
ジョルジオ・アルマーニ ご冥福をお祈り申し上げます
2019年5月に来日したアルマーニ(当時84)のお話を聞く機会がありました。60分の間、アルマーニは美しい姿勢を保って立ったまま、丁寧に話し続けました。若いスタッフが疲れて座り始めても。驚異の体力というよりも、並外れた美意識の高さ、意志の強さ、そして記者たちへの敬意が伝わってきました。
アルマーニが作り出したのは、時代が求めた男性・女性、それぞれの理想像でした。1980年代の男性に官能性を、女性に威厳を。結果として社会変化を後押ししました。さらに50年という長きにわたり、コングロマリットの傘下に納まることなく独立ブランドとして文化的にも影響力を発揮し続けました。
そんな功績はもちろん偉大なものですが、何よりも多くの人を魅了したのは彼の「あり方」だったと思います。ストイックに、エレガントに、仕事や人に向き合う姿勢。アルマーニのあり方そのものが、人間が意志と努力によって到達しうる、一つの理想像でした。感謝をこめて、ご冥福を祈ります。
In…

CFCL 高橋悠介さんにインタビュー for 装苑
CFCLのデザイナー、高橋悠介さんにインタビューしました。元代々木の本社にて。
高橋さんにじっくりとインタビューするのは3度目で、『「イノベーター」で読むアパレル全…

ニュースーツ特集 巻頭エッセイを書きました GQ10月号
GQ10月号「ニュースーツ」特集。巻頭エッセイ「スーツ、360年目の自由」を書いています。
ご高覧いただけますと幸いです。
連日の35度越え…。早くスーツが楽し…

「新しいラグジュアリーを求めて」 By LUXUS TOYAMA
レクサス富山主催のイベント「新しいラグジュアリーを求めて」。
2日間にわたり、講演とファシリテーター、計5回の登壇を務めさせていただきました。
唯一、観客として拝見していたセッションが、レクサスの開発試作部のチーフエンジニアとレクサス・インターナショナルプレジデント、そしてレクサス富山社長・品川祐一郎さんの鼎談。
面白いと思ったのが、AIを搭載した未来のEVカーのコンセプト。一見冷たそうに見えるのですが、そうではなく、AI車とオーナーとの関係が「どらえもんとのび太」のようなパーソナルで親密な関係になるのこと。
日本で最初にラグジュアリーという言葉を使ったのがコスモAPという反・公害の思想を帯びた車のCMでした。最先端の技術と思想を結集する分野は、常に新しいラグジュアリーを先導します。
レクサス富山のイベントは富山の気鋭のクリエーターやアーティストたちを支援し、地域創生にも結び付ける可能性を秘めていました。各アーティストとのセッションの詳細は、追々、公開していきますね。
主催のレクサス富山社長、品川祐一郎さんと、イベントディレクターの武内孝憲さん、そしてご参加の皆様、ありがとうございました。車をプラットフォームとする新しい文化創造の可能性にあふれた有意義でエキサイティングなイベントでした。
“In…

ラグジュアリーの価値観をアップデート MEN’S EX ONLINE
MEN'S EXから新しいラグジュアリーの価値観についてインタビューを受けた記事がウェブ公開されました。
英語版はこちらです。
写真は富山城。レクサス富山のイベント出演…

服学Vol. 4「マフィアとスーツ」公開
Be Suits 服学 Vol.4 「マフィアとスーツ」が公開されました。
この回に着用している白いスーツも前回と同じ廣川輝雄さん作。同じ日の撮影で、インナーと小物、髪型だけ変え…

服学Vol. 3「女性とスーツ」公開
Be Suits チャンネル「服学」シリーズにお招きいただきレクチャーしております。Vol. 1の「スーツの歴史」、Vol. 2の「世界のスーツ」に続き、Vol, 3 は「女性とスーツ」です。
撮影と編集はルアーズのZ世代のスタッフです。ありがとうございました。
今回着用している白スーツは8年前にThe…

LEXUS Toyama 20周年「新しいラグジュアリーを求めて」
直前のご案内になりまして恐縮ですが、30日、31日の2日間、富山の全日空ホテルでレクサス富山主催の「新しいラグジュアリーを求めて」をテーマとするイベントが開催されます。
クルマを取り巻く世界は常に最先端ラグジュアリーの象徴だったのですが、今回も、レクサス次世代EVカーや水素バギーなども展示されています。ドライブシュミレーターもあります。
富山ゆかりの、世界で活躍するアーチスト、クリエーターも、作品とともに17名、結集しております。お近くにお住みの方で、地域創生に関心をお持ちの方もぜひ。お時間がゆるせば涼みにいらしてください。
私は両日、講演とファシリテーターでほぼ会場におります。ご来場いただけそうでしたら、中野宛にメールまたはSNS(インスタ、FB、X)メッセージをいただければ幸いです。詳細をお知らせいたします。
レクサス富山主催で、無料です。出入りも自由。
レクサス富山がハブとなるローカルラグジュアリーの構想。実装するとすれば、こういうのがありうるという未来図を、僭越ながら、妄想レベルではありますが、示してみたいと思います。
富山、石川近辺のみなさま、お目にかかれましたら幸いです。

感情に負担をかけすぎないため小さな行動を積み重ねる
恒例の高知日帰り出張でした。いつも朝一のJALのKの座席から見る富士山を楽しみにしています。真夏はさすがに雪はひとかけらもない。雲が山の稜線に寄り添うようになびいており、それはそれで味わい深い富士でした。
さて。まだ修行の途上につきエラそうなこともいえませんが、最近立て続けに、30代の女性4人から…

ラグジュアリー空間は戦略資産 GARDE 40周年
GARDE 創業40周年記念メディアラウンドテーブル&店舗見学会にお伺いしました。
GARDEはラグジュアリー×グローバル実装×ローカル文化翻訳を基盤に、デジタル(メタバース)・…

臓器としての肌の「若返り」を謳う美容液登場 Augustinus Bader
「若返り」を正面から掲げる美容液が登場しました。アウグスティヌス・バーダーの〈AB セラム エクセプショナル〉の発表会で衝撃を受けました。従来の「老化の遅延」ではなく、加齢サインの巻き戻しというロンジェビティ(長寿)発想に軸足を移した点が新しい。肌を身体最大の臓器(!)として扱い、再生科学の理論を化粧品に応用してきた同ブランドの「第二章」にふさわしい挑発です。解説するのは本国のグローバルディレクター、クリスティアン・ウェロンさん。
要となるのは、成分の配達と指令の最適化。ブランドの中核テクノロジーTFC8™を再設計した「アドバンストTFC8™」は、細胞間シグナルと成分デリバリーの道路網を太く速くするという考え方。従来が通常の飛行機であったとすれば、今回の新成分はコンコルドの速さで届くと言います。そこに、ゾンビ細胞(老化細胞)へのアプローチをうたうヒトペプチド・コンセントレート、コラーゲンを生み出すことにおいてレチノールの約3倍の働きを示すとされるバイオミメティック・エラスチン、オートファジー活性をねらうスペルミジン含有マリンアルゲ由来成分が合流していきます。
水分を極力削った超高濃度処方で密度を上げる設計は、価格に対する説明もしやすい。コミュニケーションも直球です。使用2時間での視覚的変化、56日で「シワ最大78%減、ハリ46%増、弾力21%増」という同社提示データは、体感までの距離をぐっと縮めます。
なぜ今、この言葉と設計が刺さるのか。平均寿命が延びていく世界では(日本では84歳)、関心は長生きから「どう健やかに生き切るか」へ移っています。ウェルネスと美容医療の境界が薄れた時代に、ABの提示するのは「修復」からさらに進んだ「再生の最適化」。
〈エクセプショナル〉の名を冠したラインは、単発の話題作で終わらせず、次弾のビタミンCセラム、2026年秋のモイスチャライザーへと世界観が拡張されるとのことです。
〈AB…

迷彩柄の是非 朝日新聞本紙にも掲載されました
「迷彩柄を考える 戦争やまぬ今」という記事で、朝日新聞本紙にもコメントが掲載されました。
ウェブ版にも引き続き掲載されておりますが、有料会員のみ全文お読みいた…

美容においても日本的な知と資源をとりこむことができる FAS
FAS 新作発表会。
美容の世界では「顔」に比べて「身体」が軽視されてきました。ボディケアはせいぜい保湿や日焼け止めにとどまり、エイジングケアの本格的な対象とされることは稀でした。
FASが新たに打ち出したボディケア、「ドレープシリーズ」は、可能性に満ちたその領域に挑みます。
注目したいのはシルク成分開発の背景です。衰退産業とされる養蚕の現場に光を当て、余剰となっていた繭を美容資源として再利用している点。このアプローチは、地域産業や環境資源の循環にまでよい影響を及ぼします。
さらに、香りの設計に源氏物語を持ち込み、日本古来の「香りを聞く」という感覚を呼び覚まそうとする姿勢は、美容が文化の再解釈の場となり得ることを示していませんか。
今回のFASの新製品は、美容産業が、どのように日本的な知と資源を取り込み、新たな意味を付与できるかという問いを投げかけている点でも、意義深いと思います。
In…

今この時期に迷彩柄を作る・着る意味は
単なるファッションでしょ、とはいかない時代になっています。
この時代に迷彩柄を作る・着ることはどのような意味を持つのか?
朝日新聞・松澤記者からのインタビュー…

ただそこにいるだけで尊いということ
どの業界、どの職種においてもそうだと思うのですが、いま、ファッションブランドはAIとどう向き合うかという課題に直面しています。
ブルネロ・クチネリが展開するSolomeo AIという人工知能があります。クチネリの哲学や倫理観に基づいてインタラクションを展開するAIで、彼の頭の中と対話できるかのような体験を与えてくれるのですが、そのAIによれば、上記の答えは次の通り。
効率化やトレンド予測、顧客データ管理はAIに委ねることができるが、最初のスケッチや職人の手仕事、顧客との信頼関係構築、最終的な卓越性の判断は、「人間の聖域」として人間しか守ることができない。
ブルネロによれば、AIが雑務を担うことで、クリエイターはより人間らしい創造に集中できるということになります。
同じ問いは、文筆家にも突きつけられているんですよね。AIによるそこそこ質のいい文章生成が急速に普及するなかで、新聞や雑誌の記事にもAIっぽいものが増えました。それで「不便」はありません。記事内容によっては、人間性が感じられないほうが風通しもよかったりします。もう、記事を正確にまとめるだけの文筆家は淘汰されていきます。では、「人がわざわざ書く意味」とは何でしょうか。クチネリの姿勢と同じく「聖域を見極める」としたらそれは何でしょうか。
AIに委ねることができるのは、膨大な情報の整理、要約、構成の叩き台づくり、あるいは言葉のバリエーションの提案、誤字脱字の文章修正といった部分でしょうか。
一方で、人間が手放してはならない聖域、というか、文章に人間らしさを保とうとすれば人間にしかできないであろう領域があります。どのテーマを選ぶかというひらめきや直感。書く人の人生のコンテクストを踏まえた比喩や象徴の選択。その人らしさを感じられる独自の文体やリズム。読者と信頼関係を築き、感情を揺さぶる非合理的であたたかい力。さらに「何を信じ、何を伝えようとするのか」を決断する責任でしょうか。
完璧なAI文ではなく、不完全さを抱えた、生身の呼吸が宿る人間の言葉にこだわる文章は希少価値を増していくのではないかと楽観しています。とはいえ、そういう文章もAIが書けるようになる未来がいつかはくるのかな。
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本物の厚み ザ・ザ・コルダのフェニキア計画
ウェス・アンダーソン監督の新作「ザ・ザ・コルダのフェニキア計画」試写。
アンダーソン印炸裂で世界観に完全に引き込まれた。衣裳はミレーナ・カノネロで1950年代のスーツが圧巻。音楽はアレクサンドル・デスプラで、荘厳な推進力のある独特のリズムにすっかりはまる。出ずっぱりのベニチオ・デル・トロはじめクセの強い俳優陣の個性的な魅力はたまらないし、カルティエ、ダンヒル、プラダといったハイブランドがとんでもないものを作っている。ラストはまさに「新・ラグジュアリー」の世界に帰結してじわり。
詳しくはキネマ旬報に書きますので、しばしお待ちくださいませ。
9月19日公開。
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真珠が最も高く売れる……であれば、作ればよい! President Online
真珠王・御木本幸吉さんの項目も『アパレル全史 増補改訂版』より 抜粋・編集してPresident Onlineに公開されています。
うどん屋の息子だった幸吉は青物商を始め、海産物も扱うようになる。海産物の中で最も儲かるものは………

ブライダルを通して日本文化の復興に貢献した桂由美 President Online
ブライダル一筋を貫くことで、日本文化の復興にも貢献した桂由美さん。
『「イノベーター」で読むアパレル全史 増補改訂版』から抜粋・編集して、プレジデント・オンラインに記事が掲載されています。
戦後、神前式結婚式がポピュラーになったのは…

19世紀末イギリス リバティによる文化的抵抗
19世紀末のイギリス社会は、帝国史観による輝かしい側面だけを追うならば、「大英帝国に日の沈むところなし」と呼ばれた、イギリス帝国主義が頂点に達した時代でした。
しかし、別の側面から見てみると、違う顔が見えてきます。急速な産業化や都市化、そして帝国の拡大と国際情勢の緊張によって、不安と閉塞感が高まっていた時代でもありました。当時の庶民層から知識人階級に至るまで、人々は決して平穏とは言えない時代の波に呑まれ、戦争の影や社会的不安定の渦中にありました。そのなかで「リバティ」は、美術・工芸・デザインという形式を用いて、文化的抵抗をおこなっていたのです。どのように??
まず、当時の「進歩」の影にどのような社会不安があったのか、列挙します。産業革命による大量生産と機械化により、職人たちは仕事を失い、地方の伝統的なライフスタイルは瓦解しました。一方、都市では、スラム化や劣悪な労働環境、貧困と格差の拡大が社会問題化します。
女性や弱者への抑圧もありました。女性の権利は制限され、コルセットや社会的束縛などにより、解放とはほど遠い状況でした。また、労働者階級やアイルランドなど周縁地域は、経済的にも文化的にも不安定な立場に置かれていました。
加えて、国際的緊張が高まっていました。帝国主義競争や植民地支配の拡大、列強間の摩擦などから絶えず戦火の足音が聞こえていました。時代全体に、近づく戦争や社会体制の崩壊への漠然とした不安が蔓延していました。
そのような時代の不安に、リバティは美と装飾を用いて対抗します。
〇工芸・デザインを通じて日常に美を届ける癒し
産業化や戦争の脅威で荒廃しがちな社会に対し、リバティはウィリアム・モリスと協働し、手仕事による美しいテキスタイルや家具、日用品を通じて人々の暮らしに心の安らぎや精神的余白を与えることを重視します。大量生産の冷たい均質さに対する、手仕事や工芸による「人の温もり」や「自然との調和」を称える行為であり、美の力で社会全体に癒しや連帯感をもたらす文化的活動です。
(とはいえ、購入できたのはある程度の経済的余力のある層のみで、そこにジレンマを感じたモリスはやがて社会運動に傾倒していきます)
〇服飾改革を通じて女性解放
リバティは束縛的なコルセットを否定し、自由で動きやすい「アート・ドレス」を提案。身体の自由を実現し、女性の社会進出や解放運動と結びつけました。デザインそのものが社会の抑圧に抵抗する「個人の自由」と「未来への希望」を体現していました。
(とはいえ、コルセットに対する強迫観念は強く、完全な開放は20世紀を待たねばなりません)
〇多文化主義の推進
リバティは日本・中国・中東のモチーフや、ケルト様式とアール・ヌーヴォーの融合を積極的に展開。「異国趣味」を超え、帝国主義や排他主義へ対抗する形で多文化主義的な価値観や想像力を広めました。「美しいものは国境や立場を越えて人を結びつける」という思想も込められています。
〇ソーシャルクラフト 弱者自立と連帯感の創出
地方工芸ワークショップ(アイルランドのカーペット生産など)を設け、貧困女性や労働者の雇用と誇りを生み出しました。デザイン活動を社会正義や人道支援へもつなげていたのです。
以上のようにリバティが中心となっておこなっていた工芸・デザイン運動は、不穏な時代において美・装飾・日常を通して静かで根源的なかたちで社会を変革しようとした運動でした。
国家や規範が個を圧迫する時代、リバティは装飾やデザインを通し、個人の尊厳と自由を訴えていたばかりではなく、閉塞した社会観に対しては、多様性の寛容と異文化への共感を装飾で体現したのです。
こうした運動は、戦火と不安の時代を背景にした、静かで創造的な文化的抵抗でした。この意味で、グローバル資本主義がもたらした分断と過剰消費、排外主義に抵抗する現在のローカルラグジュアリーの運動と同じ精神をもっています。
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100年前の民藝運動がどのような点で文化的抵抗であったのか
分断が進む時代に「ローカルラグジュアリー」を提唱することが、100年前の民藝運動が文化的抵抗を静かにおこなったことと似ている、ということを前項で書きました。北林功さんが講演内で示唆したことなのですが、そのアナロジーがよくわからないという方のために、どのような点で民藝運動が文化的抵抗だったのかを以下、簡単に解説します。
〇規律や均質化に対する、生活レベルからの抵抗
1940年代、商工省主導で「大日本工藝会」や「美術工藝統制会」が生まれ、ほとんどの工芸団体や美術団体が一元的な統制・指導の下に組み込まれます。戦争が近づく不穏な空気が漂う中、民藝運動の旗手・柳宗悦らは、当時の軍国主義や国家主義が推進する「一元化」「統制」「均質化」に真っ向から対峙しました。彼らは「名もなき民」の手仕事や、各地の風土に根ざした暮らしの素朴な美にこそ本質的な価値があると主張し続けます。政府が設立した「大日本工藝会」など画一的な統制団体の枠組みから距離を取り、日本民藝館の独立運営を守り抜きました。
〇周縁、ローカルを尊重することによる、標準化への抵抗
民藝運動は、沖縄や朝鮮、アイヌといった「日本の周縁」の文化や工芸を尊重し、称揚しました。この姿勢は、「国家総動員」下の同質化圧力・中央集権的な文化政策に対する反発でした。中央統制のもとで多様性が抑圧され「標準化」が叫ばれる時代において、他者や多様なローカル文化がもつ独自の価値を尊重すること自体が明確な抵抗になったのです。柳宗悦の朝鮮工芸への評価や、沖縄における現地当局との対立なども、この流れの一環です。
〇日常、無名性、人の手仕事へのまなざしによる、国家による文化規制に対する抵抗
国家が推し進めた「工業化」「大量生産」に対し、民藝運動は無名の人が手仕事で生み出す日常の道具・雑器にこそ美があるという思想を打ち出しました。日常生活の中に潜む豊かさや、あるがままの暮らしへの賛美は、戦争遂行のために役割を割り当てられる社会への問題提起でした。雑誌『民藝』『工藝』の刊行や各地での民藝品展覧会の自主開催は、国家による文化規制を超えた価値体系を広く社会に提示する文化運動でもありました。
〇生活世界の美を死守することによる、価値の選別への抵抗
民藝館の維持や民藝品の保全に、時に命がけで取り組んだ事例(民藝館を空襲から守るために駒場に残った柳宗悦夫妻など)は、「文化こそ守るべきもの」とする強烈な意志のあらわれです。これは、国家や権力構造による「価値の選別」への根源的な異議申し立てであり、戦火の中でも消えない生活世界の美を守る姿勢そのものでした。
以上、とてもおおざっぱな「抵抗」のポイントだけ列挙しました。
民藝運動の抵抗は、政治的声明や直接的なデモではなく、生活の現場から湧き出す多様な美、日常と無名の豊かさ、周縁文化の尊厳を守り発信し続けることで、文化レベルでの独立を守り続けた運動でもありました。不穏な時代、統制や同質化が過剰に求められる時代にあって、柳宗悦らは、人間の営みの根元にはいかなる権力も奪えない多様な価値が息づいていることを示し続けていたのです。
こうした民藝の精神をふまえ、グローバル資本主義がもたらした社会的分断、過剰な消費に抵抗する文化運動として、ローカルラグジュアリーを位置づけています。
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