新興ホテルとの確執など、シブいテーマも。グランドホテル形式で描かれる数々のドラマが最後に一気に収束する。原作はアーサーヘイリー。

女性が総支配人を誘惑する大胆にしてさりげなすぎるやり方にも倒れます。笑。ジャクリーヌケネディの影響力がファッションはじめ、いたるところに及んでいます。


鑑賞会に先立ち、新横浜プリンス最上階のTop of Yokohama で食事会でした。こちらは、正直なところ、それほど期待していなかっただけに予想以上のハイレベルのお料理で満足感高し、です。周囲に高いビルがないので、見晴らしよき絶景も360°楽しめます。総料理長の石田敏晴さんとアシスタントマネージャー北原和則さんはじめスタッフの今後のいっそうの躍進に期待します。ほんと、ここ穴場。高層階からの眺めに囲まれ、ほっとくつろぎながら美味しいお料理を楽しめるよいレストランです。

総支配人が専門家にして総合職として育てられることが少ない日本のホテルカルチャー。あらゆる教養と貫禄を備えた人間味のあるホテルマネージャーが今こそもっと大勢必要だと感じます。あるいはそんな存在は時代遅れなのか? いや。新時代のホテルにふさわしい総支配人という存在、あったほうが絶対楽しい。

ブリティッシュ&クリスマスの装飾がいたるところに。

ドーム型天井の上は、吹き抜けになっています。

 

『コーダ あいのうた』試写。

不意打ちな感動作でした。コーダとは「終わり(そして続く)」を象徴する音楽記号であるとともにChildren of Deaf Adults (耳の聞こえない親を持つ聞こえる子供)のこと。

笑って泣いて鑑賞中はずっと聴覚や嗅覚に対する意識が研ぎ澄まされている。

サブストーリーとして初々しい青春ストーリーもあり、洗われるようなさわやかさが残ります。

写真はすべて、© 2020 VENDOME PICTURES LLC, PATHE FILMS

 

■2022年1月21日(金) TOHOシネマズ 日比谷他、全国ロードショー

■配給:ギャガGAGA

■PG12

■スタッフ・キャスト
監督・脚本:シアン・ヘダー
出演:エミリア・ジョーンズ「ロック&キー」、フェルディア・ウォルシュ=ピーロ『シング・ストリート 未來へのうた』、マーリー・マトリン『愛は静けさの中に』

「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」、公式ウェブサイトにコメントが掲載されています。

 

アートの価格がどのように決まるのか? 人間くさいスリリングなドキュメンタリーです。

もっとも痛烈だったのは、同じレオナルドですが、俳優の涙。誰かの感動の保証もまた価値に貢献します。アートであれものであれ、周囲の反応や行動も価値、ひいては価格を押し上げる。示唆に富むお話です。

ヴァルカナイズロンドン&ザ・プレイハウスが内も外もボンド一色になっております。10月1日公開まであと一週間となりました。

妄想炸裂なボンドイベント打ち合わせでした。怖いような愛しいようなボンドファンをいかに抱擁(概念として)するのか? 悩ましきところです。

 

イベントについては近々告知できると思います。

 

Worth the Wait. というのは解説も野暮ですが、ダニエル・クレイグがハイネケンCMでつぶやいた一言です。この3語から成る一言で2億円のギャラらしい(笑)。ボンド映画も3度の延期でようやく公開ですが、Worth the  Wait. な映画となってるかどうか?

 

☆現実を生きるダニエル・クレイグが、演じる虚構のジェームズ・ボンドと同じ海軍の名誉中佐に任命されたとのこと。ジェームズ・ボンドってほんと、イギリス社会の虚実皮膜の中に生きながら、イギリス文化の広報大使になっている。ロンドンオリンピック開会式でダニエル・クレイグが女王陛下をエスコートしてヘリコプターから降りてきたときも「あ、ボンドがエスコートか」という感じで何の違和感もなかった(笑)。

ここまでのキャラクターを育てられるってあっぱれ。

ノエル・カワードの古典的戯曲『ブライズ・スピリット』をアップデートした映画が10日より公開されます。

JBpress autograph の連載「モードと社会」第17回で見どころを解説しました。よろしかったらご覧ください。

1930年代の「ハリウッド志向のイングリッシュネス」を表現したアールデコ建築、ファッション、インテリアは眼福です。

こちらからご覧くださいませ。

 

「皮膚を売った男」試写。

不条理に引き裂かれた恋人に会うため、自身がアート作品になって世界を旅できるようになろうとした男の物語。

シリア、難民の現実をさらっと見せながらアートとは何か? アートと人権との関係は? という問題まで考えさせる。語り口そのものがアート的でユニークな秀作です。第93回アカデミー賞国際長編映画賞ノミネート。

11月12日 Bunkamura ル・シネマ他で全国

監督・脚本:カウテール・ベン・ハニア
配給:クロックワークス

1971年、まだ無名に近かったデイヴィッド・ボウイのアメリカツアーを追う「ほぼ実話」の伝記映画。遺族は公認していないそう。(そりゃ怒るだろう、という描写)

メンズドレス、ハイヒール、メイクが心の病と結びつけられていた1971年。彼が異星人ジギースターダストにならざるを得なかったプロセスが痛くて衝撃で、ボウイ像が変わって見えた。より深く理解に近づけた、かもしれない。

当時のファッション、音楽シーンの舞台裏は興味深いものの、地味な映画です。

願わくば俳優たちにもうすこし華がほしかったかな。

10月8日全国公開です。

 

監督:ガブリエル・レンジ
出演:ジョニー・フリン、ジェナ・マローン
配給:リージェンツ

1990年代前半のUK音楽シーンの舞台裏が生々しい。ヒロインの心情の変化に伴う外見の変化が圧巻。ていうかヒロイン16歳でここまでやるのか(実話に基づく映画)。

時にイタいヒロインの絶対的自信を支えるテキトーで自然体な深い家族愛が染み入ります。

世界を信じられるということの強さ、これがあるということは最高の幸運なのかも。ちょっとヒロインがうらやましかった。

 

©MONUMENTAL PICTURES, TANGO PRODUCTIONS, LLC,CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION

配給・ポニー・キャニオン
10月22日全国ロードショー

公式HPはこちら

カワードの不滅の傑作コメディ、「ブライズ・スピリット」が2020年に何度目かの映画化。試写拝見しました。

監督は「ダウントン」を撮ったエドワード・ホール。やはりダウントン組のダン・スティーヴンスが主演。ほかにレスリー・マン、アイラ・フィッシャー、そしてジュディ・デンチが楽しそうに古典を演じている。

1937年のファッションと建築、インテリアは眼福もの。

メンズ、レディス共にたっぷり見ごたえあります。詳しくは別の媒体で書きますが、これはイギリス文化×ファッション史×映画史が好きな人にはたまらないと思います。カワードのワクワク洒脱なストーリーとともにお楽しみください。

©BLITHE SPIRIT PRODUCTIONS LTD 2020

配給:ショウゲート
9月10日 TOHO シネマズシャンテほか全国ロードショー

 

「マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”」試写拝見しました。

インタビュー嫌い、顔出しNGのマルジェラが語る語る!

7歳からの夢を叶えた革命家の生活と一貫した姿勢とは。日本との深いつながりにも驚きます。ゴルティエの弟子だったことも発見でした。ファッション史の学徒は必見です。

監督はドリス・ヴァン・ノッテンのドキュメンタリーを撮ったライナー・ホルツェマーです。

9月17日ホワイトシネクイント全国順次公開
配給:アップリンク
© 2019 Reiner Holzemer Film – RTBF – Animata Productions

「ココ・シャネル 時代と闘った女」のパンフレットにコメントを寄稿しました。

 

 

7月23日公開です。実証のみに基づくドキュメンタリー。20世紀絵巻になってます。おすすめ。

「テーラー 人生の仕立て屋」試写で拝見しました。

アテネ一のテーラーが主人公のギリシア映画。。スリーピース&ポケチとおそろいのネクタイ、のクラシックスーツを着る人がもういないという現実を示唆するシーンから始まる詩的な映像。セリフ少な目の豊かな語り口そのものがクラシック映画的で、いまや貴重になっていることに改めて気づかされました。いちいち心情がセリフで説明されてしまう某大ヒット映画の対極にある佳作です。

9月3日より公開です。配給は松竹。

日経連載「モードは語る」

5日付夕刊では、「グリード ファストファッション帝国の真実」→現実のファストファッション界を振り返る、という流れで書いてみました。

 

「グリード ファストファッション帝国の真実」、6月18日より公開です。

コメントしました。

©2019 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. AND CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION

 

映画には多少誇張もあるものの、2000年代のファストファッションの愚行がなにをもたらしたのかは、知っておきたい。

公式ホームページでは11人のコメントが紹介されています。

 

JBpress autograph 連載「モードと社会」第12回。

ガイ・リッチー監督「ジェントルメン」の紹介です。「英国紳士のジェントリフィケーション」。

キャラクターの着るコスチュームの話から、ジェントリフィケーションの解釈まで。こちらからどうぞ。

 

〇竹宮恵子「エルメスの道」新版。

 

右のオレンジが旧版。左が新版です。新版には銀座のメゾンエルメス建設にまつわるエピソードも描かれ、さらに読み応えある一冊になっています。ここまでやるのか!という驚きの連続。ブランディングとはなにか、ラグジュアリーの真髄はなにか、考えさせられるヒントが満載です。

こういうのを見ると、感動を通り越して、エルメスにはかなわないなあ……と絶望に近い気持ちさえ生まれてきますね。(いや、超えよう。笑)

 

 

 

 (Click to amazon)

 

 

〇婦人画報.jp 「フォーマルウェアの基礎知識」連載Vol. 17  「ブリジャートン家」のコスチュームを解説しました。この時代はブランメル時代どまんなか、超得意分野でもあるうえ、目の保養になるメンズコスチュームが次から次へと登場するのでノリノリで書いております。ドラマ鑑賞にお役立ていただければ幸いです。

 

「グリード ファストファッション帝国の真実」。


ブラックな笑い満載のエンタメですが、労働力を搾取して栄えたファストファッション王国の構造描写がリアル。「ファッション誌編集者」として登場する女性がおそろしくふつうで地味、というのもリアリティあり。モデルは昨年破産したTOPSHOP創業者のフィリップ・グリーン卿。こんな映画を作れてしまうのがイギリスだなあ。監督はマイケル ウインターボトム。

セレブライフのおバカさかげんに笑いながらも、さしはさまれる格差の描写に、否応なく現代を考えさせられます。白すぎる歯がコワいね。

ファッション史の学徒はとりあえず必見です。

6月よりTOHOシネマズシャンテほか全国ロードショー

Ⓒ2019 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. AND CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION

ひさびさにNewsPicksコメントを転載してみます。ムラがあって恐縮です。全コメントをご覧になりたい方はNewsPicks でご覧いただければ幸いです。(転載にあたり若干の修正をしています)

〇まずは、WWDのビンテージショップ「オー・ユー・エー・テー」が伊勢丹メンズにポップアップを出して人気という記事につき。

 

「若い人がファッションに興味を持たないと言われて久しいけれど、若い人でファッション好きな方は『新しい」服を買わないのであって、むしろビンテージに熱狂している。

人気店の売り方も参考になる。『商品を売るよりも、投げかける。ウンチク語りはせず、<文脈を考える>余地を残す』

お仕着せ・押しつけをきらい、自分で考え、自分だけのストーリーを作りながらファッションを楽しみたいという消費者の思いが伝わってきます」

 

〇同じくWWDより。水道工事会社発のオアシスによるワークスーツがさらなる進化という記事。

「多様化複雑化するスーツ状況にまたニュース。

水道工事会社オアシスが手がける作業着スーツは、『WWS』とブランドを刷新し、アパレル界のアップルを目指すという記事。

『スーツであり、作業着であり、普段着という、ニューノーマル時代の唯一無二の“ボーダレスウエア”。5年後をめどに上場も視野に入れながらまずは時価総額1000億円、いずれは1兆円を目指したい』と強気。ユナイテッドアローズの重松会長がバックについているので、夢物語ではないリアリティも感じられます」

 

〇これに先立って、作業着のワークマンがリバーシブルスーツを発売したという記事がありました。

「作業着系スーツの複雑化多様化が止まらない。パジャマスーツにワークスーツ、水道会社に紳士服チェーンに作業着会社が入り乱れ、もうなにがなんだか、の混戦状態になってきました」

対抗する量販スーツの老舗AOKIは、今月あたまに一着4800円のアクティブワークスーツを発売、昨年12月にはパジャマスーツを発売しています。こんなカオスは日本ならではの現象かと思います。

むしろこういうスーツを海外に輸出すると受けるのか?

いや、少なくともヨーロッパでは、「スーツを着る職業&クラスの人」はきちんとしたスーツを着るし、それ以外の人はそれぞれの立場にふさわしいウェアを着る。日本はなんだかんだと誰もがスーツを着る。人口におけるスーツ着用率は世界一。だからこうしたハイブリッドなスーツに需要が生まれるのだろうと思います。

動きやすいのももちろんがんがん利用していいと思いますが、上質な仕立てのいいウールのスーツが心に与える満足感も時々思い出してね~。

 

 

Amazon Prime に入っていた「記憶にございません!」鑑賞。評判通り、よく練られた脚本に基づいたとてもセンスのいいコメディ。三谷幸喜さま監督脚本。魅力的な俳優陣もいい。とくに小池栄子には惚れ直した。ディーンフジオカは動いても動かなくても完璧でずるい。笑

懸案の8000字を書き終わり、Netflix に入っていたCUBE を鑑賞。1997年のカナダ映画。話題になっていたけどコワそうで避けていた。今は現実の方がコワいことが起きるので、ホラームービーが現実の反映みたいに見えてくることがある。これもそうでした。

目覚めると立方体の中に知らない男女と閉じ込められている。脱出しようとするとところどころ罠があり、凄惨な死が待っている。男女はそれぞれの力を合わせて協力しながら安全ルートを探して脱出しようとするのだが……。誰がなんのためにそのようなシステムに放り込んだのかもわからない。ただ知恵を絞ってシステムの外へ脱出しようとあがく。途中の敵は、システムそのものというよりもむしろ、同行する人間。同じ穴のムジナである人間に殺される。生き残るのはイノセントな人。

まさしく人間社会への風刺そのものになっていたのが秀逸でした。

観終って知ったのですが、日本でもリメイクが公開されるのですね。良いタイミングで観たかも。

ワースとレヴンの終盤の会話がシブい。

Worth: I have nothing to live for out there.(外の世界に行っても生きている意味がない)
Leaven: What is out there? (外に何があるの?)
Worth: Boundless human stupidity. (愚かな人間だらけ)
Leaven: I can live with that. (私は共存できる)

絶望しているのになぜ生きる努力をしなくてはいけないのか? こういう問いが97年の製作時よりも今のほうが増えている気がする。それで「闇の自己啓発」のような本に脚光が当たるのかもしれない。

 

 

 

 

 今日はポジティブめの本をおすすめ。すでにベストセラーなので読まれた方も多いでしょう。「独学大全」。匿名の方が著者ですが、丁寧な思索と的確な引用にあふれていて、知的な活動を続けられてきたことがしのばれます。

 

「意志の強さとは、決して揺るがない心に宿るのではなく、弱い心を持ちながら、そのことに抗い続ける者として自己を紡ぎ出し、織り上げようという繰り返しの中に生まれるのだ」。(本文より)

自分のなかにあるBoundless Human Stupidity への抵抗のために、何であれ「学び続ける」のは一つの方法。

Netflixの「ブリジャートン家」。いやーおもしろかった……。

1813年のロンドンの社交シーズンが舞台。社交シーズンの目的は、マッチング。結婚によって階級も社会的ステイタスも変わるので、各「家」も妙齢の男女も、根回しや駆け引きや準備その他に必死になるわけですね。

完全にジェーン・オースティンの世界なんですが、描かれ方が21世紀です。Rake!そのもののヘイスティング公爵はアフリカ系のレゲ=ジャン・ペイジだし、(現実でも)錯乱したジョージ3世の妃、シャーロット王妃は多人種の血をひくゴルダ・ロシュウェルで、それが原因ではないけどまったく高貴に見えない。笑 現実のシャーロット王妃も複数の人種の血を引く方でした。さらに社交界に出入りする貴族にアフリカ系、アジア系が大勢いて、とりたてて人種の話題は出てこない。新しい。

まったく見慣れない19世紀イギリスのコスチュームドラマに、「ゴシップガール」風の仕掛けが加わり、ハーレークイン風のベタなかけひきが満載で、若草物語風味も入れながら週刊誌中綴じ風のなまなましく過激なベッドシーンがあり、最後はロマンチックな愛の賛歌となる。古典的な話なのに斬新。19世紀ロンドンの話なのにクラシック感ゼロ。そのチープで下世話な感じの面白さに引っ張られて一気に8話見させられる。

コスチュームの基本は時代を正しくおさえており、男性はアダム型シルエットのカラフル燕尾服、女性は胸元切り替えのエンパイアスタイルのドレス。宮廷関係者は前時代のロココスタイル。ただアレンジが21世紀好みになってます。

とりわけ男性ファッションの美しさに刮目せよ、です。襟回り~胸元にかけてのシルエットといい、重厚な生地といい、リッチな色彩といい、男性をこれほどセクシーに見せる服はないのではないか。

ベッドシーンが過激すぎで15歳未満は鑑賞できません。

ブリジャートン家の当主、アンソニーを演じるジョナサン・ヘイリー(上の写真左)はじめ、個性的な美男ぞろいであるのも眼福。とりわけヘイスティング公爵役のレゲ=ジャン・ペイジは出色のダイヤモンドでしょうか。次回のボンド役の候補にもなっているという噂にも納得しました。この人のボンドはぜひ見てみたいです。

「単に多くの人に見られるだけでなく、文化のツァイトガイスト(時代を特徴づける思想)を形づくるヒットを生み出す」と宣言するネットフリックス。多様性社会にフィットする大胆なキャスティングでそれを証明してくれたという印象です。

「MISS ミス・ふらんすになりたい!」試写。

少年のころに抱いた夢、「ミス・フランスになる!」を叶えるべく闘いながら自分と周囲の殻を破っていく主人公を、ジェンダー自由自在モデルとしても活躍するアレクサンドル・ヴェテールが好演。

ミスコンの裏舞台、現在のフランス社会のリアルも描かれる、エモーショナルで楽しい作品。詳細はあらためて別媒体で書きますね。

 

写真ともに©2020 ZAZI FILMS – CHAPKA FILMS – FRANCE 2 CINEMA – MARVELOUS PRODUCTIONS

 

2021年2月下旬、シネスイッチ銀座 他全国公開

配給:彩プロ

今朝の日経The STYLE のコネリー追悼記事に関し、気を取り直して、謝辞と若干の補足の解説を。

James Bond と007は、使い分けが必要なのです。漠然としたファンにとっては同じようなものなのですが、James Bond はフレミングの原作に登場するキャラクターとして、たとえばプリンスホテル東京シティエリアで展開しているボンドメニューやボンドカクテルなどにも使用可能です。

一方、007となると、版権が映画製作のイオンプロにあります。したがって勝手にロゴを使ったりすることが見つかると、イオンプロから訴えられるおそれがあります。実はこれを知らずに007企画を進めて、直前でストップがかかり、ひやっとしたことがありました。以後、注意深く使い分けをしています。今回の原稿でも、そのあたり最も神経を使いました。

007と提携しているブランドも、映画ごとに変わっていますし、提携といってもいくつかの種類がある。このあたりのことについて、最新情報を反映し、原稿でミスがないよう、プリンスホテル東京シティエリアのボンドメニューでも監修いただいているBLBG CEOの田窪さんにご助言いただきました。

お話によればアストンマーチン、オメガ、ボランジェ、グローブトロッターはオフィシャルパートナー。ファミリーと呼ばれる組織のようなボンド組だそうです。お金を積んでも入れない、固い結束の世界。そのほかのブランド(スワロ、デュポンなど)は、作品ごとに出入りするとのこと。また、構成員にしてもなにか問題を起こしたりするとすぐにクビになるらしく、ターンブル&アッサーは「カジノロワイヤル」で問題を起こし、以後、ボンド組を外れているのだそうです。第一作のDr. Noから歴代のボンドシャツを作ってきたターンブル&アッサーですが、いまは007との提携はないのですね。驚きです。

しかし、ターンブル&アッサーは「ジェームズ・ボンド・コレクション」は展開している。この名は原作のキャラクターとみなしているからOKということですね。「007」は使えない。本国のターンブルのサイトには007のマークまで掲載してあって紛らわしいのですが、昔のよしみのような形で黙認されているか、イオンに見つかるとNGとなるかもしれないらしい。

そのような事情を知ったうえで、原稿からはターンブル&アッサーと007との関連を外しました。ボンドファンは本当に細部にうるさいということは、昨年の「ボンドの朝食」でいやというほど知らされたので、ひとつひとつ、あやふやな点をつぶしていきました。田窪さんのご助言にあらためて感謝申し上げます。

それほど神経をすり減らしても、基本的な場所でうっかりミスが出てしまう……。完璧とはなんと難しいことでしょうか。2020年のトリを飾るはずの仕事が、なんだかもう、情けない限り。これを戒めとして、さらに一つ一つの仕事をとことん丁寧に謙虚にやっていくことを来年の目標とします。

本日付の日本経済新聞The STYLE

コネリーのオビチュアリーとして「英国のブランド ショーン・コネリー」を書いています。

1か月以上前から原稿を送っていた渾身の記事で、校正ゲラを、おそらく20回くらいやりとりして、絶対にミスのないよう、ぎりぎりまで神経を使いました。The STYLEの今年の最後を飾り、コネリーへ捧げる完成度の高いページとなるはずでした。

 

なのに、一点、とんでもなく基本的な誤植が。

なぜこんなことに。日曜朝の一点の曇りもない快晴が落ち込みをさらに加速させます。調子に乗っていると天罰が下る、というような、冷や水を浴びたような朝。

 

 

(気を取り直し)。

「フォーマルウェア」となるべきところが「フォーマルウエアア」となっています。途中の校正では大丈夫のはずでしたが、改行などで最後、レイアウトを整える時になにか間違いが起きてしまったものと思われます。出てしまったものは戻しようがない……。

読者の皆様にも、お見苦しいものを見せてしまい、心よりお詫び申し上げます。ショーン・コネリーにもお詫びしてもしきれない。

 

今日は一日、追悼を兼ねて喪服を着て過ごします……。

 

 

 

「パリの調香師」、パンフレットにコメントが掲載されております。

1月15日、Bunkamura ほかで公開です。

Bunkamura上映作に立て続けて3本、コメントしたことになります(カポーティ、ヘルムートニュートン、調香師)。なんだか今年後半は(小さいものばかりとはいえ)、おそろしくたくさん仕事をしているなあ……。ほんとうにありがたいかぎりです。ひとつひとつを確実に、を心がけてさらに精進します。

Netflix のオリジナルシリーズ、「Emily in Paris (エミリー、パリへ行く)」が面白い。

シカゴのマーケター、エミリーがパリで仕事をする羽目に。パリのイジワルな同僚や上司、いかにもフランス的なオフィスカルチャーと恋愛事情、フランス語ができないエミリーに対して必ずしも優しいとは限らない住人、でも素敵すぎるパリの街並み。フランス文化とアメリカ文化の衝突が、きわめて現代的でリアルな視点のなかに描かれていて、笑いながら考えさせられることが多い。天真爛漫なヒロインを演じるリリー・コリンズがなんともかわいくて、デビューしたころのアン・ハサウェイを彷彿とさせる。


まだシーズン1の5話くらいまで見ただけですが、ブランド、香水、コスメのマーケティングに携わる人にとっても、有益な勉強になるドラマだと思う。パリの街並みやレストラン、各キャラクターのファッションもユニークで眼福です。

 

 

Netflix オリジナルで面白かったドラマ。Queen’s Gambit.

 

1950年代のアメリカが舞台。孤児院で用務員からチェスを学んだベス・ハーモンの8歳から22歳までの数奇な人生。

アニヤ・テイラー=ジョイ演じる天才チェスプレイヤー、ベスがクールでかっこいい。チェスの駒を動かす手の動き、視線がなんとも優雅でスリリング。50年代ファッション、インテリアも眼福です。ベッドカバーから壁紙まですべてお揃いのインテリアとか、クラシックなダサさのあるなんともかわいい50年代のヘアメイクにファッションとか、チェスの緊張感を引き立てる画面の質感が素敵。とはいえヒロインは薬物中毒だったり義母がアル中だったり、ヒロインがいちいち女性蔑視の扱いを受けたり、それを断罪するわけではない淡々とした描き方にリアリティがあって、たんなるおしゃれドラマには終わってないのがさすがネットフリックス。

チェスのルールをそれほど知らなくてもプレイの緊張感は楽しめます。アニヤ・テイラー=ジョイは遠からずブレークしそう。笑わぬ強い表情でミステリアスに魅了する、いい女優です。

2017年の映画、「チューリップ・フィーヴァー」。

チューリップへの投機に熱病のようにおかされていた17世紀アムステルダムが舞台。ラフ(首回りのひだ襟)が特徴的な、レンブラントの「夜警」風のコスチュームも眼福ですが、熱病のような一時的アフェアに人生を狂わされた人々の物語がしみじみ味わい深い。

鮮やかなブルーのドレスが重要な役割を果たしますが、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」のブルーターバンに使われたブルーと同じ貴重な顔料で描かれます(映画の中で)。17世紀ファッションの世界に浸りたいときにお勧めの映画。

 

Van DyckによるHenrietta Maria の肖像。1633年。なで肩のシルエット、大きなレースの襟、ふんわりふくらんだスカートの形が特徴的。Photo from Wikimedia Commons.

 

 

公開が11日(金)に迫りました。「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」。

 

PRリーフレットにもコメントを寄せています。先週末の読売新聞夕刊にも同じコメントが掲載されました。

#Me Too運動のあとだからこそ考えさせられます。もちろん人が傷つくようなことは論外ですが、あまりにもアーティストたちが委縮しすぎて、芸術の世界がつまらなくなっているのではないか? ニュートンと仕事をした12人の女性たちは何を考えていたのか? 直接、語られる言葉そのものが知的な刺激に満ちています。

「トルーマン・カポーティ 真実のテープ」本日よりBunkamuraル・シネマでロードショーです。

パンフレットにも寄稿しています。

(写真は「トルーマン・カポーティ 真実のテープ」オフィシャルツイッターより)

川本三郎さん(評論家)、山本容子さん(銅版画家)、森直人さん(映画評論家)も寄稿していらっしゃいます。登場人物の解説もあり、監督とカポーティの養女ケイト・ハリントンさんインタビューも収録し、税込800円は安すぎるくらい。

ウェブでは得られない情報満載の充実したパンフレットだと思う。私も何度も参照しています。よろしかったら劇場でお求めください。

「鬼滅の刃 無限列車編」。週末のみなとみらいの映画館は満席。


まったく前情報なしに見たのですが(アニメ版を少しだけ見ていた)、クライマックスが二度あって、キャラクターの作り方が絶妙にうまいなあと感心。

満席の観客は、エンドロールが終わってもしばらく誰も立ち上がりませんでした。こんな反応を起こさせる映画って。

ただ冷静になってみると、やはりお子様ターゲットでもあるので、心情を描かずにすべて言葉で説明しつくすなど、演出が白けたところもあり。でも、それをさしひいても、時間を忘れさせるダイナミックな映画でした。

Yokohama for all season.  ほんと、どの季節も美しい。


 

映画の余韻さめやらず、ロイヤルパーク最上階のバーでシャンパン2杯ほど飲んで帰るの巻。

 

 

 英語版は、英語の勉強にもなるよ。

 RBGことルース・ベイダー・ギンズバーグの原稿を書くために、ドキュメンタリー映画と伝記映画、2本立て続けに鑑賞。

彼女が切り開いてきた20世紀後半のジェンダ―平等への道を知ることの衝撃に近い感動。

 こちらはRBGが初めて裁判でジェンダー平等への一歩を切り開いた史実を描く伝記映画。アーミー・ハマーが夫役で出ているのもうれしい。

両作品、傑作でした。

詳しくは原稿で。

Ruth Bader Ginsburg. Official Photo from Wikimedia Commons.

Les Parfums 「パリの調香師 しあわせの香りを探して」。

エマニュエル・ドゥボスが調香師として主演する、じわじわ素敵な大人のバディムービーです。

香水好きな方にも、人生に行き詰った方にも、フランス映画好きな方にも、オススメ。

パンフレットに寄稿しました。

来年1月公開です。どうぞお楽しみに。

「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」。スタジオライカ最新アニメ。

舞台設定は19世紀後半(女性がバッスルスカートをはいているので)。ヒュー・ジャックマン演じるサー・ライオネルが「貴族クラブ」に認められるべく、人類の祖先「ビッグフット」が存在するという証明をするために冒険の旅に出る。

行く手を阻む敵は、女性の進出や進化論や電気を嫌う、ジェントルメンズクラブの老害。金のために動くその手下。どこの社会にも必ずいそうだ。笑

貴族クラブの紳士たちがテイルコートなのに対し、サー・ライオネルは黄色とブルーの千鳥格子のスリーピーススーツ、首元はアスコットタイ。これがとてもおしゃれなのです。

クラブで賭けをして出かけるあたりは「80日間世界一周」も連想させ、伝説の生物を求めてロンドン、NY、スイス、ヒマラヤをめぐる大冒険になっていくあたり、探検精神に富んでいた19世紀後半のイギリスのジェントルメンズ・カルチュアがよい感じに漂っていて、楽しい映画になっている

女性の扱いも、よくもわるくも英国紳士的。ゾーイ・サルダナ演じる「未亡人」が実はけっこうたくましく冒険心に富んでいたりして、最後のひねりも今っぽくて痛快です。

“You are a great man, but I deserve greater.”

 

Missing Link
監督・脚本:クリス・バトラー
配給:GAGA
11月13日 全国順次ロードショー

トルーマン・カポーティのドキュメンタリー映画を拝見しました。「トルーマン・カポーティ 真実のテープ」(The Capote Tapes)。

「ティファニーで朝食を」「冷血」で世界的に有名な作家カポーティ―の、きめこまかい人間描写にぐいぐい引き込まれる。

背が低い。ゲイ。声が女性っぽい。母は社交界に憧れて願い叶えられず自殺。孤独。愛されない。そんな生い立ちや背景を知ることで、数々の名作が立体的にエモーショナルに立ち上がってくる。

カポーティは作家であると同時にセレブリティだった。社交界の「道化」の役のような立ち回り。なぜそんな振る舞いをしたのか。人々が自分を「フリーク」として見る。そのぎょっとした視線を感じる。だから、カポーティはわめき、騒ぐ。そうすることで人々を気まずさから救ってやるために。「砂糖漬けのタランチュラ」「指折りの人たらし」「一度は会いたいけど二度は会いたくない有名人」「掛け値なしの奇人」などなど、彼を表現する悪態すれすれの呼称から、どんな印象を周囲に与えていたのかうすうす察することができる。

20世紀最大のパーティー、「白と黒の舞踏会」は、世界中から500人の著名人を選び抜き、招いた。ベトナム戦争のさなかに開催された、虚飾の極みのザ・パーティー。これについては25ansにも記事を書いておりますが、カポーティの生い立ちや立ち位置を知ることで、壮大なリベンジであることが感じられた。叶えられなかった母の祈りを、こうして叶えたのだろか。

スワンと呼ばれた社交界の華、当時のニューヨークのリッチ層の描写が豊富できめこまかく、文化史としての発見が多々ある。「白と黒の舞踏会」のセレブリティのファッションも、言葉を交わし合う当時の著名人たちの立ち居振る舞いも圧巻。

1977年のカポーティ。Photo by Arnold Newman Properties

セレブの秘密大暴露本でもある「叶えられた祈り」の発表がもたらした余波とバッシングのくだりも興味深い。いまにつながるゴシップ込みのセレブカルチュアは、この人から始まっていたのですね。文化史、文学史を学ぶ上でぜひ見るべき生々しいドキュメンタリーであると同時に、「特別な生き方」を貫こうとした一人の天才の栄光と転落、孤独と喧騒、愛と冷酷にも迫る見ごたえある映画になっています。

 

監督・製作 イーブズ・バーノー
配給 ミモザフィルム
11月6日よりロードショー

この問題作も読みたくなったのでポチリ↓

「透明人間」(The Invisible Man)。「マッドメン」のエリザベス・モス(出演作としては「侍女の物語」のほうが有名だそうですが、私にとってはそんなイメージ)が主演のサイコスリラー。

まったく予備知識なしで見たので、2時間、先の読めない展開に緊張感持続のまま引っ張られました。死んだはずの男が透明人間となってストーカーに。周囲は誰も信じてくれず狂人扱いされていく。コワ面白かったー。

観終って落ち着いてからラストシーンを思い返した時に、ああ、あれは「ミッドサマー」と同じ物語だったのだと気づきました。ヒロインの笑顔が語ることは同じことだったのでは。

” There are forms of oppression and domination which become invisible – the new normal. “(By Michel Foucault)

 

イクスピアリの映画館で、日曜の昼間、観客は5人だけ。映画館は換気がよいし、密にならないよう座席は空けて販売しています。観客も検温マスク消毒必須。にしても他の映画もガラガラ。映画に救われてきた身としては、映画産業が存続できるよう応援したい気持ちが大きいけれど、力がなさすぎてたいした貢献もできないのが虚しい。

EMA『エマ、愛の罠』。オンライン試写で鑑賞。

              ©Fabula, Santiago de Chile, 2019 


舞台はチリ。不能の夫。放火。養子。消防士。その妻の弁護士。レゲトンダンス。どのように収束していく話なのかまったく予想がつかなかったのですが、最後にああ、そういうことだったのかとブラックなユーモアにニヤリとさせられます。

全編をレゲトンの音楽、ダンスが彩ります。レゲトン(Reggaeton)とは、80年代~90年代にアメリカのヒップホップの影響を受けたプエルトリコ人によって生み出された音楽。Reggae +ton (スペイン語で「大きい」の意味)。

新感覚のレゲトン系ファムファタール・ミュージカルと呼べるでしょうか。

予告編です↓

 

 

” There is no such thing as a moral or an immoral book. Books are well written, or badly written. ” 「道徳的な本というのも不道徳な本というものも存在しない。傑作または駄作があるだけだ」(By Oscar Wilde)

 

★10/2 (金) 新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町、kino cinéma立川髙島屋S.C.館ほか 全国公開

★監督:パブロ・ラライン
★出演:マリアーナ・ディ・ジローラモ  ガエル・ガルシア・ベルナル  パオラ・ジャンニーニ  サンティアゴ・カブレラ  クリスティアン・スアレス
★フィルムデータ:2019年/チリ/スペイン語/107分/カラー/シネスコ/5.1ch
★レイティング:R-15+  ★配給:シンカ  ★公式サイト:http://synca.jp/ema

 

〇デジタル版となったパリコレクションとミラノコレクション。

全部観られるのはよいけれど、結局は動画にどれだけお金をかけられるかの問題?とも。ブランドの世界観を表そうとして「夢」(悪夢含む)のような映像になったり、アニメだったり、ドラマのオープニング風だったり、香水のコマーシャル風だったり。アトリエの裏を見せるなどドキュメンタリー風味もあったり、玉石混交だったのはやはり第一回だから当然といえば当然ですね。気になったのは日本ブランドの多さで、数えて見たら11もパリコレメンズに進出していた。

フミトガンリュウ
イッセイミヤケ
ヨウジヤマモト
オーラリー
カラー
ミハラヤスヒロ
ファセッタズム
ヨシオクボ
ダブレット
サルバム
ホワイトマウンテニアリング

デジタル版となって進出しやすくなったため? 以前から日本の参加は増えていたという話は聞くけれど、いつのまに。中国、韓国のブランドも進出しており、たしかにかつての敷居の高いヨーロッパのコレクションというイメージはなくなっている。

時代の変化の渦中だからこそチャンスでもある。日本のクリエイターのますますの活躍を楽しみにしています。

 

〇2年ほど前に大ヒットした「カメラを止めるな!」。Netflixに入っていたのでようやく鑑賞。後半、爆笑のち感動。悲劇でもロングショットで見ると喜劇になる、ということばを思い出した。

“Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.” (By Charlie Chaplin)


「mid90sミッドナインティーズ」試写。

製作はA24、あの「ミッドサマー」を製作した会社です。監督・脚本はジョナ・ヒル。

90年代半ばのロサンゼルスが舞台。シングルマザーの母と兄と暮らす13歳の少年が、スケボーを通して仲間と出会い、青春時代に経験するあれやこれやを経て成長していく過程を描く、ある意味では普遍的な青春映画。

90年代の音楽、ファッション、スケボー文化が甘酸っぱく広がる。派手な演出は一切ないのですが、あとからシーンの断片がフラッシュバックしてじわじわきます。

多少、きわどくても、ある程度、冒険的な経験の数々を若者に許した方がいいのでは、と思う。今の日本は幼いころからあまりにも逸脱不可になっていて、それが若者の生きづらさ、息苦しさを増やす原因になっているのではないかと思う。みんな、もっと若い人に鷹揚になろうよ。ツーブロックぐらい、冒険にすらならないのに、なんですかこの国の窮屈すぎる理不尽な厳しさは。

 

なーんてことまで考えさせられる映画でした。スケボーシーンは見ているだけで快感です。

 

「mid90s ミッドナインティーズ」
9月4日(金) 新宿ピカデリー、渋谷ホワイトシネクイントほか全国ロードショー

© 2018 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

Netflix で「グエムル 漢江の怪物」。監督はポン・ジュノ、2006年の作品。

英語のタイトルは、The Host.  ウィルスの宿主という意味も含ませている。パニック怪物映画のふりして、想像以上に面白いヒューマンドラマ、社会派ドラマだった。2020年の今に通じるところもある。終わり方も渋い。うまい。いやすごい。これぞ映画。圧倒されました。

Netflixに登場していた「タクシー運転手」。2017年の映画。1980年に実際に起きた光州事件をもとにした社会派の映画。当時から名作の誉れ高く、公開時に見逃していたので視聴しました。

こんなに重たくてあたたかい号泣ものの映画だったとは。目覚めていくタクシードライバーを演じるソン・ガンホがすばらしいし、クライマックスのタクシー運転手たちの援護シーンには鳥肌が立った。大ヒットも当然の傑作。

ヒューマンストーリーとして名作ながら、同時に、今の香港に思わず重ねて見ていた。すでにじわじわと情報統制が行われ、腐敗や不公平が露骨に目に余り始めている社会に生きていれば、自分に無縁な他人事として見るわけにはいかなくなってくる。

 

 

韓国で130万部突破のベストセラーとなった「82年生まれ、キム・ジヨン」が同タイトルで映画化されました。試写を拝見しました。

誕生から学生時代、仕事、結婚、出産、再就職への挑戦……。ごく普通の女性、ジヨンがその過程で遭遇する差別や偏見、障壁の数々。向けてくる相手は往々にして無意識で、何も考えていない。でも一つ一つの「ささいな」経験を我慢してきたことが、知らず知らずのうちにジヨンの精神を壊していた。

淡々と静かな描写が続き、とりたてて「大事件」は起きない。しかし、日常に起きる一つ一つの小さなエピソードがいちいち胸をえぐる。そうだ私もそういう経験をしてきたのだ。でも「そんなものだ」と思って心に蓋をしてきた。と思っていた。でもそうではなかった。

韓国だけでなく、日本の女性も「これは私の物語」であると共感するだろう。ひとり一人が、自分のケースにあてはめて共感したり違和感を覚えたり、つまり考え始める、そんな映画。

 

 

配給:クロックワークス
10月9日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開
(c) 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.


原作は韓国でも日本でもベストセラー。

「最強のふたり」の監督、エリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュが、またしても人間愛にあふれる(という表現ではとても足りない)映画を作りました。「スペシャルズ!」、試写を拝見しました。

原題は、Hors Normes . 規格外、というようなニュアンスでしょうか。社会、病院、学校からも疎外された重度の自閉症の子供たち、ドロップアウトした若者たちの面倒を見る二人の気骨ある男性を、ヴァンサン・カッセルとレダ・カデブがごくナチュラルに演じます。

実話に基づくストーリーで、監督は25年前にモデルとなった男性たちに会い、映画にすると決めていたそうです。その想いの厚みが感じられる、本物の感情が伝わってくる映画です。

登場する自閉症の子供たちも、本人(本物の自閉症)であったり、自閉症患者の兄だったり、まさに当事者で、当事者しか使わないことば、当事者しかわからない行動や反応が、生々しく描かれます。それを受け止めて、決して見放さず「なんとかする」ヴァンサン・カッセルとレダ・カデブ。

決して重たくすることなく、押し付けることもなく、誇張することもなく、彼らを聖人視することもなく、むしろ軽やかにリアルに、時にユーモラスに描く監督の視線もあたたかい。

弱者が弱者に向き合うことで互いが救われていくプロセスも心に残ります。制度からはみ出してしまう弱者を薄情に切り離していく日本社会への警告に見えたところも。少なくとも、他人ごととは思えませんでした。多くの方に見てほしい。

配給:ギャガ

公開表記:9月11日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国順次ロードショー

© 2019 ADNP – TEN CINÉMA – GAUMONT – TF1 FILMS PRODUCTION – BELGA PRODUCTIONS – QUAD+TEN

〇熊本、鹿児島の豪雨の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。逃げられなくなるまで水嵩が増すのはほんとうにあっという間なのですね……。犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。鹿児島ではなお危険が迫っておりますが、どうかくれぐれもお気をつけください。

 

 

〇東京都知事選の結果次第では今の腐敗しきっている政治になんらかの風穴を開けられるのではと期待していた神奈川県民ですが、結果を見て、閉塞感がひときわ重たく押し寄せてきています。

 

 

〇オンライン試写でジョン・トラボルタ主演の「ファナティック」鑑賞しました。熱狂的なファンが、サインを拒まれたことを機にじわじわと恐ろしいストーカーと化していき、ついには凄絶な光景が。ジョン・トラボルタが次第にエスカレートしていく「虐げられたファン」を怪演。ファンも怖いがアーチスト側も対応に気をつけようと警告されつつ、なんとも不気味な映画。

 

重たく重なる雲から雨がたたきつけてくる月曜日です。災害や疫病に警戒しながら慎んで愚直に務めを果たそうと気を引き締めるにはうってつけの日。

 

“Life is far too important a thing ever to talk seriously about.” (by Oscar Wilde)

ピエール・カルダンのドキュメンタリー映画「ライフ・イズ・カラフル!」(原題 House of Cardin) 。一足早く拝見いたしました。

 

現在98歳でまだお元気なカルダンの、カラフルな仕事と人生について、情報ぎっしり&ポップに仕上げられた楽しい映画でした。

 

新しい発見の連続。

 

自分をばかにしたレストランへの痛快なリベンジのエピソードはじめ、ファッションに関心が薄い人にも響く要素が満載。

お勧め。

10月2日よりロードショー公開です。

©House of Cardin – The Ebersole Hughes Company

  いま進めているプロジェクトで「マニフェスト」を出す必要があるかもしれないと知り、まったく不意打ち&泥縄だがマニフェストの短期集中研究。

研究対象のなかで際立っていたのが、ケイト・ブランシェットがひとり13役をする映画「マニフェスト」。過去のアートマニフェストの文言をセリフに散りばめ、ケイトがさまざまな「市井の人」になり切り、マニフェストの文言を多彩な形でじわじわと味わわせてくれる。監督はジュリアン・ローゼフェルト。2015年のドイツ映画(言語は英語)。

この映画じたいがひとつの実験的なアートのようであり、アートマニフェストになっている。ことばの力、強い。それを13人の人格に演じ分けて発するケイトはさらに強い。


映画のラストシーンに近いシーンなのだが、これ、今のズーム会議を予見していないか?

 

韓国版「花より男子」(Boys over Flowers)観了。これで日本版の原作、ドラマ、ドラマ続編、映画版、中国版、韓国版、すべて制覇したことになる。ああなってこうなるという物語はわかっているのに、花男ワールドは何度でも訪れたくなるなあ。中国版「流星花園」のF4も最強の4人をそろえたなと思ったが、韓国版のF4も強豪だった。ク・ジュンピョ(道明寺司)役のイ・ミンホはとにかく見飽きることがない。ユン・ジフ(花沢類)役のキム・ヒュンジョンは韓国版では原作よりもかなり重要な役柄になっており、かっこよすぎる出番が多い。ジフを選んでおけば幸せになるのに、みたいに思わせるところが何度も出てきて、ジャンディ(牧野つくし)がうらやましすぎる。イ・ソンジュ役のキム・ボムもクールな表情に隠した傷つきやすさがたまらないし、ウビン役のキム・ジュンもいい味出している。4人揃うと、男の子のいいところが完璧にそろったぞという無敵な感じがファンをつかんで離さないのだろう。メンズファッションも、これでもかというくらい華やか。とくにマカオ編あたりからイ・ミンホが着こなすビジネスウェア。財閥の後継者は膝丈フロックコートというクラシックなウェアもこのようにモダンに着るのだ、という演出にほれぼれしました。10年前のファッションというタイムラグ感はあるものの、とにかく見て楽しい。韓国版に関してはストーリー展開にところどころ、無理があり、強引過ぎると感じられる部分もありますが、それを補ってあまりある魅力全開でした。というわけで次は「キング」かな。

これを観終るまでの10日間、なんと断酒できましたよ。シャンパン飲むよりもはるかに快く酔えました。イ・ミンホ強い。

〇JB press autograph で「モードと社会」という新連載が始まります。最初の3編はコロナ禍にあるモードの話で、特別バージョン。あとは月1回くらいの予定です。公開までしばしお待ちくださいませ。

現在の連載媒体は、「日本経済新聞」「読売新聞」「北日本新聞」「婦人画報.jp」「LEON」「kotoba」です。これにJB press autographが加わり7媒体になりました。どれも手薄にならないよう、気持ちをこめて取り組みます。

 

 

〇国の状況がすさまじすぎてどこからどう怒っていいのかわからない。驚愕のできごとが日々起きている。14世と16世の区別もつかない(おそらく学んだこともない)教養もモラルも良心も責任感も指導力もまったく示すことができないトップの支持率がまだ三分の一くらいあるってどういうこと。未来を担う若い人たちへの影響ははかりしれない。いつも白い服を着てアイメイクぱっちりのお人形さんみたいな大臣の言葉も表情もだんだん本物のお人形さんに近づいている。怖いな、大丈夫かな。

 

 

〇Netflixの「青い海の伝説(Legend of the Blue Sea)」観了。人魚と詐欺師の愛、と聞いてあまり期待しないで見始めたのだが、数百年前の宿縁がからみ、家族のおそろしい陰謀が明らかになるにつれて、中盤以降から一瞬も目が離せない面白さになってくる。ありとあらゆる感情をゆさぶられた。観終ってしばらく感情が疲れて寝込んでしまった。脚本はもとより、ファッションも音楽も俳優もインテリアもロケ地もすばらしい。イ・ミンホほどの美しい男性はいまどきのハリウッドにもいないのではないか。「愛の不時着」のヒョンビンもそうだったが、恋人にはこうあってほしい、という男性像をドラマの中で期待以上に見せてくれる。だからみんなハマるんですね。笑 2016年のドラマ、全20話。韓国の文化力をまた見せつけられた。

 

再起動を始めたところが増えてきましたね。

 

薔薇が最高にきれいな季節です。Have a nice weekend.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

婦人画報.jp フォーマルウェア連載第7回

今年は、アメリカ文学史に燦然とその名を刻むF・スコット・フィッツジェラルド(1896~1940年)の没後80年に相当します。また、ジャズエイジの輝きと退廃を描き出した彼の代表作『グレート・ギャツビー』(1925年)が出版されてから95年という節目の年でもあります。

このアニバーサリーを祝い、映画化された『華麗なるギャツビー』1974年版、2013年版、それぞれの映画で表現される“喧騒のジャズエイジ”のフォーマルスタイルを読み解いてみました。こちらです。


コロナ禍でフォーマルイベントがなくなっても、フォーマルウェアの連載を続けなくてはならないという試練。とても鍛えられます。

散歩ルート途中にある近所の公園も、初夏の新緑が映えるようになりました。


池の中央の岩がなにやらうごいているように見えました。


亀が甲羅干しをしているところでした。

“Take a walk with a turtle. And behold the world in pause.” (By Bruce Feiler)

一時停止中のプロジェクトも、こんな感じです……。

 


すっかり人間慣れしているハトは、至近距離に行ってもまったく動じません。

 

 

〇コロナ禍のもとの自粛要請の結果、人にリアルで会わない日が続くと、意味をなさなくなってきたものがあります。

ジェルネイル(ペディキュア含む)
まつげエクステ
エステ
ハイヒール
イブニングドレス

とはいえ、人間にとって完全に不要かといえばまったくそういうわけではありません。WWII終結2年後にディオールがニュールックを大ヒットさせたように、終息後しばらくしたらまた復活する要素だとは思います。

 

 

〇Netflixで「母なる証明」。ポン・ジュノ監督。人間の底知れなさを描く重たいミステリーで見ごたえがあった。まさかのどんでん返し。のあとに現れるとんでもない真実。しばらくあとを引きそうな奥深さ。

 

 

Men’s EX 6月号7月号合併号発売です。

避暑地特集にて、エッセイ「古今東西に通ずる避暑文化とは」を寄稿しました。


避暑どころではない現状ではありますが、脳内に少しでも避暑地の風を感じていただければ幸いです。早乙女道春さんのさわやかでダイナミックなイラストとともにお楽しみください。

 

 

Netflixの「梨泰院クラス」観了。ストーリー、音楽、ファッション、キャラクター造型、俳優の魅力、どれをとってもすばらしく、一週間ワクワクさせていただきました。多様性社会、復讐物語、青春群像物語、ラブストーリー、と多くの見方ができますが、とりわけラブストーリーとして見ると、従来の定型を破るZ世代的な新パターンなのでは。まさかの、でも当然の大逆転の展開には、感動ひとしおでした。パク・セロイの強さにも勇気づけられますが、賢く愛を貫くチョ・イソのかっこよさったらない。”No matter who my opponent was, I eventually won.  So, I’m not giving up.”

Day 4のテーマは、「映画」。

1980年代の終わりから1990年代にかけては映画コラムの連載をいくつかもっていたこともあり、1年に300本以上映画を観ていた時期があります。

まだCGがなかった時代、映画の文法を蓮実重彦さんや山田宏一さんの本から学びました。ヒッチコックの「サイコ」のシャワーシーンでは、実際にはナイフが肌に一切触れていないにも関わらず、編集だけでいかにも惨殺されたように見せるテクニックが使われていたと知ってスローモーションにして確認したり。ヒマだったのか。「映画術」は相当読み込んだ本です。

映画コラムは滝本誠さんのデイヴィッド・リンチを語るにぴったりないかがわしく危なっかしい文体に魅了されて滝本推しの映画は全部観ていました。
CG時代になってから映画をとりまく世界も一変しましたが、2010年代の状況は、宇野維正さんと田中宗一郎さんの対談でおおよその流れがわかります。

 

このコロナ禍で映画業界も大きな打撃を受けていますね。「今週の映画ランキング」欄が延々と空白という事態がほんとうに悲しい。映画のお仕事に携わるみなさま、お辛さはいかほどかと拝察します。どうかがんばってください。

#BookCoverChallenge
#Day4
#FourBooksforFourBatons

みなさま、どうぞお健やかにお過ごしください。

婦人画報.jp ウォーマルウェア連載 第6回更新しました。

「ひまわり」公開50周年を記念して、ソフィア・ローレンの持続的な魅力の本質を、彼女のフォーマルドレススタイルを通して解説しました。80歳を超えても30歳代と変わらずフォーマルドレスを楽しんで人生を謳歌している稀有な女優のマインドセットを探りました。こちら

 


コロナ禍でフォーマルシーンは壊滅です。冠婚葬祭もほぼゼロ。そんな状況ですが、ハードな現実をうるおす束の間の眼福として、しばし、お楽しみいただけたら幸いです。

 

〇ニューヨークのクオモ知事が語る「Build Back Better  (BBB)」(以前よりよい復興、創造的復興)ってよいスローガンですね。本日の読売新聞夕刊連載「スタイルアイコン」は、そのアンドリュー・クオモ知事について書きました。読んでみてくださいね。

 

 

〇おすすめです。シャネル公式の「ガブリエルシャネルと映画」。 シャネルと映画の関係が短い動画のなかに凝縮されて収められております。こちら

 

〇映画メモ続きです。

No. 7   The Man Who Knew Too Much (1956)  120min.

監督:アルフレッド・ヒッチコック  出演:ジェームズ・スチュアート、ドリス・デイ、ラルフ・トルーマン

「うますぎる。心拍数が上がってしまった。『ケセラセラ』の歌の使い方、アルバート・ホールに漂う緊迫感(楽譜、シンバル奏者の席、ゆれるカーテン)、大使館のドアからドアへのショット。それでいて、すっとぼけたラストシーン。もう、にくい、最高だ。ヒッチコックの頭がほしい。」(1992.11.5)

No. 8  The Graduate (1967)

監督:マイク・ニコルズ 出演:ダスティン・ホフマン、アン・バンクロフト、キャサリン・ロス

「ダスティン・ホフマンが出てくると聞いただけで貧乏くさいニューシネマを想像していたら、とんでもなく新鮮だった。ハードボイルドにニューシネマをアレンジしてくれた。ラストの数秒間のしらけた感じこそニューシネマ」(1992. 11.12)

No. 9  An Affair to Remember (1957)  106min.

監督:レオ・マッケリー  出演:ケーリー・グラント、デボラ・カー、キャサリン・ネスビット

「最後のシーン、うますぎる。涙腺ボロボロ。ケーリー・グラントがあんなにうまいなんて。セリフの展開、絵の使い方、前半の陳腐な船上シーンも美しくて許せる。それにしてもあのシーン。『その人は貧乏で、お金がなくて、そのうえ、そのうえ……(ここでケーリー・グラント、デボラ・カーがその人ではないのかと初めて気づく。そのまま次の間へ戻り、戸を開ける。鏡に映る、かの絵。ケーリー・グラント、一瞬、瞳を閉じる)』。これをメロドラマティックに音楽が盛り上げる。ケーリー・グラント、さすが。大根と思わせてあのうまさ!」(1992.11.14)

 

 

〇高校生、大学生、専門学校生でファッション史を学んでみたい方、10名さまに『「イノベーター」で読むアパレル全史』をサイン入りでプレゼントします。ご自宅にこもらざるをえないこの期間に、お役立ていただければ幸いです。ご希望の方は、コメント欄に学校名と送付先を書いてお送りください。コメント欄は承認制につき表に反映(公開)されることはありません。発送後、個人情報は私の責任においてすべてすみやかに削除いたします。先着10名様で締め切らせていただきます。書籍はもちろん新品ですが、サイン後、当方でオゾンによる殺菌処理をおこなって発送いたします。

↑ (追記)締め切らせていただきました。↑

 

“Coach said. “the quality of a man’s life is in direct proportion to his commitment to excellence, regardless of his chosen field of endeavor”.”   (By Sherman Alexie )

 

週明けから原稿4本、一つは7000字近いものだったのでぐったり消耗していたところへ、思わぬギフトが届いてエネルギーが戻ってきました。

Go Tailored でご協力いただいているテイラー廣川さんからの、高級手縫いマスク!

そして顧問先からも医療に使われる本格マスク!

この時期のあたたかいお気持ちが本当に嬉しい。ありがとうございました。

 

 

さて。約30年前の映画メモの続きです。

No. 4  Stalag 17 (1953)  119min.

監督:ビリー・ワイルダー 出演:ウィリアム・ホールデン、ドン・テイラー、オットー・プレミンジャー

「捕虜ものがこんなに面白くなるとは! 女優が全く出てこないというのに。目からうろこ。スパイ容疑がかけられたセットンがどう本物のスパイを料理するのか。あれこれ予想をたてながら見たが、ダンバー中尉を逃がす「筋」とセットンが脱走するのと、本物スパイをうまく処分するのとをみごとに収束させた手腕にはただうなる。うまい。ルビッチもそうだが、いくつかのプロットをうまく関係させながら一気に収束させドラマを盛り上げる手腕は名ディレクターの必要条件。ベティ・グレイブルのピンナップの使い方も絶妙で笑ってしまった。みごとな一作。」(1992.10.24)

 

No. 5 Foregin Correspondent (1940)  119min.

監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ジョエル・マクリー、ラレイン・デイ、ハーバート・マーシャル

「見せ場が次々とこれでもかこれでもかと続く。アクション、アクション、アクション、の大戦直前ヨーロッパを舞台にした傑作。ヒコーキが墜落するシーンはコックピットにカメラをそなえつけ! 本社にニュースを伝えにいくときの巧みな芝居! 例のごとくラブ関係はとってつけたようだったが、これもご愛敬。最後はアメリカへのメッセージ。」(1992.10.26)


No. 6 Under Capricorn (1949) 117min.

監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:イングリッド・バーグマン、ジョセフ・コットン、マイケル・ワイルディング

「1830年頃のオーストラリア(元囚人ばかり!)を舞台にしたコスチューム・メロドラマ。みんな「いい人」ばかりで、悪役のはずのメイドのミリーも半端な悪役だから甘すぎる。ジェントルマン階級vs.下層階級の価値観というか美意識の違いをよく表すルビーのネックレスシーンはうまい。ジョセフ・コットンが貴婦人に立ち直った妻にプレゼントしようと後ろ手にかまえた手にネックレスがうつる。聞こえてくる会話は妻とマイケル・ワイルディングの『こんなところにルビーなんておかしい』という声。デコルテに首飾りは要らないのだ。ルビーのネックレスをにぎりつぶすようにして隠すジョセフ・コットン。映画に使われているコスチュームを扱ったテーマで何かできるはずだ。考えよう」(1992.11.3)

 

 

Netflix は「李泰院クラス」を見始めました。やはり韓国ドラマ、感情の揺さぶり方がすさまじい。続きを見るのがこわい。

 

 

Stay Safe. Stay Healthy.  食料品店やドラッグストアはどこも混んでいますね。必需品の買い物をするのもドキドキですが、そこで働く方はさらに不安でいらっしゃるでしょう。本当にありがとうございます。

 

“Maybe we need to shelter ourselves so we see the beautiful.” (By Joanna Coles)

 

1990年代は映画評論の連載をしていました。80年代の終わりごろからひょんな偶然ではじまった仕事でしたが、まったく映画のことは知らなかった。引き受けてから勉強し始める、という今も変わらぬ泥縄パタンで、一日一本、必ずビデオか映画館か試写で映画を観る、という修業を自分に課していました。ときに1日3本くらい観ることもあったので、一年に400本、映画を観るという生活を何年か続けていたのでした。

すっかり存在を忘れていましたが、そのころの映画メモが出てきたので、もしかしたら読者のみなさまの巣ごもり中の映画鑑賞のガイドにもなるのではないかと思い、いくつか転載していきます。誰にも見せない予定のメモだったので、辛口の感想もそのままです。日本語のタイトルは不明です。調べてみてください。順不同。

No. 1    The 39 Steps  (1935 英)81min.

監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ロバート・ドーナット、ルーシー・マンハイム

「ワンシーンたりともムダがない。巻き込まれ型サスペンスだが、とぼけたユーモアもあって、冒頭の『記憶力のよい男 Mr. メモリー』がこんな風に生きてくるなんて……のあっと驚く結末。うまいなあ。『バルカン超特急』もイギリス時代の作品だけど、ともにどことなくのんびりした空気が感じられて、似ている」(1992. 10. 18)

No. 2     Meet John Doe (1941) 123min.

監督:フランク・キャプラ 出演:ゲーリー・クーパー、バーバラ・スタンウィック、ウォルター・ブレナン

「『Mr. Smith… 』も『Mr. Deeds…』も同じパタン。純真なアメリカの青年が、傷つきながらも孤独に社会に対して闘っていく。その陰には必ずやり手の女性がいて、彼女は改心して彼を見守っていく、というお決まりの図式。群衆が手のひらを返したようにクーパーにものを投げつけるあたりの『これでもか』シーンはさすが」(1992. 10. 18)

 

No. 3     To Be or Not To Be (1942)  98min.

監督:エルンスト・ルビッチ  出演:キャロル・ロンバート、ジャック・ペニー、ロバート・スタッフ

「”To be or not to be”のシェイクスピアのセリフがナチに絡んでくるという芸! 劇団員を活かしたナチス・ドイツへの皮肉。自分がドイツ人のくせして……笑  蓮実(重彦)先生が、『シェイクスピアをとるか、ルビッチをとるか』と言っていた意味がよくわかった。シェイクスピアをあきらめねばならない」(1992. 10.21)


当時は蓮実先生の影響で、ルビッチマニアでした。ヒッチコック、キャプラも全作見たと思う。

1942年って第二次世界大戦の真っ最中なんですよね。(少なくともアメリカでは)文化までは死ななかった。プロパガンダ映画が大量に作られました。その意味では、映画製作もままならない今のコロナ禍のほうが悲惨かもしれません。

 

 

 

今週もどうかみなさま安全にお過ごしください。体調を崩された方のご回復をお祈り申し上げます。医療に携わる方々のご尽力に感謝します。

調べ物の勢いで見た「GOAL!」(2005)がなかなか面白かった。Amazon Prime です。


サッカーの才能を天から授けられたサンティエゴ・ムネスのストーリーを通して、イギリスのサッカー文化を見せる。メキシコからロスに渡った不法移民の子供サンティエゴが、イングランドのスカウトに目をつけられ、ニューカッスルのチームで格闘して、その間ファミリーにも友人にもいろいろなことがあり、ドキドキの連続の最後に爽快なゴールを決めてくれる。

イングランドで「サッカー」と言っても通じなくて「フットボール」で通じること。ニューカッスルのアクセント。パブでサッカーを観戦する文化。フットボールは「宗教」であること。選手のアフター。興味深い。ジダンやラウールがゲスト出演、おそらくベッカムも(本人ではないと思うがベッカム風)。

「人間には二種類いる。豪邸に住む人間と、豪邸の芝生を刈る人間だ。夢は見るな。地道に生きろ」という父との葛藤を乗り越えたサンティエゴの姿に泣く。ダメ出しをし続けるけどどこか「父」のような監督もいい味出している。「凡人は自分の能力の限界内にとどまるが、天才はリスクを冒す。冒険する」という監督のことばが刺さる。

サッカー文化は深い。調べ始めたらずぶずぶで原稿の完成が延びてしまった。編集者さまごめんなさい。週末に仕上げますm(__)m

 

プレイヤーの方々はこの時期、さぞかしお辛い思いを抱えてお過ごしのことでしょう。才能をフルに発揮できないことほど苦しいことはないと思います。一日も早いコロナ終息をお祈りいたします。

 

“Genius is patience.” (By Isaac Newton)

 

Stay safe.  Stay healthy.

Netflix 「愛の不時着」(Crash Landing on You) 全16話観了。後半は「南」が舞台、そしてラストがスイスで美しすぎるエンディング。

「冬ソナ」や「星から来たあなた」にはまった人はぜったいズブズブになってますよね。脚本は、「星から~」と同じ作家パク・ジウンのようです。ユン・セリの涙につられ、最後はペットボトル3本分くらい(←おおげさ)涙を搾り取られました。脇を固める「北」のおばさんたち、4人の若い兵士たち、もうひとつのラブストーリーを構成するソ・ダンとク・スンジョンもそれぞれによい味を出していて、ご都合主義は多少ありながらも愛とあたたかさで包まれるような最高の盛り上がりでした。韓国ドラマは、やはり期待を外さない。

笑った言葉。「顔天才」=イケメン。「母胎ソロ」=恋愛経験のない男。

 

“A person often meets his destiny on the road he took to avoid it.” (By Jean de La Fountaine)

北日本新聞別冊「まんまる」5月号が発行されました。

連載「ファッション歳時記」第104回は「パンデミック ファッション業界の反応」です。
この原稿を書いたのは3週間ほど前です。この事態からさらに加速度的に状況が変わっています。他国の状況を見るにつけ、来月号が出るころにはさらに現状が著しく変化していることが予想されます。しかし、刻々と変わるその時々のことを書き留めておくことで、ずっとあとから振り返った時に、なんらかの参考になることがあるかもしれない。

 

 

 

〇Netflix「愛の不時着」はやはり期待を裏切らず怒涛の展開となり、涙をしぼりとられつつ第9話まで。いかん、寝不足だ。はやく結末を見たい半面、観終ってこの世界から離れるのがつらい。「怒ったファンはアンチよりこわい」など名セリフも。

ソン・イエジンとヒョンビン。

家の近くのハナミズキが咲き始めました。例年より早い。青い空と白い花のコントラストが鮮やか。

 

 

〇The English Game (Netflix) 観了。

ダウントンアビーの縮小ボーイズ版といった印象でした。イギリス史が好きな方、19世紀末メンズファッション&レディスファッションが好きな方、サッカー史に関心のある方には楽しめると思います。ジェントルマンシップの一端もわかります。万人受けは難しい、マニア好みの作品。

“Look around you!  You’ve given these people something to believe in!  Something to feed the soul when nothing else does it in their life!”

北部の工場労働者にとってサッカーの優勝はそれほどの意味をもった。イートニアンにとっては”a healthy way for little boys to get fit “.

その他いろいろ思うところは活字原稿で。

 

〇今、見始めてはまりそうで危険なのが、「愛の不時着」(Netflix)。

北朝鮮に不時着してしまった韓国のわがままなセレブ女性と、北朝鮮の不器用な将校のラブストーリー(になるはず)。北と南の文化の違いがデフォルメされて描かれ、笑いに昇華されている。ちょっともっさりした昭和的な展開なのも、逆に新鮮。

 

 

 

 

 

Men’s EX 5月号発売です。特集「スタイルある名作映画に学ぶお洒落メソッド」。巻頭言を書きました。

 

各国のスーツスタイルばかりでなく、カジュアル、ドレスダウン、小物使いなどなど、多岐にわたるチェックポイントから映画が選ばれており、それをどのようにスタイルに落とし込むかという実践まで考えられています。そんなこと知らなかった!! そもそもそこまでの細部に気づくのか! というか知ってどうする! という超オタクな小ネタたちにも驚かされます。イラストも秀逸。特集の最後は、綿谷画伯がバタクの中寺さん制作によるフレッド・アステアにインスパイアされたスーツを着るという締め。こんな映画特集、なかなかありません。映画愛、ファッション愛にあふれた編集部渾身の一冊。保存版です。

ステイホームで少し生まれた時間は、名作映画をファッションという視点から鑑賞する過ごし方はいかがでしょうか。

 

映画はセリフも練られているので、ボキャブラリーが増えるのもよいですね。コロナ終息後には、マニアックな方々と映画談義を楽しみたいものです。

 

 (Click to Amazon)

 

英ジョンソン首相も入院しました。エリザベス女王は歴史に残る激励スピーチを。ラストの”We will meet again.” に泣けました。世界中が協力しあって闘うべきときですね。感染して苦しんでいらっしゃる方々の全快をお祈り申し上げます。こんな状況でも休みなく働いていらっしゃる病院関係者、スーパー・薬局のみなさま、公共交通機関で働く方々はじめインフラを整備してくださっている方々にあらためて感謝します。病院関係者が命の危険をおかしてあれだけ休みなく仕事をしていらっしゃるのだと思えば、家にこもって休みなく原稿書くぐらい、どうってことない。

 

 

好きな映画のセリフのひとつ↓

“To infinity and beyond!” (Toy Story, 1995)

 

〇ご案内しておりました、4月25日の朝日カルチャーセンターの講座は、感染症拡大防止のため、延期となりました。予定されていた4月のイベント、講演、研修など人が集まるタイプの仕事はすべて新型コロナ終息後に延期です。書く仕事に集中できるタイミング、と受け止めて、粛々と目の前にある仕事をします。

 

〇Netflix のThe English Game.  集英社kotobaのスポーツ連載のネタとして見始めたのですが、これがおもしろい。1879年のイングランドが舞台です。サッカーがいかにして上流階級のスポーツからワーキングクラス的なスポーツへ変貌していったのかというプロセスを社会ドラマとして描いています。

1879年から始まる、全部で6回のミニシリーズ。いまのところ第2回目まで観終りました。制作はジュリアン・フェローズ、あの「ダウントンアビー」を手がけた方です。オールドイートニアンの文化、北部の繊維工場労働者の文化、あまりにも大きな階級格差の描き方もリアル。俳優たちが、ほんとうにその時代から飛び出してきたようなヘアメイク、衣装、身のこなし。ヒストリカルコスチューム好きも必見。女性はバッスルスカートの時代です。鹿鳴館スタイルのあれですね。ドラマとしてのレベル高い。続きが楽しみ。

 

 


車で5分の寺家町の桜。車窓から望遠で撮影。来年は花見が楽しめるのか。日本政府のあまりにも絶望的な対応を見ていたら、来年は日本という国が独立して存在しうるのだろうかとすら思い始めてきた。有能な人はビジネス界にも大勢いる。リーダー層を総とっかえするか、政権中枢周辺にそういう方々を置くか、なんとか有効な手を早急に打てるトップ集団に指揮をとってもらいたい。他国のリーダーの対応との落差が大きすぎて、恐ろしくなる。

 

 

 

 

〇The Nikkei Magazine Style 3月29日号。

「『007』のジェームズ・ボンドに垣間見る英国紳士の伝統と前衛」。インタビューを受けた記事が掲載されました。

インタビューを受けたのは3月中旬。今から比べればはるかに「のどか」でした…。対面で一時間話すことができたのですから。

この記事もボンド映画公開(4月予定だった)を想定して作られましたが、校了のころに、公開延期が決定。ボンドイベントに合わせた私のボンドウーマンドレス(心斎橋リフォームの内本さん制作)も着るあてなく宙ぶらりん。はたして11月に本当に公開できるのかどうか、それすらも危うくなってきました。

 

 

〇Netflix で The Intouchables 「最強のふたり」。実話に基づく話だそうですが、表面的なとりつくろいを超えてストレート&本音で人に接することの力を繊細に描き出した佳作。じわ~っと心があたたかくなります。

 

 

“The music, for me, doesn’t come on a schedule. I don’t know when it’s going to come, and when it does, I want it out.” (By Prince)

Netflix で配信されているソダバーグ監督のContagion 。2011年の作品ですが、まさに現在、世界で進行中のことが生々しく描かれている。そして遠くない未来。おそらくこのままいけばこの映画のようにワクチンをめぐる闘争も起きるのだろう。

描き方もソダバーグらしく、淡々淡々と起きていることを映していくことで生々しく感覚を刺激する。ラストに持ってきた「起点らしきもの」の描き方もあながちSFとは思えず。


予言のような映画。Social Distancing の様子など、当時から9年後を見ていたかのような。

非常事態と日常は地続きで、境界線などないのだということもよくわかる。

“Somewhere in the world, the wrong pig met up with the wrong bat.”

 

 

<追記>

志村けんさんがお亡くなりになったとの報道がありました。なんと悲しく、怖ろしいことでしょうか。SF映画が刻々と現実になっていく空恐ろしさがあります。志村けんさんのご冥福をお祈り申し上げます。現在、闘病中の方々も、少しでも早く回復されますように。

春分の日に公開されたBirds of Prey (「ハーレー・クインの華麗なる覚醒」).

動員が見込まれる大作が続々延期となり、映画館はあまりメジャーな動員を期待できない?作品や、過去の作品のリバイバル。過去作品のなかには見逃していた傑作も多いのでチャンスと言えばチャンスですが、今の時期に新たに公開されるのは……やはりおそれた通り……。

マーゴット・ロビーの魅力だけでなんとかもったという印象。異なる立場にある女性たちが連携して男たちをやっつけるというのは最近の流行なのかもしれないが。アクションシーンはかっこいいし痛快だけど、そこにいたるストーリーがいまひとつもたつき、落とし前が完全についていないのでくすぶりが残りました。ギャグも笑えない。ややもったいない。

六本木ミッドタウンの桜。三分咲きというところ? 本格的な見ごろは来週初めから半ばくらいでしょうか?

 

ミッドタウンのリッツカールトン45階のバーからのサンセット。


天井も高く、水が流れ、人工的ですが暖炉の火もあり、ワインも美味しい。

本格的に、春が始まりますね。



「新聞記者」日本アカデミー賞おめでとうございます。凱旋追加上映でようやく拝見することができました。

まさに日本で今起きている疑惑の数々を生々しく、畳みかけるように見せられる。新聞の輪転機が回っていくシーンは心臓が強く早く打つほどの緊張感で、主演の若い二人の表情にはぐいぐい引き込まれる。ラスト、これほどの「ホラー」はないのではと足がすくむ。

日本の女優がおじけづいて?出演できず、韓国のシム・ウンギョンが主演ということでしたが、ほぼノーメイクですばらしい演技。主演女優賞おめでとうございます。

受賞に関しては、やはり忖度され、報道しないメディアもありましたね。映画のセリフにあったように、いったい「誰を守っているのでしょうか?」

現在、国会で起きていることは、この映画が作られた昨年よりも事態が急速に進んでいることを示唆しているように思えてなりません。

 

爽快で楽しい映画だった。引退してなおエネルギーにあふれているおじいさん、いい加減消えてくださいという暗黙のメッセージもよかった。

いまどきの女性たちのアクションもボンド映画かというくらいキレよく、ムダな衣裳替えも楽しく、もう最高。クリスティン・スチュワート。エラ・バリンスカ。ナオミ・スコット。エリザベス・バンクス。Love. 続編待望。

Midsommar.

奇祭の儀式を「体験」させるまったりしたスピード感、明るい陽射し、美しい花々、リアルすぎる音、親切で優しすぎる人々の屈託ない笑顔が怖すぎる。共同体のために個を捧げ、個の自由意思がない。でも幸せという不気味。

こんな不穏な緊張を強いられた映画は久々。この状況で映画館満席。エンディングが透けて見える娯楽映画よりも、予測できない「体験」のほうがウケるのでしょうか。トラウマになる人がいそうなので決して万人にはお勧めしない。

ホドロフスキーはなんというか、神の視点があって、おどろおどろしいシーンもそれなりにOKだったのだが、これはカルトで気持ち悪すぎた……。見た経験はしばらく尾をひきそう。

?AI Amok 。


AI が不可欠となる近未来の、よい面も恐ろしい面も示唆してくれました。映画としてはなんというか、ハラハラドキドキも想定内で、とんでもないほどの展開はなく、日本テレビ的優等生ドラマという印象が残りましたが、楽しめました。

(「パラサイト」後は、とんでもない展開を見たいと思っている自分がいる。観客の期待値はどんどん上がっていくから、創り手はそうとういかれた発想をしないとね。自戒)

本筋に関係のない衝撃もありました。あの三浦友和が年を重ねてこうなったのか……。いえ、よい年の重ね方をされていると思います。

 

?ラ・コゼット・パフメ主催の地引由美さんが、あらためてブログで『「イノベーター」で読むアパレル全史』をご紹介くださいました。ありがとうございます。

 

 


緻密に作られた傑作でした。最後の最後まで油断ならないゲームが進行。あー面白かった。推理ものなのでいろいろ書くとネタバレになるのでやめときます。

ダニエル・クレイグとアナ・デ・アルマスはそのままNo Time To Die で共演とな。4月の007への期待も盛り上げてくれました(製作側は意図してないと思いますが)。

 

隙間時間の鑑賞だったのでおそろしく時間がかかってしまいましたが、Outlander Season 4 コンプリート。

ジェイミーとクレアの娘、ブリアナが両親を追ってタイムトラベルして18世紀へ。彼女を追ってロジャーが18世紀へ。18世紀のアメリカが舞台になるロジャーとブリアナの未熟だけれど壮絶な愛の物語、彼らを助ける両親、そしてイアンの自己犠牲。インディアン、混乱を極める北部、旧態依然の南部、すべてのエピソードがリアリティありありで号泣&号泣&号泣。ますますどっぷりと18世紀に食い込む物語、これからどこへ向かうのか。

Season 5はすでに始まっているが、Netflixで観られるのはまだ少し先でしょうか。

 

 Season 1

  Season 2

  Season 3

 

感情をはげしくゆさぶるこのドラマを見たあとは現実があまりにもこの無味乾燥なので、ついタイムトラベルさせてくれるストーンサークルを探してしまいます…。

*「フォード&フェラーリ」でカトリーナ・バルフの魅力を「発見」した方も多いようですが、まずはこのドラマのシーズン1をご覧になってみてください。

「フォード vs  フェラーリ」

 

エンツォ・フェラーリがフィアットのジャンニ・アニェーリの傘下に下った背景には、アメリカのフォードの買収の申し出があったのか!とか、ビートニクはフォードのブランディングにはNGだったのか!とか発見も多い。

イタリア人はこの映画見てどう思うのか、気になります
(Twitter: kaorimode1)

“Iacocca: James Bond does not drive a Ford, sir.(ジェームズ・ボンドはフォードに乗りません)
Henry Ford II: That’s because he’s a degenerate.(堕落したやつだからな)”

マット・デイモンとクリスチャン・ベイルのブロマンス共演は眼福でした。ケン・マイルズの妻役のカトリーナ・バルフは、「アウトランダー」と演技がほぼ同じ。持ち味ともいえますが。

 

<実話とはいえ、以下、ネタバレになる可能性もあるので、未見の方は読まないでくださいね>

実話なんですね。企業論理のために個人のパフォーマンスを抑制しなくてはいけなかったケンの心情はいかばかりだったか。その後、リベンジの機会も奪われたという経緯に、不完全燃焼感と悔しさがくすぶりました。

私としては、組織としてのフォード的なあり方と真逆な、ケンやビートニクやジェームズ・ボンド派。ジェームズ・ボンドがドライバーだったらぜったいに組織の命令を無視して走り切っていましたよね。

組織としての勝利が個人の栄光よりも上、というニュアンスを残した終わり方に不満は残った映画。

*映画やイベント直後の生な感想、気になった海外ニュースへの一言コメントは、Twitter: kaorimode1でおこなっています。今日のようにブログに転載することもありますし、まったく転載しないこともあります。Follow me ?

 

オーストラリアではブッシュの大火事が広がり収まる気配をみせず、アメリカとイランの間で戦争の兆しありで多くの国が無関係ではいられない事態。年頭からテロを起こすような、あの分別を欠いた大統領が核兵器を使わないという保証はどこにもなく、地球レベルで危機が切迫していることを感じます。

ファッションをテーマに語るなんて平和な時代でしかできないこと。地球に平和が訪れるよう、祈ることぐらいしかできないのがもどかしい。自衛隊が激しい紛争の可能性ある地区に派遣されたら日本の平和も完全に保証されるわけではないでしょう。現実は刻々とシビアな方向に向かっているように見えますが、それでも、希望のある2020年となるよう祈願したい。

 

Web LEONでのダンディズムの記事が、Nikkei Style に転載され、本日より公開されています。こちら

こういう時代に念のため振り返っておきたい先人の「ダンディ」として、白洲次郎(拙著では靴下ゆえに非ダンディ認定をしましたが)がいる。白洲次郎は最後まで時代の空気に逆らって参戦に反対して、ぎりぎりまで日英両国の関係者を説得し続けた。結局、それが無理とわかると食糧難を見越して疎開し農業を始めた。召集令状を拒否して兵役につかなかったことで卑怯者呼ばわりもされたが、自分を世のために活かす道は戦後の復興にありと見定め、多大な貢献をする。生前も没後も賛否両論がつきまとう人だが、自分ができることとできないことを見極める分別と、俊敏な行動力は備えていた。

全ダンディ志願者のみなさん。「時代の空気」に鋭敏でありつつ決して空気に流されないよう、歴史の大きな流れを知ってあらためて自戒を。

 何度も推薦しているかと思いますが、白洲次郎の生涯を知るにはおすすめのドラマ。伊勢谷友介さん、「マチネの終わり」にでは英語がイヤミになるちゃらい男の役でしたが、こちらは骨太な英語力を駆使してかっこよすぎるくらい。

「ガーンジー島の読書会の秘密」(The Guernsey Literary & Potato Peel Pie Society) のご紹介です。

1946年、第二次世界大戦後のロンドン、そしてガーンジー島を舞台に展開する、しみじみあたたかく美しい、そして少し苦みもあるヒューマンドラマです。監督は鉄板のマイク・ニューウェル、出演はリリー・ジェームズを筆頭に、「ダウントンアビー」でおなじみのあの人もこの人も。嬉しくなります。

ストーリーも話法も余韻があとあとまで残る味わい深いもので、ここで詳しく触れると興ざめになるのでぜひ劇場で体験いただきたいと思いますが、1940年代のファッションも見どころの一つであると強調しておきます。

作家=キャリアウーマンとしての、戦後のロンドンスタイルがオンからオフまでワンシーンワンシーン、とにかく素敵です。こんな帽子のあしらい方には目が釘付けに。

洗練されたデートファッションも、メンズ、レディスともにため息もの。バストからウエストへのラインを強調する黄色いドレスは、当時人気のあったメインボッチャー風? (ウォリス・シンプソンがウィンザー公との結婚式に着たドレスがメインボッチャー。ウエストラインのデザインが似てますね)

編集者との打ち合わせや著者トークショーなどの「作家のお仕事スタイル」が今見ても古くなっていないのです。

一方、舞台がガーンジー島にうつるとがらりと雰囲気が変わります。ここではダイヤの婚約指輪など浮きまくってしまう。素朴なプリントブラウスやセーター、カーディガンスタイルが島の人々の生活にしっくりとなじみます。子供服にも手作りの味わいがある。衣裳デザインはシャーロット・ウォルター。当時の服を再現するため、地元のウィメンズ・インスティテュートの協力を得たそうです。1940年代の型紙を渡し、手編みのニット衣装を彼女たちに作成してもらったとのこと。

ガーンジー島は、大戦時、ドイツの占領下にあった唯一のイギリス領。1941年から終戦まで、どれだけ悲惨で苛酷な目に遭ってきたのか、同じイギリスとはいえ、ロンドンとの違いが強調されることで、ガーンジー島の特殊な位置づけが浮かび上がってきます。

服飾史においては、ガーンジー・セーターはとても有名です。ガーンジーのセーターは海で働く男たちのために編まれたもので、実用性が重視されています。前後の区別が無いシンプルなデザインは、暗い海でも短時間に着ることができるようにするため。首・肩・腕には、海上での作業の動きを楽にする工夫があしらわれています。なによりも、常に命の危険を伴う仕事をする夫や息子を思い、女性たちはそれぞれの家に伝わるエンブレムを編み模様で表現しました。模様は、万一の場合はすぐに身元が識別できる目印でもあったのです。上の写真、ミキール・ハースマンが着ている紺のぼろぼろのセーターがそれに近いでしょうか。

ちなみに、となりの Jersey Island(ジャージー島)もセーターで有名です。日本語のジャージの由来になっており、フランスではセーターのことを Jerseyと呼びます。

そんなこんなのファッションにも目を凝らしつつ、雄大な自然を背景に展開するヒューマンドラマをご堪能くださいませ。

「ガーンジー島の読書会の秘密」 8月30日(金)よりTOHO シネマズシャンテほか全国ロードショー
©2018 STUDIOCANAL SAS

メンズプレシャスのウェブサイトで、ライターの堀けいこさんより新刊をご紹介いただきました。力強いご推薦をいただきありがとうございます。こちらです。

?超超超おそまきながら移動中のお楽しみとして「ジョジョ」をNetflixのアニメ版で見始めたのですが、いやなぜもっと早く見ておかなかったのかと。

チューダー朝に、エリザベス1世に裏切られた怨念をかかえて死んだという黒騎士タルカスとブラフォードの話は、ほんとなのかと思わず調べてしまった(笑)

気弱になって落ち込むことがありましたが、ディオの「貧弱貧弱ゥ」のセリフに脳天をやられました。ほんと、時には人間超えの強さを持つくらいの気迫でいかないとやり終えられないこともありますね。

「トールキン 旅の始まり」。


ジェントルマン文化に関しての語りどころ満載で血が騒ぎます。


20世紀初頭~第一次世界大戦後までのメンズファッションが(軍服含め)見もの。戦争シーンはかなり血みどろ泥泥ですが、それも含めての紳士文化。イギリス好きには全力推薦。

(From L-R): Anthony Boyle, Tom Glynn-Carney, Patrick Gibson and Nicholas Hoult in the film TOLKIEN.

ファブフォー・トールキン版は美しすぎて気絶しそうでした。

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詳しくは別媒体で。ジェントルマンはこうして作られる、という教材にしたいくらいの映画でした。

8月30日TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

Photo Courtesy of Fox Searchlight Pictures.
© 2019 Twentieth Century Fox Film Corporation All Rights Reserved

ニューヨークの伝説的なホテル「ザ・カーライル ア ローズウッドホテル」を描いたドキュメンタリー映画、『カーライル ニューヨークが恋したホテル  (Always at The Carlyle) 』。一足早く拝見する機会をいただきました。


©2018 DOCFILM4 THECARLYLE LLC.

英王室からハリウッドセレブリティまで。多くの人々に愛される文化的なレジェンドにもなっているホテルの秘密はどこにあるのか。従業員はゲストの秘密を決して明かさないのに、ホテルの本質というか底力が次第にあぶり出されていきます。アート、ファッション、パーティー、スキャンダル、人情の機微……。そうした要素が織りなすニューヨークの歴史が詰め込まれたホテルといってもいい。華やかさと楽しさにうっとりしながら流れるような90分。音楽も最高です。最後はちょっとビターな余韻が残ります。

ホテルの名前はなんとあの「衣服哲学」を書いたカーライルに由来するそうですよ。ほかにも「えー?!」というネタ、語りどころが満載です。

©2018 DOCFILM4 THECARLYLE LLC.

8月9日(金)よりBunkamura ル・シネマほか全国順次公開

配給:アンプラグド

映画版の「キングダム」にあまりにも魅了されてNetflixでアニメ版シーズン1を観了。キングダム世界に入り過ぎてなんども具合が悪くなるほど面白かった。

とりわけ将軍王騎の描き方には完全に脳内を持っていかれた。この原作者は天才か。生きている間にこの作品に出会えたことは幸運だった。エネルギーをもっていかれたのか与えられたのかよくわからないほどの疲労が残る。

出先でちょうど時間がぽっかりと空いて、タイミングがよいからというだけで入ってみた映画。『キングダム』。

これが! ちょっと血がわくくらいはまりました。原作は有名なマンガだったんですね。そんなことも知らずごめんなさい。原作もストーリー展開もまったく知らないまっさら状態で見たのですが、息子によれば「小・中学生が熱狂しそうな、わかりやすすぎる映画」なのだそうですが、脳内中学生の私もばっちり楽しませていただきました。

アクションシーンはさすがに中国のカンフー映画のレベルから見れば甘いかもしれない。セリフ回しもやすっぽいところはあったかもしれない。それは差し引いても、山崎賢人、吉沢亮、長澤まさみといった若い美男美女にエネルギーと情熱があり、彼らのフレッシュな魅力でずっと見ていられる。

実はこの映画を見てから3日間ちょっと、高熱を出しました。何年ぶりかくらいの発熱(頑丈なだけが取り柄)。一応病院に行ったけどインフルでもなく他に異常はなく原因不明。なにかに火をつけられたのか。単に映画館で風邪のウィルスに感染しただけなのか。

ゴールデンウィークシーズンのお約束映画「名探偵コナン 紺碧の拳」。

今回はシンガポール、マリーナベイサンズを舞台に、怪盗キッド、平井アーサー、京極真が大活躍。昨年泊まったばかりの場所だったのでひときわ嬉しかったな。インフィニティプールのシーンもばっちりありましたね。

京極真、強い。かっこいい。一途。いろんなものを背負って闘う、ロマンティックな最強男子。

最後のマリーナベイサンズでのアクションシーンもタイタニックを思わせ、最高でした。これを破壊し、新しい街に……という構想は、案外、シンガポールの一部の人が心の中で思っていることなのかもしれないと憶測したりもして。

一年に一本、凝縮した作品を届け続けるって偉大だな。毎年この時期に夢中になれる映画が来るというのもありがたきこと。ラブ&リスペクト。

映画「芳華」にコメントを寄せました。

先日も書きましたが、心が洗われるような映画です。いまの中国映画の底力を見る思いがしました。「流星花園」(←いまだ余韻続く)とはまた趣きの異なる王道の青春もの。ダンスのレベルも高く、驚かされます。

映画版「翔んで埼玉」。

爆笑の連続。リフトアップ効果を実感するほど笑わせていただきました。

原作の漫画は1982年に描かれていたそうですが、これほどの怪作、知らなくて申し訳ありませんでした。映画版の監督はあの「テルマエロマエ」シリーズの武内英樹さんなのですね。納得。最後の最後まで笑わせたいというサービス精神全開で、いやもう参りました。リスペクト。

ひな祭りの日は終日雨で寒い一日になりましたね。

雨の中、六本木ヒルズのJ-wave across the skyの生放送に出演しました。

聴いてくださった方、ありがとうございました。いつもながらなんですが、10分の番組内では、(音楽が入るので実質5,6分?)用意してきたことの10分の1も話せないですね……。聞いている方としては、関心の薄いテーマであれば、「話し方」とか「声が醸し出す雰囲気」しか受け取っていなかったりしますので、まあみっちり話す必要はなく、ぎりぎりポイントを絞っていくというのがミッションなのですが。

課題は今後に活かすとして。ヒョンリさん、スタッフのみなさま、ありがとうございました。

番組のなかでも触れていましたが、いま、六本木シネマズでは「女王陛下のお気に入り」において実際に使われたコスチュームが展示されています。ご覧のようにモノトーン。この映画では国をコントロールする女性がモノトーンをきりりと着ておりナチュラルメイク、男性が軽薄な遊びに興じてフルメイクで華やかなファッション。衣裳デザイナー、サンディ・パウエルのインタビューを読むと、彼女が意図的におこなったことであることがわかります。

キッチンのメイドはデニムを着るし、ビニールを使ったドレスもあり、レザーの馬具もかっこよくて、ケガを隠すアイパッチもクール。サンディ・パウエルの仕事はやはりドラマやキャラクターに多大な影響力を及ぼしながらも、楽しさにあふれています。

それから、しばらく前にも下のミニムービーをご紹介しましたが、「権力をもつ宮廷人の衣裳は一人で着ることができなかった」旨の番組での発言と関連付けて再掲します。映画のなかのアン女王の衣裳ですら、これだけの手間暇をかけて完成します。脱ぐときは逆のプロセス。毎回、これを繰り返すわけですね。

18世紀、ロココ全盛の衣裳の着付けに関しては、スティーブン・フリアーズ監督の「危険な関係」のオープニングシーンをご覧ください。服地をボディスに密着させるために、毎朝、メイドが縫っていた様子が描かれています。

ヒストリカルコスチュームの話をし始めたら止まらなくなるのでこの辺で。

雨の月曜日となりましたが、心のなかは晴れやかな、一週間のスタートとなりますように。

絶賛コメントに参加しました。「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」(Mary of Scots)。上の写真はマーゴット・ロビーですよ。白塗りメイクでここまでやる。あっぱれ。

その他の方々のコメントはこちらにも。


英国女王映画シリーズについては、3月3日(日)、J-Wave across the sky で10分ほど玄理さんと語ります。11:30~11:40。タイミング合えば聴いてくださいね。

「ヴィクトリア女王 最期の秘密」。ヒューマントラストシネマにて鑑賞。

Queen Victoria: Everyone I love has died and I just go on and on. What is the point?

Abdul Karim: Service, Your Majesty. We are here for a greater purpose.

ジュディ・デンチが「ジョン・ブラウン」の映画に続き、ヴィクトリア女王を演じてはまり役。身体にガタがきて、退屈し、孤独を抱えながら延々と長生きしているだけ(という演出)の女王に、再び生気を与えたのが、インドから来た一人の召使。女王が長身のイケメン好きというのは10代のころからかわっていないのだな。笑

当時のインドの様子、宮廷のばかばかしいくらいの序列やしきたりなどが生々しく、でも壮麗に、どこか滑稽に描かれていて、まったく飽きさせず、すばらしい。女王をとりまく周囲の人々の反応やセリフもおもしろく、眼福を与えながら終始笑わせ泣かせてくれる。最後はじわじわあたたかさが心に広がる。

観終って劇場を出たら、なんとおそろしくタイムリーなことに、続々封切される「女王映画」について語るお仕事の依頼が舞い込みましたよ。放送時間など近日中にお知らせします。

春分の日はとてもあたたかな大安でしたね。私も原稿を2本、仕上げたほか、新しいチャンスをいくつかいただいた、春のスタートにふさわしい日になりました。機会を活かすも殺すも自分次第なので、万全の備えで臨みたいと思います。

さて、先日、ザ・プリンスパークタワー東京のご協力のもとに撮影が無事終了したNHK World Kawaii International 記念すべき第100回、ロリータスペシャルの回の放映が以下のように決まりました。

<放送タイトルと日時>

放送回:#100『Forever Young ~A Love Letter to Lolita~』 本放送:2月8日(金)9:30,15:30,22:30,27:30 (28分番組) 再放送:2月22日(金)9:30,15:30,22:30,27:30 ※世界各国の時差対応で1日に4回放送されます ※上記の時間は全て日本時間です

<放送の視聴について>

NHK World(※海外向けのNHKチャンネル、全編英語放送)における ライブストリーミング放送で日本でも視聴が可能です。 NHK Worldホームページ・・・http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/index.html 国内ではオンラインでのストリーミング視聴が可能となっておりますので、 放送時間に上記URLにアクセス頂き、サイト右上の「Live」という部分を クリックして頂ければご視聴頂けます。 Live配信ページ・・・https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/live/ 上記のURL先からですと直接Live配信ページに行くことが可能です。

自分でなかなか見る気もしませんが、万一、お気づきの点あれば、今後のためにご教示いただけますと幸いでございます。

 週末に原稿ネタとして読んだ本。ヴァレリー・スティール編集の”Pink: The History of Punk, Pretty, Powerful Color”. ピンクという色について徹底的に考察したビジュアル本。いやもう見ているだけで気分が春になりました。日本におけるピンクの扱いもまるまる一章あって、楽しい本でした。どこにどのように書こうか、思案中です。

続々公開されるファッションデザイナー映画について、コメントしました。読売新聞1月25日夕刊です。

一昨年あたりから、この波は続いていますね。私がいちばん見たいと思うドキュメンタリーは、LVMHトップのベルナール・アルノー氏の映画。まあ、撮らせないでしょうけれど……。

女王映画続々、という特集もやってほしいな。

試写拝見しました。日本語のタイトルは「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」。原題はMary Queen of Scots.

この二人の女王をめぐる史実は、どんなドラマよりもドラマティック。それゆえ何度も何度も映画化、ドラマ化されてきた。今回の映画は、女性のトップを支える男性社会という視点もちらりとさしはさみながら、新しい解釈による濃密なストーリーテリングで編みあげられている。

ふたりの女王が面会するシーンの緊迫感たるや。それぞれの背景を負い、それぞれの決断をしてきた女王の孤独や悲しみが迫ってきて、涙なしには見られなかった。演じる2人の女優がまたすばらしいのです。とりわけエリザベスを演じたマーゴット・ロビー。なぜあの白塗りなのか?かつらなのか?理由も明かされるのだが、ヘアメイク、衣裳の力も手伝って、刻々と変わりゆく女王の一生を演じきってあっぱれ。

女王ふたりのライバルとしての争い、という視点は男社会のもの。おうおうにして、男性社会は策謀の網をはりめぐらし、女同士で争わせるように仕向け、自分たちがまんまとおいしいところを手にしていくことがある。比べるレベルではないが、私もかつて(大昔のことだが)そういう策謀にひっかかりそうになったことがあるので、このあたりのことは痛いほど迫ってくる。表面だけちやほやする男たちの策謀に乗せられてしまうと、とんでもない罠が待っているのだ。

Mary Stuart: Do not play into their hands. Our hatred is precisely what they hope for. (メアリー・スチュアート:男たちの策略の手に落ちてはいけません。私たち女王ふたりが憎み合うこと、それこそ彼らの思うツボなのです)

美しくて勇敢である、ということが必ずしも女性リーダーにとっては有利に働かず、かえって女性にとっての大きな罠になることがある、という戒めを見せてくれるのがメアリー・スチュアート。彼女の美しさがあだになり、敵を作り、血まみれの惨事を招いたばかりか、最後には国を追われる羽目になった。

Elizabeth: Your beauty, your bravery, now I see there’s no cause for envy. Your gifts will be your downfall!  (エリザベス:あなたの美しさ、あなたの勇敢さをかつて私はうらやんだ。でももううらやましくはない。あなたのその美質があなたを転落させたのですから)

最後には「男」としてふるまうことを決断し、そのように行動したエリザベス。それぞれに背負ってきた歴史があってこうせざるをえなかったので、誰が悪いとか誰が正しいということは言えない。

メアリーは処刑され、時間は流れる。メアリー・スチュアートが生んだただ一人の息子が、子供を生まなかったエリザベスの跡を継いで、イングランドとスコットランドがはじめて合併する。両国の平和を願っていた2人の女王の意志は、このような形で時間が解決した。

こういう史実を見るにつけ、やはり「神の意志」というのがどこかで働いているように思えてならない。何度たどっても感慨深い物語。

アン女王、ヴィクトリア女王、エリザベスにメアリー、と女王映画も続きますね。嬉しい悲鳴です。「ふたりの女王」では俳優の人種も多様。アジア系のジェマ・チャンもエリザベスの侍女役として出ていてまったく違和感なく、この史実の現代的な解釈を促していて、嬉しくなりました。

「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」 Mary Queen of Scots
監督:ジョージ・ルーク 出演:シアーシャ・ローナン、マーゴット・ロビー、ジャック・ロウデン、ジョー・アルウィン、ジェマ・チャン、マーティン・コムストン、ガイ・ピアース、イアン・ハート
配給:ビターズ・エンド 3月15日 TOHOシネマズ全国ロードショー

「女王陛下のお気に入り」(The Favourite) リーフレットにコメントしました。以前、試写直後に本ブログでも紹介しましたが、18世紀初頭の男女宮廷衣裳も見どころです。バロックからロココの過渡期のスタイルですが、現代の観客も魅了するようにアレンジが加えられていて、斬新な印象。狩猟服、乗馬用馬具などは、着たい、と思わせる。デザイナーはアカデミー賞3度受賞の大御所、サンディ・パウエルです。ヒストリカルなファッションが好きな方には超おすすめよ。あまりパブリシティには出てないのですが、メンズの宮廷スタイルもなかなか面白いのです。男性もかつらにメイク、フリルにハイヒールの時代ですから。

ストーリーは激辛ブラックユーモア。あとからじわじわくる感じ。

なんとケンジントン宮殿では、この映画のコスチューム展が開催中。こちら。

いいなあ、この展覧会。取材に行きたい。スポンサー(掲載先)大募集!!

アン女王スタイル着付けの様子は、Historic Royal Palaces がYou Tubeで公開しています。↓ とてもひとりでは着られない当時の宮廷衣裳の内部構造がわかります。

<追記>
この日、アカデミー賞ノミネートの発表がありました。この映画は最多10部門にノミネートされました。


・作品賞
・監督賞(ヨルゴス・ランティモス)
・主演女優賞(オリヴィア・コールマン)
・助演女優賞(レイチェル・ワイズ、エマ・ストーン)
・脚本賞(デボラ・デイヴィス、トニー・マクナマラ)
・編集賞(ヨルゴス・モヴロブサリディス)
・衣裳デザイン賞(サンディ・パウエル)
・美術賞(フィオナ・クロムビー)
・撮影賞(ロビー・ライアン)

女優三人はトリプルノミネート。助演をこの2人が争わなきゃいけないところに不条理を感じます。どちらもそれぞれにキレ方がすばらしいので……。2月25日に発表されます。もうノミネートだけで十分偉業、おめでとうございます。

ロンドンファッションウィークメンズ開催中。デイヴィッド・ベッカムが一部所有するケント&カーウェンは、戦前ドラマ「ピーキー・ブラインダーズ」とコラボしたコレクションを発表しました。詳細は「ガーディアン」のこちらをご参照ください。


Special Thanks to Photograph: Jamie Baker for the Guardian

極太ストライプの上着、固結び調のネックウエア、なかなかかわいい。

Peaky Blindersはいま話題にのぼることが多いBBCドラマです。1919年のバーミンガムに生息したギャングのストーリー。この時代のコスチュームって凝っていて、美しいんですよね。

BBCのHPより。Peaky Blinders

写真を見ているだけでテンションが上がります。多くのデザイナーがそう感じたようで、インスパイアされるブランドが多々。

マーガレット・ハウエル、ドルガバ、アレキサンダー・マックイーンなどがこの時代にインスパイアされたコレクションを発表しているという記事はこちらをどうぞ。

イギリスのコスチュームドラマは脚本も衣裳も俳優もセットもレベルが高くて、影響力が大きいですね。ダウントン・アビーの映画版ももうすぐ公開になるし、1920年代(前後)ブームは今年、しばらく続きそうですよ。

Vivienne Westwood 映画についてのコメントが、朝日新聞12月20日夕刊に掲載されました。

さらに、ラジオ(J-wave)でも語ります。

☆12月23日(日) 11:30~11:40 「DIANA Shoes New Look」生放送 玄理さんナビゲート

☆12月25日(火) 13:45~13:55 「Good Neighbors  森ビル東京パスポート」(収録済み) クリス智子さんナビゲート

ほとんど「ヴィヴィアン映画のアンバサダー」と化しておりますが? こうして多方面からお声をかけていただけるのは光栄です。

打ち合わせに立ち寄ったTable 9 Tokyo 冬仕様。夜はこの上なくセクシーな空間ですが、昼間も美しい

来年4月公開ですが、スミマセン、一足早く拝見しました。

40歳で自殺したイギリスのデザイナー、アレキサンダー・マックイーンのドキュメンタリー映画です。

伝説として語り継がれるショーのハイライトも網羅。闇や死や醜と向き合い、そこから美を引き出した彼の功績と、恩人に対しても冷酷な一面、1990年代の激動のファッションシステムのなかでの幸運や裏切り。40歳の人生の春夏秋冬がエモーショナルに描かれます。

複雑な余韻がぐるぐる続く傑作です。詳しくはまたさまざまな媒体で書きます。

それにしても、クイーン⇒ヴィヴィアン・ウエストウッド⇒マリー・クワント(「ロンドンをぶっとばせ」)⇒アレキサンダー・マックイーン、と大好きなイギリスのカルチュアアイコンの映画が続きます。もう嬉しすぎて。

監督:イアン・ボノート
音楽:マイケル・ナイマン
配給:キノフィルムズ
2019年4月全国ロードショー *写真は配給会社より

「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」のパンフレットにコメントを寄せました。

2パターン提案しました。王道の、本質をすくいとって称揚するコメント。私が得意とするいつものパターンですね。

もうひとつは、他の方々が絶賛ぞろいだろうから、ちょっと外したパターン。

結局、外しパターンのコメントが採用されているという次第です。やはり他の大御所のみなさまは絶賛コメ。

ヴィヴィアンのこの映画に関しては、GQに書き、プレスシートに書き、来月出るEnglish Journal に書き、コメントも寄せ、さらにはラジオでも語ります。王道的な解説は、本HPのetc.欄にプレスシート解説のpdfを添付しておりますので、そちらをご覧くださいね。

ラジオはJ-Wave、23日(日)11:30~11:40 「Diana Shoes New Look」のコーナーで生出演で語ります。日曜の朝ですが、タイミングが合うようでしたら、聞いてみてね。

The Favourite 「女王陛下のお気に入り」試写。

Emma Stone stars in Fox Searchlight Pictures’ “THE FAVOURITE.”

18世紀初頭、アン女王時代のイギリスの宮廷が舞台。豪華絢爛な衣裳に身を包んだ女性3人のバトルの行方が、当時のイギリスの歴史を背景に描かれる。いやもう濃厚で過激。野心羨望嫉妬駆け引き憎悪淫猥愛情怨恨野蛮滑稽孤独哀愁陰謀下劣凄絶といった印象でしょうか。もう単語と単語の間に「・」もつけられないみたいなね。

終始、カメラワークも音響も不安をかきたてる。女優3人の演技もすさまじい。18世紀初頭の宮廷衣裳、メイクもすばらしい。衣装デザインはサンディ・パウエル。

Rachel Weisz, left, and Olivia Colman star in Fox Searchlight Pictures’ “THE FAVOURITE.”


アン女王のこのヘアスタイルね、17世紀の「フォンタンジェ」の名残りです。スカートは18世紀のパニエ。まだそれほど拡張していない。時代の変わり目のスタイルまで忠実に再現しています。

男性もこてこてくるくるの長髪かつらに白塗り、チーク、リップ、パッチの化粧。トーリー党とホイッグ党ではかつらの色まで違う、というところまで再現。

決してやすやすと「感動」できたり「すっきり」できたりする映画ではありません。むしろ2時間が不安感や不快感すれすれとの闘いで、なんだか凄絶なものを見た……という複雑な余韻が残ります。しばらく時間が経ってから思い出したのですが、この感じ、ピーター・グリーナウェイの映画を観たあとの感覚と似ている。「英国式庭園殺人事件」とか「コックと泥棒、その妻と愛人」とか、あのあたりの。グリーナウェイほど難しくはないですが。

監督はギリシアのヨルゴス・ランティモス。18世紀イギリス貴族の野蛮さや滑稽さもブラックユーモアでちらりちらりと表現しているのがたまりません。

紳士ネタで笑った会話が、侍女アビゲイル(エマ・ストーン)と、彼女に一目ぼれしたマシャム(ジョー・アルウィン)との会話。
アビゲイル「誘惑しにきたの? それともレイプしにきたの?」
マシャム「ぼくはジェントルマンだ」
アビゲイル「じゃあ、レイプね」

ふたりのフラーティングもかなり野蛮すれすれで面白いのね。これは見ていただくしかないとして、こういう行動をすれば男性は夢中になるということを、アビゲイルは勇敢に見せてくれる。いやこれは農耕民族にはムリだろう……という感じで見てました。笑

というわけで、心の体力ががっつりあるときに見てね。重たかったのですが、ゴールデングローブ作品賞はミュージカル・コメディ部門にノミネートよ。重たくて不快もスパイスになる、新種のコメディ。

こんな滑稽な一部の人たちの思惑で国の重大事項が決まり、国民の命運が決まっていくなんて……という不条理は、現代も同じね。



2月15日(金)より全国ロードショー。写真は配給会社よりご提供いただきました。©2018 Twentieth Century Fox

公開からずいぶん経ってしまいましたが、ようやく時間がとれて、鑑賞。


ボヘミアン・ラプソディ(楽曲)はフレディ・マーキュリーがファルーク・バルサラを殺して「なりたかった人になろうと決意し、なった」途上での混乱や栄光や絶望や孤独やなんかの物語だったのだな、ということをうっすらと思った。

ありのままの自分を受け容れて云々、などという手あかのついた教訓を受け容れるような人ではなかった。それゆえの栄光、それゆえの孤独。深い心の闇から逃げようとして手あたり次第に刹那の快楽を求め、その結果、フレディ・マーキュリーまでをも殺してしまったという物語。

 

フレディが髪をマッチョ系短髪にしたあとロジャーに「どうだ?」と聞いたときのやりとりは面白かったな。「Gayer」とロジャーが答えるんですよね。gayを比較級にしてgayer。さらにゲイっぽくなった、と。(字幕では「ゲイっぽい」) フレディは「髪じゃない、この家のことだ」と。

 

「家族」としてのバンドメンバーのつきあい方にも痛みを覚えながら共感。ひどい仕打ちをし、この上ない暴言をはいて、もう二度とその前に顔を出せないようなメンバーの前に、「君たちが必要だ」と戻ってくるというのは……。それを受け容れるメンバーもすごいな。規格外の「女王」ゆえん? いや、家族とはそういうもの?

 

Nothing really matters to me…  ボヘミアン・ラプソディの最後の歌詞の意味がようやく理解できたような思いがする。この虚無、孤独の深さがうつったようで、観てから2日経っても重たい気持ちが去らず、延々と残っている。

大学で「モードの神話学」という講座をもっていたとき、クイーンの講義にまる一コマあてていた。ボヘミアン・ラプソディも6分、全部ホールで流した。この映画を観たあとの現在なら、全然、違うことを解説するような気がする。

 

 

<追記>

映画を観て「モードの神話学」が楽しかったなーということなども思い出していたら、たまたま、フェイスブックで元学生くんが投稿に下のような言葉を添えていてくれたのを発見。こんなことばにふれると、私がやってきたことは決して虚無虚無というわけでもなかったと知って、救われます。ありがとね!

「Bohemian Rhapsody が素晴らしすぎました。
唯一好きだった大学の授業でFreddie Mercury に出会ってから、数々のコンプレックスがあったにも関わらず乗り越えて自分のスタイルを築き上げ、時代のモードを作った彼は僕のアイドルです。」

 

 

“My Generation” 一足先に鑑賞する機会をいただきました。

マイケル・ケインのナレーションで、1960年代のロンドンカルチャーを再検証。

映画、音楽、ファッション、写真、セレブカルチャー、ドラッグ問題。当時の熱気が、スピード感ある編集でよみがえる。マリー・クワントやポール・マッカートニー、マリアンヌなど、今の声で当時を語っているのも興味深い。ワクワクしながら60年代を学べるとともに、まさに現在起きていることが当時とつながっていると実感することも多々あり、おそらく若い人も当事者意識をもって鑑賞できる。

 

当時の階級意識がどれほど濃いものであったかというエピソード、それをぶち壊すために行動した若い世代、(スマホもないので)実際に顔を突き合わせて議論することがクリエイティブを刺激するということ、女性は「Birds」「Richards」などと呼ばれていたという面白隠語、古い世代の価値観にとらわれず「やりたいことをやった!」人たちが変革をもたらしたということ、当時のアートスクールが果たした役割、女性の服には「注目される」「セクシーである」「気分が上がる」ことが必要であって「あたたかくしておく」ことなど不要であると言い切るマリー・クワント、「コマーシャル・フェイス(商売になる顔)」だと思われたというだけでスターになったマリアンヌ・フェイスフル、マイケル・ケインの「ケイン」はボガートの「ケイン号の叛乱」のケインだったというエピソード、などなど、いやもう目からうろこがはがれっぱなしでほんとうに楽しい映画だった。

マイケル・ケインがつぶやくセリフ、”Never Ever Dream Small.” (夢を小さくまとめるな)が余韻を残します。

イギリス文化ファン、ファッション史の学徒は必見よ。監督はデイヴィッド・パッティ。

2019年1月5日公開。東北新社配給です。

 

 

GQ JAPAN 10月号に寄稿した記事が、ウェブにも掲載されました。

服飾史家の中野香織、ヴィヴィアン・ウエストウッドを論じる―ヤング・ハートの女王

ヴィヴィアンのドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」は、12月28日(金)、角川シネマ有楽町、新宿バルト9他で全国ロードショーとなります。

今月末からはマスコミ試写も順次始まります。プレス資料には、私のエッセイが掲載されております。(GQに寄稿したものとは異なるバージョンです。) マスコミ試写にお出かけになる方は、よろしかったらチェックしてみてくださいね。

機内で見た映画のなかから。”Call Me By Your Name”.

知的で繊細で官能的な、完璧なほどの「ひと夏の恋」映画でした…。

これほど瑞々しくて贅沢な感覚を映画から与えてもらったのは久しぶりという気がする。CG登場以前の80年代~90年代にはこういう感覚の映画がふんだんにあったような、懐かしい感じもした。

陽光まぶしい北イタリアの夏の風景の幸福感。アーミー・ハマーのギリシア彫刻のような美しさ。ティモシー・シャラメのギリシア神話に出てくるような繊細さと正直さ。

そして脚本がジェームズ・アイヴォリー、なるほどの美しいセリフ。

とくにパパ・プロフェッサーがときどき差しはさむ人生訓みたいなのがいいですよね。

最後のほうでパパ・プロフェッサーがエリオにかけることばもじわっとくる。

“I may have come close, but I never had what you two have. Something always held me back or stood in the way. How you live your life is your business, just remember, our hearts and our bodies are given to us only once. And before you know it, your heart is worn out, and, as for your body, there comes a point when no one looks at it, much less wants to come near it. Right now, there’s sorrow, pain. Don’t kill it and with it the joy you’ve felt.”

(心も肉体も一度だけしか与えられない。心はいつのまにか擦り切れていくし、肉体に関してはそのうちだれも見なくなるどころか、近寄られることもなくなる。今の悲しみと苦しみを押し殺そうとするな。感じた喜びとともに大切にしなさい)

知的なママも、ほどよい距離感で見守っている。

何の「説明」もしないのに、あたかもごく自然に撮った情景であるかのように、17歳のひと夏の恋に伴って起きる感情のおそらくほぼすべてを、五感を通してまるごと伝えている。本物の「映画」ですね。

日経連載のための取材のあと、時間のタイミングもよかったので「オーシャンズ8」。六本木ヒルズにて。

(ヒルズ最上階もお月見仕様に)

 

豪華スター女優が結集、綿密な計画のもと華麗なダイヤモンドを盗み、期待以上の成果を上げてリベンジまで果たすという楽しい娯楽映画。

メットガラのシーンはわくわくするし、メトロポリタン美術館の中の様子が映し出されているだけでも美しすぎて泣ける。シーンごとに着替えてくる女優たちのファッションも眼福。脚本はとてもよくできていて、観客も驚かせる嬉しい裏切りも用意されている。

でもなんだか全体を通して高揚感に欠けるというか、リズム感がどよんとしているのはなぜだろう。これだけの素材が揃えばもっとスタイリッシュな印象を与えてもよさそうなのに。

編集? ちょっともったいない。

アナ・ウィンターとアン・ハサウェイがヴォーグがらみで一緒に映っているというのが12年前(プラダを着た悪魔)を思わせて感慨深いものがありました。

 

 

おつかれさまでした! オークドアの外の席は今の季節の夜、ほどよい気温でとても気持ちがよいですね。

 

アフリカ系ばかり活躍する「ブラックパンサー」の大ヒットの記憶がさめないうちに、というわけでもないだろうけど、いまアメリカのカルチュア&ファッション系のニュースをチェックしていると、頻繁に言及されているのが「クレイジー・リッチ・アジアンズ」という映画だということがわかります。

ケヴィン・クワンの同タイトルのベストセラー小説の映画版です。クレイジーなほどのリッチなアジア人ばかりでてくるハリウッド映画。ラブコメですが、ファッション映画としても注目度が高いようです。



ケヴィン・クワンはシンガポーリアンで、中心になるファミリーはチャイニーズ。「リッチ・アジアンズ」というとき、日本人は入ってないのな。

みんな同じがよいという規格品をつくる教育システム、ヘアピンの位置まで同じ真っ黒の就活スーツを着せる文化、仕事とは「お金のためにがまんすべきこと」と思い込ませるような社会のなかで、「クレイジー」が出てくるわけもないですね。

 

ZOZOの前澤氏みたいなattitudeで、仕事に熱狂しながらのびのび楽し気に活躍する人を、もっと周囲がふつうに見る社会になればよいのに(嫉妬で叩くこともせず、羨望もせず、ふつうに多様なあり方として)。前澤氏級にクレイジーな発想で働くリッチでハッピーなビジネスパーソンがあたりまえにごろごろいるという社会のほうが、風通しがよさそう。

 

Go out and chase your dreams no matter how crazy it looks. (by Shanice Williams) 

↑ 昨日の高校生にはこう言ってあげたかったけど、私が言ってもまったく説得力がないので躊躇したのね……。前澤氏みたいな成功者が言うと、説得力がありますね。

 

 

 

Mamma Mia!  Here We Go Again 試写。


あのマンマ・ミーア!の続編というか、10年後のバージョン。シングルマザー・ドナの1979年からの冒険。そしてドナの夢をかなえホテルをオープンする娘ソフィの現在。この二つの物語が同時進行する。

ドナがなぜギリシアのカロカイリ島に住むことになったのか。なぜ「3人のパパ」と出会うことになったのか。その物語だけでも相当楽しくドラマティックで、そこに現在のソフィの物語や感情が二重写しになっていくので、感情の増幅も大きい。

それを盛り上げるのが、ABBAの永遠の名曲に合わせた歌、ダンス、そして70年代ファッション!

若きドナを演じるリリー・ジェームズが魅力全開で目が離せず。ギリシアの海と空に囲まれ、オレンジと陽光にきらきら輝く笑顔を向けられたら、そりゃあ出会う男は全員、恋をするだろうなと深く納得。

キャストもあらゆる世代のオールスター。3人のパパのピアース・ブロスナン、コリン・ファース、ステラン・スカルスガルドが余裕の枯れた魅力をみせつけ、アンディ・ガルシアやシェール、メリル・ストリープも変わらぬオーラで圧倒。娘ソフィ世代のアマンダ・セイフライドはじめ、ジョシュ・ディラン、ジェレミー・アーヴアイン、ヒュー・スキナーら若き「3人のパパ」も今後を期待させる。そのほか、ギリシアの島の人や動物たちもいい味出してるんです。

オル・パーカーの脚本もすばらしい。笑いとウィット満載。

爆音、爆ダンス上映会やればすぐに満員になりそうな。

最初から最後まで、幸福感にあふれている。祝福されている。もう美しすぎて途中からずっと泣いてました。試写室も笑いと涙で熱気ありました。ああなってこうなって大団円、というのはわかっているのだけれど、それでもそこに至るまでの一瞬一瞬が奇跡。心の洗浄にお勧めです。

May the best of your lives be the best of our lives. 若きターニャのセリフ。

 

8月24日全国ロードショー。東宝東和配給。

 

 恥ずかしいのを通り越すレベルの「なにを今さら」感があり、恐縮の限りではありますが……。

「進撃の巨人 Attack on Titan」、面白いですね。(なにを今さら(^^;)、ですよね全く)

移動中はNetflix配信のアニメ版にどっぷりひたっております。まだシーズン1を終了したばかりですが、この世界観にはわしづかみされました。

ジェンダー、国籍など関係ない世界になっているのも、ジェンダーによって言葉遣いや仕事内容が変わらないというのも、自然な設定に見え、すがすがしい。

兵士たちの制服もセンスがいいし(コスプレ欲誘われる)、時々さしはさまれる「公開可能な情報」という機密文書風のマニアックな資料にもワクワクするし、現代社会の悪夢を反映したような世界、名セリフが盛り込まれる脚本、そしてキャラクターに命を吹き込む声優たちもすばらしいですね。

 

「壁の中」の安穏を捨て、生命の危険を承知で外へ出て闘う。力の限界まで闘ったって、英雄的な勝利などなかなか訪れず、一人では太刀打ちできるはずのない「人食い巨人」の不条理を前に無力感に打ちのめされることの繰り返し。某医大入試の「女子は減点」どころではない、これまで受けてきたあれやこれやの不条理な仕打ちが思い出されたり映像に重ね合わされたりした。大昔から、今も、そしておそらく未来だって、人間をとりまく世界から不条理がなくなることは決してない。突拍子もないようで、とても現実味のあるこんな物語を考えついた原作者、リスペクト。

 

それにしても「進撃の巨人」、この先さらに長い物語が待っているらしい……。

 

I’m strong. Stronger than all of you. Extremely strong!  And that’s why I’ll be able to drive the enemy out there even on my own.

いつか言ってみたいかっこよすぎるミカサのセリフ。避けられない不条理や、嫉妬から来る妨害など、危険な諸々の要素と闘って、それでも生き残るには、Extremely strong! と自称できるほど自身を鍛錬していくしかないんですよね。

 

 

連日40度近い気温ですが、エアコンの効いた部屋で仕事ができるというだけでありがたい。幸運なことに、今秋、そして来年早々に向けた大きなお仕事を立て続けに頂戴しています。ぼんやりしていると何も成果がないままあっという間に時間だけが過ぎてしまう。きちんと結実させ、関わった人々の笑顔が見られる日を夢見て、愚痴らない浮わつかないあとから悔やまないと決めて、地道に仕事に没頭しています。

とはいえ、やはり気候のよい時期に比べると、「これだけは今日のうちにやっておきたい」というレベルに今一つ気力が届かないんですよね。枝野幸男さんの、最後の希望と呼べるような歴史的7・20国会演説も備忘録としてメモしておきたかったけれど、締め切りのある仕事を優先していたらなかなか難しい。(これは書籍化されるらしいので期待。) やはり体力・気力は天候に確実に影響を受けてますね。

 

☆☆☆☆☆

さて酷暑の最中でもネイルサロンにはしっかり投資しております。毎回、思ってもみなかったテレビドラマとの出会いがあることは以前にも書きましたが、今回、スタッフが流してくれたのも強烈で、なんと「ショッピング王ルイ」というタイトルの韓国ドラマ。このタイトルを聞いて、下の写真を見ただけで、普段の私であれば間違っても選びません。逡巡なくパスだったでしょう。でもまあ、両手がふさがっている状態だし、仕方なく見ていたら……これが面白くて、はまるはまる。また例によって、帰宅後徹夜ドラマ。

記憶喪失になった財閥のお坊ちゃん(ソ・イングク)と、ド田舎から都会に出てきたたくましく純朴な女の子(ナム・ジヒョン)のラブストーリーが主軸なのですが、荒唐無稽な展開がこれでもかと続き、また脇を固めるキャラクターが面白すぎる人たちばかりで、笑えたり泣けたり、最後はまさかの運命が明かされて感動したりで、癒される癒される。悪いことをする人も一応出てくるんだけど、どこか間が抜けていたり、人情を感じさせたりで、根っからの「悪人」ではないのね。キャラクター全員が「真心」で人に接しているのが癒される最大の理由なのですが、脚本も演出もきめ細かく丁寧で、作り手も俳優たちも楽しんでいることが伝わってくる。2016年のMBC演技大賞3冠とある。納得。

なかでも出色のおもしろさだったのが、ナム・ジヒョン演じるコ・ボクシルに思いを寄せながらも、いつも「いい人」どまりで負けてしまうコミカルな紳士エリートのユン・サンヒョン(チェ・ジュンウォン役)のファッション。エリートビジネスマンという設定なのだが、仕事場でもあのダークスーツは着ないんですね。登場するたびにありえないほど奇抜な装いを見せてくれる。周囲のダークスーツのビジネスマンたちもあたりまえのようにそんなユン・サンヒョンを受け容れているという設定がなんともいい。

フィクションだから、にしてもこの役柄、このキャラでこのファッションというのは大胆で小気味よいし、まあドラマだからといってしまえばそれまでなのだが、面白いことに、違和感がなかった。最後のほう、サンヒョンが「社長」としてダークスーツ軍団を従えて出てきたときの、リボンブラウスを合わせた白スーツには、笑いを通り越して感動してしまった。ひとり、「その他大勢の同じ服着た人たち」と違うというのは、なんて素敵なことなんだろう。


(どう見ても配色がヘンなのだが、また、不思議にこの人に似合う。笑)この自由な風通しの良さ、いいなあ。ユン・サンヒョンのキャラクターと、似合ったり似合わなかったりする七変化メンズファッションだけでも相当楽しめる。

 

ドラマだからこれほど自由な服装を着せることができたのだとは思うが、考えてみたら、女性は仕事着として何を着ても基本、自由なのに、男性だけがルールのあるダークスーツを着なければならないというのも、見方によれば性差別になるかもしれませんね。日本社会では女性が「男性に準じる」ということで男女ともに画一的になっていっておりますが、そもそも、男性が「女性に準じる」ということで女性のように自由な服を着て、なにがいけないんだろう。近代スーツのシステムを生んだ近代資本主義社会が壊れたら、全員一緒のスーツのシステムもともになくなってもおかしくはない。

 

なんていうことを考えていたら、タイムリーなインタビュー記事に遭遇した。

日本のビジネスマンに対し、装いはもっと自由であれと語るフランス駐日大使ピック氏のNikkei Style インタビュー

よくぞ言ってくださいましたという感じ。スーツの「ルール」から外れないことばかりをがちがちに守ろうとしたり、「そもそもスーツの着こなしは……」とあたかも法律があるかのように考える原理主義に走ったり、「欧米では…」と海外基準に盲従するメンタリティを固守したりすることが、仕事に無意識的な影響を及ぼしていないことを祈ります。

“Westwood: Punk, Icon, Activist” 試写。五反田イマジカにて。

ローナ・タッカー監督によるヴィヴィアン・ウエストウッド最新ドキュメンタリー。2018年サンダンス映画祭正式出品です。UK、USではすでに公開。配給はKADOKAWA。

 

ヴィヴィアン・ウエストウッドのドキュメンタリーは過去にも2本ほど撮られ、DVDにもなっています。私も大学教師時代にヴィヴィアンをテーマにした授業では必ず使い、自分でも何度も見ています。今回の映画はそれらをはるかに凌駕する濃密で豊饒なものでした。


今年77歳を迎えたヴィヴィアンの仕事とプライベート、活動家としての現在の顔まで、全方向から赤裸々に迫っています。現在の夫アンドレアス・クロエンターラー、ふたりの息子が語るヴィヴィアンも、これまでのヴィヴィアン像をくつがえすものでした。こんなことを公表していいのか……とこちらが戸惑うほどの社内のいさかいや、準備もまともにできてない「海外バイヤー向けプレゼンテーション」の模様、経済状態や人事のことまで収められています。観ているほうの居心地が悪くなるほど。でもこれが「ありのまま」。ありのままの真実だからこそ多くの思わぬ発見がありました。

マルカム・マクラーレンがヴィヴィアンの成功をねたみ、足を引っ張り続けていたこと。経済状態が一時破綻していたこと。無一文からの挑戦だったこと。批評家がこきおろし、テレビの聴衆があざ笑い、それでもエレガントに笑い流して作り続けてきたこと。あらゆる困難から逃げず、パンクに挑発し続けてきた彼女の姿を見ているだけで途中から涙で見られない状態。(評論する立場としてダメな例。笑)



(こちらの写真は昨年のロンドンコレクションメンズに出席したとき、フロントロウから撮影したもの)

ラストにはこれまでのショウのクライマックスがたたみかけるように。私が昨年ロンドンで目前で見たヴィヴィアンの姿もあった(私もちらっと映っていたようだ。笑)。コレクションでは一度たりとも同じ服を着ておらず、一度たりとも同じイメージがなく、いつだって過激で、観客を落ち着かない気持ちにさせる。ただただ圧倒的な情熱とパワーで高揚させ、これが本気で生きている本物のヒューマンだと共感させる。音楽の使い方がまたうまく、いまどきの音楽と、普遍的に美しいクラシックを巧みに使い分けています。クラッシックが流れる時にはだいたい泣ける話になっています。

現在はクリエーションはおもにアンドレアスが担い、彼女は人類の未来を守るためのアクティビストとして過激に活動している。既成の人生ルートのどこかに収まるはずもない。やり方だって自分で考える。どこまでもDO IT YOURSELFな人なのだ。「ファッション」への関心云々に関わらず、ヴィヴィアン・ウエストウッドという人の存在そのもの、生き方そのものに魅了される。私がファッション史に情熱を持ち続けられるのもまさにこんな人との出会いがあるからにほかならない。

 

オフィシャルトレイラーです。

Netflixで「アウトランダー」シーズン3の配信が始まりました。

 

「星から来たあなた」の余韻がさめるどころかBGMにサントラリピ―トでますます盛り上がっているところなのですが、「時空を超えた唯一無二の愛」の壮絶オトナバージョンの「アウトランダー」も見逃すわけにはいかない。

シーズン3はカローデンの戦の、激しく生々しい戦闘場面から始まる。人間の歴史って不条理で無意味で愚かなことばかり。こういうことを知ると、自分一人の身にささやかな不条理なできごとが起きてもそれはなんの不思議もないことなのだとややあきらめに似た達観ができて救われることもあります。

7月、8月は今年中に書かねばならない本の執筆の仕事が中心になりますが、疲れた時の心のバケーション先がいろいろあるのは、ありがたいかぎり。フィクショナルな時空超越愛のパワーを燃料にさせていただきながら、愛が生み出す歴史の物語を書こうと思います。

 

タイトルに引用したフレーズは「星から来たあなた」英語版 ”You who came from stars”より。「起きるべきことは必ず起きる。地球人はそれを運命と呼ぶ」。

☆☆☆☆☆

 

さて、昨夜は「一青会」の会合にお声掛けいただき、初参加をしてまいりました。ファッション業界で仕事をする東大OBOGの会です。数は少ないそうなのですが、著名な企業の取締役社長や会長、顧問、執行役員をつとめていらっしゃる方々ばかりで、私などは場違いなのではないかと引け目を感じつつ伺いましたが、みなさまユーモアにあふれて楽しく、笑わせていただきながら知的な刺激を多々いただきました。

会場は赤坂の「家庭料理 わかな」。一品一品の「家庭料理」が究められていて、予想を超える美味しさに感動しました。IT業界、出版業界の大物ネットワークも利用する隠れた名店だそうです。日中、戦闘モードで働いていらっしゃる方にはとりわけ、家庭のように寛げる美味しいお料理、気取らない雰囲気が好まれたりもするのですね。写真は店主の若菜加代子さん。

 


一青会におつなぎいただいたジュンアシダ社長の山東さんはじめ、一青会のみなさま、ありがとうございました。

 

「名探偵コナン ゼロの執行人」。


ゴールデンウィークの定番、安定の面白さ。真実vs.正義というテーマを立てながら、公安と警察の違いやら、送検のしくみやら、日頃縁遠いテーマも筋を追いながら「学べる」仕組みになっている。

 

最後はアニメならではの荒唐無稽なアクションの連続で、大サービス。このメリハリがあって飽きさせない。

毎年一本、高品質な作品を提供し続けて22年。すばらしい。製作者のみなさまにほんとにありがとうと言いたい。ここまでくると「終わらせ方」もそうとう意表をつくものでなければ観客は満足しなくなりますが。でももはや黒幕の正体はどうでもよくなってきた。ただただ続いてほしい。

“There is no end. There is no beginning. There is only the passion of life. ” (By Federico Fellini)

Ready Player One. オープン間もない日比谷ミッドタウン内のTOHO シネマズにて。

これは!! 140分の長さを全く感じさせない。過去の映画やアニメ、ゲームへのオマージュに、夢と教訓をぎっしり詰め込んではじけさせた、最新テクノロジー駆使による王道のハリウッドストーリー。

主人公タイ・シェリダン、ヒロインのオリビア・クックはじめ「ハイ・ファイブ」のメンバーもすばらしく(モリサキ・ウィン!)、大スターがいなくてもこれだけ魅力的な若い俳優たちがバリエーション豊かにそろえば文句なしですね。彼らのアバターもミレニアルズセクシーというか、新しい感覚のかっこよさで。

クライマックスの戦闘シーンは半分笑いつつ。メカゴジラ!ガンダム!そしてチャッキー! スピルバーグの映画ならみんな登場したいよね。笑

宝探しの旅においては、探求する対象にとことん心を寄せて想像と行動の限りを尽くすことでしか道は開けないという「メッセージ」も、若い人の心に響くのではないか。SFながら、近い将来、ほんとうにああいう社会が実現するおそれありという警鐘もあって、いろんな語り方ができる映画。

“In the form of my avatar, Anorak the all knowing. I created three keys. Three hidden challenges test worthy traits, revealing three hidden keys to three magic gates. And those with the skill to survive these strengths will reach the end, where the prize awaits. ”

 


TOHO シネマズロビーからの光景。夏日でした。

The Greatest Showman.

19世紀の興行師PTバーナムの伝記ミュージカル。六本木ヒルズのスクリーン7(+200円の大きなスクリーン)がほぼ満席で、終了後、熱のこもった拍手が起きていた。映画館で、しかも試写じゃない一般劇場で、さらに公開からずいぶん時間がたった映画で、終了後に拍手を聞いたのはおそろしく久しぶり。(というかほぼ記憶がない)

ふだんは退屈そうにしている次男も「これは面白かった」と夢中になって観ていた。スクリーンからパッションと幸福感があふれ出しているような、力強いエネルギーにあふれたミュージカル。

生涯、世の中を楽しませ、騒がせながら、波乱の人生を送ったバーナムのエピソードをもれなく詰め込みながら、「ヒーローズジャーニー」にも通じるストーリーとしてまとめあげ、誰が見ても楽しめるエンターテイメントに仕上げた制作者がすばらしい。出演者もそれぞれに見せ場があって、それぞれに魅了される。チャリティ役のミシェル・ウィリアムズの善良さと賢さ、見習いたい。チャリティのお父さんも、ひどいことを言うのだけどなんだかんだと娘と娘婿を信じているような行動をとっているのがいい。新聞記者が”Celebration of Humanity”と表現していたが、まさにそんな感じで、「多様化」へのうねりがある時代だからいっそう支持されるのだろう。

“Hyperbole isn’t the worst crime. men suffer more from imagining too little than too much.”(誇張は罪ではない。人は、想像しすぎることよりも、想像しなさすぎることによって苦しむ)

何が起ころうと自信家で楽観的なバーナムは、ヒュー・ジャックマンによってかなり美化されてはいると思うけれど。

 

元ネタになっているバーナムさんは、こちらのお方。Phineas Taylor Barnum. 1810-1891.

バーナムのことは、10年ほど前に調べてエッセイを書いたことがあった。占いにおける「バーナム効果」や、成功本(自己啓発本)の元祖であるということについて。バーナムについて書いたことだけ覚えていて、何を書いたかは忘れていたので、あらためて読み返してみる。

 

「バーナムは『万人に通用する共通の法則がある』という信念のもと、人間動物園のはしりのような展示をしてみたり、サーカスと動物園とフリークスショウをいっしょくたにした『地上最大のショウ』を巡業させたり、アフリカ象『ジャンボ』を呼び物にしたり……と人間の好奇心を巧みに刺激して稼ぎに稼いだ人である。

『ぺてん王子』とも呼ばれたが、人々は見たことがないモノを見るためならば喜んでお金を払った。『お金を稼ぐ黄金の法則』『苦闘と成功』という彼の著書も売れた。

『想像の中のリッチで成功した自分の姿』というのも大衆にとっては『お金を払っても見てみたい、見たことのないモノ』の一つ……とバーナムならば考えていたと思われる」(中野香織『愛されるモード』、中央公論新社)

 

『お金を稼ぐ黄金の法則』の原題は、”Art of Money” 、1880年の本である。
“The best kind of charity is to help those who are willing to help themselves. ” (最良の慈善は、自分自身を助けようとしている人を助けることである)なんていう、今に語り継がれる名言もある。

 

実在のバーナムさんはテイラーの息子ではないが、映画ではテイラーも、テイラーの息子もtrash扱い。当時はそういう職業だったのね。いまどこかにある偏見だって、ずっと後の時代になったら「なんて狭量な」と一蹴されて終わるはず。

 

この日は満月。東京タワーと満月と満開の桜。


 

桜満開の季節ですが、六本木ヒルズはすでに季節を先取り。チューリップを植えていた。このセンスがさすがね。

夕食は東京プリンスで。3階テラスから望む満開の桜と東京タワー。こちらも安定の絶景。

2015年のプリンセスコメディ(?)、A Royal Night Out.

VE-Dayに勝利を祝う街の中に出ていくプリンセス時代のエリザベスとマーガレットのお話。

ハラハラドキドキといっても安心して見ていられる範囲内。王女の冒険はこの範囲がぎりぎりなのだろう。ロマンティックコメディと呼ぶには、ロマンティックの要素が少ない。

ウェルメイドな脚本なのだろうけれど、とりわけ強く印象に残る俳優がいなくて、もったいない感じ。

マーガレット王女の「P2」という表現、いいなと思った。プリンセスNo.2. 英国女子国防軍として実際に「准大尉」だったエリザベスの「自慢」もちらっと出てくる。海軍、陸軍、近衛兵ほかの制服も見もの。30年代のフランク・キャプラとかの、安心して鑑賞することができた時代のハリウッドコメディを見たときの印象と似た印象が残る。

 

 

Netflix で”Diana: In Her Own Words “。2017年のドキュメンタリー。ダイアナ妃がアンドリュー・モートンに語ったインタビューテープ(1991年)を用いて、彼女の肉声で、生涯をたどっていくという構成。

笑顔の奥で、幸せを感じたことなど実はほとんどなく、誰も彼女の苦悩をわかろうともせず、「おとぎ話」のプリンセスと見えた一生は、「いけにえ」としての生涯だったという衝撃。「いけにえ」というのは、彼女自身の言葉である。華麗なウェディングドレスに身を包み、彼女がdeathly calm(死んだように冷静)という状態で自覚したのは、「自分はいけにえになるのだ」ということだった。

皇太子が繰り返したセリフ。「愛にもいろいろある。」

いまだとわかる、このことばのズルさ。

過食症は、婚約一週間後から発症した。チャールズ皇太子の「ウエストが太めだね」という一言。70㎝を超していたウエストは、吐くことを繰り返し、60㎝になった。

最初は洋服なども全く持っていなかった。ドレスとシャツと靴をワンセット。婚約後は6セットに増やした。

驚くべきは、婚約時代から王室のサポートがほとんどなかったということ。かの悪名高い、胸元が見えそうな黒いデビュードレス。最初にチャールズ皇太子がそれを着たダイアナを見た時のひとことは、「その色は喪の時しか使わない」。あらかじめ、王室の誰かが教えてあげなかったのか。会場ではバッグの持ち方すらもわからず、恐怖と不安でいっぱいだった。

カミラもしたたかで、チャールズ皇太子の外遊中にダイアナをランチに誘う。そして質問「ハンティング(狩猟)はするの?」。ダイアナという名は、ギリシア神話では狩猟の女神の名。でもダイアナ妃は狩猟はやらない。それを知って、カミラはチャールズに会う機会を、ハンティングの時に定めるわけである……。

ハネムーンの時も、チャールズ皇太子は、ふたつの「C」がデザインされたカフリンクスをつける。カミラからの贈り物。ダイアナがとがめると逆ギレする。ハネムーンにおいてすら愛されないダイアナは、吐き続ける。

ウィリアム王子妊娠中は絶望し、階段からわが身を投げる。それでもチャールズ皇太子は心配のことばをかけない。エリザベス女王がわなわなと震える。

女の子を望んだチャールズ皇太子は、ハリー王子誕生の際には「なんだ男か」。

ダイアナの心の叫びに寄り添う人が誰一人いなかったという悲劇。すべて「ビョーキ」と片づけられ、大量の薬を処方されて終わり。

あるとき、ついに倒れてしまう。その後、「役割をまっとうする」覚悟を決める。

離婚後、覚醒し、「人類愛」のために生きる。イギリスから離れ、メディアに追われない外国で生きようとする。その矢先に…。

狩猟の女神の名を持ちながら、終始メディアにハンティングされ続け、そのあげくに「殺された」ダイアナ。

彼女の死を悼み、涙を流す人々、ケンジントン宮殿に捧らた花の山。

最後は涙なしには見られない。華やかな笑顔の映像に重ねられる、孤独な肉声。ドキュメンタリーとしての作りも巧い。

 

予告編はこちら。

アカデミー賞セレモニーを横目に、気になっていた「ブラックパンサー」。

これはアフリカ系アメリカ人が泣いて喜ぶわけですね。終始圧倒的にかっこいい。ワカンダのフューチャリスティック・トライバルとも呼べる衣裳や儀式、これに音楽が加わるともうそれだけでハートをもっていかれます。物語も力強い。部族内反乱者ともみえたエムバクが最後の最後で強力な助っ人になるあたりも、古今の物語のなかで繰り返し伝えられてきた要素。鎖につながれるよりはと海に飛び込んだ祖先への思い、欧米による植民地支配のやり方への批判、「いとこ」の憎しみを生んだ原因が実は「父」にあったという因果応報、真のヒーローは一度死んで蘇る法則などなど、教訓的なお話も多々散りばめれている。

アクションはスタイリッシュでユーモアもあり、「将軍」オコエの動きが華麗。黒い肌にまとう赤いドレスを翻し、槍を駆使して闘うアクションのなんと美しいこと。「ワンダーウーマン」でも将軍は女性で全く違和感がなかった。

髪型も西洋の美の基準を文字通り投げ捨て(そんなシーンが出てくる)、丸刈りまたはシュリンクヘア。それがかっこよくて美しいというメッセージも伝わってくる。(髪に悩むアフリカ系の女の子を強く励ますと思う)

監督がアフリカ系ライアン・クーグラー。主要キャストが多様なアフリカ系。そのなかに白人マーティン・フリーマンが味方として活躍する。「シャーロック」のジョン・ワトソンくんですね! カンバッチくんもマーヴェルのヒーローになったことだしね。二人仲良くマーベルでも活躍は、ファンには嬉しい反面、あまりアメリカ色に染まるのもどうなのかという複雑さもあり。

国王の妹シュリのサイエンスラボは、007の「Q」を思わせて笑った。

コスチュームはルース・E・カーター。「マルカムX」のコスチュームなども担当してきたベテランです。ナキアやオカエが着ていたドレスのいくつか、一般向けにプロデュースしてほしい。ビジュアルの力が加わり、強い影響力をもつ映画。影響力の最大の源はといえば、ワカンダの国の人々の顔つきでしょうか。出演者の顔つきが凛々しいのです。こうありたい、と憧れを誘うのは、表面的な造作ではなく、自信と誇りに満ちた顔つき。

 

ナキアのセリフ “It is my duty to fight for who I… for the things I love. “ (愛するもののために闘うのは当然の義務。)新鮮なビジュアルと古い物語で訴えかける、佳い映画。Respect.


Sherlock Season 4 Episode 2: The Lying Detective

妻メアリーを失った悲しみから立ち直れないジョンとシャーロックとの関係×大金持ちのシリアルキラー×ホームズ家の第三の兄弟(姉妹?)と盛りだくさんのエピソード。第三のホームズのエピソードはここには盛り込みすぎだったかも(次の話に続くのね)。短いカットがスピーディーに切り替わる派手な編集ジョンとシャーロックの関係の修復の話が深くて泣ける。

メアリーが遺言でシャーロックに残したDVDのなかのセリフ。”You can’t save John, Sherlock. He won’t let you.  The only way to save John Watson……is to let him save you.” (シャーロック、あなたにジョンは救えない。ジョンがそうさせない。ジョン・ワトソンを救う唯一の方法は……彼にあなたを救わせること)

これはいろんなシチュエーションに言えるのではないか。ダイアナ妃が自分を救うために多くの人を愛したというのもそのバリエーション。絶望に陥っている人を救う方法は、「助けてあげる」と手を差しのべることではない。むしろ、その人に「助けてもらうこと」。なんだか思い当たる多くの事例がある。

自分をジョンに助けさせるために、命の危険をかえりみず地獄へ自ら落ちるシャーロック。今回はジャンキーの引き籠り時間が多く無精ひげ姿。それもまたよいね。脇を固めるキャラクターも相変わらず渋い味を出していて、満足感の大きい90分。

 

 

Sherlock Season 4 Episode 1. “The Six Thatchers” DVDで。

ちょうど一年前の公開だったのですね。TVドラマというより、長さにおいても質においても「映画」に近くなっている。

シーズン4ではメアリーが娘を生み、幸せなワトソンファミリーの人生が再開……のはずが、メアリーの過去の落とし前をつけなければならない事件がやってきて、誰にとっても悲しみで胸が引き裂かれそうな悲劇で終わる。

そこにいたるまでの展開がまったく予想ができず、驚きの連続。

 

スピーディーな展開、時折はさまれるユーモア、キャラクターや人間関係の面白さは健在のまま、人間ドラマも味わい深いエピソードだった。シリーズ1,2で見られたようなエッジの効いた粋な疾走感が少なくなり、なんだかシリアスになってきているのはどうしたものかと戸惑ったのだが。

意外だったのは、ジョン・ワトソンがバスで「見そめられた」女の子の相手をしてしまうこと。メールの交換だけとはいえ、プチフラーティングを始めてしまうのだ。たいしたことはまったくないとはいえ、メアリーへのささやかな裏切りでもある軽はずみな行為を、メアリーに告解できないまま、ジョンの心にはささやかな罪悪感が残るわけですね。

ジョンのシャーロックへの怒りは、シャーロックが「君たち家族を守る」という誓いを破ったということだけでなく、自分自身の罪悪感の、ねじれた反映だったかもしれない。

それにしてもなぜこのような一見、要らないようなエピソードを入れたのか。完璧な夫にして父にして友人である善良なジョン・ワトソンも、実は常に地味なサポーター役に徹しなければならないことへの葛藤を抱えており、自分を認めてくれた女性からの誘惑につい乗ってしまうことでプライドを満たしたかった……ということを示唆するためか。

「地味な仕事に甘んじている人」の心の葛藤には注意せよ。それがこのエピソードのサブテーマではなかったか。

 

The Crown seasen 2 episode 10 (final).  “Mystery man”.

シーズン2のファイナルはなんとプロフューモ事件を扱っています。読者の皆様はとっくにご存じのことと思いますが、プロフューモ事件とは1962年に起きた、英政界をゆるがした一大スキャンダルです。映画化もされてます(「スキャンダル」1989年)。

当時のマクミラン政権の陸相だったジョン・プロヒューモが、ソ連側のスパイとも関係のあったコールガールに国家機密を漏らしたと疑われた事件。結果としてマクミラン首相は辞任し、政権が崩壊。

ロンドンのコールガール、クリスティン・キーラーは、整骨師スティーヴン・ウォードの斡旋で、駐英ソ連大使館付きの武官、イワノフ大佐と性的な関係をもっていた。その後、キーラーはマクミラン内閣のスターでもあったプロヒューモ陸相とも性的関係をもつ。

噂が広がり、労働党議員が「国家の安全のために」真相究明を要求。プロフューモは「その女性は知っているが、不適切な関係はない」と潔白を主張。
(”There was no impropriety whatsoever in my acquaintanceship with Miss Keeler.”)

さらにその後、キーラーのイワノフ大佐との関係が露見、軍事機密漏洩事件にまで発展。世界的なスキャンダルになる。

ここにいたってプロフューモは、マクミラン首相あての手紙の中で、議会での発言には嘘があったことを認めたが、軍事機密の情報漏洩については潔白を主張し、謝罪して辞任。

議会は混乱し、マクミランの責任問題にまで発展し、マクミランは内閣不信任案は切り抜けたものの、11月には健康上の理由で辞意を表明、1964年の総選挙では同党は労働党に敗北した。

キーラーは偽証罪で投獄され、仲介者のスティーヴン・ウォードは自殺。

一連の結果を見ると、ソ連情報部のしかけたハニートラップ作戦の成功だったのではとも見らているスキャンダル。

(興味深いのは、その後、プロフューモは名誉を回復していること。これについてはまたどこかで。)

 

このスキャンダルに「謎の男」としてフィリップ殿下もまた関わっていたことを示唆するのが、このエピソードなのである。「写真に映る謎の男の、後ろ姿の肩のあたりが似ている」というだけで確証もない話なのに、ここまで描いてよいものかと、見ているこちらがひやひやする。

合間に第三子、第四子も誕生。あれやこれやの夫婦間の疑惑や亀裂を乗り越える、フィリップ殿下がエリザベスに語りかけたセリフが究極だ。 ”You are my job”.  かくして二人はこの危機を乗り越えていく……。これでシーズンが終わる。

いやもう、ここまでリスクをとって描き切るから面白いのですね、このドラマは。マクミランがエリザベスに辞意を表明しにいったときの彼女のセリフがいい。「Too old, too sick, too weak. 誰も職務を全うしない!」 チャーチル、イーデン、マクミラン、ね。しぶすぎて笑う。どんなときでもエリザベスは職務を淡々とまっとうするしか道がないというのにね。

 

 

 

こんな本も訳していますよ。14年も前のことだけどね。古くなってない社会史の名著です。(どさくさにまぎれて宣伝でした)

The Crown season 2 episode 9 “Paterfamilias”.  これは構成といい語り方といい、事実の重みといい、すべての人間に関わる文学的なテーマといい、このシーズンのなかでも最高峰なのではないか(とそれぞれのエピソードを見るたびに思うのだが)。

チャールズ皇太子がなぜイートン校に行くことをとりやめてスコットランドのゴードンスタウンという厳しい全寮制の学校へ行く羽目になったのか? その謎が明かされる。

父フィリップ殿下の子ども時代と、チャールズ皇太子の子ども時代が、交互に描かれ、次第にその謎が明らかになる……というスリリングな構成。

フィリップは子供時代、革命で祖国を追われたばかりでなく、飛行機事故で家族をすべて亡くしているのだ。よるべないフィリップに「つながり」を感じさせてくれたのが、スコットランドのゴードンスタウン校だった。この学校は、身体的なチャレンジ(スポーツともいう)と精神的なチャレンジ(いじめ、ですね)を厳しく経験させることによって、タフな「キャラクター」を育てていくことをモットーとしている。There is more in him than he knows. 厳しいチャレンジによって、自分が備えていると思いこむ以上の資質を引き出そうというわけだ。

一方の「未来の国王」チャールズは、贅沢に甘やかされて育っている。絵や音楽が好きというソフトな王子。母エリザベス女王は宮殿からも近いイートン校へ通わせようとする(各種制服をあつらえているときのファッションショーが楽しく、眼福)が、父フィリップは、未来の国王にはもっと男らしい強さが必要だと主張し、ゴードンスタウン校へ送り届ける。フィリップにとっては、自分の母校とのつながり(ほとんどファミリーのようなつながり)をより強化したかったことと、すべての方針がエリザベス優先の状況において、子供の教育に関する方針だけは自分に従ってもらう、という夫婦間における優位を保ちたかったこともあっただろう。

 

しかし、自分の資質とはかけらも合わないゴードンスタウンでの生活は、チャールズ皇太子にとって「監獄に入れられているようだった」と後に回想するほど、悲惨な日々にしかならなかった。

ああチャールズがイートン校へ行っていたら、もっと楽しく明るい子供時代を送ることができ、そうすればもう少し素直な心が育ち、伴侶選びも間違うことなく、ダイアナ妃の悲劇を生むこともなかったのではないか……とついつい想像してしまう。

父の子ども時代、父母の関係のバランスが、こうして子の学校生活にも影響を及ぼしていく。どの家庭にも起きうる悲劇。号泣。

 

ドラマを見たゴードンスタウンのOBからは、「事実と反するところがある」という反撃のコメントも寄せられているようです。デイリーメールの記事、こちら。 このような「事実」を基にしたドラマの場合、フィクショナルなドラマ内での感情は味わい尽くすべきですが、偏った描写だけから元の事実に関する判断を下してはいけませんね。

 

 

 

 

 

 

 

やはり脚本家の勝利だ。The Crown season 2はますます面白くなり、エピソード8の “Dear Mrs. Kennedy”では、アメリカ大統領JFK夫妻がバッキンガム宮殿に訪れる。世界中はジャッキーブーム。宮殿の人々もジャッキーの来訪にそわそわする。しかしプロトコル知らずなアメリカ大統領夫妻、という設定。無礼なふるまいに対しても「少なくとも記憶に残る」とユーモアで返すフィリップ殿下がいかにも「らしく」ていい。

 

ジャッキーに好感をもつエリザベス。しかし実はかげでジャッキーがエリザベスのことを「面白みのない国家元首で、イギリスが衰退していくのもわかる。バッキンガム宮殿も古くさい」という批判をしていたことがわかる。

 

アフリカではちょうどガーナがイギリスおよび西洋諸国の支配から逃れ、ロシアと組もうとしていた頃。

周囲の反対を押し切って、ガーナを訪れ、ガーナ大統領に利用されながらも、最後は「反撃」に出て、大統領とダンスを踊るエリザベス。世界中に好感を持って報道された、「王室」外交の勝利。

ここまでエリザベスを大胆にしたのは、実はジャッキーの間接的「挑発」というか刺激だった……という脚本家の意図。おもしろすぎる。

 

その後、ジャッキーはエリザベスに謝罪に訪れ、夫のJFKとはうまくいっていないことや、本来、自分はシャイな性格で、向いていない務めを果たしているというようなことを話す。妹のマーガレットのほうが天性の女王だと思っている、というエリザベスは深いところで共感する。

そうだよね、多くの場合、「向いてない」と自覚している人ほど、その役割を生真面目に全うするから、実は振り返ってみると最適の役割だったことがわかる。ドラマ中、マーガレットはエリザベスに「姉さんは王冠をかぶると透明になる」というようなことを言う。しかしむしろ、大きな役割になると個性なんて出さないほうがよいのだ。エリザベスの強さはまさにその「面白みのなさ」「個性を出さない、生真面目さ」をまっとうしたことにあったのではと、ドラマを見ながら考える。

 

その後、JFKの暗殺。テレビでその様子を見るエリザベス。異例だが弔の鐘を鳴らさせる。

しぶい。泣ける。味わい深い。人間はこうやってお互いに知らず知らず影響を及ぼしあい、その結果は、まったく予想外の分野に波及するのだ。

マーガレットが結婚したのも、別れた恋人よりも先に結婚しなければという焦りのようなものがあったため。アンソニーが結婚を承諾したのも、自分を出来損ない扱いした母を見返したいという思いがあったため。当事者それぞれの背後にある過去の感情のもつれが、2人を結婚に焦らせる。そしてそういう関係はやはりいずれ破綻し、離婚へ。とはいえその前例があることで後のエリザベス女王の子ども3組の離婚がスムーズになるのだ。なにが災いとなり、なにが幸運の種になるのか、長いスパンでみてみないとまったくわからない。というかもうすべてが因果応報の連続で、淡々と人生が続いていくだけ。

 

脚本はピーター・モーガン、監督はスティーヴン・ダルドリー。

 

 

何度か紹介しているネットフリックスの優秀ドラマ「クラウン」。シーズン2のエピソードが進むにつれて衝撃が大きくなる。

たたでさえ毎回、驚きの連続なのだが、とりわけエピソード6にきて、これが真実を含んでいるとしたらよくまあこのようなドラマを作ることができたものだという感動と敬意でしばらく他のことが手につかなかった。

あのエドワード8世、ウィンザー公がヒトラーと取り交わした密約「マールブルク文書(Marburg files)」の話が出てくるのだ。あきらかなイギリスへの裏切りを約束する文書。

そしてウォリスの、ナチスドイツ高官との不倫も示唆される。


(エドワード8世とウォリス・シンプソン。退位のちに英国を追放されたも同然となり、ウィンザー公爵夫妻に)

まったくのフィクションであれば描けないこんな話。しかし真実だったらもっと怖い。実際、この夫妻は晩年、イギリスに戻ってくることができなかったので、なんらかの「裏切り」は確認されていたのでしょう。ご本人がおそらく「裏切り」と自覚していない軽率な行為を重ねたことに、問題があったように思えます。


(ドラマのなかでウィンザー公を演じるアレックス・ジェニングズ)

 

さらにさらに、「モダンエイジ」を生きるマーガレット王女の、写真家アンソニーとの赤裸々な恋愛事情。この人がやがて「スノードン伯爵」となって、やがてこのカップルはロイヤルディヴォースの第一号となるのね……。

面白すぎる英国王室ドラマ。客観的な史実と史実の合間をつなぐ、人間くさい葛藤や愛憎。誰もがなんらかのガマンや妥協を重ねて時代と折り合いをつけていく。そこに丁寧なイマジネーションが及んでいるからこそ優秀なドラマになっているのですね。

歴史を書くときにも、この点こそが重要なのだとあらためて思い知らされました。史実の羅列なら、今の時代、ウィキペディアのコピペで書けてしまう。でも、事実と事実の間にどのような想像力を働かせて人間的な物語を紡いでいくか。ここにこそ力量が問われる。というかそれだけが、AI時代にも人間の歴史家が生き残るための唯一の希望。

 

それにしても、ウィンザー公の闇の部分を知ろうともせず、手放しでそのスタイルを崇拝するメンズファッション関係者にぜひ観てもらいたいドラマです。それでもなおあなたは、おしゃれでさえあれば無条件でこの人に憧れるのか? (いやまあ、そういう憧れもまたよいかもしれないのですが、ドラマの衝撃あまりにも大きく、ついひとこと言ってみたくなりました。)

Netflix のドラマ”Crown” 。シーズン2を見始めております。

シーズン1の終盤、マーガレット王女とピーター・タウンゼントの結婚問題が浮上したあたりから加速度的におもしろくなっていき、ロイヤルファミリーや政府閣僚のダークな問題点にぐいぐい踏み込んでいきます。マーガレット王女とエリザベス女王の複雑な姉妹関係もからむ王女の結婚問題には、どうにもならない両者の苦くつらい思いが衝突し、身を引き裂かれるような思いがします。

エリザベス女王とフィリップ殿下の結婚においても、ふつうの夫婦以上の嫉妬や葛藤があったことが描かれるのですが、まだご夫婦も生きているのにここまで描写して大丈夫なんだろうかと見ているほうがはらはらしたりして。5か月にわたるフィリップ外遊のシーンも印象深い。ギリシア出身の殿下の複雑な生い立ちも明かされ、衝撃を受けます。

ファクト(史実)はそのまま正確に。舞台の役者たちの内奥はファクション(フィクション+ファクト)で。歴史好きにはたまらない手法です。

老醜をさらしていく(それを認めたくない)チャーチルの描写も冷酷で、苦くやるせない感慨が尾を引きます。

シーズン6まですでに予定されているとも報じられています。当分、電車の移動が楽しみに(主に移動中に見ています)。

 

オフィシャルトレイラーです。英国王室ファンは必見でしょう。

https://youtu.be/ME2umFQ_xBA

「マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年」試写を拝見しました。映画美学校にて。


情報満載の、ポップで素敵なドキュメンタリーでした。ひたむきでピュア、人とは一緒に暮らせない仕事大好き人間のマノロの人柄にも迫る迫る…。

詳しくは紙媒体で書きますね。

映画美学校の入っているビルにはユーロスペースもあり、こんなカフェも。↓ 映画の写真が額入りで飾ってあり、その世界が好きな人が読みそうな本がぎっしりそろった図書館にもなっています。


実は今、大学の任期が5年×2期で満了(これ以上継続することは不可という規則になっています。米大統領の任期と同じですね。笑)になるにあたり、研究室においてある大量の本やDVDを整理しているのです。多くは学生さんに差し上げているのですが、貴重な古本ゆえに?誰も欲しがらない本も多く、図書館もすでに収容能力が限界とのことで引き取ってはくれず、捨てるにしのびないものもあり、どうしたものかと困惑中です。膨大な量の本とDVDを活かして映画とファッションとイギリス文化をテーマにしたこんなカフェ&バーを営めたら最高だなあと妄想。


今シーズンはDVDを購入せず、Netflixの配信ですべて観ることができました。Downton Abbey Season 6にして完。

1912年のタイタニック号沈没のニュースから始まり、1926年のハピー・ニュー・イヤーを迎えるまで。およそ14年間にわたるダウントンでのヒューマンドラマの、一応の完結に感無量…。

最後はバタバタと全員がハッピーエンドになった感があるが、ここにくるまでのあれやこれやの不運や不幸や困難を思うと、余韻ひとしお。きわめて「イギリス的」な幸福に対する考え方に貫かれていた終わり方だったように思う。

バローさんの孤独と不安と悲しみ、それをクールに押し隠した誇り高さがとても他人事とは思えず、この人がいちばん共感できたキャラクターだった。最後はほんとに……万事解決でよかった。

間の悪いモールズリーさんも、地道な努力が報われてよかった。教室でのスピーチには泣けます。

離れてみて、ほんとうの家族の絆を再発見したトム。(なんだか大きくなりましたよね、物理的に)

臆病からイーデスに意地悪をしたりしたけれど、ついに自分自身の心と和解して、妹のためにひと肌ぬいだメアリー。この人の、ずばずば本音や核心を言う態度が好きだった。

バイオレットおばあさまはいつだって「人間」をわかっていて、痛快だったな。バイオレットおばあさまの名言集もすでにあちこちに出ているが、辛辣で笑える。「過去」との清算のつけ方も男前だった。なんにせよ、あやふやにしておいてはだめ、という態度でのおばあさまのおせっかいが、人を幸福に導く。

バイオレットおばあさまの下で働く、仲の悪いメイドと執事も、出てくるたびに笑わせてくれる迷コンビでしたよね。執事スプラットがまさか別の才能を持っていたとは!

イザベルとバイオレットの「友情」もとてもいい。言うべきことを本音で言い合える。バイオレットとイザベルが「実力行使」で乗り込み、「求婚」するシーンの痛快さときたら。

グランサム伯爵の血を吹くシーンはちょっと驚いた。ダウントンでゲストを招いたときの食卓はいつも戦場でしたね。

不運のデパートみたいだったイーデスが、最後におこなった決断にも泣けた。Honesty is the best policy. 他人を信頼するということは、こちらもすべて正直に心を明け渡すということで、それはとても勇気が要ることだけど、乗り越えると最強の絆を作る。

メアリーとヘンリー。なにかケミカルに欠けるままだったが……前夫のマシューがあまりにも素敵すぎ、マシューとメアリーの物語が丁寧に描かれていたため、短期のうちにあれよあれよと決まってしまったこちらのストーリーが見劣りしてしまうのかもしれない。

カーソンさんとヒューズさんの、穏やかな愛の物語もじわっとくる。ヒューズさんの「心配」ごとを伝えたパットモアさん。そのパットモアさんに伝言したカーソンの誠実さあふれる言葉には泣ける。

貴族が館を「オープンハウス」にして見学料をとる話などリアリティありすぎ。

ヘアメイク、衣装、小道具、すべて15年間にわたる変化を正確に表現していて、目が離せなかった。

などなど語り始めたら永遠に終わりそうにない。

15年ほどの間に、一人一人の人生が大きく変わっている。時代も大きく変わっている。馬車から車へ。ロングヘアからショートボブへ。ドライヤーも登場。メイドや執事がいる屋敷が時代遅れに。一日、一日が、変わらず過ぎていくようで、変化の種は確実にその一日一日の中にあるのだ。そのように心して15年後を見据えようとまで思わされた。シーズン1からシーズン6まで、どのエピソードも、登場人物も、人間らしさにあふれていて、善悪の二分法で描かないところがすばらしかった。

最後は収まるところに収まるといった大団円。現実はなかなかそうならないだけに、ひときわ感慨深かった。

 

The Pirates of the Caribbean: The Dead Men Tell No Tales.  ディズニーの品質保証の枠内でのスリルとアドベンチャー。笑いどころも随所に散りばめ、海洋風景も美しく、外さないなあ。
(Photo shared from IMDB. Thank you)

酷暑の日、ハードな仕事を終えたあとにビールを飲みながらIMAXで鑑賞する映画としては最高でした。

最後のシーンでキーラ・ナイトレイとオーランド・ブルームが今回のヒーローの「親」として登場したときに襲ってきた「世代交代感」というか「時代が確実に移っている感」。でもジョニー・デップは相変わらず10年以上、主役を張り続けているのだ。これはちょっと偉大なこと。ジャック・スパロウの、あのいい加減で飄々としている魅力を演じられるのはジョニー・デップのほかにいない。恋愛ナシ(ここにいちばん共感)で主役を張り続けられる貴重な主人公でもある。代わりがいないってやはり最強だ。No Substituteをめざせ、という白洲次郎の名言を思い出す。

 

ラストのクライマックスをエモーショナルに盛り上げたセリフ。

Carina: What am I to you?

Barbossa: You are my treasure.

夏のディズニーシーに行きたくなる映画。ディズニーの目論見通り?!

3時間近い映画ということもあって、ついつい後回しになっていたが、ようやくDVDで観終る。クリストファー・ノーランの「インターステラー」。

想像を超える宇宙の世界の映像化。本格派のハードなSFとしてもハイレベルであることは素人目にも伝わる。それに加えて骨太な愛と、一縷の希望の物語。次元を超えてつながる(つなげる)父娘の愛があまりにも切なく最後は深く大きな感動に包まれる。壮大な時間と空間と重力と5次元と人間の物語の結末には、しばらく放心状態になる。

 

映画の中で引用される、ディラン・トマスの詩。暗記しておきたい力強いフレーズですね。

Do not go gentle into that good night; Old age should burn and rave at close of day. Rage, rage against the dying of the light.  (Dylan Thomas)
(「おとなしく夜を迎えるな 賢人は闇にこそ奮起する 消えゆく光に対して果敢に挑め」)

“Mad Max Fury Road” 観るのは3回目だが、やはり神話的なので、進路に迷ったときにインスピレーションを得られる。さらに、細部までとことん凝ってサービスする映像に救われる。

“Where must we go, we who wander this wasteland, in search of our better selves?” -The First History Man

冒頭のことばから、すっと神話の世界に引き込まれる。

あとは「怒りのデスロード」にして、「神話のロイヤルロード」。前方に進み続けても生存の望みが薄いならば、逃げてきた世界へ戻るしかない。途中の道を闘い抜いていくならば、元の世界へ帰ることはけっして同じ世界への逆戻りではなく、ヒーローとしての帰還となる。仲間を救う宝と自分を取り戻すアイデンティティをおみやげに。

小人症の俳優の扱いもいいし、闘う老婆、火を噴くギターマンなど、愛すべきキャラがふんだんにちりばめられているところも魅力。

今回、あらためて、いいセリフだなあと感心したのが、

“Witness me!”

War Boyが命の全てをかけて戦う瞬間に叫ぶ、最後のセリフ。生きて、闘った自分の証人となってくれ、というような。

SNS時代は、なんでもかんでも ”Witness me!” ですね。ランチも、すてきな旅行も、「友情」までもが、”Witness me!”  。(皮肉ではなく、そういう状況だという事実の指摘)

そんなこんなのロマンチシズムは、イモータン・ジョーの一言で片づけられてしまいます。

“Ah, mediocre.”

ありきたり。

 

そういえば今日はバレンタインデーですね。Global Japanese Studiesの私のプレゼミ(教養講座)ボーイズには、「チョコをそわそわ待つというような受け身の男になるな。グローバル基準でいけ。花を贈れ。自らアクションを起こせ」という趣旨の指導をしております。

他人の行動に期待してがっかりするよりも、自ら行動を起こした結果のがっかりを経験するほうが、はるかに成長できます。

(もちろん、思いがけずプレゼントをもらったら、最大限に感謝し、喜べばよいのです)

街中で、恥ずかしそうにバラの花束を抱えた大学生を見かけたら、心の中で応援してやってくださいね。

“What a lovely day.”

 

 

 

などと冷めたことを言っていましたら、午前中に、宅配便のお兄さんが続々と花やチョコレートを届けてくれました。読者の方や教え子や弟子たちから、あたたかなメッセージとともに、お心のこもったプレゼントを頂戴しました。嬉しいです。ほんとうにほんとうにありがとう!

What a lovely day. Happy Valentine’s Day.

 

2.14.2017.4

ヴィスコンティ「家族の肖像」デジタルリマスター版が、11日より岩波ホールで上映されます。

10日(金)朝日新聞、11日(土)読売新聞に掲載される広告のコピーを書きました。

家族の肖像 コピー

39年前の映画ってこんなにもゼイタクだったんですね。スカッとするとか感動するとかというわかりやすいフィールグッドな感情は与えてくれません。この世の人とは思えない美男美女が、ゴージャス極まりない衣装に身を包み、圧倒的に美しいインテリアの中で、不快な、あるいは掘り起こされたくない感情を、ぐいぐいえぐってきます。見るだけで心が鍛えられそうです。

表層だけ無難な「いい人」をやりあっている人間関係にげんなりしている人は、倒錯した快感を味わえるかもしれません。ヴィスコンティは、クセになります。

kazoku no shouzou pic

 

シルバーナ・マンガーノが着る衣装の数々を見るだけでも眼福です。このファーを見よ。フェンディと衣装デザイナー、ピエロ・トージとのコラボ。今回のデジタル修復版は、2013年にフェンディがミラノに新旗艦店をオープンした際の記念プロジェクトの一環として制作されています。

kazokuno 2

まるまる一日かけて書いた原稿2000字分が、ワードの唐突な不調で飛んでしまう。復元を試みるも出てこない。よく書けたはずのものにかぎってなぜか残っていない。結局、思い出しながらアナログ復元。パニックになるしぐったり疲れるし、もっといい表現をしていたはずだとかあの構文は傑作だったのにとかあれこれ「過去」を思い出しながら書くのでよけいストレスがかかる。

まあこんな日もある……。こういうときはいったんそれを離れて、新しい気持ちで書きなおすに限る。

melancholia

 

休憩のために、昨日DVDで観たラース・フォン・トリアー監督の「メランコリア」の感想でも書きます。(活字原稿の疲れは書きたい放題のブログで癒すパターン。笑)文章は書きなぐりのうえ、ネタバレありなので、これからご覧になろうという方は読まないでくださいね。ご覧になった方も、オカルト?ありなので、適当にスルーしてね。

 

第一部、自分の結婚式で周囲の小さな悪意や「いい人」の無神経やプレッシャーにやられていき、徐々に崩壊し、最後は病いの極致の症状をまきちらして、仕事も夫も、おそらく自分自身もなくしてしまうジュスティン。鬱(メランコリー)に押しつぶされるヒロイン。ゲストも不快になるし、観客もいらつく。

 

そして第二部、惑星メランコリアの衝突を前に、裸体にメランコリアの光を浴び、目に光を宿し、力を得て強くなっていくジュスティン。「まとも」だった姉夫妻が右往左往して状況に負けていく。

最後の圧倒的な光と音。「ハッピーエンド」とトリアー監督は言っている。鬱(メランコリア)とともに華麗に砕け散る。ほかに類が見当たらないカタルシス。これまでにこれと似た感情を味わったことがない。破壊にして絶対的な無。

冒頭のシーンと最後のシーンは、何度も何度も観たい。定義不能な、美しいカタストロフ。

“Life is only on Earth. And not for long.”

どこにも逃げ場のない、すべての終わりが迫ったとき、あなたはどのように迎えるのか?ということを問うようなラストシーンでもある。ともに手をつないで迎える人がいたらハッピーエンドなのかもしれない。「スターウォーズ ローグワン」もそんな終わり方だった。

 

これがたんにSFに思えないのは、Nibiruのことも頭の片隅にかすかにあるから。NASAは否定しているようだし、日本でもほとんど騒がれていないし、なんだかそんなことを書くとオカルト系のことを信じる人みたいに見られるのがアレですが。

Nibiru Apocaliplse が一部のメディアで根強く報道され続けています。

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私が去年、カリフォルニアで目撃した二つの太陽 (写真ではわかりにくいですが、左のほうに太陽に似たものがもう一つ見えています)。あれもひょっとしたらNibiruではなかったのか? などと想像するのはちょっとワクワクすることでもあり。

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Nibiruが迫りくるのかどうかはわからないけれど、絶対に来ない、ということも断言できないはず。そんな生々しい不安だか期待だかを感じながらMelancholiaの名シーンを反芻するのも味わい深い……。

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ナタリー・ポートマンがジャクリーン・ケネディを演じる話題の映画、Jakie。公開前に一足早く拝見しました。

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ジャッキー・O・ケネディの生涯、という映画だったらもっと華やかで明るい印象の映画になっただろうと思うが、暗殺事件の直後、どのようにジャッキーが振る舞い、決断して、夫を「伝説の大統領」にしたてあげたかという点に焦点が絞られる。ひたすらナタリー・ポートマンの熱演(とりわけつらい苦しみに耐え抜いている表情)を中心に見せていく。

ジャッキー・ファッションの解説を後日、活字媒体で書きます。しばしお待ちくださいませ。

スライ・スタローン、ジェイソン・ステイサム、シュワ、メル・ギブ、ハリソン・フォード、ウェスリー・スナイプス、ドルフ・ラングレン、アントニオ・バンデラス、ジェット・リー……  20世紀のアクション大スター満載で、これでもかというくらい延々と派手でにぎやかなアクションを見せていく。ユーモアも舞台裏ジョークも楽しく、最後は巨悪とヒーローの素手格闘というお約束もしっかり踏襲、スリラーのはずなんだけど安定の展開。

紅一点の戦士ルナはロンダ・ラウゼイ。アメリカ初の柔道オリンピックメダリストで、総合格闘家として有名な女性で、いろんな格闘技に挑んでるチャレンジャーなんですね。

と知ると、

Luna: You know, if you were 30 years yonger…… (もしあなたがもう30歳若ければ……)
Barnie: I’d be afraid of you. (怖がってたろうね)

というルナとバーニーの会話もいっそう笑える。

ロンダの存在を知ったことは収穫。expendables 3

ヴィスコンティ生誕110年、没後40年。メモリアル作品がいくつか続々上映されておりますが、その最後を飾る作品として、デジタル完全修復版の「家族の肖像」がロードショー公開されます。2月11日(土)より、岩波ホールにて。

 

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バート・ランカスター、ヘルムート・バーガー、シルバーナ・マンガーノ、クラウディア・マルサーニ、クラウディア・カルディナ―レ、ドミニク・サンダといった濃厚な俳優陣が、豪華絢爛なインテリアのなかで繰り広げるえぐい人間ドラマ。鑑賞にも体力が要ります。

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目を釘付けにするマンガーノの衣装はピエロ・トージによるもの。感想は別媒体に書きます。しばし。

*タイトルに書いたのは、映画中のリエッタが暗唱するW.H.Audenの詩の一部。

 

 80過ぎてからスタイルアイコンとして脚光を浴びるようになった、90歳超えのニューヨーカー、レアバードことアイリス・アプフェルを追ったドキュメンタリー。

大胆なアクセサリー重ね付け、カラフルでポップな色使いの装いだけじゃない。スパッと切れ味のいいひとことひとことが小気味よい。公の場で夫のカールの頭をなでていたりするのがかわいい。

“You have to be interested. If you’re not interested, you can’t be interesting.” (おもしろがることが大切。おもしろがることがなければ、あなたがおもしろい人にはなれるわけがない)

“More is more, and less is a bore.” (もっとつけるともっとよくなる。減らせばタイクツ)

” I never felt pretty. I don’t feel pretty now. I’m not a pretty person. I don’t like pretty. So I don’t feel badly. And I think it worked out well, because I found that all the girls I know who got by on their looks, as time went on and they faded, they were nothing. And they were very disappointed. When you’re somebody like myself, in order to get around and be attractive, you have to develop something, you have to learn something, you have to do something. So you become a bit more interesting.” (私は美人じゃないし、美人は好きじゃない。美人じゃなくてよかったわ。美人ってだけで世の中を渡ってきた女たちを見てごらんなさい。年をとったら空っぽでひどいもんだわ。わたしみたいな女だったら、魅力的になるために、ものすごく努力して、勉強して、がんばらなくちゃいけない。そうするとおもしろい人間になれるのよ)

人生は「ワントリップ」だから、ほんとうに自分のやりたいことを選択して、世間体などにかまわず思い切り楽しむべき、と。旅と仕事をとったかわりに、アイリスは子供をあきらめた。覚悟があるから、楽しみ方は半端ではなく突き抜けている。意志、大胆さ、ユーモア、鋭い人間観と達観。それがそのまま外見に現れている。「スタイル」ってこういうことですね。

 

 

「バイオハザード・ファイナル」。原題はResident Evil: The Final Chapter.

resident evil

監督ポール・アンダーソン、その妻ミラ・ジョヴォヴィッチ、二人の娘エヴァー(レッドクイーン役)とファミリーで作り上げているホラーアクションサスペンスSF映画。シリーズの最終章。

ゲーム発の映画ということで、最初から最後まで、次々休みなく襲いくる敵に、不死身のアリスがありとあらゆる戦い方で勝っていき、人類を救うお宝を手にして、自分のアイデンティティを獲得する(←このあたり、脚本がHero’s Journeyをおさえている)。

殺伐荒涼とした世界の終わりの風景が延々と続くなか、不気味きわまりないアンデッドやらクローンやら怪鳥やらモンスター化した犬やハイテクな仕掛けやらが休みなく襲ってくる。アクションの連続で感覚がマヒしてくるし暗くて何が起きてるのかよくわからない。クローンもうようよでてくるので、なにがなんだか。

でもゲームを意識している映画なので、「これはこういう世界観の話だからこの感じがいい」のだそうです(次男コメント)。どちらかと言えば、お化け屋敷のような印象でした。

15年間もシリーズが続くってたしかに偉業。リスペクト。あまりDVDで見直したくはないが。

感染で世界が滅びる。このテーマは最近フィクションに登場する頻度がひときわ上がっている気がする。あながちSFとは片づけられない恐怖を、うすら寒く感じる。

 

 

あまり期待していなかったのですが、美容院の待ち時間に流してくださっていて、爆笑の連続だった快作。「ゴーストバスターズ」(2016)。

ghostbusters

オタクで冴えない科学者3人+1人、4人のゴーストバスターズがニューヨークを救う。1984年版のヒーローを女性に変え、84年版へのオマージュもところどころにある。この4人の女性がとにかくチャーミングで、「バカすぎるイケメン」ケビン(クリス・ヘンズワース)の扱いも最高に笑え、最後はバットマンのような感動。ばかばかしくて楽しい。

幽霊を語る科学用語を駆使する彼女たちの会話がテンポ良いし絶妙。ホルツマン役のケイト・マッキノンはクールだし、アビー役のメリッサ・マッカートニー、エリン役のクリスティン・ウィグもダサさがなんともかわいい。見ているうちに、惚れ惚れしてくる。

Erin: What year is it? (今、何年?)

Holtzmann: It’s 2040. Our president is a plant! (2040年。大統領は植物よ!)

なんだかリアリティを帯びてきたセリフ。

ボブ・ディランのことをほとんど知らなかったので、せめて基本中の基本みたいなことだけでも知っておこうと思って鑑賞。

 スコセッシ監督が撮った、ボブ・ディランのドキュメンタリー。”Bob Dylan: No Direction Home”

とにかく長くて途中でめげそうになるのですが、この人の音楽と、50年代終わりから60年代の社会の関係がとてもよくわかるように、丁寧に作られています。

デビュー前は人の家からレコードを無断で大量に持ち去っていったり、他人の音楽をパクッてレコーディングしてしまったり、けっこうやんちゃなことをやってるのですが、それでも「被害」にあった人が楽しげに回想しているんですよね。

ステージでは聴衆からあからさまな罵声を浴び続ける。それでも、淡々と演奏する。

ポーカーフェイスの下に隠す心中のストレスは、相当なものだったのでは。聴くに堪えぬ観客の罵声との闘い、そのステージの後に起きた事故は、無関係ではないように思える。

50年代から60年代にかけてのアメリカについては、主にハリウッドの黄金時代を通したイメージを抱いていましたが、実は、核がいつ爆発してもおかしくはないという暗い危機感のなかに人々は暮らしていた……という一面もあったんですね。

歌詞の字面以上のことを聴衆に考えさせる。これはやはり「文学」の領域。

まだまだディランの深みはわかってないと思う。とりあえず一本のドキュメンタリーから感じただけの浅いコメント、ご寛恕ください。

 

People seldom do what they believe in. They do what is convenient, then repent.(「人は、信じることなどほとんどやらない。便利なことをやる。そして後悔する)(By Bob Dylan)

 

水道の蛇口が壊れるやらまぶたにトラブル発生やらで大みそかはあわただしく過ぎようとしています…。

 

2016年もあっという間に終わりましたが、15年前の本の読者、数年前の卒業生、10年以上前にボランティアで奉仕した人、損得ぬきにサービスしてあげた人など、予期せぬ人が、想像すらしなかった新しい出会いや朗報や思いがけない仕事をもたらしてくれることが多かった一年でした。

結果がすぐに現れなくても、行動したこと、言葉にしたことは、忘れた頃に、それなりの利息つきで返ってくるものだと実感しました。

おそらく、よくもわるくもそうなのでしょう。

うまくいかなかったこと、実現できなかったこともありました。それもすべて自分の選択と行動がもたらした結果です。時間は有限。今年、あまりにも多くの文化人やミュージシャン、俳優の訃報が続きました。ひとり、ひとりのご冥福をお祈り申し上げるとともに、私とほぼ年が変わらない方もいらっしゃるという事実を、深く、厳粛に受け止めていました。いつ来るかわからない終わりのときに、やり残した仕事のことで後悔するわけにいかない。

優先順位と改善点を見極め、質・量・速度ともに納得のいく仕事ができるよういっそう精進します。

 

今年一年、多くの方々に、さまざまな場面でお世話になりました。ほんとうにありがとうございました。みなさまどうぞ佳いお年をお迎えください。

 

 今日はやはりこれで締めたい。日本未公開のブランメル伝記映画”Beau Brummell This Charming Man”のDVD。講演でよく使っている映画です。ブランメルが(摂政時代の)ジョージ4世のメイクをふきとり、かつらをとり、彼を近代的に「男らしく」変身させるシーンが最も好き。

なにもよりによってクリスマス当日に見なくてもよかったのだが。

12-25

劇場は満席。

88分間のハードで緊密な物語のラストには、思わず笑ってしまった。いかなる感情に訴えるにせよ、90分ノンストップで緊張を持続させるのは並大抵のことではない。

いつもサイコーに的確なコメントで映画を評してくれるCulture Conciergeいわく、

「クリスマス向きな、ハートフルな映画だったでしょ?」

 

 

Blind man: There is nothing a man cannot do once he accepts the fact that there is no god. (「神などいないという事実を受け容れれば、人間はなんでもできる」)

このブラインドマンの不死身っぷりを一緒に「笑える」タフなセンスの持ち主と見るのがお勧めですかしらね。

 

そしてさきほどソニーピクチャーズさんからの一斉メール。

「全国でわずか33スクリーンでの上映にもかかわらず、公開10日目で早くも興行収入1億を突破する大ヒットとなりました!
12月16日(金)から18日(日)までの公開3日間の数字は興行収入33,389,460円(動員23,027人)でスクリーンアベレージは同日公開の「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」を上回る第2位!」

とはいえやはり気の弱い方は見ないほうが心安らかに眠れるかと存じます。

 

 

 

 

「いつものような感じでイギリス紳士について書いてください」という原稿依頼が、光栄でありがたく思うと同時にいちばん難しい。言葉通り受け取ってほんとうに同じようなことを書けばマンネリになるし、かといってまったく違うことを書けば一貫していない印象を与えたりする。だから絶えず新しい情報をインプットし続けなくてはならない。それで大きく見方が変わったりするわけではないけれど、すでにあるものだけで練り直すよりもはるかによい。

書く方からいえば、まったく新しいテーマや人を取材して書くのがいちばん新鮮で書きやすかったりする。かといってそんなことばかりやっていると、仕事がとり散らかる。

どんな仕事にもマンネリとの闘いはありますね。さて。イギリス文化の知識アップデートのための本とDVD。

イギリス史の基礎の学び直しができる良書。林信吾『女王とプリンセスの英国王室史』。

なぜ皇太子を「プリンス・オブ・ウェールズ」と呼ぶのか。ユダヤ人問題の起源はどこにあるのか。ロンドンの起源は。「国王は君臨すれども統治せず」はどこの誰が言いだしたのか。(こういう基礎的なことは、昔一度学んだくらいではすぐに忘れる。)

エリザベス1世、エリザベス2世(この二人に血縁関係はない)、ヴィクトリア女王、ダイアナ妃、ウォリス・シンプソン、キャサリン妃など、王室史をいろどるおなじみのクイーン、プリンセス、コンソートなどが、ときに手厳しい視点で、描かれる。彼女たちをめぐるおなじみの人物も新たな視点から見直すことができる。

人物評価には、評価している本人が投影される。人物について書くときには、こちらが浅いとそれなりの見方しかできない。信頼を手ひどく裏切られて落ち込んでいても、苦い経験が人や自分を見る目を深める勉強のきっかけになったと思えば少しは救われる(そう思うことができればなんとか生きていける)。なによりも王室の愛憎裏切り激動のドラマは、自分の境遇を少しはマシに見せてくれる。

 

 君塚直隆先生『女王陛下のブルーリボン』(中公文庫)。安定の君塚先生の本格的な歴史研究書。注や巻末の勲章受章者リストも充実。でありながらワクワクしながら読める教養書としても成立していて、すばらしい。イギリスの王室外交に不可欠なはずの勲章、正装のときに必ず装われるブルーリボン(ガーター勲章)について、まともな知識がなかったことを深く恥じ入る……。この一冊でまずはしかと学び直します。人物や史実の説明に関しては、これまでのご著書と重なる部分も多いけど、それは復習ということで。

 こちらも君塚直隆先生。『ジョージ5世』。エドワード8世とその弟ジョージ6世の、厳しい父王です。この子供たちに起きるドラマが壮絶なために、父王ジョージ5世は比較的地味な存在でしたが(私にとって、です、はい)、あらためてどんな人だったかを知ることで、エドワード8世&ウォリスの事件も違うふうに見えてくる。

それにしてもイギリス王室はどこまでも奥が深い。

 

 

 もう授業でも何十回と扱っているほどの不滅の名作「Chariots of Fire(炎のランナー)」。ジェントルマンとスポーツ、アマチュアリズムについて、登場人物それぞれの立場から語ることができる。この映画の製作にあたっていたのが、ドディ・アルファイドだったという事実を今さらながら知る。ハロッズのオーナーの息子で、ダイアナ妃とパリで事故死した方ですね。

週刊新潮9月15日号、吹浦忠正さんによる「オリンピック・トリビア」からの発見。

 

Gossip Girl Season 6 (final season). 昨年出てすぐ買ったのに、一年以上放置していた。終わってしまうのがとにかくいやで、後回し後回しにしてようやく決着をつけるような思いで観了。以下、感想と呼べるほどのものでもなく、印象のランダムなメモです。ネタバレがありますので、これからご覧になる方は読まないでください。

シーズン1から6年。6年で人も状況もこれだけ変わるのか。キャストの成長とともに俳優も成長していて、感無量。(比べるところではないけれど、私も6年前とは別人だ。状況も激変した。)

キャストそれぞれに個性があって、みんな好きなんだけど、ブレアの表情のめまぐるしい変化には問答無用に魅せられた。女性の魅力というのは本来の造作よりもむしろ、表情やしぐさにあることが、ブレアを見ているとよくわかる。メイクやファッションというのは、ひとえに表情やしぐさなど、動きをより活かすためのもの。無表情でメイクだけきれいというのも無意味だし、静止してるときだけすてきなファッションというのも魅力がない。

メインキャストがよくなっていくのに反比例して、脚本はだんだん荒唐無稽でご都合主義的になっていく印象も否めなくはないけれど、ここまでくるともはや家族というか仲間意識のような愛着が芽生えていて、唐突過ぎるいいかげんな展開もご愛嬌として見えてくる。

「スキーミング・ビッチズ(scheming bitches)」(ワル巧みに長けた女たち)5人がずらりと横一列に並んでバート・バスのパーティー会場に乗り込む場面はゾクゾクしたなあ。

チャックとブレアの長い長い紆余曲折の愛の物語でもあったわけですが、それゆえに、このセリフの重みが効いた。

Chuck: Life with you could never be boring. Blair Cornelia Waldorf, will you marry me?
Blair: Yes, yes I will!

「君と一緒の人生が退屈になるわけがない」。善い面もダークサイドもお互いにすべてさらけだす経験をいやというほど経て理解し合ってのこの帰結。

前半輝いていたセリーナのほうは、後半くすんでしまい、中途半端な女になった感が。他人依存。逃避傾向。自信の欠如。嫉妬。女としてのプライドの欠如ゆえの執着。こうしたことが「くすみ」の原因。それもまたリアルで、学びどころ多。

それぞれの人生を闘い続けて、幾多の別れや裏切りやケンカを経て、それでも互いが互いのベストマッチとして時間をかけて成長してきたチャックとブレアは、(自分の中では)永遠のベストカップル10のなかの2番目くらいに位置するカップル(No.1はダウントンのメアリとマシュー)。

1、2回の諍いですぐにダメになってるくらいじゃ、まだまだ「ごっこ」の域を出ないってことですね。

6年分。長かった。イラつくところも、くだらないところも含め、面白かった。ありがとう。XOXO。

「英国王のスピーチの真実 ジョージ6世の素顔」。

 

エリザベス2世のドキュメンタリーとかぶる部分も多いのだが、ジョージ6世をめぐる意外な真実が、映像や関係者の語りから明かされる。

・厳しかった父王は、ジョージ6世の幼少時にあらゆる「矯正」を試みた。右利きに変え、X脚を矯正し、どもりを直し…。当時はそれがふつうだった。

・兄のエドワード8世は自信家で国民の人気も高く、ジョージ6世は地味で内気で控えめ。でも父王は兄ではなく弟のほうを高く評価していた。エドワードに対しては「国王になっても一年はもたないだろう」と予言。それが実現してしまった。父王は、ジョージ6世に対して高く評価していることを本人には言わなかった。

・エドワード8世のシンプソン夫人との結婚にともなう退位について。国民の多くは、結婚に賛成だった! ダメと言っていたのはエスタブリッシュメントのみ。タブロイドも「国王は愛する女性と結婚すべき」と。そもそも、退位直前まで、国民はシンプソン夫人のことをそれほど知らされていなかった。

・ドイツとの戦争が終結したときのジョージ6世のスピーチのなかに、「極東にはまだ日本人がいる。彼らは粘り強く、無慈悲だ」というフレーズが出てくる。「粘り強い」日本人を早々に片づける手段として原爆投下が促されたということもあったのではないかと思うと切なくなる。

・ジョージ6世は戦争で一気に老け込み、体調を悪化させる。戦争は国王に「名誉の傷跡」を残した。ジョージ6世は56歳でなくなるが、妃のエリザベス・バウズ・ライアンはその倍、生きた。

 

 

エリザベス2世の半生に迫るドキュメンタリー。elizabeth II dvd

ぎっしりと見応え、聴きごたえのある充実の内容でした。やはり事実の重みは違う…。以下は、DVDを見ながらとったランダムな備忘録メモです。これからご覧になる方は、「ネタバレ」として興をそぐかもしれませんので、以下、お読みにならないでくださいますよう……。

 

 

・イギリス王室は、神話と現実の融合

・王室メンバーは、フレンドリーではあるが、フレンドシップは差し出さない。

・エリザベス2世はamusingなお方である。

・エリザベス2世はものまねがうまい。

・庶民の生活を知りたくて、変装してスーパーに出かけた。すると老婦人が近づいてきて「あなた、女王にそっくりね」と話しかけてきた。それを聞いて、エリザベス女王は「安心した」。

・エリザベス女王はゆっくりと歩く。誰も置いてけぼりにならないように。

・王室メンバーがテレビのバラエティなどに出演することは、往々にして、失敗となる。

・アン王女は王室の働き頭である。

・ダイアナ妃は「時代錯誤」な感覚の犠牲者である。ダイアナが選ばれたのは「過去のない女性」だったから。「処女性」が必要とされていたから。カミラはチャールズと愛し合うゆえにすでにベッドをともにしていた。それが皮肉なことに、候補からはずされる原因となった。数年後、セーラ・ファーガソンの処女性をうんぬんする人などいなかった。

・ダイアナはしばしば、感情の赴くままに泣いた。女王に対しても感情を暴発させて泣いた。感情をコントロールすることをあたまりまえのようにしてきた女王は、ダイアナの扱い方がわからなかった。

・プレスが暴走したのは、ルパート・マードック(メディア王)が現れてから。マードックは王室つぶしを目指そうとしているかのようだった。

・フィリップ殿下が「迷言」をいうのは、場を、相手を、リラックスさせるため。ジョークとして言うのだ。殿下にからかわれるのは、名誉なことなのである。

・エリザベス女王は、自分に向けられる注目は「地位」に対するものであって、自分に対してではないということを自覚している。

・イギリス王室は、歴史の一部であって、そのメンバーはセレブではない。

・エリザベス女王は、感情をあらわすことは、はしたないこと、同情を買うのは失礼なことと考える。

・アナス・ホリビリス。ひどい一年ということをあえてラテン語で表現することで、ユーモアが生まれた。このスピーチで女王の人気は急上昇する。今度は、国民が自分たちを支える番だと考えるようになった。

・ダイアナ事故死のときも、バルモラル城にこもったのは、孫を守るという使命感もあった。敵意のなか、一人の女性が花を渡す、「女王様もお辛いでしょう」と。それで流れが変わった。その後のスピーチで「ひとりの祖母として」という言葉を入れたことで、みごとな再生を果たした。

・イギリス王室は永続性の象徴であり、歴史、文化、感情にかかわる。

・バッキンガム宮殿の職員のなかにすら、ヒエラルキーがある。メンバー、オフィシャル、スタッフというように、階層があり、互いはまじわらない。

・エリザベス2世の、決意に満ちたまっすぐなまなざしは変わらない。一人の女性としては、謎のまま。感情を表さない。それが強み。神秘性と、謎。一貫性がある。

・王室は税金の無駄遣いである、という議論が必ず出てくる。しかし、王室行事がおこなわれるたびに、大観衆が集まる。

・エリザベス女王と国民には、なじんだ関係の安心感もある。いつも女王がそこにいてくれるということが、安心感を与える。

 

 

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「ZOOLANDER No.2」。猛烈におバカすぎることで大人気を博したファッション業界映画の第2弾。
あのデレク・ズーランダーとハンセンが、いまどきのファッション業界に帰ってきて、モデル、デザイナー、SNS、エコ、有機、トレンド、おしゃれ建築、MET GALAパーティー、メディア、若すぎる(幼すぎる)SNS有名人、若さ絶対主義、プラスサイズ、その他得体のしれないファッショントレンドや業界のシステム、蔓延するナルシシズム、大ヒット映画なんかをことごとくコケにしていく。ベン・スティラーによるズーランダーのおバカぶりはパワーアップしており、ファッション業界有名人の本人が出てきたり、「あの人だな」とわかるパロディが出てきたりするので、そんな「人」や「事情」がわかる人にとっては、かなり笑える。アナ・ウィンター、ケイト・モス、マーク・ジェイコブズ、アレキサンダー・ワン、ヴァレンチノ、スティング、ジャスティン・ビーバー、etc. 出てくるだけで爆笑。逆に言えば、知らない人にとっては、(人物が何者なのかわからないと)イライラさせられる展開もあり、まったくの駄作かもしれない。

あまりの想定外で嬉しくなったのが、カンバーバッチのジェンダーレスモデル、ALLとしての登場。あきらかにアンドレイ・ペジックのほのめかしがありますね。バッチ君のファンはここだけ観る価値あり。

面白いと思った言い回し。

“I’ve missed not knowing things with you.” (おまえとバカを競っていた頃がなつかしい)

「1」は80年代のファッション界の空気の総括映画でもある。セクシーなサントラは夏によく似合う。

「シャーロック 忌まわしき花嫁」。1895年、ヴィクトリア時代、オリジナルの「シャーロック・ホームズ」が書かれた時代に戻り、ジョンとシャーロックが活躍する。劇場で公開された特別版ですが、やはり日頃のテレビシリーズを観ていていてこそ理解がついていく場面も多々。おなじみのメンバーも、肥大化したり異性装して出てたりして安定の活躍をしてくれます。アイリーン・アドラーが一瞬だけちらっと出てきたのがうれしい。写真でしたが。シャーロックとアイリーンの関係はやはり究極のbrainy sexyですね。

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知的なイギリス英語のシャワーを浴びることができるのも快感です。

・”Nothing made me.  I made me.”(誰のせいでもない。ぼく自身がそうしたのだ)

・”It’s not the fall.  It’s landing.”(問題は落下そのものではない。着地なのだ)

・”She made her death count.”(彼女は自分の死を意義あるものにした)

ヴィクトリア朝のメンズファッションも眼福。シャーロックのこのタイは、イートン校のタイと同じ形。(画面を撮ったものなので画像が美しくなくてごめんなさい)

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安い服を買っては捨てる、チャリティと称して要らない服をどこかに送る、なんてということを繰り返して平然としている人にはぜひとも観てほしい問題作。「ザ・トゥルー・コスト」

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ファストファッションが台頭してくる1997年くらいから、デザイナーに代わってクリエイティブディレクターなるものが活躍しはじめ、巨大資本によるブランド買収戦争が激化し、明らかにファッションのシステムが変わった。ファッションのシステムだけならいいけれど、それをいかに安く作り、いかに儲けるかという欲望が肥大化して、地球規模で、人類を破滅させかねない惨事が起きている。それを生々しく告発していく力作である。

世界の6人に1人がファッション産業に従事している。そんなファッション産業は、いま、石油産業に次いで地球を汚染している産業である。華やかな産業を支えるために地球各地で起きている悲劇を描く衝撃のドキュメンタリーは、ホラーかブラックなSFかと見まがう、真実の記録。編集もたくみで、ファッション産業の裏側、消費者の行動、選択肢がないので命をかけても働かざるをえない人、資本家の論理、犠牲者、偽善者を交互にテンポよく見せていき、ぐいぐいと引きこまれる。

バングラディッシュの縫製工場の崩壊は記憶に生々しいが、スウェットショップの問題だけではない。原材料の生産地にも深刻な問題が起きている。大量の綿を生み出すために遺伝子組み換えの種子を使い、大量の農薬を散布しているパンジャブ地方ではなにが起きているのか。化学染料で染色をする地方では川がどういうことになっているのか。障害をもつ子供、がん、奇形など人体への影響が顕著となり、医療費も払えない弱い立場の人々は死を待つのみ。種子や農薬の代金も払えなくなった農業従事者は農薬を飲んで自殺する…。

捨てられた、あるいは「寄付」された安価な服は、ぺぺに送られるけれど、古着屋ですら売れない大量の安い服は処分しきれないごみの山となり、化学染料が使われているので大気も土地も汚染するばかりか、もともと地元にあった縫製産業も廃れさせていき、人々から仕事を奪う… どこが「チャリティ」なのか。

カンボジアでは最低限の生活ができる賃金を求めて人々がデモをおこなうけれど、工場を誘致したい政府がそれを暴力で鎮圧し、死人が出ている… ただただ、人間としての最低限の生活をしたいというだけなのに。

先進国で、人々が気軽に買いあさり、気軽に捨てたり「寄付」したりする服は、「わたしたちの血でできています。血でできた服なんてだれにも着てほしくない」と涙とともに訴える女性。

ファストファッションだけではない。

数字だけを追いかけて、人の犠牲をかえりみないツケを払うのは、自分たちの子供世代だ。いや、このスピードを思えば、もう自分たち自身だ。地球の裏側で起きている環境破壊や惨事と、渋谷や原宿で売られるファッショングッズはすべてつながっている。

「服を着る」一人でも多くの人に観て、考えてほしい、資本家のみなさまには行動を起こすきっかけにしてほしい映画です。

 

「ビル・カニンガム&ニューヨーク」 。原稿を書くためにDVDで再見。前に見た時はまだビルが生きているときだった。もうこの人はいないのだ、こんな人はもう二度と出てこないだろう。これはやはりとても価値のあるドキュメンタリーだ。求道者のような、子供のような彼の姿に、最後は泣かされる。

詳しくは活字で書くので、おぼえておきたい彼のことばのなかからいくつか記します。

A lot of people have taste, but they are not daring enough to be creative.
(誰でもセンスはある。ただ勇気がないだけ)

Fashion is the armor to survive everyday life.
(ファッションは日々を生き抜くための鎧)

Money is the cheapest thing.  Freedom is the most expensive thing.
(金なんて安いもの。自由ほど価値のあるものはない)

It’s not work.  It’s pleasure!
(仕事じゃない。好きなことをしているだけです)

変人じゃなくて、むしろ、まっとうで正直な人なのですよね。忙しすぎて恋愛をしたことも一度もない、でも心から仕事が楽しかった、と。一週間に一度、教会へ行くのは「必要だから」「人生を導いてくれるよきガイド」。この答えを口にするまでにとても長い時間がかかっていた。表には出さない葛藤もあったであろうことがうかがわれる。胸に迫るシーン。

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“Where must we go, we who wander this wasteland, in search of our better selves?” -The First History Man  (Cited from “Mad Max Fury Road”)

今回のアカデミー賞で議論を呼び起こしたのが、衣装デザイン賞受賞のジェニー・ビーヴァンでした。作品は「マッドマックス フューリーロード」(日本語タイトル 「マッドマックス 怒りのデスロード」)。

これを機内で見たのですが、最初の数分間でもうやめようかと思った。殺伐とした世界のなかに、残虐で、具合が悪くなりそうなシーンがえんえんと続く。ところがしばらく我慢して見ているとぐいぐいこの世界に引き込まれていくんですね。これは神話の世界、ジョセフ・キャンベルの世界と気づいた時には、かなりどっぷりはまりました。常に車が疾走しているのでスピード感も半端でなく、さらにゲームのように襲い来る敵を次から次へと倒していくときの快感も加わる。観終ったら完全に魅了されていました。気分の悪くなりそうな、荒廃した世界の風景もその世界なりの美学に貫かれて、細部にいたる美術の工夫があることがよくわかる。

 

というふうに納得すると、やはり衣装デザインの力もパワフルだったことがあらためてわかります。歴史的な衣裳と違って、こんなポスト・核戦争のすさんだ未来世界の衣裳をゼロから考えるというのは、そうとうにクリエイティブな仕事です。

シャリーズ・セロンが演じるフュリオサの「トクシック(toxic)」な戦闘着。コスプレしたくなりますよね。笑

だれもが納得する根拠あって受賞したビーヴァンなのですが、セレモニー当日は、スカル柄入りの革ジャン、ジーンズにスカーフという、ロングドレスにタキシードだらけの会場にあってはかなり浮きまくる装い。

プレゼンターのケイト・ブランシェットのブルーのドレスがまたお姫様ゴージャスだったので、対照がより際立って見えました。

そんなビーヴァンの登場を露骨に「喜ばない」オーディエンスもいて、拍手なし、しかめっつらで腕組み、という観客の映像も一緒に流れてしまいました。

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ビーヴァン自身はイギリス人だけあって、「これでもドレスアップしてきたつもりなの」と笑いをかましておりましたが、「自分はドレスが似合うような人間ではない」という自覚もあり、あえての場違いな装い。しかも作品があの砂だらけのマッドマックスワールドの衣裳だから、この反逆的な「衣装」もそれなりの理由あっての装いであるには違いありません。

批判も多々ありますが、世界が注目する圧倒的なドレスアップの場にあって、おそれずひるまず自分らしいスタイルと作品への愛をミックスしてみせたビーヴァンに、私としては敬意を表したいという気持ちが強い。自分には到底できません。

いずれにせよ、ビーヴァンのこの日の装いは、マッドマックスの衣裳とともに、映画の歴史・アカデミー賞の歴史に刻まれることになるでしょう。

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それにしても。砂とトラックと石油と銃とスキンヘッドに見慣れてきたあたりに、ふいにあらわれた「ワイヴズ」たちの白い柔らかな衣装の鮮烈な美しさときたら。当分の間、残像として残りそうです。

コスチュームの詳しい情報については、こちら。 音楽もいいですね。

 

“Knowing love, I can allow all things to come and go, to be as supple as the wind and to face all things with great courage.My heart is a open as the sky” (By Maya in “Kama Sutra: A Tale of Love)

ミラ・ナイール監督の1996年イギリス映画「カーマ・スートラ」。タイトルだけでエロティックな作品と誤解されそうだが、真正面から愛と人のあり方と社会を問うた、なかなかに悲劇的な物語。

愛に素直にならなければ、人はやがて破滅する。愛をもてあそぶと国家が破滅する。愛をおろそかにすると自分も他人も国も不幸になる。ぐるぐるめぐるその因果関係が、中世インドを舞台にしたすべての登場人物を通して、あらゆる角度から描かれる。国家安泰のおおもとは、個々の男女の性を含む愛。これが監督のメッセージ。

ヒロイン、マヤを演じるインディラ・ヴァルマのなんと魅惑的なことか。まなざし、しぐさ、衣装、動き、声、すべてに目が耳が釘付けになる。パールだけをふんだんに使った「衣装」のあまりの美しさに、文字通り、思わず息が止まる思いがした。ミキモトさんが何年か前に発表した「ボディジュエリー」を思い出した。あのコレクションもすばらしかったが、この映画のパールはジュエリーじゃなくてがつんと「ドレス」として着られている。商品化希望(買えませんが(^-^;))。maya

彼女は、映画の中で「蓮の女」Lotus Womanと形容される。
lotus flower

映画の中では出てこなかった話だが、Lotus Womanという発想が面白いと思ってついでながら調べてみてわかったこと。Lotus Womanにふさわしい最上級の男は、Quintessential Man(至高の男)と形容される。Artistry, Assertion, Authority, Charisma, Creativity, Endurance, Knowledge, Passion, Self-control, Sensitivity, Sensuousness, Spiritual Wealth, Tenderness, Truth, Wisdom. これらすべてを兼ね備える男、それがQuintessential Man. わー。幻想の英国紳士も顔負けのいい男っぷり。

この世界には男も女も「階級」があるのだが、それは生まれとか資産とか社会的地位とかは関係ない。むしろ上に列挙したような人としての資質ばかりが問われるので、ある意味ではきわめてヒューマンな階級ですね。

女の階級の最上級に君臨するLotus Womanがベッドに招いていい男はQuintessential Manのみという厳格な階級制度。資質が相ふさわしくない相手と愛をもてあそぶと、因果関係はめぐりめぐって国家は破滅にいたるというのが、この映画にも暗喩として描かれる。Kamsutraposter

Lotus womanの資質もあれこれあるのだが、もっとも納得したのが、’natural aptitude of command’という要素。ごく自然に人の上に立てる能力、人が思わず従ってしまうような優雅で気負わない女神の風格でしょうか。媚びたりすがったり嫉妬したり(相手の上に自然に立っていれば、不要な感情)する女は、Lotus Womanの資格なし、なのです。

“Some things don’t make sense immediately” とは、映画のなかに出てきたカーマスートラの教師のことば。たとえ今はわからなくても。

 

 

ピエール・ニネが演じたサンローラン映画も記憶に新しいのですが、さらにもう一つのサンローラン映画が公開されます。

『SAINT LAURENT/サンローラン』サブ4 (2)

監督がベルトラン・ボネロ(『メゾン ある娼館の記憶』)、イヴを演じるのがギャスパー・ウリエル(『ハンニバル・ライジング』)、ピエール・ベルジェ役がジェレミー・レニエ、イヴを奈落の底にひきずりこむオム・ファタールのジャック役にルイ・ガレル。ミューズ、ルル・ド・ラ・ファレーズ役にレア・セドゥ、ベティ―・カトルー役にエイメリン・バラデ、そして晩年のサンローランを演じるのが、ヘルムート・バーガー。

イブ キャラ写(縦)2

6日に試写を拝見しました。そしてあまりの重たさと過激さにしばらく言葉がなく、軽い気持ちではとてもご紹介できないなと感じています。

サンローランの圧倒的に美しい世界。次々と時代の空気をとらえ、人々の意識を変えていった斬新なデザインの数々。でもそのクリエーションが輝けば輝くほど、「新しいことがもう思いつかない」イヴの苦しみは果てしなく、カール・ラガーフェルドの愛人ジャックとの出会いを機に自らずるずると奈落の底に落ちていく。

ジャックの特殊な「愛し方」の表現、そしてドラッグにずぶずぶとはまっていくイヴの描かれ方がショッキングです。「エル・トポ」にさえ耐えられた私は何を見ても大丈夫と思っていましたが、ドラッグのオーヴァードースのシーンは、あとになってこたえます。ジャック・ド・バシャール(ルイ・ガレル)キャラ写

衣装、俳優、インテリア、パリの街などは息をのむほど美しく、生活のなかにファッションが溶け込んでいるさまとか、ヘルムート・ニュートンが撮ったル・スモッキングのシーンの再現とか、モンドリアンの構図で表現されるファッションショーとか、サンローランを愛する人にとっては宝石のように感じられるファッション・モーメントがアーティスティックに描かれています。退廃的なシーンもスタイリッシュに撮られているので、ひときわショックが大きいのかな。

彼を支える友人たち、とりわけルルとベティ(を演じる二人)が慈愛に満ちて美しく、冷徹にアメリカ人とビジネスを語るベルジェの存在、サンローランが不在でもコレクションを完成させるスタッフの熱意にも救われる思いがします。この繊細な天才は、多くの人に助けられて才能を発揮できた強運の持ち主だったのだということを、あらためて感じます。生みの苦しみとプレッシャーのさなかにあって、「私は、自分に耐えられない」とつぶやくサンローランが痛々しい。それを演じるギャスパー・ウリエルは残酷なほど美しい。メイン
イヴ・サンローラン財団の協力が得られなかったそうで(それはそうだよなあ…)伝説のコレクションはじめ、すべての衣装がゼロから作られているそうです。アトリエでの作業のシーンもリアルなのですが、実際にお針子たちを雇い、彼女たちにセリフを与えたのだそうです。コスチューム・デザイナーは、アナイス・ロマン。セザール賞で衣装コスチューム賞を受賞しました。

監督自ら選曲した音楽も凝ってます。極上のソウル、ブルースが全編に響き渡ります。ルル・ドゥ・ラファレーズ(レア・セドゥ)キャラ写
ルル役のレア・セドゥ。ザ・70年代!のミューズをとても魅力的に演じています。

タイトルは「イヴ」なしの、「サンローラン」。現在の、エディ・スリマンがディレクターを務めるイヴなしサンローランと同じですね。そこになにか、深い意味があるのだろうかと勘ぐってしまいました。サブ3 (2)
人としてのサンローランの真実により深く詳細に迫ろうとする分、サンローランを本気で学びたい方にとっては観るべき映画ですが、あらかじめ、サンローランをめぐる人々やエピソードについて予習してから観たほうが、より映画に入りこめると思います。ただ、151分という長丁場に耐えるタフな体力と、過激というか、リアルすぎてグロテスクかもしれないショッキングシーンでも平静を保てる図太い神経が必要です。観客を選ぶ映画です。アート性が高く、感じ方は人によって大きく異なると思いますが、デリケートな方には、お勧めできません。時代を切り開く美を生むための、ハードな退廃。覚悟の上、ご覧ください。

© 2014 MANDARIN CINEMA – EUROPACORP – ORANGE STUDIO – ARTE FRANCE CINEMA – SCOPE PICTURES / CAROLE BETHUEL

■配給 GAGA  R-15

■公開12月4日(金)よりTOHOシネマズシャンテ他全国順次公開

メンズプレシャスブログ、更新しました。ご笑覧いただければ幸いです。

久々に恋した映画、キングスマンのご紹介。ほんとうはもっと語りたい!あれもこれも語り尽くしたい! が、語り過ぎるとネタばれに。あ~見終えた人たちと早く語りあいたい。カルチュアサロン、やりたいですね。シャーロックナイトみたいに。

キングスマンに恋する日々のBGMは、当然「威風堂々」です。
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こちらが、キングスマンに登場するサイレンスーツ。

原稿に書きました通り、「ハンツマン」をモデルにスタジオでセットが作られたのですが、実際のスーツは、マシュー・ヴォーンと、衣装デザイナーと、Mr.Porterというアパレル企業のコラボによるもの。新しく「キングスマン」コレクションを立ち上げ、映画の衣装として着せていると同時に、実際に販売もしているようです。こちらに、その記事があります。

kingsman eggsy

エグジー♡ この初々しいジェントルマンスパイ誕生!っぷりがたまりません。

「キングズマン」の試写拝見しました。キングスマン_メイン_WEB

久々に、恋をした気分になれる映画に出会いました。

コリン・ファースと新人タロン・エガートンのスーツアクションに萌えます♡ というかもうかっこよすぎて息がとまります。

詳しくは後日、別媒体において記事として書きます。

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「キックアス」のマシュー・ヴォーン監督、いい仕事してます。あのキッチュなヴァイオレンスシーンのセンスに笑える方であれば(ここ、けっこう重要。あのセンスについていけない人は後半キビシイかも)、全力でお勧め。

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写真はすべてKadokawaさんよりご提供いただきました。

 

「キングスマン」
9月11日(金) 全国ロードショー
配給:KADOKAWA
(C)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation 

シャウ・シンチーの「西遊記 はじまりのはじまり」DVDで。

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B級感むんむんの映画だが、爆笑の連続、号泣で終わり、と激しく感情をゆさぶられる。あの西遊記が始まるまでには、こんな始まりの物語があった…という趣旨の、妖怪ハンターたちの物語。ヒロインの段と三蔵法師の物語がいいですね、やはり(途中のばかばかしさも含めて)。好き嫌いはきっぱりと分れると思いますが、「少林サッカー」以来、シャウ・シンチーのギャグセンスには救われています。少林サッカーのラストシーンは何度見なおしたことか(「俺たちフィギュアスケーター」のラストシーンと双璧をなす名シーン)。

折しも6月3日付け朝日新聞の文化欄に掲載されていた姜尚中さんのインタビューを読んで感銘を受けていたタイミング。

「悪」を考察する本を書きたいという姜先生の話。その理由は、

「世の中、悪が満ちあふれている。資本主義の本性が出て、人間が社会性を失っていく。それが罵詈雑言の限りとなり、例えばネット上に噴き出しているように見えます。」

そして指摘される、「悪」の「反対」。

「現代は、自己責任だ、自助能力を発揮しろとせき立てられ、そこに社会がないわけです。私は、悪の反対は、善ではなく愛だと思うんです。さらに言うと社会だとも思う。いま、人間は自己中心のガリガリ亡者になって、社会はあてにできない。むしろ、社会からさげすまれているという気持ちの人がたくさんいます。ですから、悪を解き明かすことで、社会を取り戻すことに目を向けたい」

西遊記の妖怪たちも、もともとはみなよい人や動物であったのに、社会から理不尽に虐げられたり、身近な人にひどく裏切られたりして、妖怪になっていった。だからハンターが、妖怪の中に潜む邪悪な気を吸い取ると、もとの善良な姿に戻っていく。

「悪」の反対が「社会」であるということが、実は妖怪の世界にすでに描かれているんですね。

「ダウントンアビー」ではやはり、「悪」だったトーマスが、ダウントンの住人から善なる扱いを受けることで、次第に良い人になっていく。

「悪」を生み出すのはやはり社会であるということ、逆に、社会が変わることで悪も少なくなっていくということ、ここにもさりげなく示唆されている。

 

 

ヴァンサン・カッセル&レア・セドウの『美女と野獣』。歴史のリアリティとおとぎ話のファンタジーとCGによる迫力あるアクションと俳優のセクシーな魅力がすばらしいハーモニーをかなでている傑作だと思いました。

とりわけベル役のレア・セドウが着る白・緑・ブルー・赤のドレス、そしてベルの夢の中に出てくる「プリンスのフィアンセ」が着るゴールドのドレスの精緻な美しさときたら……。

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ベルと野獣がダンスをするシーンで、ベルが回転するたびにドレスが落ち葉を払い散らしていくんですよね。やがて落ち葉がまったくなくなっていく…。

フランスならではの大人の無言のフェロモンが背景にあるからこそ、ベルが戻ったのが理解できる。アメリカ映画であればもっと、ベルが野獣を愛するに至るまでのわかりやすいエピソードを描かなきゃいけなかったでしょうね。

夢のなかで何度でも観たい映画。

映画「イヴ・サンローラン」は、9/6より公開スタートし、先週末の連休を経て、興収5000万を突破する大ヒットになったそうです。祝!

ミニシアターランキングでも1位に輝くなど絶好調で、メイン館の角川シネマ有楽町では日計記録、週計記録を塗り替え中とのこと。

実在のデザイナーを描いたファッション映画としては、シャーリー・マクレーンの「ココ・シャネル」が興収2億という大ヒットだったことが記録されていますが、「イヴ・サンローラン」はそれを上回るかも。

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チラシに掲載されている私のコメントです。

☆☆☆☆☆

デザイナーの苦闘と喝采。
ファッション界の通俗とモードの崇高な美。
愛の歓喜と残酷。
深い余韻が残ります。

☆☆☆☆☆

ワールドカップフランス大会決勝直前のスタジアムでのショーを見ることができるドキュメンタリーも、あわせてぜひご覧ください。

☆ディズニー映画「マレフィセント」。予想外の深みと美しさがあって、引き込まれた。眠り姫の物語をダシに、復讐に復讐で応える現代社会への批判、真実の愛やら運命の人幻想への批判、魂の成長物語などがぎっしり埋め込まれている。すばらしい映画。泣けました…。骨太アンジーの、時に頼もしく、時に恐ろしく、時にやさしく、切ない演技に、それこそ魔法にかけられる。

「アナ雪」もそうだったけれど、やはり「一見、運命の男」風な男はたいしたもんではなく、というかそんなものは存在せず、ほんとうに頼れるのは同性のシスターだったりゴッドマザーである、という現代女性のリアルな感覚が映し出されているような感じ。男は必要に応じてからすになったり竜になったりして自分を助けてくれる存在としてそばにいてくれればそれでいい、という感覚も。たぶん、多くの女性が「共感」する感覚なのかもしれない。

「一見、運命の男」風な男と姫との最初の出会いのパターンもそっくり同じ。不器用な王子が姫を転倒させるんですよね(^-^; トーストかじったヒロインが出合い頭にイケメン君とぶつかるくらいの不自然さ。

☆ほろほろ泣いてしまった映画の余韻は新宿伊勢丹屋上のビアガーデンでさます。松屋屋上に続き、今夏二度目のビアガーデンとなりました。やはり熱帯夜の風に吹かれて飲むビールは美味しい。夏の熱帯夜に肌の毛穴が少し開いて脳がやや上気しているようなこの感覚、「ボディーヒート」(白いドレスの女)でセンシュアルに描かれていましたね。白いドレスを着ていたのでまさに気分だけ「ボディーヒート」なイメージだったのですが、現実には映画のようなできごとはかけらも起きず。あたりまえだが。

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締めくくりはゴールデン街「クラクラ」で。全方位こてこての昭和でありながらモダン。たった二度目でも常連の気分にさせてくれる不思議な居心地のよさ。たこ八郎さんの像に見守られつつ脳内70年代あたりに戻る。

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ジェレミー・アイアンズ主演「リスボンに誘われて」、一足早く拝見しました。

ひょんな偶然から女性を助けた、枯れた初老の教師が、
導かれるまま、地味な生活を放棄してリスボンを訪れ、
本に書かれた革命の記録をたどるうちに
自分の人生も花開かせていく…という静かでリアルな大人の物語。

豪華キャストです。ジェレミーのほかに、シャーロット・ランプリング、
クリストファー・リー、ブルーノ・ガンツ、レナ・オリン、
メラニー・ロラン、ジャック・ヒューストンなどなど。
監督は「ペレ」などのピレ・アウグスト。

地味地味地味~(しつこい)な語りなのですが、あとから
ボディブローのようにきいてくる。

ベストセラーの映画化とあって、ことばが詩的で美しいです。

「人生の方向を決定的に変える革命的な瞬間というのは、
劇的なものではない。むしろ、信じられないくらい静かに訪れる」

そんなものです、たしかに。

革命は、いつも静かに訪れる。地味な生活のなかに、かすかな変革の声を聞き取ろうとする者だけに。

気になる人の一言が気になったら、聞き返しましょう。「いま、なんて言った?」と。

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「リスボンに誘われて」

監督:ビレ・アウグスト
出演:ジェレミー・アイアンズ、メラニー・ロラン、ジャック・ヒューストン、ブルーノ・ガンツ、シャーロット・ランプリング
原作:パスカル・メルシエ「リスボンへの夜行列車」(早川書房刊)
配給:キノフィルムズ
(c)2012 Studio Hamburg FilmProduktion GmbH / C-Films AG / C-Films Deutschland GmbH / Cinemate SA. All Rights Reserved.

9月13日、Bunkamuraル・シネマほかにて全国ロードショー

「デスパレート・ロマンティクス」、見始めたら止まらず最後(エピソード6)まで。6時間あっという間だった。これは傑作。

プレ・ラファエロ・ブラザーズのメンバーそれぞれの「リレーションシップ」がメインテーマになっている。ダンテ・ガブリエル・ロセッティとリジー、ウィリアム・ハントとアニー、そしてジョン・ミレーとエフィ、ジョン・ラスキン。彼らのそれぞれのリレーションシップがユニークで本気で複雑でデスパレート、だからこそ普遍性をもつテーマとして深く迫ってくる。

ロセッティなんて、嘘つきで女たらしで口ばっかりで自己チューのどうしようもない奴として描かれるんだけど、瞬間瞬間の自分に対して正直なので、憎めなかったりもする。しかも演じているのがエイダン・ターナー。美しいというのは、それだけで「正しい」んだよな…と思わせる。理不尽だけど、美にはそれだけの力がある。

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この花柄のウェストコートはごくごく一例なのだが、とにかく出てくるヴィクトリアン&ボヘミアンのコスチュームがすばらしい。

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聞き取りづらいところを字幕で追うのに必死で、コスチュームの細部をじっくり観察できなかったが、ぱっと見の色彩の組み合わせだけでも絶妙なのである。

それぞれの人物造形が生々しいし、ささいなエピソードも感情をゆさぶるので、このドラマを見てから、「ザ・ビューティフル」展と「ラファエル前派」展を見たら、味わいが全く違ったものになること必至。

ぐっとくる名せりふも散りばめられている。たとえば、アカデミーの全員が笑い、文豪ディケンズがプレ・ラファエル・ブラザーズをけちょんけちょんに貶すなか、ただひとり彼らの擁護に立ったラスキンのセリフ。

「ワーズワースも、ターナーを笑った(Of course Wordsworth mocked Turner)」。

ディケンズがプレラファエルを笑ったこととオーヴァーラップさせての一言。

口八丁で本能に生きるロセッティがリジーについて語るセリフも。

「彼女は、僕の才能という宝を解放する鍵だ (She is the key to unlock the treasure of my talent.)」

そのリジーをボロボロにするのがロセッティなんだけどね…。

一人でも多くの美術ファン、ファッション好き、BBCドラマ愛好家に見て欲しいドラマなので、ポニー・キャニオンさんあたりに、ぜひ、日本語版を出していただきたい!!!

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さすがはBBC。原稿書くために調べ物しているうちに遭遇しました。ドラマになっていたのですね。ラファエロ前派兄弟団。タイトルはDesparate Romantics. にっちもさっちもいかないロマンチストたち。

日本ではDVDが出ておらず、さっそくUK版を注文したのですが(PCでならば再生可能)、届くのを待ちきれずにYoutubeでいくつかのシーンを見ていたら、血気盛んなイケメン美大生たちが正統派アカデミズムに殴り込みをかけ、合間にイマドキ美人モデルとあんなことやこんなことを…というロックな青春ドラマのようになっているみたい。ヴィクトリアンファッションも眼福。

日本ではLaLaTVで「SEXとアートと美しき男たち」のタイトルで放映されたようです。(まんまなタイトル)。アメリカのヒットドラマにかこつけて「デスパレートな画家たち」……だとパクリっぽく聞こえてしまいますかね(^_^;)

どなたか、これに日本語の字幕をつけて日本版を出してくださいませんか?

あわせて、資料として購入したDVD。「ビル・カニンガム・ニューヨーク」と「ヴィダル・サスーン」。

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BBCの「シャーロック」DVD、カルチュアコンシェルジュの友に強力プッシュされて大人買いしたまま、長らく「積見」状態になっていたけれど、仕事で必要にもなり、細切れの時間を使ってようやく全部観ることができた。

シーズン1とシーズン2、全部で6つのストーリー。すべてが期待以上の超絶的な面白さで興奮。脳内で花火がはじけるような瞬間を何度も経験する。笑。ひとつひとつについてこってり感想を書きたいところだがそれはまた追って。観る前と観たあとでは別の人間になっている類の作品にはまちがいない。カンバーバッチの魅力は新鮮で、呪縛力あり。

ダントツによかったのが、シーズン2の1、「ベルグラヴィアの醜聞」。アイリーン・アドラーとシャーロックの関係がむちゃくちゃセクシー。高機能な頭脳だけがやりとりできるゲームというかスリリングなプレイに、血が騒ぐ。細部にいたるまでイギリス的な皮肉やひねりや小ネタが満載で、まったく一瞬たりとも気を抜けない、作り手の本気の情熱が伝わってきた傑作。

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dominatrix にして the woman。タフでセクシーで頭がよく、男と互角にやり合えて、唯我独尊の男を打ち負かす強い女王様なアイリーン。かっこいい。

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とはいえ。最後の最後(から二番目くらい。ほんとの最後に痛快などんでん返しがあるので)が切ない。’Sentiment is a chemical defect found on the losing side.’ とシャーロックが言い、アイリーンの「センチメント」から推理して、’I’m 〇〇〇〇locked’のパスワードを解いてしまうシーン。彼女の自分に対する「センチメント」を察知したのは、「脈が早まり、瞳孔が開く」というアイリーンの反応から合理的に。こんな,男女のゲームにおいては、ホレたほうが「負け」。でも女王様だってホレることがある。秘密にすべき想いを暴かれたときの彼女の表情がなんとも複雑で、そんなこんなの二人のセンチメントのシブい扱いが、このドラマを深く艶っぽくしている。決して女に恋をしないシャーロックは、そうしてますます魅力的な存在になっていく。女に興味を示さないのは、オトナなのかオタクなのかよくわからないが。

シャーロックが、裸のアイリーンを「まったく読めない」ことも面白かった。ルブタン履いてるだろう。サンローラン的ターコイズブルーのアイメイクしてるだろう。そのくらい読みなさい。笑。

それはそれとして。

アイリーン・アドラーにヴェスパー・リンド。群れず、自分のルールに従って世界を駆け抜けたい男が追いたい夢の女、ですね。

◇本日(元旦)付の日本経済新聞、第四部15頁、広告欄に、男の白いシャツをめぐるエッセイ「最低でも無難、最高でも無敵」が掲載されています。

昨年、"The Nikkei Magazine" に掲載された、「Maker’s Shirt 鎌倉」さんとの仕事がおかげさまにて好評で、レイアウトを変えて再掲載されました。機会がありましたら、ご笑覧ください。

元旦付なので、仕事人間にとってはちょっと縁起がよくて嬉しい感じです。関わってくださったすべての皆様、ありがとうございました。

◇おこさまサービスのつもりで観に行った「もののけ島のナキ」。想定外にすばらしくて、笑い転げつつも最後はナミダナミダ……。(friends、なんてタイトルにつけるのは頼むからやめてください)

最愛の人を再び得る幸せの陰に、失ってしまった埋めがたい哀しみあり。哀しみの余韻がしばらく尾を引く、ぐっとくる映画だった(私はこういうのにヨワいです)。埋めがたい欠落感に苦しんでいる人間には、共感してナミダすることで、若干の癒しにもなるのかもしれない。グンジョウくんがかっこよすぎる。

Mononokejima

映画が始まって間もないころ、揺れが大きめの地震があり、「震度4」ということで、館内点検のために15分ほど上映がストップしていた。新年だからといって地震の恐怖を忘れてはいけない、という天からの警告のように受け止める。

エンドロールで流れる"Smile" (by ミシア)。 さまざまな思いがこみあげてきて、沁み入るというかナミダをいっそう誘う歌詞だった…。

Smile though your heart is aching

Smile even though it’s breaking

When there are clouds in the sky

You’ll get by

If you smile

With your fear and sorrow

Smile and maybe tomorrow

You’ll find that life is still worthwhile

That’s the time you must keep on trying

Smile, what’s the use of crying

You’ll find that life is still worthwhile

If you just smile 

……

http://www.youtube.com/watch?v=b2q_x4wIz80

◇ZELEグループの美容師さん対象に、スーパースタイリスト講座のレクチャー。elegant, sophistication, glamorous, gorgeous, campなどなどのさまざまな美の概念、gothic, baroque, rococoなどの歴史上の美の様式について、ぎっしりと4時間にわたり解説。話している方は楽しいが、聴いているほうはぐったりしたかも?(笑) おつかれさまでした&ありがとうございました。

◇「ゴシップガール」シーズン3、ボックス1をすべて見終わり、ボックス2へ。次から次へと刺激的なエピソードが繰り出されて、興味を引っ張られ、止まらない。プロデューサーは天才ではないか。

ボックス1で印象に残った、このドラマならではの「法則」。「キスしたときにassをつかまない男は大ウソをついている」「3Pにおける3人目はストレンジャーであること。でなければ相手を二人とも失う」(その裏テーマ。どっちが本当に好きかは3Pで明らかになる)。現実味がないだけに納得のしようがない(笑)テーマであるからして、ただただ笑って感心する。

◇たたみかけるように、「マッドメン」シーズン4のボックスも届く。うれしい悲鳴。こちらも、現実から遠いだけに刺激的な真実満載の中毒ドラマである。当分、待ち時間や移動時間(そういう時間がDVDタイム)の方が楽しみになりそう。

◇「ライフ 命をつなぐ物語」。BBC制作のドキュメンタリー。製作日数3000日(!)分をたった90分そこそこにまとめてしまう贅沢さ。

Life_2

「生きる=食べる、逃げる、追う、子孫を守る、愛する、子を守るために死ぬ」という、とてもシンプルな基本をめぐり、動物たちが繰り広げる豊穣な知恵と驚きと純粋な愛に満ちあふれた世界。ワンシーンワンシーンにまったく無駄がなく、ただひたすら心が洗われるような深い感動に満ちあふれたドキュメンタリー映画。

人間なんて、地球の上に生かされている500万種類の命のひとつにすぎないのに、なんという傲慢で狭量で愚かなことをやってるんだ私たちは。と心底恥ずかしくなる。「500万種類の生き物には、500万通りの生き方がある」。そのほんの片鱗に、がつーんとやられた。人間なんて地球上の生物の500万分の一にすぎない、という謙虚な自覚をまずもたなくてはいけないのだ。

制作にあたった関係者すべての方、「出演」した動物たちに、最大限の敬意を捧げたい。

◇「サライ」10月号発売です。連載「紳士のもの選び」において、三陽山長の靴について書いています。機会がありましたらご照覧ください。

本誌今月号の特集は「米の力」。お米は日常のステイプルなのに、初めて知ることが多かった。おにぎりの起源が、奈良・平安期の文書に出てくる「屯食(とんじき)」だとか。勉強になります…。

◇DVDで「死刑台のエレベーター」。ルイ・マルのオリジナル版のしっとりノワールな雰囲気には遠く及ばなかったが、ハラハラ感はそれなりに楽しむ。

ストーリーはリメイクすることができても、雰囲気をリメイクすることは難しい、とあらためて感じる。洋服やバッグのコピーにおいて、カタチだけなぞることはできても、「本物」が漂わせる風格までは決して再現できないのと、ちょっと似ている。そっくりであればあるほど、本物の格が上がっていく。「コピー歓迎」と言っていたココ・シャネルは、正しかった。

◇DVDで「悪人」。原作の哀感、複雑な人間像をみごとに視覚化。俳優陣がそろって力強くすばらしい。クライマックスにおいて、被害者の父、加害者の祖母、逃亡する二人のカットをそれぞれ短くつないで感情をぎゅーと盛り上げていく手法も絶妙で、世間の高評価にも納得。

「遠距離恋愛」を観たときに、「遠距離恋愛中に、会いたいときに会えないことの地獄の苦しみ」が吐露されていて、その苦しみと、まったく一人であることの平穏と、どっちがマシなのだろう?とつらつらと思っていた。

「死刑台のエレベーター」を観た時にも、「愛のために殺人に走る甘美な地獄」と、愛がないゆえの平穏と、どっちがマシか?と思わされた。

「悪人」のヒロインは、閉塞しきった日常の平穏な砂漠よりも、「愛のために危険な逃亡をする地獄」を選んだ。「愛」が幻想だったかもしれないとしても、たぶん、そっちのほうが「生きている」実感は大きいのだろう。

愛のための地獄>愛のない平穏。すくなくとも虚構の世界においては、そうじゃないとドラマにならない、ということはあるが。

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寺家町にも春。森の中を歩くと汗ばむほどの陽気。

空気中の放射線物質のレベルが昨日と同じ、依然高いままであることが、「異状なし」という事態。このような異常な「異状なし」が続くような現実生活において、平穏に日々を過ごしていることそのことが、なにか特別なことのようにも思えてくる。

◇「メンズファッションの教科書シリーズ vol.7  The Coordinate」(学研)、発売です。本書の中で、小さなコラムですが、スティーブ・マックイーンのスリーピース・スーツの着こなしについて書いています。機会がありましたら、ご笑覧ください。

◇DVDで「エクスペンダブルズ」。スタローン監督。スタローンのほか、ジェット・リー、ジェイソン・ステイサム、ドルフ・ラングレン、ミッキー・ロークらアクションスターの競演。そのことだけが大事で、ストーリーはほとんどあってもなくてもいいような感じ。

個人的には、スタローンとシュワルツネガー、ブルース・ウィリスが同じ画面で話しているというワンシーンだけで、かなりウケた。(シュワとウィリスはクレジットなしの友情?出演で、このシーンのみ)。

このときのスタローンとシュワの会話。「こんど食事でも」「いいね、いつにする?」「1000年後でも」「急だな」。

日頃、「こんど食事でも」という虚しい社交辞令にうんざりしていたので(まに受けるとバカにされるのだ)、シブく痛快。

◇奇しくも、1週間ほど前に、スタローンがメンズファッションブランドを立ち上げるという発表をしている。

「ロッキー」や「ランボー」のキャラクターをベースにした、ジーンズやTシャツ、アウトドアものがメインになるらしい。2012年から具体的に商品を展開するとのこと。対象は25歳から40歳くらいの男性で、イメージは「反逆者にして紳士(rebel & gentleman)」。なんじゃそりゃ?と思ったが、64歳のスタローンの挑戦欲は衰えない。あっぱれ。映画の中で走る姿が鈍重になった印象を免れず、(最盛期にファンだった身には)ややつらかっただけに、なにか「恩返し」とか「ドネイション」をするような感じで応援したくなる。

◇「英国王のスピーチ」観る。予想していたよりも堅実で抑制のある印象。英国史では、エドワード8世&ウォリス・シンプソンをめぐる一連のスキャンダルが脚光をあびがちだったが、そのかげにかくれていたジョージ6世の慎ましく誠実な姿が、ほとんどはじめてこのような形で公に知られる形となった(もちろんフィクションは入っているとはいえ)。

宮殿の中、歴代の王&女王の肖像のショットが続いて、フルドレス(軍服での最盛装)のジョージに圧迫感を与えるシーンなど、英国史好きにはたまらならく魅力的な場面がいくつもある。

文句なしのオスカー受賞のコリン・ファースは、どもりっぷりが滑稽でなくリアリティがあって嫌みなくうまいし、エリザベス妃(クイーンマザー)のヘレナ・ボナム・カーターも、だんだん太っていく様子とか、手をふるときの首のかしげ方とか、細かいところまで、「らしい」。エリザベス、マーガレットという2人のプリンセスも、当時の写真から抜け出してきたようだし、チャーチル役のティモシー・スポールも、顔は似てなくても立ち居振る舞い方としゃべり方がそっくりで、じんわりとうれしくなる。

コスチューム的にはなんといってもガイ・ピアースが演じたエドワード8世。チェック・オン・チェックとか、パターン・オン・パターンの型破りメンズファッションを、ほんとに再現してくれていて、眼福ものだった。ガイ・ピーアスも、写真で見るエドワードの雰囲気にちゃんと似ている。ウォリスのジュエリーもすごい。背中にアクセントがくるあの豪華なジュエリーはヴァンクリーフかカルティエ?がたしか協力したと報じられていたものだろうか。ジョージ6世が主役のこの映画のなかでは、ふたりは完全に「ワガママな悪役」の位置づけであったが。

こうやって良質の王室映画がどんどん作り続けられることもまた、英王室のオープンネスの証で、それが王室人気を高めることにもつながっている。日本の皇室史にも負けず劣らずヒューマンドラマがぎっしりつまっていると思うのだが、私たちは、そのかけらを語ることも許されないムード・・・。というかそれ以前に、あまり知らされていない。ちょっと寂しい。

◇DVDで「食べて、祈って、恋をして」。久々のジュリア・ロバーツ主演ということで話題になっていたのだが、イタリア、インド、バリ、といった女性に人気の観光地をめぐって、おいしそうな食事と美しい観光名所を雑誌のグラビアのように映していっただけ、という印象ばかりが残る。ヒロインのドラマも「ワタシ」中心のきれいごとばかりで、きれいごとの羅列というのはつくづく人を退屈させる、という真実をあらためて認識する。自戒もこめて。

ポン・ジュノ監督『母なる証明』DVDで。キム・ヘジャが母、ちょっと知的に障害をかかえるらしいその息子をウォンビン。

殺人事件の容疑者にされた息子の無実を信じ、警察も弁護士も頼りにならないなか、たったひとりで真犯人捜しを続ける母。感動的な母子愛のお涙もの……になるのかなとうっすらと予想していたら、まったく想像もできなかったとんでもない結末に鳥肌が立った。

ジュノ監督は、モラルも安い感動もけちらしたその先の、壮絶な「真実」の向こう側を描こうとしている。母は息子に知的障害を与えたことに負い目を感じ、一心同体となってひたすら寄り添い守り抜こうとすることで愛する。息子は何も考えていないように見えて、実は本能的にそのあたりの母の弱みを熟知していて、何をやっても母が守ってくれることに依存している。

これを「母子の絆」と呼ぶのなら、絆は美しいどころではなくて、むしろ恐ろしいくらいだ。離れることができないからこそ、その二人の間にしか生まれえない闇も生まれる。人間の真実はこわくて哀しくて切ない。安易な感動などよせつけない。久々に、「凄い…」と思った映画。

「瞳の奥の秘密」DVDで。アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞したスペイン=アルゼンチン合作映画。監督はファン・ホセ・カンパネラ、主演にリカルド・ダリンとソレダ・ビジャミル。

美しい若妻が残虐な殺され方をした事件。終身刑になるはずの犯人は当時の腐敗政治のなかで釈放されてしまう。被害者の夫。犯人を逮捕した検事。その美人エリート上司。25年経って、うやむやになっていた事件のその後、検事の個人的な想いに、決着がつこうとしている……。謎と愛、過去と現在がうまくからみあった、重厚な余韻に酔える映画。特殊メイクの技術なのか、若々しい25年前と、老境にさしかかった現在を演じわける俳優たちの風貌の違いが、あまりにもリアルで驚く。

タイトルが示すとおり、人物たちの「瞳」が語る。黙っていても、瞳がほんとうのことを語ってしまう。写真に映る瞳もそうだし、さりげない一瞥、まばたき、伏し目、すべてに意味が宿っていて、それを読み取る相手が次の行動を起こしていく。彼らがラテン系の濃くて大きな瞳の持ち主だからこそかなあ、という感も(笑)。

なかでも、容疑者が自分に向ける視線から真犯人と直感し、男としてのプライドを侮蔑することで挑発して自白をさせてしまう美人上司のやり方に度肝を抜かれる。

TEMO(怖い) にAを入れると TE AMO(愛している)になるというあたりも、アカデミー協会員が評価する「外国語映画」のツボにはまったのかな、とちらと思う。

スティーブ・マックイーンのスーツの着こなしについてコラムを書く必要があって、「華麗なる賭け」DVDで。ノーマン・ジュイソン監督、1968年の作品。99年にはピアース・ブロスナン主演で「トマス・クラウン・アフェアー」としてリメイクされた映画。

スタイリッシュ、とはこういうことを言うのか! というかっこよさが、ワンカットの無駄もなく展開する、スリリングでセクシーな103分。画面のカット割りはこの時代に流行した技法のようだが、まったく古さを感じさせない。マックイーン、フェイ・ダナウェイのファッションが、ぞくぞくするくらいドラマチック。

マックイーンのスーツスタイル百変化のみならず、ドライビングファッション、ポロスタイル、ゴルフスタイル、単葉機ファッション、サウナスタイル(!)、あらゆるシーンのファッションが、かっこよすぎ。ダナウェイのヘアスタイル、60年代ミニのバリエーション、スポーティーなパンツスタイルは言うにおよばず。

ふたりがチェスをするときの表情、しぐさのアップは、相当にエロい。まだ検閲がきびしかった時代で、ベッドシーンなどかけらも出てこないにもかかわらず、99年版よりもこっちのほうが上質で濃厚なエロスをたたえている。平穏よりもスリルに飛び込んでいくことを好む、似た者同士の緊張感ある愛の駆け引きも、「上級者」だなあ、と憧れをかきたてる。

しばらくの間、「バックグラウンド映像」として繰り返し流して、耽溺することにする。

「マッドメン」シーズン3、残りのディスクをすべて見終える。とりわけ第12話の「JFK暗殺」、第13話の「解雇通知」の、緊迫感と驚きの展開に深く嘆息。

「JFK暗殺」では、当時の映像がドラマのテレビの中で流れるなか、よりによってその日に結婚式を挙げるロジャーの娘の悲惨、ドンの秘密を知ってしまったベティの混乱はじめ、あらゆる登場人物の虚無や孤独や苦い後悔などなどが、あくまで控えめに、でも厳しく情け容赦なく描かれていく。社会的な大事件と個人の感情がぐるぐるとタイトにからみあって、大きな渦巻きになっていくような眩暈感。

「解雇通知」のスリリングであっと驚く急展開。会社がマネーゲームの対象になって翻弄されることに抵抗し、クーデターを起こすドンたちの、ここぞの結束にしびれる。ジョーンが「帰ってきた」場面で喝采したファンはさぞかし多かっただろう。まさかのベティの冷やかな離婚宣言にも凍りつく。「新しいパトロン」とともにいるベティが、決して笑顔ではなく、幸せそうではないことにもひっかかる。多くを失い、絶望のどん底に落ち、それでもふんばって、ささやかな新スタートを切るしかないキャラクターたちの淡々とした表情や後姿のショットに、ロイ・オービソンの「シャダローバ」が流れる。このラストがシブすぎる。

「シャダローバ(Shahdaroba)」は、夢が破れて心が叫びだしたいときにつぶやくことば。未来は過去よりもきっといい。「シャダローバ」は、途方にくれて絶望したときにつぶやくことば。きっといつか永遠の愛にめぐりあう。「シャダローバ」、運命が導いてくれる。

こんな感じの歌詞で、短調からスタートして長調がいい塩梅でまじりあっていく、セ・ラ・ヴィなメロディ。大人のリアリズムと哀愁が、深い余韻となって続く。

新会社はどうなるのか。シーズン4までお預け(アメリカではとっくに放映されているが)。

「マッドメン」シーズン3のボックスを観はじめる。まずはDisc1からDisc3まで。第6話の「ガイ・マッケンドリック」の話が衝撃的だった。

ロンドン本社から重役が訪れ、社長を引き継ぐ予定の男が、パーティー最中の「おふざけ」による事故で足を失う。重役たちは「ゴルフもできない男に仕事はムリ」と冷たい。夫の昇進とともに寿退社予定だったジョーンが、まさかの昇進フイで夫から「仕事を続けろ」と命じられるが、寿退社を祝う同僚にはとても言えない。退社パーティーでの涙の意味を、同僚は知らない。

「絶好調のときに、思いもよらないことに足元をすくわれて転落する。それが人生だ」みたいなドンとジョーンのやりとりが、そのエピソードに対する「警句」として効く。

「営業のコツは、流れには逆らわず、獲物がきたら確実にとらえること」。ラインナップから外されたロジャーに対し、クーパーが淡々と言う。

ささやかなエピソードひとつひとつに、苦いオチと渋いセリフがさりげなくついてくる。

くだらないことにはかかわらない、というドン・ドレイパーの態度は相変わらずかっこいいし、男性も女性も60年代ファッションを堂々と着こなしている。

衣装デザイナー、ジェイニー・ブライアントのことばがBOXにつく小冊子に紹介されている。

(男性キャストの衣装のポイントを聞かれ)「Tシャツをとてもぴったりに、パンツをとても高めに着せるようにしているの。おへその高さでね。それにパンツに折り目がないのは、あの時代の大きなことだったの。足首のところのたるみはとてもきらいなの。すべての男性は、最初、シャツのえりがとてもきつすぎていやだったのよ」

ドン、ロジャー、クーパーはグレイスーツが多い。なのに、襟の大きさ、選ぶタイの趣味と結び方、ジャケットのシルエットの違い、ウエストコートの有無、チーフのあしらい方などの微差を重ねることによって、同じグレーでも、3人それぞれの個性の違いが際立っている。ファンデーション(下着)からみっちり構築されている女性服は言うに及ばず。社会的な場面における服の威力を考えさせてくれるドラマでもある。

幻想がくずれそうな気もして保留にしていた、「新潮45」付録の白洲次郎DVD、ようやく観た。

最初の数分は写真による次郎の生涯紹介。つづいてようやく「動く次郎」(!)が登場。1957年11月20日の、内閣総理大臣官邸でおこなわれた「憲法調査会」第6回総会。白洲次郎が参考人として召集されたときのNHKの映像とかで、ほんとに短くて、しかも前後の文脈がわかりづらいので(本誌に解説があったが、それが詳しすぎてよけいわからない)、「ええっ?これで終わり?」感もあり。

ほんの短い映像とはいえ、人柄はうっすらと伝わってくる。次郎の左右に座っていた人が「原稿読み上げるだけ」の、絵にかいたようなお役人タイプだったからよけいに違いが際立ったのかもしれないけど、ちゃんと相手に言葉を届けようとする話し方だった。でも声は意外としゃがれていて、話し方もべらんめえ風味入る。スーツの着こなしは、周囲に抜きんでて美しい。

「劇的かどうかということは、これは人間の感情問題なので、劇的と思う人もいるでしょうし、劇的と思わない人もいるでしょうから、劇的なシーンのように本に書いてあることが違っているとは申しませんがね」

こういう表現のしかたに、イギリス紳士階級によく見られるシニカルなものの言い方に通じるものを感じて、にやっとしてしまう。

これだけの映像だけでは、憲法調査会の内容なんてまったくわからないので、「動いてしゃべる次郎が見られる!」だけで喜んでしまう、マニアックな次郎ファン向けかな。

「ゴシップガール」セカンドシーズンの後半、BOX2を見終える。いろいろあったハイスクール生活も卒業式を迎え、これで、完。ほっ。

ここにくると登場人物ほとんど全員が「兄弟姉妹」(あらゆる意味で)になっており、なにがなんだか。くっついたり離れたりのめまぐるしさと、ここまでやるかの当惑の振舞いの連続に、やや食傷ぎみになる。最後の方は、矛盾もちらほら、つっこみどころも満載で、展開もやや雑になってきた印象。

とはいえ、食傷すれすれの振舞いが興味深いからこそ最後まで一気に見られたのだけど。あと味は、必ずしもよいとはいえない。むしろ、やや落ち込む(笑)。例えるならば、スキャンダルやゴシップでぎっしりの扇情的な週刊誌を思わず数冊まとめて読みふけってしまったときのあと味というか。そうやって読ませる側が、読者よりも一枚上手であるのと同じように、このドラマの作り手も、引っ張り方がうまい。

どろどろのなかにあって、ブレアのメイド、ドロータのキャラがおもしろく、この人をもっと見たいなあと感じていたら、DVDにはおまけとして「ドロータ物語」がついていた。短い話なんだけど、実はドロータは故郷のポーランドでは伯爵夫人だった!という話。本編がアッパークラスの華麗なるスキャンダルライフだとすれば、このおまけの世界は、メイドやドアマンたちのささやかなお楽しみの世界。19世紀のイギリス社交小説の、「貴族の世界」と「台所での召使たちの世界」の再現みたい。階級それぞれのお楽しみを、同じ階級の人間どうしで分かち合う。植民地からの移民が「別社会」として下層階級を構成していく、19世紀の階級社会そのまんま。

特典映像には、ファッションやアートの舞台裏も詳しく紹介される。ジェニーがデザインするとすればどんな服?とジェニーに代わってデザインする「ゴーストデザイナー」や、「ゴーストアーチスト」の存在を知る。見ごたえのある部分には、やはりお金も手間ヒマもたっぷりかかっている。

「ゴシップガール」2nd season Box 1、見始めると止まらなくなり一気にDisc 5まで。ファーストシーズンよりも過激にパワーアップしている。

新しい人物が現れると必ずなにか裏があり、その裏をあやつっている人物がおなじみのキャラクターのなかにいて・・・というあらゆる人間関係が「ここまでやるか」という緊密な濃厚さ。セリーナとブレアはファッションウィークやイエール大学への進学をめぐって、嫉妬や敵意丸出しの露骨なキャットファイトまで繰り広げ、それでもなおすべてを受け入れて親友であり続ける。いまわしい過去も憎たらしい欠点もすべて受け入れた上でなおフレンドシップを強めていく。表面ばかりのあたりさわりのない薄い関係にかえって疲れている現代人にとっては、本性をさらけだしてとっくみ合うような「友情」は、現実にはなかなかありえないからこそ、あこがれとして見てしまうものなのかもしれないなあ、と思う。

どろどろの闘争や駆け引きのなかにも、必ずほかの仲間の誰かが救われたりする挿話も入るので、ひとつのエピソードが終わると意外とさわやかな印象が残る。回がすすむにつれて、また家族のトラブルが大きくなるにつれて、それぞれの本来の姿がいっそう鮮明に現れていくのも、快感のひとつ。誰も円満に「成長」なんかせず、ただますます「らしく」なっていく。ブレアの「得意科目」、意地悪と復讐の見せ場がくると、「待ってました!」と拍手したくなる(笑)。

チャックとブレアの関係が、「危険な関係」のヴァルモンとメルトイユ侯爵夫人のよう。お互いに愛しあっていることはわかっているのだけれど「負け」られない。綱引きのようなゲームが続いていく。ブレアの欲望と誘惑の描写がかなり生々しくて、イタいほど面白い。

チャック・バスのファッションは今秋のトレンド「プレッピー」のお手本としてあちこちで取り上げられている。いちいち、細かいところまで手抜きなくスタイリッシュで、見惚れる。演じているエド・ウェストウィック本人も、スタイルアイコンとして誌面でよく見かけるようになった。たしかに、あの個性的迫力はやみつきになる。ネイト役のチェイス・クロフォード並の美男はたくさんいそうだが、エド・ウェストウィックはとりかえがきかない。一見、標準的美男の範疇には入らないルックスを、とりかえ不可という強みに転じている。そこがかっこいい。

かなーり昔にDVDで買い置きしておいた「バガー・ヴァンスの伝説」、ようやく観る気になって開封。自分でゴルフを始めてみないと、なかなか興味のわかない世界でもある。

「魂のスウィング」「自分のスウィングを取り戻す」「世界の中で調和するスウィング」「頭で考えず、場を感じる」などなど、人はなぜ「たかがゴルフというゲーム」に人生を語りたがるのか。

ゴルフだけではない。相撲でも野球でもサッカーでもマラソンでも、なぜか男の人は、スポーツを通して人生を語りたがる傾向が強い気がするのだが。

ロバート・レッドフォード監督で、マット・デイモン、シャリーズ・セロン、ウィル・スミス、と主演級は美しい俳優陣。出てくる人物がみんなそれなりに「よい人」である(ライバルでさえ)。たぶんゴルフ好きな人には楽しめる127分。

30年代のメンズファッション、とりわけゴルフファッションが美しく再現されている映画でもある。ニッカボッカーズこと「プラスフォー」、「ゴルフなんて気晴らしなのよ」というネクタイつきゴルフスタイルは、眼福。

チェン・カイコーの「始皇帝暗殺」DVD。買ってからずいぶん時間が経ったが、ようやく観る気に。というのも、なにせ長いのである。171分。結局、移動やネイルなどの合間に、3回ぐらいに分けて鑑賞。で、やっとのことで、完。邪道で申し訳ないが、それなりの充実感は残る。

大がかり(すぎ)なセットとスケール大き(すぎ)なストーリー。歴史にのみこまれる激情。舞台的な演技。1980年代だったらヒットしていたのかなあ。どうも現代のスピード感とのズレみたいのを感じた。たしかに、あらゆる点で「巨編」にふさわしい大きさで、面白かったことは面白かったのだが、今の時流と同調する監督ならばもっとスピーディーにまとめあげたはず……とも感じた。映画のスピード感と時代の速度感は、やはりシンクロしているほうが、同時代の観客としてはノリやすい。でも、どっちがいいのかは、わからない。あえて反時代的な、ゆったりとした大作を贅沢につくることができる監督は幸運である、とは言えそうだ。

刺客のケイカを演じたチャン・フォンイーが、好もしい印象を残す。コン・リーは何を演ってもコン・リーだなあ。ここまでのレベルになると、あっぱれ、とも思う。

韓国映画「TSUNAMI」試写@パラマウント。ハリウッド風パニック映画の範疇に収まらない、感情をはげしくゆさぶる堂々たる映画として成功している大作。

長年の思い合いの末、ようやくプロポーズの返事をもらえるかどうかという、幼なじみカップル。

自分を本当の父とは知らない7歳の娘に再会した地質学者。その元妻のキャリアウーマン。

海洋救急隊員と、金持ち浪人中の都会の女子の、始まりかけたばかりの恋。

定職についたことのないチンピラと、そんな息子を案じる貧しい母。

平凡な、でも真剣に人生を生きているフツーの人たちの思いが、高さ100メートルのメガ津波の襲来に、どう耐えるのか、変わるのか、呑みこまれるのか。

津波のシーンの、すさまじい迫力に負けず劣らず丁寧に描かれるのが、そんな市井の人々のこまやかな感情。だから単純なパニック映画に終わっていなくて、見終わったあとも情緒をこってりとひきずる。ハリウッドCG映画にありがちな鼻白み感が皆無。

ことに強い印象に残ったのが、「午後3時の男」(=中途半端)と形容された、海洋救急隊員のイ・ミンギをめぐるストーリー。女の子主導でコミカルに恋がすすんでいくのだが、彼が最後に下す決断には、涙がしぼりとられる。

恋、愛、家族愛、恐怖、使命感、笑い、悲しみ、畏敬、パニック、絶望、希望、赦し、崇高、ありとあらゆる感情を、大がかりなアクションが連続する短い時間のなかで呼び起こす。語り口も巧みで、大画面を生かしきった、映画らしい映画。

これが最期とわかった瞬間、自分ならだれを救おうとして走るのか、なにをその人に伝えるのか、思わず考え込ませるような力もある。

9月25日公開だそう。もう一度、大劇場で体感したいと思う。

「様」づけで呼びたい数少ない俳優、リーアム・ニーソン主演の「96時間」、DVDで。

DVDでちょうどよかったかなというB級感もそこはかとなく漂う映画ではあるが、それなりのカタルシスもあり。

離婚した妻(すでに妻は再婚)との間の娘が旅先で誘拐されてしまった!という窮状を救う、元CIAの凄腕のパパ。娘を救うためなら、どんな敵だって、交渉なんかしないのである。片っぱしから、敵を殺す! これが妙にスカッとする。交渉なんかしない。ただただ、めちゃくちゃ強い。ワルい奴らよりさらに強い、被害者のパパ。単純にアドレナリンが噴出する。敵をなぎ倒していく過程が、なかなか爽快だった。

ほの哀しくも絶対的な愛情をもつ強いパパと、もはや血縁のないリッチマンを「父」として暮らす娘との絆。観終わったらすかっと忘れられる映画かもしれないとはいえ、ちょっと切ない物語でもある。

ティム・バートンの「アリス・イン・ワンダーランド」DVDで。劇場で観たい観たいと思っているうちに終わってしまったと思ったら、もうDVDになっていた。

期待以上の見ごたえで、大満足。というか、なんでムリしても劇場で見とかなかったのかと、かすかに後悔すら覚える。チェシャー猫やジャバウォッキーは、どんなビジュアルで出てくるのか、想像すら及ばなかったが、ああこうくるのか、これしかないなあ、と納得させられる。チェシャー猫が消えたあとに残す「グリン(にやにや笑い)」はどう視覚化できるのかなとあれこれ考えていたら・・・・・うまいっ!(未見の方にはネタバレになるかもなので書かないが)。幻想とリアリティがいい感じで融合していて、映像はラファエル前派の絵画のように深く、細部まで丁寧に作りこまれて、官能的。ジョニー・デップを筆頭に、俳優陣も楽しんでいるのが伝わってくる。なかでもアン・ハサウェイの「白の女王」っぷり。思わず真似したくなるほどの、戯画化されたプリンセス様式は、ユーモアたっぷりのなかに微量の毒気あり。

コリーン・アトウッドによる衣装もすばらしかった。とりわけ、最後のシーンでアリスが着るブルーのテイラードのコートドレスは、美しいばかりでなく、アリスの「新しい人生のスタート」を象徴する服として、強く印象に残る。

「ゴシップガール」シーズン1・ボックス1の残りのディスクを、プールサイドで全て見終える。太陽光の下、退廃的で夜っぽい画面を追うのもなかなか妙な体験だった(傍目にはかなりブキミであったかも)。

第5話あたりから人間関係や家族関係がつかめてきて、面白さに加速がかかっていった。仮面舞踏会、デビュタント(社交界デビューする良家の子女)の舞踏会といった、これは18世紀ヨーロッパ?といった舞台を背景に、お金持ち高校生たちが、ハラハラものの友情や恋の駆け引きをする。その親たちもまた生々しく現役感たっぷりの複雑な人間関係をつむいでいく。どの家庭も、完璧ではなく、悲惨な問題を抱えている。

すっかり生活が平民化したヨーロッパの本物の貴族に代わって、かつてのヨーロッパの伝統的な「貴族文化」を継承しているのは、現代のアメリカのセレブ社会なのかもしれないなあ……とつらつら思う。

18世紀ヨーロッパ文化を現代的に解釈して再現したような舞台装置のほか、お泊りパーティー、バーレスク、バースディーパーティー、感謝祭などの今様の風景もちりばめられる。目にも驚きの光景の連続の上、駆け引きがいちいちきわどく、じわりじわりと登場人物の過去を見せていく演出も、飽きさせず、うまい。

タイトルにしたセリフは、ドラ息子チャックが、親友ネイトに言うセリフ(一言一句正確ではないかもしれないが)。そのチャックが、大切な「おまえ」ことネイトのガールフレンドを、素知らぬ顔で寝とっていたりする。チャックの口説きのセリフがまた「ティーンエイジャーですかほんとに?」というくらい強烈で強引。ラクロの「危険な関係」をも思わせる世界である。

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帰途に見た白鳥。優雅に見えても水面下で懸命に足を動かしている姿が、ゴシップガールのキャラクターたちと重なる。

「ファッション界をゆるがした25の映画」という記事、英「タイムズ」21日付。

「セックス・アンド・ザ・シティ2」の公開を盛り上げる記事である。この映画(&ドラマ)にはそれほどのめりこめないのだけれど、やはり「なにごと?!」と胸騒ぎを起こさせるファッションのインパクトの大きさは認めざるをえない。「2」ではさらに、写真を見るかぎり、ファッションが尋常ではないレベルにまで進化しているようだ・・・・・・。

それはそうと、「タイムズ」が挙げるベスト25のファッション映画。

1.ウエスト・サイド・ストーリー(1961)

2.昼顔(1967)

3.大いなる眠り(1946)

4.つぐない(2007)

5.俺たちに明日はない(1967)

6.アニー・ホール(1977)

7.ファクトリー・ガール(2006)

8.ココ・アヴァン・シャネル(2009)

9.風と共に去りぬ(1939)

10.リプリー(1999)

11.パルプ・フィクション(1994)

12.トップ・ハット(1935)

13.ファニー・フェイス(1957)

14.泥棒成金(1955)

15.マトリックス(1999)

16.シングルマン(2009)

17.トーマス・クラウン・アフェア(1999)

18.スージー・ウォンの世界(1960)

19.ズーランダー(2001)

20.グレー・ガーデンズ(1975)

21.ロイヤル・テネンバウムズ(2001)

22.プライスレス(2006)

23.プラダを着た悪魔(2006)

24.アバター(2009)

25.ミルドレッド・ピアース(1945)

「花様年華」は?「ロミオ+ジュリエット」は?「マリー・アントワネット」は?「ムーラン・ルージュ」は?「シカゴ」は?「アメリカン・ジゴロ」は?「カミカゼ・ガールズ(下妻物語)」は?という選漏れ名作の数々がすぐに頭をよぎったが、まあ、ヨーロッパ人の一般的感覚としてはこういうラインナップなのでしょうか。

試写をもっともよく見にいっていた20年ほど前は、ファッション業界の人と、映画の試写を見に来るような人は、「人種が違う」と感じていたことを、なぜかふと思い出した。

移動の途中やネイルの間などにちょこちょこと見ていた「マッドメン」、シリーズ1を全部見終える。第4話あたりからペースがわかってきて、がぜん面白くなっていった。

ひとつひとつのエピソードのオチは、おとなで骨太で、しびれるばかり。とりわけ強烈に印象に残っているのが、第7話の「赤ら顔」で、ドンが、自分の妻に言い寄ろうとした上司のロジャーに対しておこなう、ささやかなリベンジ。ランチに大量のカキを大量のお酒とともに流し込み、エレベーターを「故障」させといて、23階まで階段を上らせる。顧問団の前によろよろとたどりついた上司のロジャーは、そこでカキを吐いてしまい、大恥をかく。最後にほんとうにさりげなく映るドンのにやりとした顔が、シブい。ドン自身も同じこと(カキ&酒&階段上り)をしていながらなんともない、という強さも同時に相手に見せつけた。マッチョなメンツをかけた「男のリベンジ」やなあ。

グレース・ケリー似のブロンド美女で、模範的な専業主婦のベティが、生活にどこか満たされないものを感じ、モデル業に復帰しようとするも結局望みを絶たれる、という話のオチの苦みもよかった。第9話の「射撃」。ドンはモデル業をあきらめた妻に、手をとって優しく言うのである。「家庭にいてくれる君は、最高の母親だ」みたいなことを。ベティも、専業主婦であることに何不自由のない幸せを感じているわ、と天使の微笑みでこたえる。次のシーン。「君は僕の天使だ」という脳天気な歌がのどかに流れるなか、ベティはたばこをくわえながら、空を飛ぶ鳥たちをばんばん狙い撃ちするのである。セリフなしでの、ベティの心象風景の描き方、うますぎる。

ドンの秘書が急激に太り始めていく理由が、ストレスによるものではなかったことが明らかとなる最後の話にも驚愕する。男はみんなオス、女もしたたかなメス、自分勝手な登場人物たちの濃い人間関係に、はまってしまった。「シーズン2」のボックスを即、注文する。

◇「クロワッサン」の仕事でビューティージャーナリストの倉田真由美さんと対談する@白金のスタジオ。最近注目のブースターコスメがテーマ。

メーカー側としては、手持ちのスキンケアに「プラス一品」買い足させるためのニッチな分野、というところが本音では・・・・・・とは憶測するのだが、あれやこれやと駆使される華麗な宣伝用のコンセプトがとにかくおもしろい。コスメの効き目だって、ことばしだいで大きく変わるのである。

◇その後、「シャネル&ストラヴィンスキー」の試写@ジュンアシダ代官山本店。

久々に、こってり濃厚なヨーロッパ映画らしい映画を堪能した。映画を見たあと、頭と心をフル回転させたあまり心地よくぐったり・・・・・となったのは、久しぶりという気がする。

まずは冒頭に出てくる、1913年パリで初演のバレエリュスの再現シーンからして度肝を抜かれた。観客が騒然となってスキャンダルに、ということは本などでは読んでいたが、あれほどのものとは。80年代に「ブトー」をはじめて観たときのショックを思い出した。白塗りの裸同然のダンサーたちが、ブキミに震えたりとび跳ねたりする、アレである。彼らはもしかしたら「バレエリュス」の子孫だったのか。

映画は細部の巧みな積み重ねで、こちらの心をぐいぐい絡め取っていく。ストラヴィンスキーの描写がうまい。湯船からあがって腕立て伏せをし、生卵の黄身だけをぐいっと飲むシーンを見せる。それだけでなんだか「あ~、この男、きまじめにエロっぽい」という印象を無意識のうちに植えつけられるのだが、その延長上に、シャネルの誘惑に「待ってました」とばかりシャツを脱ぐシーンがくる。シャネルの大人すぎる無言の誘惑といい、それこそ「むせかえるような」濃密な成熟した大人のエロスが満ち満ちる。

シャネル&ストラヴィンスキーという、至高と前衛を追求するアーチスト同士の、恋愛というよりもむしろ、大人のエロティックな情交が同志愛的な絆に変わっていく過程に、酔いしれる。そのさなかに、ストラヴィンスキーは「春の祭典」を書き上げ、シャネルは「No.5」を完成させる。いちいち美しすぎるシャネルのファッションの数々、各部屋に趣向を凝らした別荘のゴージャスなインテリアも、眼福のきわみ。

台詞の少ない映画だが、だからこそ、台詞の印象も大きい。夫の心身がシャネルに向かっていることに気付いたストラヴィンスキーの妻が放つ台詞がいい(というか、こわい)。正確には覚えてないのだが、たしかこんなふうな台詞だった。

「朝起きたら、何かが腐っているにおいがするのよ。はじめは花かと思ったけど、違うの。私のにおいなの。愛されずに死人になっていく人間のにおい」

シャネルのアナ・ムグラリス、ストラヴィンスキーのマッツ・ミケルセン、その妻のエレーナ・モロゾヴァ、といった俳優陣が適役で、すばらしい。

明快な感動は、ない。むしろ豊饒なざわつきがあとあとまで残る。コドモ文化全盛の日本で、この複雑でシブいニュアンスがどれだけ受け入れられるのか、不明だが、大人文化の底力をさあ見よ! と叫びたくなった一本。

◇「ココ・アヴァン・シャネル」の試写@ワーナー・ブラザーズ。アンヌ・フォンテーヌという女性監督による映画で、シャネル役はオドレイ・トトゥ。孤児院時代~キャバレーでの歌手時代~最初の愛人バルサンの城での「囲われ(居候?)」時代~最初の恋人カペルとの出会いと死別~デザイナーとしての名声を勝ち取るまで、という「デザイナー、ココ・シャネルが誕生する以前」が描かれる。

オドレイ・トトゥの、引き込まれるような黒い瞳を生かした表情がすばらしく、最後はほんとうにシャネルの肖像写真とぴたり重なるように見えた。

20世紀初頭のファッションが驚くほどきめこまかく再現されていて、カメラもアクセサリーやレース、襟やタイやカフスのディテールまでねっとりとアップで写していく。有名な「らせん階段」のショウで使われたシャネルのドレスも美しく、衣裳・美術だけでも眼福ものである。

でもさすがはフランス映画というか。ファッションにさほど関心のない観客にとっても、シャネルとバルサンとカペルの野蛮にして優雅な三角関係は、見ごたえあるドラマとして映るだろう。友人バルサンからその愛人シャネルを「二日間借りる」というエレガントな申し出をしてイヤミではないカペルにはぶっとぶし、それを嫉妬しながらも許し見守るバルサンもわけがわからない(←ホメ)。二人の男の間で、スムーズに愛人の受け渡しが成り立ってしまう過程が、実はもっとも興味深かった。上品に淡々と描かれながらも(それゆえに)、3人それぞれが秘めた心の奥の荒々しい熱情が目に見えるようだった。他の国の映画ではなかなかこんな描き方はできないのではないか。

バルサンがたびたび、労働への軽蔑を口にする。シャネル以前は、ファッションは「労働とは無縁な」有閑階級のものであったのだ、とあらためて認識する。そういうサークルの中にありながら、労働労働、ひたすら労働によって身を立て、名をなし、ゴージャスな恋愛遍歴を重ねたシャネルは、どれほどの意志と魅力の持ち主であったろうか。