
レクサス富山 トークイベント 「偶然を祝福できる自由」写真家・日本画家・和菓子職人
最終セッションでは、写真家・テラウチマサトさん、日本画家・平井千香子さん、そして和菓子職人の引網康博さんと登壇。
実は5回目の登壇となるこの最終セッションまでにいろいろハプニングを経験し、もはや台本通りにキレイに進めるよりも、壇上でありのままをさらしていただく(自分もさらす)ほうがいい、と覚悟を決めた回でした。
そしたらば、もう平井さんがありのまますぎて正直すぎて…。予定調和をことごとく破壊していくアナーキーぶりに、焦りを通り越してもはやファンに(笑) 恐竜の骨に花を咲かせる画風そのものの衝撃でした。
その画風の魅力を解説してくださるテラウチさんもさすがアーチストで、プロの仕事とは予定されているものをキレイに撮ることではない、と。絶景をなぞるのではなく、偶然の瞬間、誰も予想もしなかった瞬間ををつかむ敏感さと経験値こそが大事なのだと。
(まさにこのトークイベントがそれ)
大人気の和菓子職人・引網さんは、40gほどの「消えもの」が持つ豊かさを語りました。菓子は味や形だけで完結しない。器や空間、誰と、どの瞬間に、どんな名で差し出されるのか。総合的に価値が決まる、と。だからこそ「誰かを想って、その場に最善を尽くす」というおもてなしの姿勢が豊かさの核であると示されました。
この3人に率直に語っていただいたことの意味は大きかった。理想とされる形をなぞるのではなく、瞬間、瞬間を自分に正直に、対象と向き合って生きる。そこからしか生まれえないものこそがアートである、という考え方を態度そのもので示していただきました。
Final…

レクサス富山 トークイベント 「個と地域と企業が関係の質を上げ続ける」美術作家・陶芸家・鋳造家
レクサス富山主催「新しいラグジュアリーを求めて」。初日午後は、清川北斗さん(美術作家)、釋永岳さん(陶芸家)、そして尾崎迅さん(鋳造・研磨)と登壇しました。
美はどこから生まれるのか?
美術作家の清川北斗さんは、「無駄を削ぎ落とした機能の純化に美は宿る」と語ります。道具や工業製品にも通底する、本質だけを残す姿勢です。陶芸家の釋永岳さんは、「鋭さや脆さ、わずかな不均衡にこそ惹かれる」と言います。不完全さが生み出す緊張と余白です。鋳造・研磨に携わる尾崎迅さんは、「光と影、素材と空間、人と物の関係がつくるバランス」を重視します。機能・不完全・関係性。ここに日本的な美はたしかに立ち上がるように感じます。
(清川さんの作品)
地域との関わり方も、三者三様でした。清川さんは、「個人の原風景が造形に作用する」と話します。たとえば、河川敷のすすきや若い日のバイクの記憶が、無意識にフォルムへ刻まれていくという見立てです。釋永さんは、地元の土に固執せず、他所の土をブレンドし、最適なバランスを探ります。そのうえで、「理想は地の土×薪窯×地の食が循環する景色」と、ローカルへの回帰と循環のビジョンも示しました。尾崎さんは、高岡に根づく鋳物の分業体制という地域資源に支えられてきたと語り、「地域は作家を縛るものではなく、技術と人が重なるインフラです」と位置づけます。三者の言葉から、地域は「色を誇示する旗」ではなく、「創造を支える資源」と位置付られるように感じます。
(釋永さんの作品。一見、木に見えますが実は陶器。LEVOで用いられてブレイクしました)
企業との協働についても、重要な示唆がありました。清川さんは、「にぎやかしの一回性を避けるには、相互尊重・合意された目的・十分な対話・継続設計が不可欠です」と明確に言います。釋永さんは、「企業のノウハウを吸収できるのは自己成長の機会」と受け止めつつ、作品の軸をぶらさない姿勢を強調しました。尾崎さんは、「異なる価値観が混ざり合うことにこそ意義がある」とし、そのためにこそコミュニケーションを丁寧に積む必要があると語ります。共通するのは、コラボレーションを「双方の知を増幅し、文化に資する」ために行う、と捉えていること。
(尾崎さんの作品)
海外での受容については、清川さんが「『日本を背負う』より、自分個人のやりたいことを追求するほうが世界で通用する」と言い切ります。個を徹底すれば普遍に通じる、という法則ですね。釋永さんは、海外の鑑賞者が強く「日本らしさ」を読み解こうとするがゆえに、「その一歩先の制作が開ける」と指摘しました。外から向けられる視線を鏡として、制作の解像度を上げていくヒントがここにあります。
では、ローカルラグジュアリーとは何でしょうか。個と地域と企業が、関係の質を上げ続ける営み、ともいえるでしょうか。その核には四つの質があると思います。
第一に「つながり(Connection)」。人と人、産地と都市、伝統と現代が編まれること。
第二に「親密さ(Intimacy)」。大量消費では得られない、あなたのための温度。
第三に「匠(Craftsmanship)」。時間と手間の蓄積がもたらす説得力。
第四に「個別認知(Recognition)」。作り手と受け手が互いに名をもって見つけ合う実感です。この四つが押さえられるとき、価格やブランド名では測れない豊かさが立ち現れます。
ローカルラグジュアリーは、遠い理想でも地方限定の郷愁でもありません。機能・不完全・関係が織りなす美を信じ、場所を資源として使いこなし、誠実な協働で「機能する文化」を育てていく。そうして初めて、地域から世界へ、世界からふたたび地域へ循環する、新しい豊かさの回路が生まれる…そんな帰結にいたったセッションでした。
Lexus…

レクサス富山 トークイベント「守られた場所へ、旅から帰ってきた瞬間」家具職人、庭師
2日目、31日午後一番のトークイベントは、家具職人の下尾和彦さん・さおりさんご夫妻と、庭師で役者の山崎広介さん。
下尾さんの家具は「長く使うほど美しくなる」ようにつくられています。独立当初は1ミリ単位で形を追い詰め、いまは表面の仕上げやテクスチャー、手に触れる肌理へと美の焦点を移している。時間とともに深まる品位を、日常の手触りで約束する家具です。
庭師であり役者でもある山崎さんが語る「造園で最も大切なこと」は、演劇と同じく“適切な配置”。まず一石を据える―その一点を起点に、物と物、人と環境の関係性が立ち上がる。庭も家具も、暮らしに寄り添ってはじめて完成する。彼にとっての「ラグジュアリー」は、非日常の外にあるのではなく、日常の芯にあります。長い旅の果てに玄関の扉を開け、「帰ってきた」と胸がほどける瞬間こそ最上の贅沢だ、と。
3人が共通して示す富山の「力」は、立山連峰に象徴されます。山崎さんは、立山の稜線と富山湾の水平線が重なる光景、水が巡り田の光が呼吸する土地のリズムを語る。下尾さんご夫妻は、立山が最も美しく見える場所にギャラリーを構え、愛する景観に囲まれて仕事をする。ここから見えてくるのは、ローカルラグジュアリーが「どこで、どう生きるか」という選択の結果として得られる安らぎの中にある、という実感です。風土と視界、生活のリズムが、モノと人の関係をやさしく支える。
一方で、関係づくりには矜持も必要ですよね。大きな企業とのコラボレーションは新しい顧客層に届く良さがある一方、下尾さんご夫妻は大手ラグジュアリーブランドからの依頼を見送ったそうです。ブランドのイメージを全面に敷き詰める要件と折り合えなかったため。相互が主体性をもち、互いをリスペクトで高め合う協業こそ理想であり、その姿勢自体が「ローカル」の価値を守ります。
ローカルラグジュアリーとは、土地のリズムと暮らしの中心に根づいた関係性から生まれる、時間とともに熟成する安らぎ。…

レクサス富山 トークイベント「素材と形:和菓子、螺鈿、ガラス」
レクサス富山主催で2日間にわたりおこなわれたイベント「新しいラグジュアリーを求めて」。
基調講演のほか、4つのトークイベントのファシリテーションを務めました。
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セルジュ・ルタンス 「光の王国」コレクション
セルジュ・ルタンスの新作「光の王国」コレクションの発表会。銀座・資生堂ビルにて。
ルタンスならではの詩的で芸術的な世界に一瞬にして導かれる光のコレクションです。赤・金・黒のアラベスクをまとったボトルは、砂漠と文明のあいだに張られた「金の架け橋」を思わせる。東西の神話と現代生活に橋を架けるパルファムのコレクション。
今回の意図のひとつは、素材主義の復権です。ローズ、レザー、タバコ、シプレ、アイリス、ウード。いずれも香水史においては定番ですが、扱いはあくまで現在形。過去の記憶(手袋香や交易路の風景、儀礼の香)が肌の上で再編集されます。
以下、5種の香水の概略的なご紹介です。詩的な表現はこれでもかなり省略しています。本家の言葉はさらに難解すれすれの豪華絢爛な文学世界。
"Sidi…

ジョルジオ・アルマーニ ご冥福をお祈り申し上げます
2019年5月に来日したアルマーニ(当時84)のお話を聞く機会がありました。60分の間、アルマーニは美しい姿勢を保って立ったまま、丁寧に話し続けました。若いスタッフが疲れて座り始めても。驚異の体力というよりも、並外れた美意識の高さ、意志の強さ、そして記者たちへの敬意が伝わってきました。
アルマーニが作り出したのは、時代が求めた男性・女性、それぞれの理想像でした。1980年代の男性に官能性を、女性に威厳を。結果として社会変化を後押ししました。さらに50年という長きにわたり、コングロマリットの傘下に納まることなく独立ブランドとして文化的にも影響力を発揮し続けました。
そんな功績はもちろん偉大なものですが、何よりも多くの人を魅了したのは彼の「あり方」だったと思います。ストイックに、エレガントに、仕事や人に向き合う姿勢。アルマーニのあり方そのものが、人間が意志と努力によって到達しうる、一つの理想像でした。感謝をこめて、ご冥福を祈ります。
In…

CFCL 高橋悠介さんにインタビュー for 装苑
CFCLのデザイナー、高橋悠介さんにインタビューしました。元代々木の本社にて。
高橋さんにじっくりとインタビューするのは3度目で、『「イノベーター」で読むアパレル全…

ニュースーツ特集 巻頭エッセイを書きました GQ10月号
GQ10月号「ニュースーツ」特集。巻頭エッセイ「スーツ、360年目の自由」を書いています。
ご高覧いただけますと幸いです。
連日の35度越え…。早くスーツが楽し…

「新しいラグジュアリーを求めて」 By LUXUS TOYAMA
レクサス富山主催のイベント「新しいラグジュアリーを求めて」。
2日間にわたり、講演とファシリテーター、計5回の登壇を務めさせていただきました。
唯一、観客として拝見していたセッションが、レクサスの開発試作部のチーフエンジニアとレクサス・インターナショナルプレジデント、そしてレクサス富山社長・品川祐一郎さんの鼎談。
面白いと思ったのが、AIを搭載した未来のEVカーのコンセプト。一見冷たそうに見えるのですが、そうではなく、AI車とオーナーとの関係が「どらえもんとのび太」のようなパーソナルで親密な関係になるのこと。
日本で最初にラグジュアリーという言葉を使ったのがコスモAPという反・公害の思想を帯びた車のCMでした。最先端の技術と思想を結集する分野は、常に新しいラグジュアリーを先導します。
レクサス富山のイベントは富山の気鋭のクリエーターやアーティストたちを支援し、地域創生にも結び付ける可能性を秘めていました。各アーティストとのセッションの詳細は、追々、公開していきますね。
主催のレクサス富山社長、品川祐一郎さんと、イベントディレクターの武内孝憲さん、そしてご参加の皆様、ありがとうございました。車をプラットフォームとする新しい文化創造の可能性にあふれた有意義でエキサイティングなイベントでした。
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ラグジュアリーの価値観をアップデート MEN’S EX ONLINE
MEN'S EXから新しいラグジュアリーの価値観についてインタビューを受けた記事がウェブ公開されました。
英語版はこちらです。
写真は富山城。レクサス富山のイベント出演…

服学Vol. 4「マフィアとスーツ」公開
Be Suits 服学 Vol.4 「マフィアとスーツ」が公開されました。
この回に着用している白いスーツも前回と同じ廣川輝雄さん作。同じ日の撮影で、インナーと小物、髪型だけ変え…

服学Vol. 3「女性とスーツ」公開
Be Suits チャンネル「服学」シリーズにお招きいただきレクチャーしております。Vol. 1の「スーツの歴史」、Vol. 2の「世界のスーツ」に続き、Vol, 3 は「女性とスーツ」です。
撮影と編集はルアーズのZ世代のスタッフです。ありがとうございました。
今回着用している白スーツは8年前にThe…

LEXUS Toyama 20周年「新しいラグジュアリーを求めて」
直前のご案内になりまして恐縮ですが、30日、31日の2日間、富山の全日空ホテルでレクサス富山主催の「新しいラグジュアリーを求めて」をテーマとするイベントが開催されます。
クルマを取り巻く世界は常に最先端ラグジュアリーの象徴だったのですが、今回も、レクサス次世代EVカーや水素バギーなども展示されています。ドライブシュミレーターもあります。
富山ゆかりの、世界で活躍するアーチスト、クリエーターも、作品とともに17名、結集しております。お近くにお住みの方で、地域創生に関心をお持ちの方もぜひ。お時間がゆるせば涼みにいらしてください。
私は両日、講演とファシリテーターでほぼ会場におります。ご来場いただけそうでしたら、中野宛にメールまたはSNS(インスタ、FB、X)メッセージをいただければ幸いです。詳細をお知らせいたします。
レクサス富山主催で、無料です。出入りも自由。
レクサス富山がハブとなるローカルラグジュアリーの構想。実装するとすれば、こういうのがありうるという未来図を、僭越ながら、妄想レベルではありますが、示してみたいと思います。
富山、石川近辺のみなさま、お目にかかれましたら幸いです。

感情に負担をかけすぎないため小さな行動を積み重ねる
恒例の高知日帰り出張でした。いつも朝一のJALのKの座席から見る富士山を楽しみにしています。真夏はさすがに雪はひとかけらもない。雲が山の稜線に寄り添うようになびいており、それはそれで味わい深い富士でした。
さて。まだ修行の途上につきエラそうなこともいえませんが、最近立て続けに、30代の女性4人から…

ラグジュアリー空間は戦略資産 GARDE 40周年
GARDE 創業40周年記念メディアラウンドテーブル&店舗見学会にお伺いしました。
GARDEはラグジュアリー×グローバル実装×ローカル文化翻訳を基盤に、デジタル(メタバース)・…

臓器としての肌の「若返り」を謳う美容液登場 Augustinus Bader
「若返り」を正面から掲げる美容液が登場しました。アウグスティヌス・バーダーの〈AB セラム エクセプショナル〉の発表会で衝撃を受けました。従来の「老化の遅延」ではなく、加齢サインの巻き戻しというロンジェビティ(長寿)発想に軸足を移した点が新しい。肌を身体最大の臓器(!)として扱い、再生科学の理論を化粧品に応用してきた同ブランドの「第二章」にふさわしい挑発です。解説するのは本国のグローバルディレクター、クリスティアン・ウェロンさん。
要となるのは、成分の配達と指令の最適化。ブランドの中核テクノロジーTFC8™を再設計した「アドバンストTFC8™」は、細胞間シグナルと成分デリバリーの道路網を太く速くするという考え方。従来が通常の飛行機であったとすれば、今回の新成分はコンコルドの速さで届くと言います。そこに、ゾンビ細胞(老化細胞)へのアプローチをうたうヒトペプチド・コンセントレート、コラーゲンを生み出すことにおいてレチノールの約3倍の働きを示すとされるバイオミメティック・エラスチン、オートファジー活性をねらうスペルミジン含有マリンアルゲ由来成分が合流していきます。
水分を極力削った超高濃度処方で密度を上げる設計は、価格に対する説明もしやすい。コミュニケーションも直球です。使用2時間での視覚的変化、56日で「シワ最大78%減、ハリ46%増、弾力21%増」という同社提示データは、体感までの距離をぐっと縮めます。
なぜ今、この言葉と設計が刺さるのか。平均寿命が延びていく世界では(日本では84歳)、関心は長生きから「どう健やかに生き切るか」へ移っています。ウェルネスと美容医療の境界が薄れた時代に、ABの提示するのは「修復」からさらに進んだ「再生の最適化」。
〈エクセプショナル〉の名を冠したラインは、単発の話題作で終わらせず、次弾のビタミンCセラム、2026年秋のモイスチャライザーへと世界観が拡張されるとのことです。
〈AB…

迷彩柄の是非 朝日新聞本紙にも掲載されました
「迷彩柄を考える 戦争やまぬ今」という記事で、朝日新聞本紙にもコメントが掲載されました。
ウェブ版にも引き続き掲載されておりますが、有料会員のみ全文お読みいた…

美容においても日本的な知と資源をとりこむことができる FAS
FAS 新作発表会。
美容の世界では「顔」に比べて「身体」が軽視されてきました。ボディケアはせいぜい保湿や日焼け止めにとどまり、エイジングケアの本格的な対象とされることは稀でした。
FASが新たに打ち出したボディケア、「ドレープシリーズ」は、可能性に満ちたその領域に挑みます。
注目したいのはシルク成分開発の背景です。衰退産業とされる養蚕の現場に光を当て、余剰となっていた繭を美容資源として再利用している点。このアプローチは、地域産業や環境資源の循環にまでよい影響を及ぼします。
さらに、香りの設計に源氏物語を持ち込み、日本古来の「香りを聞く」という感覚を呼び覚まそうとする姿勢は、美容が文化の再解釈の場となり得ることを示していませんか。
今回のFASの新製品は、美容産業が、どのように日本的な知と資源を取り込み、新たな意味を付与できるかという問いを投げかけている点でも、意義深いと思います。
In…

今この時期に迷彩柄を作る・着る意味は
単なるファッションでしょ、とはいかない時代になっています。
この時代に迷彩柄を作る・着ることはどのような意味を持つのか?
朝日新聞・松澤記者からのインタビュー…

ただそこにいるだけで尊いということ
どの業界、どの職種においてもそうだと思うのですが、いま、ファッションブランドはAIとどう向き合うかという課題に直面しています。
ブルネロ・クチネリが展開するSolomeo AIという人工知能があります。クチネリの哲学や倫理観に基づいてインタラクションを展開するAIで、彼の頭の中と対話できるかのような体験を与えてくれるのですが、そのAIによれば、上記の答えは次の通り。
効率化やトレンド予測、顧客データ管理はAIに委ねることができるが、最初のスケッチや職人の手仕事、顧客との信頼関係構築、最終的な卓越性の判断は、「人間の聖域」として人間しか守ることができない。
ブルネロによれば、AIが雑務を担うことで、クリエイターはより人間らしい創造に集中できるということになります。
同じ問いは、文筆家にも突きつけられているんですよね。AIによるそこそこ質のいい文章生成が急速に普及するなかで、新聞や雑誌の記事にもAIっぽいものが増えました。それで「不便」はありません。記事内容によっては、人間性が感じられないほうが風通しもよかったりします。もう、記事を正確にまとめるだけの文筆家は淘汰されていきます。では、「人がわざわざ書く意味」とは何でしょうか。クチネリの姿勢と同じく「聖域を見極める」としたらそれは何でしょうか。
AIに委ねることができるのは、膨大な情報の整理、要約、構成の叩き台づくり、あるいは言葉のバリエーションの提案、誤字脱字の文章修正といった部分でしょうか。
一方で、人間が手放してはならない聖域、というか、文章に人間らしさを保とうとすれば人間にしかできないであろう領域があります。どのテーマを選ぶかというひらめきや直感。書く人の人生のコンテクストを踏まえた比喩や象徴の選択。その人らしさを感じられる独自の文体やリズム。読者と信頼関係を築き、感情を揺さぶる非合理的であたたかい力。さらに「何を信じ、何を伝えようとするのか」を決断する責任でしょうか。
完璧なAI文ではなく、不完全さを抱えた、生身の呼吸が宿る人間の言葉にこだわる文章は希少価値を増していくのではないかと楽観しています。とはいえ、そういう文章もAIが書けるようになる未来がいつかはくるのかな。
Photo:…

