
なぜLVMHがこれほど日本に注力するのか?
LVMHがいま、なぜ日本にこれほど大きな注力をしているのか?
中国市場が揺れる中、「ラグジュアリービジネスの未来」を模索するうえで、日本の文化的成熟度と消費者の洗練性が、かつてないほど重視されています。
アシュレー・オガワ・クラーク氏によるVOGUE…

半導体業界から伝統工芸界へ
北日本新聞「ゼロニイ」連載「ラグジュアリーの羅針盤」Vol. 31. 「半導体業界から伝統工芸の世界へ」。伊勢型紙に魅せられ、LEDの技術を活かして伊勢型紙を照明化するという「…

王道の確かさと静かな挑戦 jun ashida / TAE ASHIDA 2025AW
イタリア製の上質な素材(リサイクル素材を含む)を中心に、王道ラグジュアリーの確かさと、静かに大胆な挑戦が共存するコレクション。
アシンメトリーなカッティングや、異素材に見える一体布地のトリック、そしてヴィンテージ感覚の色彩ミックスなど、細部にまで仕掛けが潜んでいます。着たときの心地よさ、立ち姿の凛とした美しさ。その両方を叶える服。
A…

伝統工芸は、成長産業である
5月31日(土)開催の会に備え、立川裕大さんの編阿弥庵を再訪し、打ち合わせをおこないました。
「伝統工芸は、ブルーオーシャンで、成長産業である」と言い切れるのは、長らくラグジュアリー業界のなかで日本各地の伝統工芸をプロデュースしてきた立川さんならでは。いま、またとないチャンスが来訪しています。
ものづくりの価値とは、技術だけで測れるものなのか。
日本の方がよい製品を作っているのに、なぜヨーロッパのラグジュアリービジネスが「強い」のか。
そして日本は、なぜ「世界観」を育てるのが苦手なのか。
ラグジュアリービジネスの「語られない」部分とも深く関わってきた立川氏とともに、伝統工芸・プロデュース・デザイン・文化経済圏をめぐる、鋭い対話の時間をお届けします。
職人と文化が、産業になるために何が必要か。立川氏の実践と言葉の中に、ヒントが散りばめられています。
「伝統工藝の未来への糸口 ミドルウェアという立場からの実践」
5/31土14時~16時
帝国ホテル 松の間
https://gayohexplore-03-gentei.peatix.com/
In…

ホテルの部屋ごとに異なる香り LABSOLUE
イタリア発のフレグランス、LABSOLUE(ラブソルー)展示会。
ここのラボラトリーは、ミラノにある世界唯一のパルファムホテル(!)「マグナ・パルス」に隣接。そのホテルにある68室の一部屋一部屋のためにスター調香師がオリジナルの香りを生み出しているというユニークなパフュームブランドです。
香水の番号は、部屋の番号とリンクしている。アメニティだけでなく、部屋のデザイン、イメージもコレクションごとに創りこまれていて、忘れがたい香りの体験を提供するのだそうです。泊ってみたい✨
比較的ストレートな名前がついています。 15ラベンダ、23ネロリ、16ウード、など。とはいえすべてに絶妙にイメージを裏切るひねりが加えられており、上質で洗練された空気を醸成してくれます。
6月18日に発売されるのは、
7…

職人のレガシー The LOA
国宝級のマスターテーラーの一人、廣川輝雄さんが(英ロイヤルミュージアムでも作品発表、BBC放映)、このたび、超優秀な若手とともにThe LOA(Legacy of Artisan)設立。
女性の…

人間に立ち返る贅沢 日経連載「ラグジュアリー・ルネサンス」
日経連載「ラグジュアリー・ルネサンス」の第二回。
成熟した社会においては、ブランド表示や物質的豪華さはラグジュアリーの知覚とはほど遠くなっていく。ではそれに代…

欲望を「クラフト」する ロエベが体現するラグジュアリーブランドの新戦略
ラグジュアリービジネスにおいて、もはや「体験型マーケティング」を採用するか否かは議論の対象ではない。問われるべきは、その体験がいかに戦略的に設計され、刹那的な感動をいかに持続的なブランド資産へと転換するかという点である。
ロエベの「クラフテッド・ワールド」展(東京・原宿にて開催)は、この問いに対する一つの鮮やかな解答を示したと思う。
本展は、まず視覚的な迫力によって来場者を圧倒する。なかでも、話題を集めたスタジオジブリとのコラボレーションの部屋は幻想的で、赤ちゃんの撮影室と化していた(笑)。巨大な植物モチーフ、シュルレアリスムを思わせるクラフトのインスタレーション、細部まで計算された空間演出、アートとして並べられたドレス。いずれも「思わず写真を撮りたくなる」衝動を巧みに喚起される(写真撮影は自由)。撮影された写真は、ソーシャルメディア上で無数に拡散され、ブランドは広告費を一切かけることなく、圧倒的なプロモーション効果を手にすることになる。現代のラグジュアリーブランドに求められる最も洗練されたマーケティングの形であろう。
とはいえ、この寛大さを装った体験の背後には、取引構造が隠されている。入場は無料だが、チケット取得時に個人情報の登録が求められる。来場者は、一瞬の感動的な体験、写真をSNSに掲載する承認欲求の満足と引き換えに、自らのデータを自発的に提供しているのである。この取引はあまりに巧妙で、消費者はその対価にすら気付かないまま、ブランドにとって貴重な行動データと心理的ロイヤルティを残していく。…

ラグジュアリーブランドは日本で文化的影響力の再構築をめざす
LVMHによる日本へのてこ入れが積極性を増してますね。4月に2025年フォールコレクションを京都の世界遺産、東寺で開催したり、大阪万博のフランス館に協賛したり、村上隆とのコラボを復活させたり、ロエベの〈Crafted…

ヨコハマ薔薇祭り2025
すっかり恒例となりました、ヨコハマの薔薇の記録。5月7日の山下公園、海の見える丘公園、イギリス館あたりですが、薔薇の良い香りのなかを歩くのは至福です。おそらく母の…

レースが紡ぐ美と社会の物語 プレシャス6月号
「Precious」6月号発売です。レース特集の巻頭で「レースが紡ぐ美と社会の物語」を見開き2ページにわたり書きました。
歴史的にラグジュアリーの象徴とされてきた装飾的な布ではありますが、であるからこそ、社会情勢の影響をもろに受けてきました。
奢侈禁止令の対象となり、フランス革命では迫害され、産業革命では階級闘争を激化させ、アイルランド飢饉を救い、現在のかわりゆく価値観のなかで再発見されています。レースを通して読む歴史、ほんとうに駆け足ではありますが、お楽しみいただけたら幸いです。
The…

ご視聴ありがとうございました BSフジLIve「PRIME NEWS」
5日(月)20:00 ~ 22:00 放送のBSフジLIVE PRIME NEWSに出演しました。ご視聴ありがとうございました。
2時間の生放送でしたが、話したりないことも多々あり、あっという間でした。
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吉田茂のスーツに見る戦後日本の決意
吉田茂元首相のスーツ姿は、敗戦後の日本の外交理念と国際的な矜持を体現していた。
彼のスーツは単なる個人の趣味を超え、敗戦国・日本が再び国際社会に復帰するための、「装いによる国家戦略」であった。
吉田は戦前、駐英大使を務めた経験を持つ。1936年から1938年にかけて滞在したロンドンでは、外交儀礼のみならず、英国紳士の装いの作法を徹底して学んだ。サヴィル・ロウの仕立て文化に触れた彼にとって、スーツとは、知性・品位・信頼を象徴する「教養の外皮」であった。そこには、戦後日本が「文明国」として再出発するにあたり、欧米と対等な文化コードで交渉を行うという、深い戦略的意図が込められていた。
帰国後、吉田が愛用していたとされるのが、東京・銀座の老舗「テーラー神谷(かみや)」である。同店は明治から昭和にかけて、英国式仕立てを忠実に守り続けた名門であり、多くの政財界人や文化人が顧客として名を連ねる。吉田は、ダブルの三つ揃いスーツを好み、クラシックで重厚なラインを崩さなかった。加えて、外出時に携えたステッキや控えめなポケットチーフは、英国紳士の名残を感じさせ、敗戦直後の日本において異質とも言えるほどの威厳と洗練をまとっていた。
このような装いは、講和条約や安保条約といった歴史的交渉の場において、極めて有効な視覚的言語となった。そして、視覚におけるこの「同調」と対をなすように、吉田は言語において「ずらし」の戦略を取る。1951年のサンフランシスコ講和会議において、彼は英語を完全に操るにもかかわらず、あえて日本語で演説した。そこには「自国の言葉で主権を回復する」という強い意思が込められていた。姿は西洋の形式を纏いながら、言葉はあくまで日本語。まさに日本という国の立ち位置そのものであった。
服装により「国際社会への復帰の意思」を示し、言語により「文化的主権の堅持」を宣言する。その両方を同時に成立させることで、吉田は敗戦国・日本の再出発を強いメッセージとして打ち出したのだ。
注目すべきは、そのスーツが流行を追うものではなかったという点である。生地、ラペル、シルエット、どれもが永続性と格調を重視した選択であり、一過性の時流とは一線を画していた。混乱期にあって、吉田の装いが放った静かな重みは、国民に知的な安定感と、国家としての成熟した自己像を示すものだった。
彼の装いは、戦後日本が掲げた「外交による再建」という道のりにおいて、視覚的信頼の基盤を築いた。それは今なお、日本の政治家がスーツに込めるべき意味を問い続ける遺産でもある。
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ロシア・中国・北朝鮮 服装政治学
外交や儀礼の場において、国家指導者が何を着るかは、体制の正統性、歴史との向き合い方、そして対外的なメッセージを可視化する記号として機能する。とりわけ旧共産圏諸国における「伝統的人民服」の扱いを見比べると、その違いは際立っている。
たとえば中国や北朝鮮の指導者は、今なお人民服(中山装やその亜種)を重要な儀礼の場でまとい続けている。単なるノスタルジーではない。彼らの国家体制そのものが、いまもなお「革命政党の支配」という枠組みにあり、人民服は体制の成立過程と不可分な象徴だからだ。すなわち、服装を通じて彼らは、「革命は終わっていない」というメッセージを発信していると見える。
一方、ロシアの指導者が公式の場で伝統的な民族衣装やソ連時代の制服を身にまとうことは、極めて稀である。プーチン大統領をはじめとする現政権は、国際標準に則ったビジネススーツを着用し、過去の体制的な衣装とは距離を置いている。この違いは、ソ連崩壊という「体制の断絶」がロシアにおいては歴史的事実として明確に位置づけられていることによる。1991年以降、ロシアは国旗・国章・国歌のいずれにおいても「帝政への回帰」を選択し、ソ連時代の象徴を公的装いから排除することで、新生国家としてのアイデンティティを確立しようとしてきた。
つまり、ロシアにとって服装とは「過去との距離感を測る手段」であり、中国・北朝鮮にとっては「過去との連続性を誇示する装置」なのだ。
加えて、民族主義と服装文化の文脈も異なる。中国や北朝鮮では、西洋的装いから距離を置くことが「自立と誇り」の表現とされやすい。対してロシアは、帝政、共産主義、資本主義と体制が大きく変遷してきたため、特定の服装に統一された国家的アイデンティティを託すことが難しい。結果として、最も中立的かつ現実的な装いであるスーツがデフォルトになっていった。
近年、プーチン政権はソ連的な記号や英雄像を部分的に再評価しつつも、それを服装として再現することはほとんどない。そこには、イデオロギーではなく現実主義に基づく対外戦略の姿勢が透けて見える。
Photo: William…

「人民服」から「スーツ」へ 金正恩の装いにみる外交戦略
北朝鮮の金正恩総書記が何を身にまとうかは、彼の政治的スタンスと国際社会へのメッセージを視覚的に象徴する。2018年の米朝首脳会談においては人民服、2023年の露朝首脳会談ではビジネススーツを着用した。この服装の違いは、北朝鮮の外交戦略の変化を如実に物語る。
2018年6月、シンガポールで行われた米朝首脳会談。金正恩氏は、父・金正日も好んだ黒の人民服で登場した。人民服は社会主義国家の指導者にふさわしい「反西洋」の象徴であり、資本主義の権化たるアメリカに対する北朝鮮の独自路線を強く印象づけた。この時期、北朝鮮は核・ミサイル問題をめぐる緊張のただ中にあり、人民服はあえて「国家主権を譲らない」という意思表示として機能した。相手がいかに強大な国であっても、北朝鮮の体制と思想は不変である。そんな強硬な自画像を、彼の人民服から読み取ることができる。
一方、2023年9月のロシア訪問では様相が異なる。極東アムール州で行われたプーチン大統領との会談において、金正恩氏はダークスーツにネクタイという、いわば国際標準の装いだった。この選択は、人民服に込められた体制の象徴性を意図的に脱ぎ捨て、「実利を求める交渉者」としての顔を前面に押し出したものと解釈できる。経済制裁下にある北朝鮮にとって、ロシアとの軍事技術協力や物資支援は切実なテーマである。スーツという現代的で合理的な装いは、こうした現実的利害を共有する同志としての立場を演出する。
装いは、多くを語る。人民服を選んだとき、彼は体制の正統性を視覚化し、権威とカリスマを内外に示した。スーツを選んだとき、彼は外交ゲームのプレイヤーとして、共闘と取引のテーブルに着く姿勢を表現した。
この二つの装いの対比は、北朝鮮外交の二面性──理念と実利、孤立と連携、硬直と柔軟──を浮き彫りにする。服は、国家が世界とどう向き合うかという立場をまとう鏡になっている。
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2019年G20におけるプーチンのスーツ戦略
2019年6月、大阪で開かれたG20サミットにおいて、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が着用していたスーツは、一見すれば何の変哲もないクラシックな装いに映った。しかし、あの場面を外交的コンテクストとともに読み解くならば、それはきわめて緻密に設計された、静かな演出であったと言える。
プーチン大統領が着ていたのは、黒に近いチャコールグレーのスーツに、白シャツ、そしてワインレッドのネクタイという、保守的かつ抑制の効いた組み合わせである。奇をてらうことなく、ただし冴えわたる精悍な佇まい。挑発ではなく統制、アピールではなく沈黙による圧力である。
当時、米露関係はきわめて複雑な局面にあった。2016年のアメリカ大統領選へのロシアの介入疑惑を発端に、トランプ政権は国内外からロシアとの癒着を疑われ、いわゆる「ロシアゲート」が政権を揺さぶっていた。さらに、INF全廃条約の失効を目前に控え、軍事・安全保障の枠組みも大きく揺らいでいた。トランプはしばしばプーチンに対して異様な親和性を示したが、アメリカの制度的な対露姿勢は一貫して警戒的であり、両国は、握手しながら疑念を深めているような状態にあった。
そのような文脈のなかで、プーチンの装いは明確な信号を発していた。深いグレーはロシアの現実主義を象徴し、ワインレッドのタイは、赤の持つ攻撃性を巧みに抑制しながらも、権力と主導権の意思をほのめかす。派手なスーツや強い柄を避けることで、「服では語らず、立ち姿で圧倒する」スタイルであり、いわばKGB出身の統治者にふさわしいスーツ美学である。
対するトランプ大統領は、淡いピンクのストライプタイというやや軽快な装いで登場した。政治的な含意はともかく、ビジュアル上は華やかであり、言葉も冗舌であった。プーチンの静けさとトランプの騒がしさ。そのコントラストは、米露の立場の違いを象徴するような一幕だった。
プーチンは、この「静」のスタイルによって、外交舞台においても「読ませない男」であり続けた。スーツに感情を載せず、しかしその無表情のなかに国家の影を背負わせる。
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ボタンダウンはなぜ「公式の場」に不適なのか
紳士服業界にある方々にはつとに「常識」になっているのだが、今なお、政治家のなかにも「常識」が浸透していないと見受けられる場面が多いので、重ね重ねではあるが、ボタンダウンのシャツを着用する際の注意として記しておきます。
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ボタンダウンのシャツは襟がきれいに立ち、ネクタイとも相性がよく、ネクタイなしでも様になる。実用性に優れた一枚である。
ひとつだけ注意したいのが「公式の場」での使用である。ボタンダウンはその成り立ちや印象から、いわゆる「格式」を重んじる場にはあまり適さない。その背景を少しだけ。
ボタンダウンシャツの起源は19世紀末のイギリス、上流階級の間で人気だったポロ競技にある。騎乗中に襟が顔にかかるのを防ぐため、襟先をボタンで留めたのが始まりだ。つまりこのデザインは、そもそもスポーツウェアの実用性から生まれたものだった。
その後、アメリカの老舗ブランド、ブルックス・ブラザーズが1900年頃に商品化し、「ポロカラーシャツ」として定番化させる。ハーバードやイェールといった名門大学の学生たちがこぞって着るようになり、ボタンダウンは知性や清潔感の象徴として広まっていく。いわゆるアイビールックの代表アイテムであり、アメリカ流のカジュアルな上品さを体現する存在になった。
ここで注意したいのは、「カジュアル」と「公式」の違いである。
たとえば、第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ。彼はアメリカ政界きってのスタイルアイコンと称され、当時としては比較的細身のスーツを颯爽と着こなし、現代にも通じるエレガンスを体現した。そんなケネディ大統領は、プライベートではボタンダウンシャツを好んでいたものの、大統領演説や外交会談といった公式の場では一貫して着用しなかった。代わりに、レギュラーカラーやセミワイドカラーのシャツを選び、ネクタイとのバランスや襟元の美しさを大切にしていた。アメリカという若い国のリーダーとして、伝統的なヨーロッパの格式に敬意を払う姿勢の表れでもあった。
ヨーロッパ、とくにイギリスやフランスでは、シャツの襟元はフォーマルウェアの要とされる。ボタンで襟を固定するボタンダウンは、「略式」として扱われるのが通例だ。タイノットの立体感や襟のロールが制限されるため、正統なスーツスタイルの美意識にそぐわない、という感覚が根強くある。
日本においては1960年代以降、アイビールックの流行とともにボタンダウンがビジネスシャツとして普及したが、その文化的背景やTPOの区別が十分に浸透しないまま定着してしまった。とりわけ、目上の方と対面する場や式典、外交的儀礼のような「格式の要求される空間」では、ボタンダウンは控えるのが国際的にも妥当である。
ボタンダウンのシャツは、親しみやすく、どこかくつろいだ印象をまとう。だからこそ、信頼関係のある商談や、日常のビジネスにはふさわしい。一方で、表彰式、記者会見、外交、葬儀など、儀礼性の高い場では、レギュラーカラーのシャツを選ぶと、節度が漂う。
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過剰の時代を超えて ラグジュアリーの未来と日本的美意識
ファッション研究からラグジュアリー研究に対象を拡大し、新しいラグジュアリーの価値について発信するなかで、なぜ日本文化なのか? なぜ伝統工芸なのか? を問われるこ…

SNS時代の流行はかつての流行とは別物
『「イノベーター」で読むアパレル全史 増補改訂版』(6月20日発売予定)の初校ゲラを終えてあらためて感じたのだのが、20世紀には「流行」に意味があって、社会を変革する力があった。
変革とまではいかなくとも、SNS(2012年頃に生まれる)前までは、「流行」と見られる現象があった。たとえば、ミニスカートが流行ったとか、ローライズが街にあふれたとか。でも、今はそういう街の統一感は、あまり感じられない。
流行のしくみそのものが、スマホとSNSによって劇的に変わってしまったからだろう。
かつて流行は、雑誌やブランド、ファッションショーから発信されて、ゆっくりと社会に浸透していくものだった。みんなが「今年はこれだね」と感じるまでに、一定の時間とプロセスがあった。でも今は、TikTokやInstagramでたった一人の投稿がバズることで、数日で世界的なトレンドが生まれる。流行が「発表される」ものから、「発生する」ものへと変わった。
何より大きな違いは、流行の舞台が街からスマホの画面へと移ったこと。
今や、服は「誰かに会うため」に着られるのではない。SNSに投稿したときにどう写るか、共感を得られるか、アルゴリズムに拾われやすいか。そうしたことが服選びの判断基準になっている。
ところが、実際の暮らしの中で、私たちが毎日着ている服はどうかというと、実はその真逆だったりする。
SNSでは派手なトレンドが次々に現れても、現実に着ているのは、ユニクロや無印、GUのような、シンプルで機能的な服がほとんど。これは決して矛盾ではなく、むしろSNS時代だからこそ、「見せる服」と「生活する服」が完全に分かれてしまったのだ。
派手なファッションは、スクリーンの中で一瞬だけ消費される舞台衣装のようなもので、実生活では、動きやすくて、洗いやすくて、周囲に馴染む服、つまり空気のような服が選ばれる。これがいまのファッションのリアル。
この二極化が進んだことで、かえって「何を着てもいい」とされる時代になった一方で、どうせ見られないから適当でいい、という諦めと、誰にも見られてないからこそ、本当に好きなものを着たい、という自己回帰とが、同時に生まれているように見える。
で、初めの話に戻るのだが、流行の中にある「意味」が、ほんとに希薄になってきている。1960年代のミニスカートには女性の自立やジェンダー観の変化といった社会的な背景があった。けれど今のトレンドの多くは、あえて意味を持たない軽さが特徴。意味よりもスピード、記号よりも拡散。そうした「意味を問わない流行」が、次々に使い捨てられていく時代に、私たちは生きている。
(なんだか「(メンタルが)疲れる…」と感じることが増えた原因の一つはそれもあるんではないか?)
だからこそ今、問い直すべきなのは、「自分はなぜそれを選ぶのか?」という軸を持てるかどうか、という自分軸なのかもしれない。
何度も書いているが、「エレガンス」の語源には「選び抜く」という意味がある。
画面の中の刺激的なトレンドと、現実の生活に溶け込む服。この二つを行き来しながら、何を主体的に選び取るのかという自分自身の「装う哲学」を育てる、それが、SNS時代の私たちに求められている視点ではないかと思う。
Photo: Summer…

ネクタイは語る
政治家にとって、言葉と同様に雄弁なのが、装いである。とりわけ外交の場においては、国家の姿勢や理念を象徴的に伝える。
なかでもネクタイは、視線の集まる位置にあり、色・柄・幅の選択が無言のメッセージを発する。たとえば歴代日本の首相たちのネクタイにおいても、それぞれの政治信条、時代背景、国際的立ち位置が織り込まれている。選ばれたネクタイは、おそらく意図以上に、外交における信頼醸成や文化理解に寄与してきた。
象徴的な存在として、海部俊樹氏(第76・77代首相)を挙げたい。1989年、リクルート事件による政治不信が高まる中、「クリーンなイメージ」を評価されて登場した海部氏は、トレードマークとして水玉模様のネクタイを着用した。これは、テレビ出演で同じネクタイを繰り返し使っていたことを視聴者に指摘された経験を受け、逆手にとって個性として打ち出したものだった。600本以上の水玉ネクタイを所有し、常に異なる水玉で登場するという視覚戦略は、清潔感と親しみやすさを演出し、「さわやか宰相」としてのパブリックイメージを確立した。
安倍晋三氏(第90・96〜98代首相)のネクタイ選択もまた、視覚的言語として強い意味を発していた。外交の場において、青系とともに黄色系のネクタイをしばしば選んだ。青は誠実さ、冷静さ、信頼感といったイメージを想起させる定番であるが、黄色はやや異質に見える。だが、「日の出ずる国=日本」の象徴としての意識的な選択であったと解釈できる。
太陽の色である黄色や金色は、古来より光明・繁栄・知恵の象徴であるとともに、視覚的に日本を想起させる色である。国際会議のフォトセッションにおいて、黄色のネクタイは視線を引きつけながらも、攻撃性なく品位と存在感を発揮する。安倍氏が標榜した「戦後レジームからの脱却」や「積極的平和主義」の発信において、黄色のネクタイは、日本の伝統と未来をつなぐ光として、視覚的外交における確かな役割を果たしてきたのだ。
小泉純一郎氏は、グリーン系ネクタイを好んだ。グリーンは自然、再生、調和の象徴であり、政界においては異色である。しかし、彼の「聖域なき構造改革」「自民党をぶっ壊す」といったメッセージと併せてみれば、現状への挑戦と刷新を示す色でもあった。グリーンは権威から距離を置き、自然体で風通しのよいリーダー像を演出するための装いであったとも言える。
岸田文雄氏は、無地や控えめなストライプといったネクタイを好んだ。その選択は、調整型で穏健中道を旨とする彼の政治スタイルと一致している。外交の場でも落ち着いた印象を与え、相手国に対する過剰な主張を控えたバランス感覚を印象づけた。
しかし、ストライプの扱いには常に注意が必要だと思う。日本ではストライプのネクタイが若々しいイメージを与えるものとして広く愛用されているが、海外ではこれがしばしば「レジメンタルタイ(連隊ネクタイ)」として認識される。もともとは英国の軍隊やパブリックスクール、クラブに由来し、各ストライプには所属を明示する意味がある。そのため、該当する所属者でない者が無自覚に着用することは、時に無礼と受け取られる。
さらに、英国式では右上がり、米国式では左上がりのストライプが基本であり、方向性までが文化的アイデンティティを帯びている。石破茂氏のように英国式ストライプを愛用する政治家もいるが、国際舞台でこの選択が不必要な誤解や違和感を招くリスクを持つことは否めない。ストライプは、国内では無難な柄でも、国境を越えるとき、文化的誤読の種にもなる。
外交においては、無地のネクタイ、小紋、水玉といった控えめで、非所属的な柄が推奨される。こうした柄は文化的中立性を持ち、相手国への敬意や調和の姿勢を自然に伝える。ネクタイは言葉より先に、相手に見られている。ゆえに、政治的リーダーのネクタイとは、単なる装飾ではなく、自己像と国家像を織り込んだ外交の言葉として扱われるべき。
「どのネクタイを締めるか」の判断の積み重ねが、国際社会における信頼と尊敬を築いていく。
Photo:海部俊樹氏 首相官邸HP CC…